メセナローズ
俺が言葉を失った理由。それは店の前にある小さなベンチ、そこに腰掛けた人物が視界に入ったからだ。
その少女――年の頃は14~5位、だろうか。
少し赤味がかった金髪に、いたずらっ気たっぷりの目つき。ちょっと低めの鼻と、少し不機嫌そうに『へ』の字を描いているつややかな唇。俺の知っている女性と瓜二つ――いや、まるで生き写しだ。
「レイラ……」
自分でも気付かないまま、思わず口にしていた。彼女はただベンチに座り、手を膝の上で握ったまま不思議そうな目でこっちを見つめている。
俺は目の前の少女を見つめる――いや、果たして俺は彼女のことを見ていたのだろうか?
俺の目に映っていたのは、彼女の姿とダブって見える、記憶の中にあるレイラの姿だったのかもしれない。はしゃいだり、笑ったり、ふざけているレイラ――そんなレイラの姿が、俺の脳裏に次々と現れたり消えたりしていた。
そして今度は、目の前の少女が果たしてレイラなのだろうかと思い始めた。通行人に憩いの場として利用してもらおうと作った、木製ニス仕上げの質素なベンチに座る彼女。その姿を、もう一度まじまじと見つめる。
彼女はボブカット風のショートヘアだった――レイラの髪は腰のあたりまであったっけ。
そうだ――彼女が走ると、さらさらと、まるでたてがみの様にたなびいて――本当に綺麗だった。何で俺、こんな昔のこと、はっきりと覚えているのだろう。
もう一つ、この少女がレイラではないという、はっきりとした特徴を見つけた。彼女の瞳は透き通るようなエメラルドグリーンだ。レイラはとび色の瞳だった。そう。それが本人にとってコンプレックスだった。しょっちゅう、そのことで俺に絡んでいたっけ。いや――あの瞳の色、俺は好きだった。
俺はしばしの間、この少女に見とれてしまっていたらしい。ズースウィードを追っかける体制で固まったまま、顔だけ彼女の方を向くという、まるでコントのような恐ろしく間抜けな格好だ。
この少女は、そんな状態の俺を無視して口を開いた。
「ズースウィード、ザドレイド……ようやく出てきた。待ちくたびれたわ」
「ごめんねー。こいつの話が全っ然、要領得なくってさー。遅くなっちまった」
(おい! 俺のせいかよ!!)
我を忘れた状態でも、何となくズースウィードの言いがかりは分かったようだ。気がついたら心の中で突っ込みを入れていた。
「で、あなたが手に持っているそれが折れた剣の代わり? 何か揉めているみたいだけど」
「揉めてなんかいないっスよ。こいつが勝手に粘着してるだけ」
「でも、何だかんだ言ってズースウィードの奴、ここの商品気に入ったみたいですよ。特注品までオーダーしましたし」
「メセナローズも来ればよかったのにー。カタナ以外にも、結構良さげな武器が置いてあったぜー」
「冗談言わないで。こんな辛気臭いお店に入るなんて絶対イヤ。ジメジメした魔窟で怪物と戦っている方が、まだましだわ」
そんな三人の会話も、ろくに聞いていなかった。
ただ、メセナローズと言うらしいこの少女の声を聞いて、俺は二重に驚いていた。
声までもが俺の覚えているレイラとそっくりだったからだ。
もう一つは――そう、彼女の高圧的で棘のある喋り方。
それはレイラとはまるで正反対のものだった。
今でも思い出す。レイラの語り口は彼女よりずっとたおやかで、優しげだった。
そりゃ、たまには機嫌が少々悪い時もあった。
でもそんな時でさえ、レイラの口から紡ぎ出されるのは、とても心地よい声だった。
それに比べて彼女は……。
いろいろと思いが錯綜する。そのせいだ。俺は全く気がついていなかった。
視線が彼女にロックオンしたままだったことに。そして、俺は思いっきり『変な人』を演じていたということを。
「……って、ちょっと。この人、何ずっと私の方をじろじろ見ているのっ?」
「あ、メセナローズに一目惚れしちまったとか?」
