異邦人
「わたしが来たのは、『正統派の人』を招くためではなく、『道をふみはずした者』を招くためである」マタイによる福音書9章13節(本田哲郎訳)
授業終了を告げるチャイムが鳴った。学生たちはすでにそれぞれ、カバンに学具をしまい込み始めている。紀闇は今日の日直の学生に目で合図をした。褐色の肌をしたネパール人の学生が「きりつ!」と声を上げる。学生たちの多くは立ち上がるが、座ったまま動かない者もいる。「ジャヘドさん、サリクシャさん!」。学生の名を呼ぶ。呼ばれた者はのろのろと周囲に合わせるように腰を上げる。そうして教室内でみな起立の姿勢を取ると、日直の「れい!」の声に続いて、「ありがとうございました」と声が揃い、ぞろぞろと教室から学生たちは出ていく。
ホワイトボードの板書を消し、窓の鍵が閉まっているか確認する。学生たちが皆いなくなったことが分かると、紀闇も教室を後にした。さて、これから職員室に戻り、授業報告書を書かねばならない。
職員室は勤務校の玄関の脇にある。同僚には日本人だけでなく、ベトナム人、ネパール人、スリランカ人のスタッフもいる。留学生たちの生活サポートや、通訳・翻訳業務のためだ。
「お疲れ様です」。同僚に挨拶し、自分用の机につく。紀闇は手早くExcelの文書を立ち上げ、報告書を仕上げ、印刷した。昼食後は、午後の業務が待っている。
紀闇がこの日本語学校に勤務を始めて、もう7年になる。自分のパソコンのフォルダには、これまで担当してきた学生たちとの様々な記憶を呼び起こす写真が収められている。中国、ベトナム、ネパール、スリランカ、バングラデシュ、インドネシア、ミャンマー…。アジアの国々から、日本で学び、働き、稼ぐために、学生たちはやって来る。二年間ここで日本語を学び、卒業後は専門学校や大学に進学する者もいれば、就職を決める者もいる。進学先に多い分野はIT、観光、自動車整備士、介護等々。「技術・人文知識・国際業務」、通称「技人国」ビザを取得して日本で就労、というのが人気のコースだ。「日本で五年くらい働いてお金を貯めたら、国に帰って自分の会社を作りたい」と将来の夢を語る学生も多いが、実現させたという話はまだ耳にしていない。
六月ともなると、進学の準備を始める二年生はざわつき始める。たとえ授業中であろうと、K ビジネス専門学校の就職はどうですか、C自動車大学校のオープンキャンパスはいつですか、などと、教師を捉まえては情報を得ようとするのだ。国の先輩が進学した学校の名前はよく挙がる。コロナ以降、オンラインでの学校説明会や受験機会も増えたためか、遠方の学校を志望する者も少なくない。
学生を巡る悩みは尽きない。授業中の居眠りや私語、試験の時のカンニング。答えを盗み見ようとするのみならず、他の学生に答えを教えようとする、ちょっと日本の学校では経験しなかったようなカンニングが蔓延る。万引きで捕まる学生もいれば、妊娠して帰国を余儀なくされる学生もいる。寮でゴミの分別が出来ていない、と地域自治会長から苦情が来ることもあれば、夜中に大声で騒いだと警察に通報されたりもする。
「先生、お元気ですか」。SNSで繋がった卒業生から時折日本語のメッセージが届く。仕事の悩み、恋のあれこれ、単なる挨拶。返事を書くとき、紀闇は文章を漢字に変換すべきかどうかいつも悩む。もうこれくらいの字は覚えているだろうか。
分厚く重い、紙の独和辞典。そう、あのころは、辞書と言えば紙の本だった。授業の予習のため、紀闇はよく大学の図書館で長たらしいドイツ語の文を読み、辞書を引き、ノートに書き込みを入れていた。
東京の繁華街にキャンパスを置く、ミッション系の私立大学。どうしてドイツ文学科に進学したのだっただろうか。女子学生が大半の独文クラス。彼女たちの多くはドイツ語会話の上達が目当てで、ドイツ語圏の文学や思想に表立って興味がある風ではない。紀闇久寿也はドイツ文学科の数少ない男子学生であり、カバンの中には常に読みかけの文学書や思想書が詰め込まれていた。ハイネやニーチェ、カフカにベンヤミン。原書で読みたいとドイツ語を学んではいるが、まだまだ翻訳書に頼らざるを得ない。いつの日か、複雑に入り組んだ構文がページを埋める難解な原書を、すらすらとドイツ語で読める日が来るのだろうか。ドイツ語の文法は規則的、と言いながら、実際は男性、女性、中性の3種ある名詞の区別だの、動詞の過去形や完了形の不規則変化だの、語尾にSを付けるだけでは済まない名詞の複数形だの、なんだか逸脱も多くややこしかった。
