夜のひと時
フレヤは、夜会が終わり、
真っ暗な廊下を歩いて、城の客室に戻ろうとしていた。
ステファンの城だが、ステファンの花嫁の姉ということで
部屋をもらえたのだ。
好きなだけ滞在してもらって構わない、などと言われたが、
フレヤにはそんな気はない。
こんなところ、一刻でも早く去ってしまいたい。
出立は明日にしてある。
「……っ!!」
フレヤは、自室の前に立つ人影を認識して、息をのんだ。
ステファンがそこに立っていた。
彼もこちらの気配に気づいて振り返る。
美しい水色の瞳がやわらかく細められる。
足が勝手に止まってしまって、それ以上動けなくなってしまった。
かわりに、ステファンがこちらに向かって歩いてくる。
愛しい。
憎い。
会いたかった。
会いたくなかった。
彼に触れたい。
彼に近づかれたくない。
声が聴きたい。
声を聴きたくない。
相反する様々な感情が渦巻いて、言葉が出ない。
「貴女と話がしたい。
こんな時間にぶしつけなのは許してほしい」
律儀なまでにこちらの名前を呼ばない。
彼はそういう人だ。
なかなか、こちらに触れすらしてくれなかった。
それを、ずっと、彼が紳士だからだと思っていた。
でもそれは違った。
彼がいっそ残酷なまでに優しいからだ。
「話、って、こんな時間にするほど大事な話なのかしら」
自分の口から、驚くほど冷たくて、突き放すような響きの言葉が出て
自分でも驚いてしまう。
ステファンは一瞬表情を曇らせたが、すぐに元の真面目な表情に戻った。
それを見て、ごめんなさい、と反射的に謝ってしまいそうになるが、
自分のちっぽけなプライドがそれすら許してくれない。
「ああ。
貴女の国に関する話だ」
泣きたくなる。
彼にとっては、自分はもはや、元恋人でも何でもない。
ただの義理の姉だ。
それを、彼が口を開くたびに感じて、つらくなる。
ステファンの視線がちらりと背後のチノに向けられた。
「安心して。
彼は、信頼できる、私の護衛よ」
「そうか。
なら、いい。
話というのは、貴女の国で少しずつ勢力を増している、『革命軍』のことだ」
「革命軍……?」
聞き覚えのない言葉に、フレヤは眉をひそめた。
そのフレヤの表情を見て、ステファンは言葉をつづけた。
「貴女のお父上による政治が上手くいっていないせいで
自分たちの生活が苦しいのだと思っている国民は少なからずいる。
その者たちの中でも血気盛んな若者たちが集まって集団を作り上げた。
彼らの目的は王のすげ替えだ」
言葉が出なかった。
国民の不満がたまっているのは、肌で感じていた。
しかし、それが王のすげ替えを望むほどのものだとは知らなかったのだ。
「王の娘である君にも、これから先、外出の際には
狙われることが増えるかもしれないから気を付けてほしい。
それを伝えに来た。
……その革命軍には新しい統治者には、別の新しい女王をすげ替えたいようだから」
「女、王……?」
次々と告げられる衝撃的な内容に、耳を疑ってしまう。
フレヤのつぶやきに、ステファンはうなづいてみせた。
「なにやら、自分も王族の血筋をひく正当な王位継承者なのだと
言っている若い娘らしい。
そんな彼女にとって君は邪魔な存在だろう。
どうか、気を付けてくれ」
フレヤは返答をすることができなかった。
ステファンは一礼をすると去っていく。
本当にそれを伝えるためだけに来たのだ。
視線で、食い入るように彼の背中を追う。
きっと、ヘレナのところに戻っていくんだろう。
闇の中に消えていく背に追いすがってしまいたい衝動に駆られる。
彼は優しいから、気を付けるように警告してくれたのだ。
それはわかっている。
わかっているけど、あと少しでいいから、その姿を、その声を
この心に焼き付けてから国に帰りたかった。
ふわりと背中に控えめに触れられて、フレヤはびくりと震えた。
「……怪我はまだ治っていないだろう。
明日、出立するのだから、もう休んだほうがいい」
心に染み入るようないたわりの言葉に、フレヤは声もなく涙を一粒こぼした。
チノはそれを見ないふりして、扉を開けて、フレヤの背をまた押して
部屋の中に入れると、静かに扉をしめた。




