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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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終わりと始まり

フレヤは、氷の彫像のごとく冷たい表情を崩さず、椅子に座ったまま


玉座から離れた床で膝をつかされている男を見下ろした。


王である父が狩りの帰りに連れて帰ったという男だ。


氷姫、という呼び名が隣国にまで広がるほど、フレヤは感情をあまり表に出さない。


今もそうだ。


そのかんばせにはつゆほどの感情も宿っていない。


隣の椅子に座る妹姫であるヘレナはまぁっと手で口を覆った。



「お父様!!


 あれはなんですの?」



フレヤは表情を崩さなかったが、少しだけ眉根を寄せた。


今は、妹が何を話しても癇に障る。


それには、理由がある。


それは、一ヶ月前のことだった。


フレヤには、婚約者がいた。


隣国の王子、ステファンだ。


初めてであったのは十五歳の誕生日パーティーのこと。


どこまでも真摯に彼はダンスに誘ってくれた。


最初は、緊張していたフレヤだったが、ステファンはどこまでも優しかった。


まるで夢のようなひと時だった。


フレヤは初めての恋をした。


初めて父王にわがままを言って、


婚約者はあの人でなければならないからどうにかしてくれ、と頼み込んだ。


そして、ステファンは、フレヤのものになった。


彼は美しいだけでなく聡明だった。


父を早くに亡くした彼は、若くして一国の王となった。


その仕事ぶりは素晴らしいもので、彼の国には幸せと笑顔が満ち溢れていた。


フレヤとステファンはその後も何度か逢瀬をかさねた。


彼はどこまでも紳士で、本当に優しくて、まさに理想の男性だった。


めったにフレヤに触れることもなく、紳士と淑女の適正な距離を保っていた。


しかし、夢のような日々は、一か月前につぶれてしまった。


久しぶりのステファンとの逢瀬を終えて、自室に帰ったときのことだ。


何気なく窓の外を見てみた。


ステファンと、誰かが庭でひっそりと寄り添っていた。


暗くてよく見えない。


フレヤは急いで自室を出て、城の階段をかけおり、庭の隅に隠れた。



「もう、こんなことはいけませんわ、ステファン様……!!」



妹姫のヘレナだった。


フレヤは地面にへたり込んだ。


しかし、二人はお互いのことに夢中でフレヤがそこにいることに気付かない。



「何を言っているんだ、ヘレナ!!


 俺は、君を、君だけを愛しているんだ」



重いもので頭を殴られたような衝撃。


彼はいま何と言った。


こんな彼の砕けた口調は聞いたことがない。


一人称も、いつもは、俺、ではなく、私、だ。


それに、愛の言葉なんて、こんなに簡単に吐いてくれるような人ではなかった。


何度も何度もねだってようやく言ってくれる程度だったのに。



「貴女には、お姉さまがいるわ!!


