ガラス玉
暗い輝きが一瞬メノウの瞳に宿ってすぐに消えた。
それが見逃してはいけない何かに思えて、フレヤはじっとメノウの目を見つめた。
長いまつげに縁どられたそれは、ひどく凪いでいた。
瞬きの間に暗い光は消えてしまった。
「もとより、私に選択権など与えるつもりはなかったのね」
「いいえ、選択肢なら差し上げました。
我々の条件を呑むか、呑まないかという」
「呑むわけ……ないじゃない」
「なら、我々は革命を起こすだけです」
フレヤは奥歯をかみしめた。
選択肢を与えているというのは言葉だけだ。
これは明確な脅しだった。
選択肢などあってないようなものだった。
今思えばここまでの行程はすべてメノウの掌の上でのものだったのだ。
あまりにも緻密すぎる計画。
どちらに転んでも、メノウには利益しかない。
「条件を、呑んでいただけますね、王女殿下?」
メノウはゆったりと話しているのに、圧倒される。
絶対的王者の風格。
すべての者をひれ伏させて従えてしまうような。
冷たいものが背中を流れる。
どうすればいい。
何を選択すれば正しいのだろうか。
頭は冷え切っているのに、冷静な判断ができない。
自分がひどく混乱しているのだと悟る。
何もわからない。
「フレヤ」
強く名を呼ばれ、顔を上げるとチノと目が合った。
その目は、殺せ、チノという武器を使ってメノウを殺めよ、と
戦列に雄弁に伝えてきた。
彼はただ一言命じられるのを待っている。
その目を見て、すべての覚悟が決まった。
「メノウ」
「はい、王女殿下」
メノウは微笑んでフレヤの言葉を待った。
フレヤはかすかに唇を震わせた。
「……あなたの条件を、呑みましょう」
王族であるフレヤが初めて膝を屈した瞬間だった。
メノウは微笑んだ。
メノウの館からどのようにして出たのか全く覚えていない。
それほど呆然としていた。
永遠にも思えるほどの時間だったのに、一瞬ですべてが過ぎ去ってしまった。
何が起こったのかいまだに頭が受け付けてくれない。
気づけば、馬を預けていた馬屋のところまで来ていた。
チノが二言三言店主と言葉を交わし、馬を二頭引いてくる。
こちらに向かって歩いてくる彼は、
いつもにもまして無表情だった。
感情の欠片もその顔に浮かべてなかった。
黙って馬にまたがり、ゆっくりと歩かせる。
やがて、門を出て、森に入って野原まで抜けたところで、
フレヤの横で馬を歩かせるチノが初めて口を開いた。
「なぜ、おれを使わなかった」
声は堅かった。
突然の言葉にフレヤは肩を震わせた。
風が急に冷たくなった気がした。
ぎゅっと馬の手綱をもつ手を握りしめた。
「あの娘を殺せば、おまえが苦しむことなど何もなかったというのに」
「チノは」
チノの言葉を遮るように、フレヤは強く言った。
その気迫に押されて、チノが口をつぐむ。
「もっと、自分のことを大事にしたほうがいいわ」
フレヤがなぜあそこで膝を屈したのか彼はわかっていない。
チノがあそこでメノウを亡き者にしたら、
彼は一生人殺しの咎を負うこととなる。
そんなことは絶対にさせたくなかった。
「それを、お前が言うのか!!」
すごい剣幕でチノに怒鳴られたがひるんでなどいられない。
ひるんだらだめだ。
「ここまで反乱因子を育ててしまったのは、王族の責任。
王族の一員である私が……」
「そんなことは関係ない」
「メノウの仲間だったあなたがそれを言えるの?」
今度こそチノは黙ってしまった。
否定しないというのは肯定のあかし。
「あなたは、メノウに命じられて王宮に潜り込んだの?」
「……違う」
途端にチノの口数は減ってしまった。
あなたは、私の味方なの?
とっさに出てきそうになった言葉を飲み込む。
「私、あなたのことを信用したいわ、チノ」
チノは何も答えなかった。
その日から、悪夢のような日々が始まった。
いまだ意識の戻らない父の見舞いと称して部屋に入り歌を歌う。
死をいざなう禁忌の歌。
これは、幼い時に偶然見つけてしまった歌だった。
幼いある日、庭で羽を怪我して弱っていた小鳥を拾い、
優しい眠りにつけるように、祈りながら歌った。
歌って歌って、ある日のこと小鳥は冷たくなっていた。
ゆるやかにゆるやかに衰弱していたのだ。
フレヤの歌の力によって。
それ以来、フレヤが笑顔を見せることは、めっきり減った。
そして、歌うこともだ。
毎日、気持ちを声に込めて歌を歌うことはやめてしまった。
自分の特殊な歌の力を恐れてのことだった。
余程のことがないかぎり、歌わなくなってしまった。
それを今、破る。
歌う。
土気色の顔色の父を見ながら。
一日一回。
毎日、安楽死の歌を。
聴くものを少しずつ壊して、ゆるやかに衰弱させ、やがて死に至らせる。
チノとはあの日から一定の距離をおいていた。
それが自分が一人なのだと、より強く感じてしまう。
歌い終わったフレヤは父の顔を見た。
歌う前よりも顔色がよくなった気がする。
でもそれはまやかしだ。
少しずつ少しずつ父の体を蝕む歌の力。
しかしそれはフレヤも同じことだった。
異形の血を持つ者には歌の力は通用しない。
ただ、フレヤの心が、歌えば歌うほどに壊れていく。
フレヤはガラス玉のような瞳で、父を見つめた。