「ドイツ語? 大学の時に第二外国語で二年間勉強したけど、何にも覚えてないなあ」。
そう言って苦笑する年配者にキャンパス近くの飲み屋で会うこともあった。継続は力なり、とは言うものの、この言語をやり続ける労力は半端なものじゃない。他の多くの学生と同じく当時の紀闇は、一方で自分の母語である日本語の煩雑さには無自覚でいた。
迷路のように入り組んだ地下鉄に無表情な高層ビル、そして溢れかえんばかりの雑踏。浪人生として初めて東京を訪れた紀闇にとってそれは想定済みの風景だったかもしれない。予備校の医学部進学コースは、人気講師の授業を少しでも近くでも聞こうとする学生で賑わっていた。
紀闇はかつて大学医学部に進学を希望する浪人生だった。ただし本人が望んだわけではない。開業医の家庭に生まれ、周囲から自分も医者になるのが当然だと言われて育ってきた。周囲の大人が幼い紀闇に投げかける言葉は、「将来は医者になるのよね」ではない。「久寿也ちゃんは優しいから、内科が向いているよね」。そんなせりふを真顔で向けられる日常だった。
小学校の高学年に進むと、塾通いが始まる。家庭教師もつけられた。六年生になると、医者や地方の名士の子息が集う私立の中学をいくつか受験することになった。紀闇は複数の学校に合格し、入学したのはそのうち最も受験界で高名な中高一貫の男子校だった。実家からは電車で二時間はかかる遠方だったため、紀闇が寮に入ることは彼の家庭からすれば自然な流れだった。
一学年が150人ほどの小規模な男子校。親元から離れ、寮の四人部屋で暮らす生活が始まった。毎朝点呼の後にグラウンドでのラジオ体操、そして朝食。学校が終わり、夕食と風呂をすませると、夜は学習机が並ぶ大部屋で「一斉学習」と呼ばれる学習時間が待っていた。
その学校の出身者の大部は、有名大学を卒業し、医者や官僚、学者といった社会的地位が高くお堅い職業に就く。生徒たちの未来に、そうした栄誉に満ちた道が期待されていた。入学式や卒業式に参列する生徒の父母の表情には、厳しい受験の選抜を潜り抜け、今後も当然のように秀でた人生行路を歩むであろう我が子への誇りが溢れていた。
学校の授業は、しかし紀闇には退屈だった。最初からそうだったわけではない。受験の緊張が解け、真黒な学ラン姿の男子のみが並ぶクラスで、進学校独特の緊張感を初めて味わう。板書を追う目も、教師の声に傾ける耳も、次第に衰えていった。最初の定期テストでは中間にいた学内順位も落ちてゆき、下から数えて数番目の定位置にほぼ落ち着く。特に苦手としていたのは数学や理科で、大抵は赤点だった。最下位は避けたいというプライドの残滓から、テスト前には机に向かうものの、成果は無惨なもの。テストが終われば、また無気力な姿に戻っていた。
そんな生活は、高校に進んでも変わらなかった。二年生になるとき、文系クラスと理系クラスに分かれる。理数が苦手な紀闇は文系に憧れたが、医学部への進学を強いる家庭の許しが得られるわけもない。三年生になり、大学受験の時、紀闇は地方の国立医科大学を専願した。結果は当然のごとく不合格。紀闇を中学受験時より知る塾講師は、東京にある大手予備校の医学部進学コースへの道を勧めた。そうして実家よりさらに遠く離れた、東京での浪人生活が始まった。
山本義隆と出会ったのは、その予備校の物理の授業でのことだった。授業開始のベルがなると、がっしりとした体躯の大柄な男が生徒たちの前に現れた。乱れた長髪にあご髭、青いチェックのシャツに青のジーンズ。眼鏡の奥からは屈強な意志を感じさせる鋭い眼差し。物理科の主任らしきその男の名は、風評の高い参考書の執筆者として既に知っていた。山本は関西風に訛った口調で授業を始めた。