 もう、こんな関係、終わりにしなくては!!」


「あの人は、ただの人形のようだ。


 美しいけれどそれだけだ。


 それ以上、何でもない。


 同じ王族として尊敬はするけど、それ以上の感情は抱いたことはないよ」



心の中で何かが次々と壊れていく音がする。


宝石のような輝く思い出たちが壊れていく。


消えていく。



「ステファン様!!」


「少し、いいかしら」



フレヤが何とか声をしぼりだすと、二人ははじかれたようにこちらを見た。


月明かりに照らされたその顔は滑稽なほど青ざめている。


いや、滑稽だ。


自然と口元に笑みが浮かぶ。


何よりも滑稽なのは、だまされ続けて、裏切られ続けてきた、己自身だ。


フレヤはゆっくりと立ち上がると、二人のほうへと歩を進めた。



「話は少し聞かせていただきました。


 それで確認をしたいのです」


「フレヤ様、これは」


「ステファン様、妹に話があるので少し黙っていていただいてもいいですか」



今までにない強い口調でステファンの言葉を遮る。


彼は頬を張られたかのように目を見開いた。


本当に滑稽だ。


妹のことは、呼び捨てで呼ぶのに、


こちらには敬称をつけてよそよそしく呼ぶのだ。


四年も逢瀬を重ねたのにどうして気付かなかったのだろう。


続いておびえたようにこちらを見る妹姫に向きなおる。



「正直に答えなさい。


 彼を愛しているのですか?」


「……はい、お姉さま」



ヘレナは、震えながらもはっきりと答えた。


目を見たらわかる。


本気だ。


そうして、その日のうちにフレヤとステファンの婚約は解消された。


代わりにヘレナとステファンの結婚が二ヶ月後に執り行われることとなった。


涙なんて出なかった。


心のどこかが壊れてしまったのだから。


だが、腹が立たなかったわけではなかった。


今も、妹の発言一つでも今このようにひどく癇にさわる。


人間に向かって、あれ、とは何だ。


しかし父王は妹姫の言葉に満足げにうなづいた。



「あれは、狩りの途中にとらえたものだ。


 森の民である、さすらいの一族の者らしいぞ」



ちらりと視線を向ける。


膝をつき、両手を後ろ手に縛られている男を見やる。


短い濃い茶色の髪はぼさぼさに乱れている。


引き締まった体つきをしている身体は紅茶色の肌でおおわれている。


身に着けている衣もこの国とは違うものだ。


動きやすさと丈夫さを追求したようなデザイン。


一目で異国の民の者だとわかった。


なによりもあの目。


あの緑色の目は、この海の王国ではまずめったにみかけない。


この国の民は、基本的に青い瞳を持つ。


あんなに深くて……美しい瞳は見たことがない。


その目に宿っているのは、深い知性だった。


まるで美しくて賢い、獰猛な獣のような男だとフレヤは思った。



「さて、このケダモノをどうしてくれようか」



父が獰猛な笑みを浮かべる。


フレヤはさらに眉間のしわを深くした。


フレヤの母が、フレヤが幼い頃に亡くなってから、


父王はどこか物事に対して攻撃的になった。


あの笑顔は今までも見てきた。


口ではどうしてくれよう、などと言っているが、


どうせ、民衆の前で見世物にするつもりなのだ。


ひどければ、痛めつけたりもするだろう。


この国は、今、貧困にあえいでいた。


数年前に起きた巨大な津波による被害がいまだに国をむしばんでいる。


土にしみ込んだ海の塩気はなかなかとれず、作物の不作も続いている。


貧しい生活に民の不満もたまっている。


あの男を、すべての不満と鬱憤のはけ口へと仕立て上げるつもりなのだろう。



「おとうさま」



気付けば口が勝手に開いていた。


不満と鬱憤がたまっているのは、なにも民だけではない。



「わたくし、ちょうど、おもちゃがほしかったところですの」



なるべく艶やかに見えるように父王に笑ってみせる。


父王は意外そうにこちらを見た。



「フレヤがお願いをするのは久しぶりだな」


「ええ。


 最初のお願いが……なかったことに、されましたので」



隣にいる妹姫の発する空気がはっきりと硬くなった。


ステファンとの婚約解消のことを言っているのを察したのだろう。



「ですからわたくし、心を癒すおもちゃが、ほしいのです」



にっこりと笑ってみせる。


自分でもどうしてこのような気まぐれを起こしたのかはわからない。


このむしゃくしゃした気持ちがこんな突飛な行動に走らせたのかもしれない。


父王は探るようにこちらを見ていたが、やがてふん、と鼻で笑った。



「よいだろう。


 好きにするとよい」



フレヤは笑みを深めた。



「ええ、ありがとうございます」



こうして異国の民はフレヤのものになった。










父王の狩りからの帰還の宴を終えると、フレヤは男を連れて自室に戻った。



「さがっていいわ」



侍女たちにそう声をかけると、彼女たちは真っ青になった。



「いけませぬ!!


 そのような得体のしれぬ男と一つの部屋で二人きりになるなど……!!」


「大丈夫よ。


 もしもの時は、声、使うわ」



その言葉を聞くと、どこか安心したように表情をゆるめると


彼女たちは静かに部屋を出ていった。


あらためていまだに両手を縛られている男のほうに向きなおる。



「いいのか?


 得体のしれぬ男を部屋に入れて」



静かに男が問う。


低く穏やかな声。


何故かはわからないが、この男は襲い掛かりなどしないとわかる。


それに。



「私には、特別な力がある。


 屈強な兵士たちが束になって襲い掛かっても、傷一つ負わない自信があるわ」



人魚の末裔たる王族は、代々その声に魔力を秘めている。


特に先祖返りだと言われているほど人魚の血を色濃く受け継いでいるのがフレヤだ。


その声に魔力を込めて歌えば、どんな人間でも必ずフレヤの虜となり、


従順な僕となる。


ゆえに、何も恐れることなどないのだ。



「手を出して」



不思議そうな顔をしながらも、男は言われるがままに両手を差し出した。


フレヤはすっとドレスに仕込んである護身用の小さなナイフを取り出した。


それを握りしめて、力任せに男の両手を縛る麻縄を切りにかかった。


眉をしかめる。


硬い。


しかも乱雑に結んであって、男の手首には跡が残っている。



「あなた、名前はなに?」



されるがままであった男は、静かに口を開いた。



「……チノだ」



異国の響き。


しかしこの国の言語をよどみなく話せている。



「はじめまして、チノ」



ぷつり、とようやく麻紐が切れて、ゆかに落ちた。


手首をさすりながら、男、チノがこちらを見る。


背が高いのでフレヤを見下ろす形となる。



「私の名は、フレヤ。


 この国の第一王女です」



そして、つい最近恋人を妹姫にとられた間抜けな姫だ。


内心自嘲気味に皮肉をつぶやく。



「この国の王女たるものが、なぜ、おれを助けた」



フレヤは、少し驚いた。


どうやら先ほどのおもちゃがほしい、などと言ったのは


チノを救うためだと気付いていたらしい。


さとい男だ。



「別に、ただのきまぐれよ」




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