手負いの獣
「なんて奴だ……」
俺はグロッグ=ウォードに称賛の声を上げる。いや、畏れを感じたという方が正確か。奴は腕の太さほどもある石の槍を背中に受け、ファステムの槍を胸に受けた。
どう見たってグロッグ=ウォードが受けた傷は致命傷だ。にも拘らず、奴はチトセをかばいつつファステムと斬り合っている。あんことができる人間、見たこと無いぞ――バケモノか、あいつ。
――とまるで他人事みたいに彼らの動きを見守る俺だが、実際のところ俺とメセナローズは傍観者を決め込むしかない状況に置かれていた。今すぐにでも加勢に行きたいところだったが、とてもじゃないがそれは叶わない。というか俺たち自身、とってもヤバい状況だ。
「駄目っ……何この化け物!? 攻略の糸口が見えない!」
「落ち着け、メセナローズ。合成魔とはいえ、どこかに弱点……“鬼脾”があるはずだ。少しずつでもいいから鬼脾がある場所を絞り込んでいって、一気に攻勢をかけよう」
「わかった、アルスレイナ!」
ファステムが召喚した這闇、《狂気と怨念の慈愛》を前に俺たちは苦戦していた。いや、苦戦というより一方的にやられている感じだ。さっきなどは、あれが撃ち出してきた銛の様な物体に危うく頭を打ち抜かれるところだった。それは俺の頬をかすめた後、その先にあった岩を景気良く粉砕していた。
攻略の糸口さえ見えないというメセナローズの言葉も無理はなかった。いつも気色の悪い攻撃を仕掛けてくる這闇だったが、長いこと戦いを繰り返すうちに傾向と対策というか、それぞれに応じた対処法は確立していた。しかしファステムが造り出したこの相手に、そのセオリーは全く通じない。
しかも、俺たちが苦戦している理由はそれだけでは無かった。合成魔というからには、何種類かの這闇を融合させたのだろう。それぞれの強みというか、最も厭らしいところが上手く組み合わさっている。
この怪物、ところ構わず溶解液を吐き出し、それを避けると今度は鍵爪のついた長い腕を振るってくる。死角に回ろうとしても四つある頭部と、その中を自由に行き来するギョロリとした眼球が俺たちを追いかける。四本の足でカサカサと動き回ったかと思うと、その足がまるで軟体動物のようにグニャリと変形し、俺たちを絡め取ろうとする。
――こんな風に、次にどんな攻撃が待ち構えているか予想できず、イマイチ攻めあぐねていたのだ。しかもこの這闇、やたら闘争本能旺盛だった。俺たちは息をつく暇もなく、次にどんな攻撃が来るのか予想するので精一杯という状況が続いている。
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「……どうした、ファステム! 手負いの獣一匹に手こずるか!……」
剣と槍がぶつかり合う音にまぎれ、この岩の大広間に朗々とした声が響く。見るとグロッグ=ウォードに押され気味のファステム。しかしファステムも決して弱い訳ではない。むしろとんでもない槍の使い手だ。正直、あの男とやり合うことは絶対に避けたい――そう思ってしまうほどの、凄腕の剣士であることに間違いはない。しかし、グロッグ=ウォードの気力がそれを上回っていたのか、それとも別の理由があるのか。
「召喚魔を操りながらでは、さすがに我が矛先の鈍りますか……では少し、趣向を変えることとしましょう」
ファステムはそう語ると、何を思ったか槍の柄を持ちかえ底の部分を「トン」と地面に叩きつける。その部分、石突と呼ばれる補強部分は紅い石を使った装飾による細工がされていた。
「実は石突のところにあるこの宝石、“魔霜血”を固めて作ったものなのですよ!」
(だから何なんだ――?)ファステムの言葉の意味が分からず、俺は頭を捻る。妖魔の血液、魔霜血。それを固めたからって、ただ単に悪趣味な装飾というだけじゃないか――しかしそんな俺の思い過ごしは大きな間違いだった。
一瞬遅れ、その紅い石は鋭い光を放つ。黒い波紋が柄を伝わる。それは柄の先にある槍の本体、紫色に光る鋼に伝わり、波打つ。そこから何か、黒い霞みたいなものが湧きあがってきたかのような錯覚。しかしそれは、この場を支配する力のある何かであることは間違いなかった。
(何が起こるか――)俺は身を固くする。そしてメセナローズが叫んだのはその時だった。
「ちょっと……何、あれ!? 飛行魔が……次々と!」
彼女の声の先にあるもの――這闇、《狂気と怨念の慈愛》。その身体がぱっくりと割れ、そこから次々と飛び立つ飛行魔、《新月に舞う昏き楔》。その数、十、二十、三十……ありえない数だった。それはグロッグ=ウォードへと集まり、その身体に喰らいつく。
「凄いでしょう? こんな風に這闇を操ることができるんです。おやおや、さすがのグロッグ=ウォードさんも身動きは取れませんか。さて、では終わらせるとしましょう」
そう言い終わると、ファステムは無造作に槍を振るう。胸のあたりを袈裟切りに断ちきられるグロッグ=ウォード。遂に奴の命運も尽きたか――そう思った瞬間だった。
ぱっくりと割れるグロッグ=ウォードの胴体。そこに、黒く脈打つ“鬼脾”があった。