微積分を用いて物理学を講じる山本の授業の噂は耳にしていた。物理を苦手にしている紀闇にとって、それは難解な代物だった。ただし一つだけ、強く印象に刻まれた教えがある。迷ったら常に基本に立ち返ること。単純な言葉だが山本が語ると、なぜか荘重な響きを帯びていた。公式や解法の暗記に追われていた紀闇にとって、その教えは受験のテクニックを超えた、生きる上での指針になるかと思われた。
「ねえ、知っているかい?」何回目かの授業の後で、馴染みになっていた隣席の学生が話しかけてきた。「山本先生って昔、学生運動ですごく有名だったんだよ」。
学生運動。1960年代、自分が生まれる以前にそんなことがあったと耳にしたことはある。学生はさらに説明してくれた。当時、山本は東大大学院の博士課程院生だったこと。大学で紛争が勃発し、山本が東大全共闘の代表となり、その先頭に立ったこと。大学や機動隊相手の闘争を繰り返し、ついに山本は逮捕される。そして学生運動は終結し、拘置所を出た山本は大学を去る。先ほどまで教壇に立っていたこの予備校が、山本のそれからの職場となった。
授業の時、山本がその闘争の話を口にすることはなかった。だがそのたたずまいには、激しい闘いに身を置いていた者のみが帯びる、重みと厳しさが感じられた。
ある日都内の古書店で、紀闇は山本義隆の著書を見つけた。物理の参考書ではない。学生運動時代に出された、彼の闘争の書である。紀闇はその灰色の表紙が付いた本を購入すると、下宿に戻りページをめくった。最初のほうに当時撮られたらしき写真が数点ある。ヘルメットをかぶった、若き日の山本義隆。さらにページをめくる。元の所有者のものと思しき書き込みや傍線がある。ページをめくっているうち、見知った名前が目についた。丸山眞男。高校の時、藤山という国語の教師の授業でその名を耳にしたことがある。『「である」ことと「する」こと』という丸山の代表的論述文を教師が紹介してくれたのだ。学生運動の時代、丸山は東大法学部の教授だった。その権威と声望ある人物に、若き日の山本は躊躇いなく批判の刃を向けていた。
丸山教授は大学という制度を問いただそうとする学生たちによる闘争を「理性の府としての大学にあるまじき行為」と呼び、「大学人としてこれを許すことはありません」と非難した。だが、「大学」や「教授」のごとき制度や身分を神聖化しそこに依拠すること、これは当の丸山自身が自著で批判していた行為に他ならない。にもかかわらず、丸山は大学が理性の府であることや自身が教授であることを絶対化した。そのとき、「その「神聖化された状態」の現実の機能に検討を加えることも、その中にひたっている自らの活動を対象化して批判的に見つめることも忘れてしまう」と山本は厳しく声を上げる。「それが、「明治天皇制」の権力の「頂点」や「国体の最終の細胞」にも比すべき「東京大学」を彼が見ることを不可能にしたのである」。
東大とは、日本の受験業界において言わずと知れた志望校の頂点であり、紀闇が過ごした中高の進学校でも、この有名予備校でも、目指されるべき成功者のシンボルであった。その東大を代表する教授のありように、予備校教師である山本は、かつて仮借ない裁断を下していた。それも当の教授の掲げている理念を用いてである。東大の教授たちにとっては、「いわゆる学問や思想は生き方と無関係なのだ」とまで言う。それまでの紀闇には、誇れるべき知恵も理想もなかった。しかしいつか、目標とする大学に入ることができれば、そうした何かがみつかるのではないか。そう予感し、密かに期待を抱いていた。しかし仮にそれが手に入ったとしても、自分の頭の中だけのものであったら何になろうか。肉体を持った思想。山本との出会いを通じて、その実現へ向かわんとする欲動が自分の内に芽吹きつつあるのを紀闇は感じていた。
