児の手柏
さあ、日が暮れた。これからカタナの鍛錬に入る。
屋敷の中にある作業場のそば、内庭にある泉へと向かう。
神聖なる作刀作業に入る前に体を清めるのだ。身に纏っているものを全て脱ぐと、しめ縄をくぐり、一番深いところで腰ほどの深さのある泉へと歩みを進める。
「くわぁっつ!」
やっぱり冷たい。
一年を通して温度がほとんど変わらない湧き水といっても、春先の夜に水につかるというのはさすがに辛い。
ぶっちゃけ、こんな儀式は形式的なものだ。とっとと終わらせて、作業場へ向かおう。おかげで目はすっかり覚めた……徹夜作業も問題ないだろう。そう思いながら、作業場のある、右手の方へと方向転換して――その時。
「ぎょわぁっっ!?」俺は思わず悲鳴を上げる。
目の前にいたのは銀髪の少女――そう、先程の座敷童だった。
もちろん、彼女もまた何も身に着けていない。
この泉の水位は、彼女にとっては胸の下あたりまでの深さで――透明度の高い泉の水は、彼女の下半身までも覆い隠すことなく、水面を通して全てが露わになっていた。
そして、その裸体は、雪でできているかのように真っ白だった。内庭の篝火の灯りを受けたその姿は、人ならざる者――まるで妖精のようであった。
この少女は、上目づかいに俺を見上げている。俺もじっとこの少女を見つめる――って、どういうシチュエーションだよ、これはっ!
そもそも、さっきまでは誰もいなかったぞ!? 何処から湧いて出てきた?
そんな時、ふと老師の『案ずることは無い』という言葉が、頭の中に蘇る――まさか、もしかして?
「ひょっとして……君が、向う槌を務めてくれるの?」
俺の問いに、『こくり』と彼女は首を縦に振る。おいおい……そのまさかだよ……。いや、伝説では、神様の使いとしてキツネが相方として現れたり、天狗様が相槌を打ったとかいうカタナも存在する。
しかし。
座敷童を手合にして打ったカタナだって?
そんなもの、前代未聞だよ! いや、だがそうも言っていられない。彼女が手合を務めてくれるというのなら……頼むしかない。
「じゃ……じゃあ、作業場の方へ行こうか」
あまりの出来事に、荒くなりかけた息を押さえ彼女に声をかける。
再びこの少女はうなずく――ずいぶん無口だな。まさかこの娘、話すことができない妖怪なのかな?……いや、妖怪だよなぁ……どうだろう?
そんなことを考えながら作業場の方向へ歩き出そうとすると、彼女は『すっ』と手を出す。
『手を引いて頂戴』――そう言っているみたいだった。
俺はこの少女の手を取りながら、泉から出る。
彼女の、まっ白で可愛らしい手が印象的だった。
そして思う。
本当にこの華奢な手が――この可愛らしい手が大金槌を振るうことができるのだろうか?
その時だ。ふと、泉のほとりに植えられている木――『児の手柏』の老木から、俺の頭の高さまで垂れ下がっている枝が目に入った。