事前告知
日本の鉄道は、毎日多くの人たちが利用している交通機関である。朝夕のラッシュ時の大混雑は勿論、昼間や休日でも買い物やレジャーなどでたくさんの人々が乗る、まさに日本の大動脈という言葉がぴったりだ。
それらをより便利に、より快適に利用してもらうため、鉄道会社は路線の改良や補修を絶え間なく行っている。曲がりくねった路線を改良して速度を向上させたり、事故が起きないように事前に修復などの対策を取ったり、様々な形で鉄道路線を守り、そして進化させ続けているのである。
しかし中には、長い期間をかけて行わないと完成する事が出来ない事業も存在する。場合によっては、昼間の電車たちの運行にも影響が避けられない事態も起きてしまうのだ。
とある大都市を走る大手私鉄『清風電鉄』でも、そういった大規模な工事が行われる際にはどうしても電車の運転経路を変更したり、運転そのものを中止する必要が出てしまう事がある。そんな時、清風電鉄は必ず様々な形で告知を行っている。駅や電車の中は勿論、テレビのニュースで報告してもらったり、雑誌内の広告や新聞の折り込みチラシ、そしてネットでの速報などで多くの人たちに連絡をしているのだ。大事な利用客が困惑する事があってはならない、と言うのが会社の信条であった。
ところが、どんなにあちこちで告知を行ったとしても……
「おい、聞いてないぞそんなの!」
どうしてもケチをつけたがる人が出てしまうのがこの世の常である。
現在、清風電鉄の路線の各地で大きな工事が続いている。渋滞や事故をもたらす要因となる踏切を廃止するため、線路を地上よりも高い場所にある「高架線」に移し替えると言う大規模なプロジェクトだ。完成すれば道路を妨げる事が無くなる他、電車の速度もこれまでより速くする事が可能になる。ただ、そのためにはどうしても一昼夜を費やす工事が必要になる場合が出てしまう。そして、その影響で路線の一部が終日運休になる事も。
今回もそれを伝えるため、可能な限りの手段を使って利用客へ向けて伝えたはずだった。それなのに、この利用客の男はそのような事を聞いていないと一点張りである。
「す、すいません、今日は工事のために……」
「俺はそんな事知らなかったぞ!何で事前に連絡しなかったんだ!」
お陰で日程が大幅に乱れてしまったではないか、と男は怒り心頭で駅員に怒鳴っていた。
駅員も謝ってばかりという訳では無く、あちこちで告知をした旨をちゃんと男に伝えた。駅のポスター、新聞のチラシ、それにネットでの速報、どれも一度目を通したり耳をすませればすぐに「運休」する事は分かるはずだった。ところが、この男はそのような物を一度も見ていないし聞いた事も無い、とさらに怒り始めたのである。
「もっと俺に届く告知をしろ!一体どうなってるんだ、この会社は!?」
鉄道会社のくせに乗客を馬鹿にしているのか、と続いた男の言葉に、駅員は何も言い返す事が出来なかった。
だが、目頭を赤くしながら傲慢に当たり散らす男の顔を見つめる駅員の顔には、自分の大事な、そして大好きな鉄道会社が侮辱された事に対する悔しさがにじみ出ていた。何故この男は一切話を聞かないのだろうか。何度も告知をし続けたのに、どうしてそれらに一切耳や目を傾ける事が無かったのだろうか、と。
お前らの鉄道には一切の「清さ」が無い。
そう捨て台詞を吐いて去って行った男の背後には、無言でそれを見送る駅員と、男を睨みつけるようにそびえ立つ駅舎があった。
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それから数ヵ月後。
普段通りに起きた男が新聞を読み始めた時、ある広告が目に留まった。
『来週、清風電鉄の一部路線が高架化工事で運休します』
清風電鉄が長期間をかけて取り組む巨大プロジェクトと言う事もあり、再び一昼夜通しての工事が必要になったようだ。しかし、男は一瞬その広告を見ただけですぐに別のページを開いてしまった。会社へ向かうために利用する路線の大事な情報なのに、彼は一切の興味を示さなかったのだ。
その後。朝ご飯を食べている間、彼はテレビの電源を付けて朝のニュースを見ていた。そこでもニュースキャスターが、このような内容を口に出していた。
「来週、清風電鉄の一部路線が工事で運休します。ご利用の方は……」
「……ふん」
男が今までこういう内容に興味を示さなかった理由に、彼の傲慢な心があった。いつも利用している自分なら、こういった情報を見ずとも運休なんてすぐに分かる。だから耳を貸す必要なんて無いし、見る必要なんて無い、と片付けてしまっていた。前回も全く同じ状況で予定が乱れてしまい、駅員に怒りをぶちまける事になったのを彼は一切反省していなかったのだ。
そして準備を整え、彼は会社へ向かうために家を後にした。
清風電鉄の最寄り駅へ向かう途中、男の視線には何度か同じ文面が入って来た。
「来週、清風電鉄の一部路線が工事で運休」
もしここで少しでも周りに注意を払っていれば、不自然に「告知」が多い事に気付いたかもしれない。だが悲しい事に、彼は一切の注意を向ける事無く、そのまま駅へと歩みを進めてしまった。
様々な大都市の電車と同じように、この清風電鉄も朝夕のラッシュ時には多くの人々でごった返す。今日も男はたくさんの人混みに巻き込まれるかのように、長い編成の電車の中へと入って行った。勿論、駅の中に貼られていた工事を知らせる大きなポスターに目を止める暇は無かった。
