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マーメイドウィッチ  作者: いろはうた
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繋いだ手

朝日がまぶしくて、フレヤは静かに目を開けた。


のそりとベッドから起き上がると、いつも起きる時間より


ずいぶんと遅い時間帯だということが分かった。


ちらりと部屋の隅を見やると、チノがいつものように


そこに立っていた。



「……今日は、下町へ下りるわ」



スッと目をそらしながらつぶやく。


まだ直視はできなかった。


だが、雰囲気でチノが何かを言いたげにしているのを悟る。



「父上が臥せっているのに、


 下町に行くような、愚かな娘だと思っているの?」


「違う」



すぐにそう言い返されて、少し驚く。


チノが歩いてくる気配がして、体がこわばった。


だが、彼は、少し近くに来ただけで、


すぐに歩みを止めた。



「おまえの傷はまだ癒えていない。


 馬に乗るには、早すぎる」


「そんなことないわ。


 ……人魚の治癒力があるもの」



人間離れした速度で、傷は癒えており、


現在はうっすらと跡が残る程度となっている。


だから馬に乗ることも、もう問題はなかった。



「私は、今日は、村の訪問のために下町に下りない。


 ……メノウ、という人物に関しての情報を得るために行くの」



メノウ。


フレヤたちの馬車に襲いかかった男たちが口にしていた人物の名前。


おそそらく、彼らにフレヤたちの馬車を


襲撃することを命じた者の名前だろう。



「ステファン様がおっしゃっていた話と、条件が合う所がある。


 私の存在が邪魔だから、襲撃者を送った。


 でもその襲撃者がプロの暗殺者ではないことから、


 王族のような身分の高い者が


 私を殺すように命じたわけではないことがわかる。


 それに彼らの言語には私たちの国のなまりがあった。


 これらのことから、メノウという者はステファン様がおっしゃっていた


 革命軍、の上層部である人物である可能性が高いわ」



ふっとフレヤは瞳をかげらせた。


幼い頃より、何度もこの歌の力を持つ姫君として狙われてきた。


でも、それは別の国の王族が


秘密裏にフレヤを手に入れようとしたりするだけで、


民に狙われるのは初めてのことだった。


それが、心苦しい。


だけど、確かめないわけにはいかなかった。



「下町に下りて、メノウという人物について探るわ」
















フレヤはいつもは行かない賑やかな王都の中心部に向かって馬を走らせた。


あたりまえのようにその後ろをチノが馬を駆ってついてくる。


あと、半年。


あと半年したら、チノから手を放す。


彼を一族のところに返す。


だが、果たして彼は帰るだろうか。


歌の影響で、帰らないような事態にならないだろうか。


インクのように心に垂らされた不安はどれだけ考えないようにしても


心にこびりついて取れなかった。


もの思いにふけりながら馬を走らせると、


やがて長い城の道が終わり、


賑やかな喧騒が近づいてくる。


フレヤは馬をおりた。


そして、王都を守る警備の兵に馬を預ける。



「恐れながら王女殿下。


 本日は、遠出をなさらないので……?」


「ええ。


 たまには、王都の様子も見ようかと」



そう言うとフレヤは歩き出した。


フレヤの氷のごとき無表情さに衛兵は委縮したようで何も言わない。


同じく馬を預けたチノがその後ろを影のように付き従う。


遠くにたくさん見える人影。


たしか、王城の門から少し離れたところには


この国で最も大きな市場が開かれている。


だから、この国で最も人が集まるところでもある。


フレヤは、ぎゅっと頭を覆う頭巾をかぶりなおした。


今回ばかりは、何が何でも王女だとばれるわけにはいかない。


足早に賑やかな市場のほうに向かう。


本当に滅多にこういう人が多くて活気に満ち溢れている所に


来ないので、どうしても気おくれする。


揚げ物の匂いと汗のにおいと香辛料の匂いとが混じり合って


なんともいえない香りとなって鼻をつく。


すれ違いざまに男に強くぶつかられた。


思わずよろけると、後ろから静かにチノが支えてくれた。



「けがはないか」



淡々とした声に、舞い上がっていた心がふわりと戻る。


チノの手はすぐに離れた。


思わず足が止まる。


振り返れば、チノは静かな表情でそこに立っている。



「ありがとう。


 大丈夫」



また前を見て歩き出すと、チノもまた後をついてきてくれる。