二年間の浪人生活ののち、紀闇は大学に入学した。しかし学部は、医学部ではなく文学部。しかも名門校への進学実績で知られる出身高校からしてみれば、大学の社会的評価は相当に低い。親や親族の落胆は隠しようがなかった。だが紀闇は文学部の、それもドイツ文学科という進路に固執した。ゲーテやハイネ、カントやニーチェ、カフカにツェラーン。医学部進学という強いられた目標への呪縛から自身を解き放った紀闇は、その空白を埋めてくれるような文学や思想というものに渇望していた。精神的な飢えを克服することによって何者かになろうと必死だった。ただしその何者かの思想とは、肉体を伴ったものでなければならない。この信念からまず紀闇が課題としたのは、ドイツ語という新たに出会った言語にひたむきに取り組むことだった。それも大学での授業のように、文法と訳読で済ませるのではなく、自分の内に生きた言葉にすること。そのためには、自身の思考や呼吸をもこの異様な言語に近づけねばならない。テレビやラジオの語学講座に、ネイティブが指導する語学学校。習得するためのあらゆる手段に頼ろうとした。溺れる者は藁をも掴む。その藁とは、当時の紀闇にとってはまずもってドイツ語だったのだ。
ドイツ語学習にとり憑かれた紀闇の姿は、キャンパスを埋める他の学生たちには奇妙に見えたに違いない。優雅にスマートに大学生活を楽しもうとする彼らの目には、群れに紛れ込んだ得体の知れぬよそ者にして黒い羊と映っただろう。授業の度に向けられる好奇の視線は慣れっことなった。「この人はきっと、何か訳ありなんだな」。そんな風に憐みの目をもって放っておかれることが、紀闇にはなにより有難かった。
キリスト教との出会いも、そんなときのことだった。ドイツ文学科に進学を決めた時から、西洋思想の根底に流れ、深みからそれを支えるものとして、紀闇の関心を惹いたのだ。聖書も少しずつ読むように心がけていた。
紀闇の大学には、一年生の文学部学生のみが参加するゼミがあった。どの教師のゼミに参加するかは学生の希望と抽選の結果となるわけだが、紀闇が当たったのは「聖書と文学」をテーマとする授業だった。担当教師はクリスチャンらしく、課題図書として指定されたのは、ある高名な日本人プロテスタント神学者が書いた一冊。ドストエフスキーやトルストイ、有島武郎や遠藤周作など、キリスト教に縁のある古今東西の作家と聖書との関係が取り上げられていた。
キリスト教学科や日本文学科、史学科やドイツ文学科といった様々な学科の学生が混在するそのゼミで、教師が発したある言葉が紀闇の注意を惹いた。
「キリスト教の信仰というのはね、ちゃんと教会に通って、洗礼を受けて、それで初めて分かるものなんですよ。芥川や太宰なんてね、聖書だけ読んでキリスト教が分かったつもりになっているだけですよ」。
紀闇の頭にただ一つの言葉がこだまする。肉体を持った思想。分かっていたつもりでいながら、自分も、聖書を読んでいるだけでキリスト教を理解したと軽率にも思い込んでいたのではないか。それでは生きた信仰とは程遠い、飾りものにすぎないのではなかろうか。
紀闇の大学はミッション系だったので、壮麗な造りをした礼拝堂があり、チャプレンがいた。ある日思い立って、チャプレン室を訪ねた。見も知らぬ、思いつめたような表情の男子学生が飛び込んで来たので、受付らしき女性は狼狽した様子で、奥のほうから一人の男性を引っ張って来た。男性は杖をつき、黒いぴったりとした長衣を身に着けている。
彼は水谷と名乗り、この大学のチャプレンだと自己紹介した。どうも足が不自由なようだ。そして優しげながらも探るような目つきで紀闇をしげしげと眺めた。
「どうしたんですか?」
紀闇は自分はドイツ文学科の学生だと述べ、キリスト教に興味があり聖書も読んでいる、だが、本当の信仰というものがどういうものだか分からずにいる、と男にたどたどしくも伝えた。
「分かります」。チャプレンは眼鏡の奥で小さくうなずきながら答えた。「ならば、大学のチャペルより、町の教会に行ってみたほうが良いでしょう。学生だけじゃなくて、いろんな人たちがいますから」。