だが、その後も工事の告知は続いた。次の駅を伝える自動放送に続いて、車掌から何度も「工事で運休する」と言う連絡が続いたのだ。駅が近づくごとに、毎回「来週は一部区間が工事で運休します」の言葉が混雑する車内に響いた。何度も、何度も、そして何度も……
「うるさい!!!」
あまりにしつこく耳に入る同じ内容に、男はつい怒鳴ってしまった。当然、混み合う車内でそのような大声を出した後に返ってくるのは、他の乗客からの冷たい視線である。大量の睨みつける目に、すぐに彼の怒りはしぼんでしまった。
恥ずかしさと不機嫌さが入り混じった顔で最寄り駅で降りた男は、そのまま会社へ足早に進み始めた。だが、頭の中から先程何度も聞き続けた「清風電鉄の運休のお知らせ」が離れる事は無かった。いくら無視しようとしても、脳内に同じ言葉が響き続けているのだ。
それと同時に、彼はようやく辺りの不自然さにも気付き始めた。会社へ向かうビル街の道でも、やたら「清風電鉄が来週工事で運休」と言う内容ばかりが目に入ってくるのだ。顔をそむけようとしても、その方角にまた同じ文章が現れてしまう。ビルやコンビニに貼られたポスターだけでは無く、街頭にある巨大なテレビや電光掲示板にも、何度もその言葉が並んでいるのだ。
「い、一体どうなってるんだ……?」
大量の「告知」から逃げ出すように、彼は勤務する会社のビルに入っていった。
「課長、どうかしたんですか?」
「な、何でもない、気にするなよ」
「でも汗が凄いですよ……無理しないでくださいね」
部下が心配した通り、社内でも男の緊張が解かれる事は無かった。窓の外を見てしまうと、例の文面が目に入ってしまうからだ。まるで何者に監視されているような心地すら覚えるほどであった。
そんな彼を察した部下が差し出してくれたお茶を飲み、何とか不安定になりそうな自分を落ち着かせようとした、その時であった。
「そういえば課長、今朝のニュース見ましたか?」
「今朝のニュース……どうかしたか?」
――清風電鉄が来週、工事で運休するそうですよ。
その言葉を聞いた途端、男の全身に悪寒が走った。一体なぜそのような事を口にしたのか、と苛立った口調で部下に聞いてしまったほどの嫌悪感が体を包み込んでしまったのである。
だが、彼の眼にはさらに信じられないものが映ってしまった。先程までずっと読んでいたのは、会社の製作するコンピュータに関わる内容であり、鉄道会社、それもその運用の是非には関係ないはずであった。だが、気持ちを抑えようとパソコンの画面を見た時、その目に飛び込んで来たのは……
清風電鉄は来週工事で一部区間が運休、と言う文章だった。
それも、何行にも渡って同じ文章が延々と。
「う、うわああああああ!!!」
一体どうしたのかと部下や同僚が聞く暇も無く、彼はそのまま席を立ち、その場から去ってしまった。
耳を押さえながら、男は必死に会社から脱出しようと走り続けた。仲間たちの心配そうな声や、彼に無関心な若手社員のおしゃべり、そして耳に入る業務放送、それらの全てに「清風電鉄」が「運休」するという言葉が組み込まれていたからである。いい加減に分かった、だからもうやめてくれ。心の中でいくら彼が訴えても、耳に入る同じ文章は途切れるどころか、さらに増え続けて行った。もはや彼の耳は、同じ内容しか受け取る姿勢を見せないようだった。
そして、階段を必死に駆け下り、何とか会社の出入り口を抜ける事が出来た彼の表情は、愕然としたものへと変わった。
会社を囲むように建っているビルの看板、電光掲示板、窓に貼られたポスター、店の立て札、そして道行く自動車の広告……あらゆるものが、全て全く同一の文章で覆われていたのだ。それは勿論……
『清風電鉄、来週工事で運休』
『清風電鉄、来週工事で運休』『清風電鉄、来週工事で運休』
『清風電鉄、来週工事で運休』『清風電鉄、来週工事で運休』『清風電鉄、来週工事で運休』『清風電鉄、来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』来週工事で運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』運休』……
「あああああああああああああああああ!!!!!!」
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――とある病院で、二人の医者がカルテを見ながら困惑の表情を見せていた。
「まだ症状は良くならないみたいやで……」
「うーん、色々と対処したはずだが……」
数週間前、彼らの元に一人の患者が搬送されてきた。何を見ても何を聞いても、全く同じ文章に捉えてしまうと言う不可解な症状を抱え、ノイローゼに陥ってしまったと言うのである。脳内をスキャンして状態を見る、様々なカウンセリングを行う、そして気持ちを落ち着かせ神経の状態を整える薬を飲ませるなど様々な策を講じてきたが、症状は一向に改善せず、病院の個室の中で安静な状態を保たせると言う対処療法以外に考えられる手段は無かった。しかし、それでもなお、患者の容体は回復の兆しを見せない、とカルテには記載されていた。
「清風電鉄が来週運休、か……」
「その『来週』は、もう何週間も前の事なんやけどな」
互いに言葉を交わした医者たちは、例の『個室』の方角を悲しそうな表情で見つめた。
その部屋には一切の音も外部から入らず、何の文字も書かれていない真っ白な空間が広がっている。だが、その空間で一人恐怖にうなされ続ける一人の男性は、きっと今も、そしてこれからもずっと鉄道会社からの「告知」を受け続けているのだろう。
清風電鉄の一部区間が工事で運休する、その情報を逃す事が無いように。