前準備
あの後彼は、
「明日またこのホームに来てくれ、向こうの世界の詳細はその時にするし、実際に行ってもらうから。」
と言って消えた。
時間とか指定してこなかったので、好きな時間で構わないといったところだろう。
ヘッドプロテクターを外すと、ベッドに潜り込んで先ほどのことを考える。
やはり、不思議と騙されているとは思えなかった。逆に大きな存在というものを前に、萎縮せずにいられた自分が信じられないくらいだ。
とにかく寝てしまうことにする。思考が纏まらないのは疲れているせいだと、素直に眠りに入った。
翌日、朝になり…といっても目覚ましもかけていなかったので、すでに昼に近い時間帯だった。
昨夜予定してあったハローワークは、行く気も意味ももうないような気がしたので、家のことをすることにした。
とりあえず洗濯できる分全てきちんと洗濯し、そこまで散らかってはいないが部屋の掃除をし、誰に見られても良いようにきちんと片付け(もしこのまま死んでしまったら警察とか大家さんとか来るであろうから、汚い部屋を見せたくはなかったというのもある。)、少し遅くなったお昼を、近くにあるイタリアンレストランで、ちょっと奮発してお高いランチを取って、美味しさに幸せを感じて、食後のコーヒーをゆっくりと楽しんでから近所の公園を散策した。
(あぁ、もう桜の季節なのね…向こうにも、桜…もどきでもいいから無いかなぁ?花見できたら最高なんだけど。)
満開とは言えないが、七分咲の桜は春の暖かさを告げているように見え、自然と微笑みが浮かぶ。
そのままふらりと公園を彷徨って春を満喫し、日が傾き始めてやっと自宅アパートへと帰る。
ゆっくりとお風呂に入り、あちこちをしっかり磨き手入れをして(司法解剖とかの時・・・ね?)髪を丁寧に乾かしたり、夕飯作りをしている間に使ったタオルや、今日着ていたものを洗濯する。
食事を取ってからきちんと片付け、洗濯機の中から乾燥した洗濯物を取り出し、きちんと畳んで片付けると、ベッドに座りため息を一つ吐き覚悟を決めてから、ヘッドプロテクターを被り横になりVRを起動させる。
まずはいつものゲームに入る。
カラフルな光の洪水が起こり、目を開くと、どこかの酒場のようなところに出る。
VRMMOでの仲間は、どのゲームでも必ず酒場をギルドハウスとしていたので、酒場には初期の頃からの色々な思い出が詰まっていた。やや感傷に浸りながらギルドハウスを眺めてみる。昼間ということもあり、酒場には誰もいないようだ。
「ちわです~サーラ。今日は早い時間に来たねぇ。」
突然、アイドルとかにいそうな感じの、ちょっと高めの可愛らしい声がした。比較的よく昼に出没する友人の一人が、目ざとくフレンドチャットをしてきたのだ。
「あぁ、ちょうどよかった。皆に伝言お願いしようと思ってたの。」
INしたのがギルドハウスということもあり、友人もすぐに飛んできた。
「何?メールはしないの?」
ビスクドールをイメージして作ったという彼女はドールという名で、見た目10~12歳くらいのふわふわ淡い金髪に濃い青の眼の、表情をなくしてしまえば人形にしか見えない程綺麗に作られたロリエルフだ。
今日もひらひらのレースにフリルいっぱいのロリータファッションをしている。
本当にお人形のような顔をしていて、えげつない魔法攻撃を得意とする廃人レベルの魔法使いとくる。
「そうね。もちろんメールもしておくけど、直接誰かに伝言したかったの。」
そして今の自分は黒髪金目のヴァンパイアで、なぜかボンテージファッションをしている。本当に見た目はSMの女王様な感じが悲しい。
まぁ、仲間に防具を作ってもらったら最高の防御力を誇る軽装備らしいこれを差し出してきたのだ。
確かに、防御力やおまけの付与効果等がすごいことになっていたし、ずっと着ているので慣れたというか諦めたというか…
ついでに言えば武器はムチを使う幻獣使いだ。
「暫くこっちに出て来れそうにないから、イベントとか参加できないって伝えといて。」
「うんわかった。…で、新しいゲームでも見つけたの?」
「えっと、まぁ、そんなとこかな?新しいゲームの開発に駆り出されたというか、上手くいったら皆にも知らせるよ。」
結局直接話す意味があったのかと、疑問に思いたくなる内容だが、ようは自分と最後の会話をしてくれる仲間が欲しかっただけなんだと気付いて笑ってごまかした。
それから小一時間ほど軽く世間話などをして、ダンジョンに行ってくると言うドールに手を振って見送り、ゲームを落ちる。
ホームに戻ると、いつもの友人達に同じ内容のメールを作成し、一括送信する。
昨夜できなかったメールのチェックをして、不要なメールを削除していたら、美貌の彼が現れた。
「今日は。」
とりあえずそう声をかけると彼はにこりと笑って挨拶を返してくれる。
「今日は。早速で悪いけど、始めさせてもらうよ?」
彼が手のひらを上にしてこちらに差し出してくる。そこに光が集まり一つのアイコンが現れる。どうやらゲームのアイコンらしい。黒地に金の縁取り赤い色のA。
「A?」
疑問そうに聞いてくる彼女に彼はふふふと笑う。
「そう、ゲームタイトルが『アラストロフェニア』だからA…シンプルでなかなかよく出来ていると思うのだが?
私の世界は私の名をとって、アラストロフェニアと言う。だから、ゲーム名も同じにしてみた。安直だが、分かり易いほうが良いと思ってね」
ちょっとドヤ顔になっている彼が可愛らしく感じて、つられて彼女もくすりと笑ってしまう。
「えっと、アラストロフェニア…様と呼んだ方が良いですか?」
彼女の言葉に彼は苦笑いをし、首を振る。
「彼の地で私はいつの間にか女神と認識されていて、フェニアと呼ばれている。今はもうその名で呼ぶのは魔王くらいだしな。貴女も好きに呼ぶといい。世界を救う手伝いをしてもらうのだから、敬語もいらない。」
彼女は少し考え、彼と同じように首を振る。
「いえ、違う世界とは言え、貴方は創造主です。どうしても私の魂が敬おうとしてしまい敬語が出てくるのです。しかし、もう少し気安く話しかけさせてもらいますね。そのくらいだったら私にでも出来そうですし。
…それでは、彼の地では私も貴方のことをフェニア様と呼ばせていただきますが、このお姿の時には…そうですね、ラスト様と呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか?」
彼は一瞬惚けていたが、彼女の言葉に嬉しそうに頷いた。