そう言って、チャプレンは紀闇のアパートの近所にあるらしい教会の名を挙げ、次の日曜日の礼拝にでも行ってみると良い、と告げた。
紀闇はチャプレン室を出た。そこは大学のキャンパスの中庭だ。少し歩くと、この大学を創立したアメリカ人宣教師の像があった。薄緑色にくすんだ立像。髭を生やした男が、左手に聖書らしき本を抱え、右手はチョッキのポケットに入れている。ポケットには、子供たちに分け与える金平糖が入っていたらしい。そんな話を入学時のオリエンテーションで耳にした。
その宣教師は、かつてこの学校の前身校を卒業し、帰郷しようとする若者に言ったそうだ。
「貴方は決して戦争に出てはなりません。腕力のいくさをしてはいけません。20人や30人の敵を倒したとて決して誉めるべきことではありません。貴方は寧ろ貴き戦をなさるべき筈です。貴方はイエスの十字架の戦を戦って人を救うことに努めるべきです」。
その若者は帰郷後、師の言葉通り、戦争への参加を乞われたが断り、女学校の教師になったと言う。
そんな教えに出会えるなら、教会を訪ねてみるのも良いかもしれない。紀闇の前途に一筋の光明が射したかと思われた。
その教会は壁が白く、窓の形が美しい建物だった。屋根の真上に十字架が立っているのですぐにそれと分かる。教会というのはみんなこんな立派で洒落たものなのだろうか。紀闇は頭の中で、自分が知る自国の寺社建築と比べてみた。
門の脇の看板に、「聖餐式」は十時から、とある。せいさんしき。これが礼拝のことだろう。まだ少しばかり時間があったので、通りの向かいの歩道上に立ち、何気ないふりを装いつつ中の様子を眺めた。
開始の時刻が近づくと、入り口の扉の周りにそれらしき人々がたむろし始めた。ジャケットを羽織った大人もいれば、シャツに短パン姿の子供もいる。見栄えは一般人と何も変わらない。紀闇は思い切って門をくぐると、なるべく誰とも目を合わさぬようにしながら白い建物の中に入った。まず目に入ったのは、正面に据えられた十字架像。その左右に、木製の長椅子が並んでいる。作りは大学の礼拝堂と大体同じようだ。誰も座っていない席を見つけて、紀闇は座した。
脇のほうに目をやると、鮮やかなステンドグラスが並んでいる。いかにも西洋風だ。手元を見ると、カバーのかかった厚めの本が二冊。「祈祷書」「聖歌集」とある。聖餐式とやらに使うもののようだ。
まばらに空きがあるものの、席がだいたい埋まった。小さく鈴を鳴らす音が聞こえた。小太りで眼鏡をかけた初老の男が前に出る。白と緑の祭服らしきものを身に着けている。司祭だ。紀闇が体験する、初めてのキリスト教の礼拝が始まった。
キリエ エレイソン
キリステ エレイソン
ピアノの伴奏に合わせて、司祭と会衆が唱和する。「祈祷書」を見ると、「主よ、憐み給え キリストよ、憐み給え」という意味のようだ。たぶんラテン語だろう。
「祈祷書」をなぞるように、聖餐式が進む。聖歌が挟まれ、信徒らしき者による聖書の朗読。司祭の挨拶と説教の時には会堂は静まり返っていた。献金のためらしき布の袋が回って来た時、紀闇は小銭を入れた。司祭が信徒にパンと葡萄酒を与えるいわゆる陪餐の時間が来る。映画で見て知っていた。司祭の前に並ぶ列の一人から目で促されたが、紀闇は手を振って並ぶのを断った。
礼拝の後で、年配らしき男性が紀闇に声をかけて来た。眼鏡をかけ髪を撫でつけ、上品な雰囲気を漂わせている。男性は自己紹介をした。都内の大学の工学部教授だそうだ。紀闇が通う大学ではないがミッション系だ。これから信徒たちで昼食を取るから、一緒に来ないかと誘ってくれた。
教会の脇に、集会場らしき建物があった。紀闇はそこに迎え入れられた。部屋には長机と椅子が並べられ、お茶が配られる。男性は、さきほど司祭を務めた小太りの男に紀闇を引き合わせた。男は今は祭服ではなく、カラーを付けた灰色のシャツを身に着けている。
「初めての方ですか。よく来てくださいました」。
男はこの教会を担当する牧師だと名乗った。そうこうするうち、奥の部屋から茶色く澄んだスープのラーメンが次々と運ばれてくる。ベテラン信徒の一人が主導して作る、この教会の名物だそうだ。紀闇は席に着き、信徒の皆と昼食を取ることにした。