危ないからおれが前を行く、などと言わない。


いつも、フレヤの意志を尊重して、決してその妨げはしない。


チノのそういうところが好ましいと思う。


しかし、また支えてもらうわけにもいかないので、


先ほどよりも周囲に注意して進むようにする。


すると驚くほど、この市場には様々な人種がいることが分かった。


目が茶色の者。


髪が白髪の老人。


褐色の肌を持つお花売りの少女。


それぞれの者たちが懸命に今日という日を生きていた。


精一杯声を張り上げて客を呼び込む青年もいた。


隅の方でうずくまって、道行く人に空き箱を差し出し、


金を恵んでもらうのを静かに待っている乞食もいた。


フレヤは一瞬迷った。


乞食のところに行って金を恵んでやるべきだろうか。


そうすれば、乞食は一時的に空腹からは逃れられるが、


その味をしめてしまって、また乞食になる悪循環が起こるかもしれない。


フレヤは結局、そっとその乞食から視線をそらした。


今日は貧しきものに恵みを与えに来たのではない。


情報を探りに来たのだ。


しかし、情報を集める、などという間諜のような真似は


生まれてこの方したことがないので、フレヤは困ってしまう。


なにをどうすればいいのか見当もつかない。


とにかくここは人が多すぎるから、もう少し人ごみの


少ない所に行った方がいいのかもしれない。


そう思い細い路地の法に入っていこうとしたら、襟元の後ろの方を


ガッとつかまれて動きを阻まれた。


思わず振り返ると、チノが首根っこをつかむようにして


フレヤを細い路地の方から引き離した。



「おまえは、馬鹿なのか」



いつもは無表情なチノのなのに、


眉間にくっきりとしわが刻まれていた。


びっくりするほど怒りをあらわにしていて、


何をするのだ、という言葉は消えてしまった。



「このあいだ、このような細路地で、


 人さらいに襲われたばかりだろうが。


 つい最近の出来事だというのに、もう忘れたのか」


「忘れたわけじゃ……」



ただ無意識での行動だっただけで。


チノがため息をついた。


その行動に少し傷つく。


失望されたみたいで。



「おまえは、こんなにも大人びているのに


 変なところで子供みたいになるな」



続けてかさねられた言葉は、失望よりも


もっと温かな響きがこもっていて、少しほっとする。


ちらりと上を見上げると、正面から視線が合って、


少し動揺する。


久しぶりにこの緑の目を見た。


相変わらず静かで、でも、今までにない温かさが


その目に宿っていた。



「手を、握っていてもいいか?」



からかう響きのない穏やかな声。


チノの顔はもう怒っていない。


日光に照らされて、チノの濃い茶色の髪が、透けて金髪に見える。



「おまえが、おれの手を引いて歩けばいい。


 そうすれば、はぐれないし、お前のいきたいところに行ける」



手を引かれるのではなく、手を引く。


今までやったことのないことだ。


姫君たるもの、殿方から声をかけられるまで、


自分から動いてはいけない。


そんな常識を覆されるようなその言葉に驚きながらも、


フレヤは自らチノの手に触れた。


自分のよりもずっと大きくて、少し乾燥していて、


温かい指に自分の指を絡める。


きゅっと、控えめな力で優しく握り返されて驚く。


チノは握っただけで、そこから足を進めない。


どこにもいかないで、フレヤが歩き出すのをじっと待っている。


足を一歩踏み出すと、遅れてチノもついてくる。


フレヤの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。



「チノは、お父さん、みたいね」


「……おとう、さん」



チノが衝撃を受けたように後ろでその言葉を繰り返す。


その言い方がおかしくて、少しだけ笑みがこぼれる。


握る手は優しい。


フレヤが痛みを感じないように


注意を払って握っているのがわかる。


足の長いチノからしたら、フレヤの歩みはひどく遅いのだろうが


チノは文句も何も言わず半歩遅れてついてくる。


もう一度チノの顔を振り返ってみると、


その顔には、わずかだが微笑が浮かんでいた。


困ったような、うれしいような色んな感情が混じった笑み。


チノは、ここの市場にいる普通の人と変わらなくて


変装のために身に着けている平民服もよく似合っている。


そのことに気付いたとき、なぜか泣きたくなって、


苦しくなった。


この優しい人を、歌の力で縛ってしまったのだと、


一層激しい後悔が胸を焼いた。

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