「やめてよ、気持ち悪い!」
「きっとそうだぜ、『ママー、おっぱい吸わせてー』とか?」
「いえいえ。この人、見かけによらず結構、年行ってるようですよ? ひょっとして片思いの人の面影を思い出したとか?」
「おう、そういえば『レイラ』ちゃん、とか言っていたよな? こりゃきっと、あれだな」
「……あれって?」
「そのレイラちゃんとかって人とメセナローズを重ね合わせて、きっと欲情しているんだぜ!」
「そうですね。振られた相手を忘れられず妄想にふけっているってヤツですね」
(……なに!?……)
ズースウィードの穏やかならぬ言葉で、ようやく俺は我に返る。
おい、お前ら。俺をオモチャに遊んでいるだろう。盛り上がり過ぎだ。
しかしそんな抗議の言葉を割り込ませることすらできず、奴らの言いたい放題が次々と俺の耳に突き刺さる。
「そうですね。この人、女性とは縁がなさそうな雰囲気だし……」
「おいメセナローズ、今夜こいつの相手をしてやったらどうだ? きっと面白いぜー」
く、くそう……こ……こいつら……好き勝手言いやがって……。
どこに怒りのやり場を向ければ良いのか分からず、思わず拳に力が入る。
でもなぁ! お前ら、一つだけ間違っているぞ!!
俺とレイラはなぁ! ラブラブだったんだぞっ!
そう叫ぼうとした瞬間、一つの思いが頭をよぎる。
(いや……そうだったんだよな?)
思わず、俺は不安になる。そういえば、どうだったんだろう。
それに、レイラに振られたわけじゃなくて……。
そこで俺は気が付く。
自分で自分の古傷――癒そうとしても癒されない大きな傷跡をえぐり出してしまったということに。
そいつが胸の中がズキンズキンと痛みだしはじめる。
もう、こいつらに抗議の声を上げることすらできなかった。
そんな時だ。それまでベンチに腰をかけていたメセナローズがすっと立ち上がる。
立ち上がる時、彼女はうつむいていた。
そして、顔を上げるや否や、ズースウィードの方を睨みつける――鬼のような形相だった。
「ズースウィードーーッ!!」
いきなり掴みかかるメセナローズ。
「私を、侮辱したなッ! いくら貴様でも許さないッ!!」
そう言うと目にも止まらない速さで腰の短刀を抜き放ち、ズースウィードの首筋にあてがう。
って……おいおい、痴話喧嘩か?
それにしても過激だな。
メセナローズというこの少女、ちょっとピーキーすぎないか?
いやいや、こんな物思いにふけっている場合ではない。
さて、どうしたものか。
店の前で流血沙汰なんて起こされたら堪らない。
それに、ここでズースウィードが斬られたりでもしたら、注文打ちの話はパァだ。
仕方がない、仲介に入ろう――そう思った時だった。
「……すまないメセナローズ。調子に乗り過ぎた。君を侮辱したこと、心から謝るよ」
今までとは全く違う口調で、ズースウィードは優しく語りかける。
さっきまでのチャラチャラしたキャラとはまるで別人だ。
メセナローズは短刀を腰に戻すと、プイと横を向きそのまま通りを歩きはじめる。
沸騰しやすいが、冷めるのも早い性質らしい。
そして、この男たちもメセナローズの扱いに慣れているのだろう。
「メセナローズちゃーん、そんなに早足でいかないでーっ」
甘ったれた声を上げながら、彼女を追いかける男二人。
ま、そうじゃなきゃ一緒に旅はできないわな。
「おーーいっ、注文打ち頼んだからなーーっ。注文書に書いたとおり、ピアナザスタ通りの宿屋『ラ・レミング』に泊っているから、できあがったら持って来いよー」
振り向きざまにそう声を張り上げるズースウィード達を見送りながら、俺はしばらくの間、店の前で呆然と立ち尽くす。
「……何なんだ、あいつら?」
霞がかった春の空に向かって独り言を呟いたのは、それからさらに後のこと。
山の方からのひんやりとした風が、俺の頬に吹き付けてきた時だった。