その日、紀闇はその教会の信徒たち一人一人に紹介された。皆にこやかに、紀闇に歓迎の挨拶をした。社会人もいれば年金生活者も、主婦も学生もいた。信徒の多くは、親の代からこの教会に所属していた。信徒子弟。初めて耳にする言葉だ。いわゆるボーン・クリスチャンと言うやつか。
一人の男性信徒が特に紀闇の興味を引いた。サングラスをかけ、白杖をついている。生まれつき盲目で、ピアニストをしながら神学校にも通っているらしい。そういえば、この教会の正門から建物にかけて、黄色い点字ブロックが敷かれている。
日高と名乗るその男は、聖書や教会、神学のみならず、人生の様々な問題について一家言を持っていた。
「障がいってのはね、欠陥じゃない。個性なんだよ」。
そう口癖のように呟いていた。カードゲームで親が各プレイヤーにカードを配るように、神様は一人一人に個性というカードを配る。盲目と言うのは、配られたプレイヤーの手札に「視力」のカードが欠落しているわけじゃない。「目が見えない」と言う特別な恵みが与えられたカードが手渡されているのだと言う。
紀闇は日高と会う度に、親しみを覚えるようになっていった。
「紀闇君の声を聴くとほっとするよ」。
折に触れてそう口にしてくれるのが嬉しかった。時折、二人三脚のように体を寄せ合って、紀闇は杖を持たぬ日高と歩いた。いつもの歩道だが、町の風景がたった今生まれたばかりであるかのように鮮やかに見えた。
紀闇の教会通いは続いた。頭だけの理解じゃない、肉を持った信仰とは何か。そう考えるうち、必然的に洗礼を意識するようになった。
受洗を希望すると伝えた時、牧師や信徒たちは笑顔で祝福を与えてくれた。教父という、導き役となる先輩信徒が必要らしい。もちろん日高が引き受けてくれた。
紀闇が通う教会の教派では、洗礼名というものも決めなければならない。聖書中の人物や聖人から名を頂戴するのだ。紀闇はその名に、旧約聖書に登場する預言者エレミヤを選んだ。
エレミヤ。紀元前七世紀から六世紀にかけて、戦争と混乱の中、ユダヤの民に神の真実の言葉を語り続け、苦難の生涯を送ったとされる預言者。若くして神に召命され、人々に来たる災厄を伝え、人々の不信仰を糾弾する。だが民はその声に耳を貸そうとせず、むしろ生ける神に背を向け異教の偶像を拝む。嘆くエレミヤ。人々は「命の水」である主を捨て、「自分たちのために水溜めを掘ったのだ。水を溜めることもできない すぐに壊れる水溜めを」(エレミヤ書2章13節)。強国バビロンの侵攻による剣、飢饉、疫病の危機を伝えようと声を上げるが、民には嘲笑される。ついに預言者は、自身の生を呪う言葉までもらす。「呪われよ、私の生まれた日は。母が私を産んだ日は祝福されてはならない」(同20章14節)。しかしエレミヤはあきらめることを知らない。バビロンの脅威を認めぬ偽預言者と闘い、投獄の苦難をも潜り抜ける。そして彼の苦しみは、神と民が結ぶ「新しい契約」のビジョンによって祝福に転ずる。その来たる日のことを、主は告げる。その日、「私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神になり、彼らは私の民となる」(同31章33節)。もはや律法とは、モーセの時代のように石板に刻まれて外的にあるものではない。
エレミヤが告げる来たる日とは、イエス・キリストの十字架と復活が顕現する日のことだろうか。哀しみと厳しさをたたえたこの預言者の名をなぜ自分の洗礼名に選んだのか、紀闇は考えた。権力の腐敗に抗する姿に、全共闘で闘ったあの山本義隆に似たものを認め、憧れたのかもしれない。
紀闇の洗礼式が行われる日が来た。聖餐式のとき、聖水盤を囲んで、司祭、教父である日高、紀闇が並ぶ。信仰を巡る誓いの応答が交わされる。司祭の濡れた指が、紀闇の額をなぞる。