それを目の当たりにしたファステムはゴクリと唾を飲み込む。その時、驚愕も一緒に飲み込んだのだろう。平然を装いグロッグ=ウォードに語りかける。
「ほう?……グロッグ=ウォードさん、魔の眷属だったのですか?」
「……フッ……驚いたか?……」
「そうですね……驚き半分、でも半分は納得です。こんな薄気味悪い男、人間であるはずはない」
そう語り合う間にもグロッグ=ウォードの傷は塞がる――それと共に彼の躰もまた、徐々に姿を変えていた。特徴的なその瞳は黒さを増し、鋭い眼光を放つ。その眼を際立たせる眉間はまるで庇のよう。スラリとしていた顎は肉食動物を思わせる、敵を食い千切るための形に。口は大きく裂け、そこから牙が覗く。伸ばした髪は銀と黒のたてがみ、大きく盛り上がる肩、より一段と大きく太くなった腕。
それだけでは無い。 身体中を覆うびっしりと生えた剛毛、鉄の鱗、鉄の爪。最初出会った時、狼みたいな雰囲気の男だと思った。しかし奴の今の姿は――はっきりと言える。
まるで、本物の人狼だった。
「……くっくっくっ……どうした、ファステム。槍の動きが止まっているぞ。俺のこの姿に恐れ慄いたか?……」
「いえ。呆れているだけです。むしろ“這闇”の方が御し易い。干渉共鳴術式を持って、いかにして貴殿を消炭に変えようか、考えるだけでワクワクする」
「……言うかァァ! 下郎――ッ!!……」
突如、怒りに満ちたグロッグ=ウォードの声。
「……這闇如き卑しい存在と一緒にするな! 我は燭光の轟魔、《グロッグ=ウォード》なるぞ!……」
裂帛の気合いと共に猛るグロッグ=ウォード。その躰はさらに一回りか二回り、大きくなったように感じる。奴に噛みつき、絡みついていた飛行魔共もたじろいだのだろうか、奴から離れ周囲を窺うかのように飛び回る。
再び、その二人の攻防が再開される。ファステムは大地の精霊を使った干渉共鳴術式の攻撃を次々と繰り出し、一方のグロッグ=ウォードはそれを力ずくで撥ね退ける。そしてその均衡は、『むしろ御しやすい』というだけあって僅かにファステムへと傾いているようにも見える。
一方の俺は、この状況を飲み込めていなかった。飲み込めていないというより、この出来事はあまりにもたくさんの謎、疑問、仮説、懸念を示唆していた。それらが奔流となって意識の中になだれ込んでくる。
――奴は言った、『這闇と魔を一緒にするな』と。ずっと、同じものだと思っていた。それは俺だけじゃない。誰もがそう信じて疑わなかった。でも奴は違うという。
――それだけなじゃい。グロッグ=ウォードは、まるで這闇を忌まわしいモノのように語っていた。闇と魔、それは近しい存在ではないのか? 魔が闇を操り、闇が魔を誘うのではなかったのか?
――馬鹿らしい話だ。しかしその可能性について切り捨てることはできなかった。何故だろう、心の奥底で引っかかるものがある。既視感――だろうか?
――そうだ。昔、這闇と魔の関係についてこれと同じようなことを聞いたんだった。その時、俺は笑い飛ばした。でも、その時の記憶と今、目の前で起こっていることが一本の線で結ばれている様な気がする。
――誰だったっけ。もの凄く身近な人――そうだ! レイラだ!
――それに、グロッグ=ウォードは人の姿を纏っていた。そんなこと、あり得るのか?
――奴は『魔王を殺す』と言っていた。その狂気に満ちた目は本物だった。魔が魔王に逆らう――あまつさえ殺そうとするなんて、あり得るのか?
――第一、闇は精霊力でしか断ち切れない。そのためのライナックだ。何故、魔の存在であるグロッグ=ウォードが、それを操れる?
――グロッグ=ウォードの目的は? 魔王だけじゃない、全てのもの、人間も殺すと言っていた。奴は、何を考え、何を狙っている?
情け容赦なく入り込んでくる数多くの要素を処理できずに、俺はただ困惑するだけだった。それだけじゃない、事は振り出しに戻っていた。これは深刻な問題だ。
この一連の出来事の元凶はファステムの陰謀。それを阻止し、その上で魔王を倒せば万事解決するとついさっきまで考えていた。しかし天地はひっくり返ってしまった。
正義の組織、紫十字軍の戦士だったと言うファステム。その穏やかな男がが黒幕で、あからさまに怪しいグロッグ=ウォードが俺たちの味方だった――それさえも俄かには受け入れられるものではなかった。ところが、だ。味方だと思い始めたグロッグ=ウォードが妖魔――もう、何も信じられない。
やはりファステム達アクナ・ツィードの方が正しいということか? やり方はいろいろと疑問だが、少なくとも奴は人間だ。
グロッグ=ウォードとファステム、どちらに付けばいいんだ?
俺は救いを求めるようにメセナローズへと振り向く。しかし、彼女の目にも迷いが浮かんでいた。それは、地下深くに伸びるこの洞窟のように深い迷いだった。
「メセナローズ……どうする?」
「…………」
答えは出ない。しかし、確実なことが一つだけあった。それも、一刻を争うものだ。俺はあらん限りの力で大声を振り上げる。
「チトセーッッッ! 今すぐこっちに来い! そこにいちゃ危ないぞっ!!」




