相槌
俺はダラダラと続いた坂道を登り切り、ようやくナ・ゴローニュの里に到着した。
里の入り口を始め要所要所には検問所や監視所が設けられ、昼夜問わず屈強な剣士が警備にあたっている。もちろん、彼らが腰にぶら下げているのもナ・ゴローニュのカタナだ。
検問を突破しようとしたり、ここで変なことを起こそうものなら、それが多少腕の立つ戦士だとしても、一瞬にして一刀両断にされるだろう。なにしろここは、ナ・クラレイド公国の中でも最重要拠点。言い換えると公国の生命線とも言える場所だ。
そんなことを考えながら、俺は検問所に詰める若者に軽く手を振る。
「やあ」
「おはようございます、アルスレイナさん」
彼らも挨拶を返す。無論、呼び止められたりはしない。1年前まではここに住んでいたし、お互いのことは良く知っている。
それに今でも月に一度は、老師デュスタ・ゴローニュの元へご機嫌伺いに通っていた。なにしろ俺達刀工の世界は、恐ろしく上下関係が厳しい社会でもある。
例えば、カタナの原材料となる玉鋼。
これを作るためには、良質な砂鉄を大量に集め、『たたら製鉄』という特別な方法で精錬する必要がある。これには凄く時間も人手もかかるし、恐ろしく大量の木炭を消費する。つまり、それなりの規模で組織立ってやらないと、玉鋼を得ることができない。
この地方でそれを一手に担っているのが、デュスタ・ゴローニュ先生を頂点とするナ・ゴローニュの里。もしも師匠の御機嫌を損ねるようなことをしでかしてしまったら、玉鋼の供給を止められ、あっという間に干されてしまうこと必定だ。
でも老師デュスタ・ゴローニュは職人にしては珍しく、気さくで物分かりの良いお方だ。
港のお菓子、『ナ・クラレイドのウミネコの玉子』が大好物で「ご機嫌伺いのお土産はこれだけで良い」と言ってくれているので非常に助かっている。差し入れの品に対して、変に気を使わなくていいからね。
俺は屋敷や蔵、作業小屋が立ち並ぶ通りをゆったりと歩く。
目の前に広がるのは懐かしい街の風景と、その先にある原生林の山並み。里の外れにある『たたら』の煙突からは、今も薄く煙が立ち上っている。あまり良い臭いではないが、今となっては懐かしい。
デュスタ・ゴローニュの屋敷に入ると、奥座敷に向かう長い回廊でデカト・ワイズマンの一人、ガイ・シズナと出会う。気のせいか、何かえらく忙しそうだ。
「やあ、ガイ・シズナ。お久しぶり」
「おう、アルスレイナ。丁度お前さんのところに行かなきゃと思っていたところなんだが立て込んでいて……こっちに来るって言う話を聞いて、待っていたんだ」
「そうかい。実は3。1ギルド・ストレイの太刀の注文を受けたんだ。それで、君に手合をお願いしたいと思って来たんだよ」
「そうか……すまない。それはできそうにないんだ……」
ちなみに、手合というのは、鍛練を行う際にペアとなる相方のこと。赤熱させた刀身を息を合わせて金槌で鍛えるんだ。それには、同じ技量を持った気心の知れた者同士が組にならないといけない。『相槌を打つ』というのが、まさにそれ。
いつも製作している鎌や包丁、短刀くらいまでなら、自分ひとりで何とかできるのだけど、さすがに今回注文を受けた3.1ギルド・ストレイの大太刀ともなると一人ではどうにもならない。
ガイ・シズナはデカト・ワイズマンの中では俺の一つ上の兄弟子で、気心知れた間柄だ。しかし、彼に相槌を期待していただけに、『できそうにない』という言葉は少なからずショックだ。
「どうしたんだい? なんか、随分と忙しそうだし……」
「実は20人ほど弟子を連れて、ラナズトー湖畔の方に移ることになったんだ」
「え? そんな話は聞いたことなかったぜ」
「ああ、急に決まったんだ。明日にも出発しなければならない……本当なら、真っ先にお前さんに報告しに行かなきゃならなかったんだけど、この通りドタバタしていてね……申し訳ない」
「……いや、そんなことはどうでもいいんだ。しかし、あの辺りはラナズ・ミノスの勢力下じゃないか。何でまた?」
「それなんだが……ラナズ・ミノスの頭領が3年ほど前に変わったのは知っているだろ?」
そう言えば、そんな話を聞いたことがある。
しかし、そのことと今回の急な出立。頭の中で結び付けることはできなかった。そんな俺のことを察してか、ガイ・シズナは話を続ける。
「その頭領が、紛争中のある小国に肩入れするようになってしまったんだ……」
「そんな!? ラナズ・ミノスは中立を是としていた筈じゃあ……それじゃあ、他の小国は黙っていないだろう?」
「そうなんだ。それでラナズトー湖畔にあるクレターナ公国領主の要請で招聘されたって訳さ」
「そうか……いや、おめでとう。これで君はナ・クラレイドから独立して、20人もの刀工を率いることになるという訳だ。新たな刀工集団の誕生だね。大躍進だ」
「ああ、ありがとう。場所が場所だけに、身の危険を感じないわけでも無いのだが……まぁ、クレターナ公国のお抱えということなので、ラナズ・ミノスからの刺客もそう簡単に手出しできないとは思っているんだけどね」
うーん、これは祝福するべきこと……なのだけど。しかし状況が状況だ。彼の屈託の無い笑顔にさえ、どこか暗い影が付き纏って見えてしまう。
このままガイ・シズナと別れるのはちょっと心苦しい。何か違う話題は無いか……しばしの間、俺は無い頭をフル回転させる。
(あ、そうだ)
あの話題があった。他愛の無い、でもナ・ゴローニュに暮らす者達にとって共通の話題だ。俺はできるだけ懐かしさを込めた口調でガイ・シズナに問いかける。