洗礼とは水に浸ることによって、古い自分が死に、新しい自分に生まれ変わることだと言う。紀闇は変わりたかった。古い自分を捨て、何者かになりたいと望んでいた。自己の否定、それはかつて山本義隆が信念としていた言葉だった。この儀式によって象徴的にでも己の死をくぐれるならば、その先に新しい世界が開けてくるかもしれない。そんな期待を漠然と抱いていた。
ドイツ語やキリスト教とともに紀闇がすがり求めようとしたのが文学だった。大学の入学式が終わるや、キャンパスは新入生を狙った様々のサークルの勧誘の声に賑わう。白いテントや原色を派手に使った看板が並び、チラシが配られ、サークル名が連呼される。
呼び込みを回避しながらスーツ姿の紀闇がキャンパスの小道を歩いていると、一つの白テントが目に留まった。長机の後ろにラフな格好をした男性が二人腰かけている。机の上には雑誌らしきものが積まれている。脇の真っ白な看板には黒字で「文学研究会」と書かれていた。
紀闇と目が合うや、男の一人が座ったまま手招きした。誘われるように、手前に置かれたパイプ椅子に腰かける。
男性は二人ともに文学部の学生だった。このサークルの編集長と副編集長だ、とそれぞれ自己紹介してくれた。
「文学に興味があるの?」
紀闇が頷く。ドイツ文学科の新入生で、作家では特にフランツ・カフカが好きです。そう伝えると、編集長の男が、「いいね」と目を細めた。
二人はサークル活動の内容について説明してくれた。主な活動として「ゼミ」と称される読書会があるということ。これはゼミ長が中心になって不定期に課題図書を決め、参加者は喫茶店や部室に集ってその作品について意見を述べ合う。その他、年に二度、部員の創作を集めた雑誌を発行しているとのことだった。
「文芸サークルは他にもあるけど、創作だけじゃなくてゼミもやっているのはうちだけだよ」。
そう言ったのは先ほど紀闇を手招きした副編集長のほうだ。しかしそれにしても、人が少ない。他のサークルのテントはどこもスーツ姿の新入生で賑わっている様子なのに、ここでは部員二人に机を挟んで向かい合っているのは紀闇ただ一人。
そんなことにやや気をとられつつも、紀闇はまずはこのサークルに入ってみようと決意を固めていた。
紀闇の属する大学のサークル棟は、キャンパスの外れにあった。その建物に文学研究会の部室もあった。部室の壁には様々なゼミの手書きの張り紙が留められていた。「文豪ゼミ」、「アメリカ文学ゼミ」、「現代文学ゼミ」、「みんなで民主主義を考えようゼミ」=通称みんみんゼミ。
紀闇は授業が終わると定期的に部室に顔を出し、誘われるままいつかのゼミに顔を出すようになった。大学キャンパスから五分ほど歩いたところに行きつけの喫茶店があり、ゼミの多くはそこで行われた。入口の階段を降りると、「マダム・シルク」という店の看板がある。扉を開け入ると、薄明りの中に黒いソファがいくつか並ぶ。壁には古い西洋の映画の黄ばんだポスターがいたるところに貼られていた。その中に『シベールの日曜日』もあった。昔風に右左読みに書いてあったので、紀闇はそのタイトルを『日曜日のルーベシ』だとずっと思いこんでいた。
店を切り盛りしていたのは、黒く艶やかな長髪に黒のワンピースが印象的な女性で、呼び名はさっちゃん。それに優雅なゆかさんや、朗らかなとべちゃん。彼女らは「紀闇さん、いらっしゃい」とすぐに名を覚えてくれた。
蝋燭がともる薄暗い店内で、紀闇は他の部員らと、目を通してきた課題作について語り合った。グラスが空になると、太っちょの先輩部員が「さっちゃん、ルービ、ルービ!」とおどけて店主に声をかける。すると、彼女はすぐにくし切りのレモンが入ったコロナビールの瓶を持ってきてくれた。
そんな夜を過ごすうち、紀闇は自分でも文学作品が書きたいと思うようになった。サークルが毎年発行する雑誌の締め切りがせまっている。紀闇は大学ノートを開き、思いつくまま、手書きで小説を書き始めた。病院の待合室に、男が座っている。一人の女に呼ばれ、男は医師のもとへと案内される。病室には、彼そっくりの男性が横たわっている。医師は彼について男に語り始める。男性は銀行員として勤めていたが、ある日突然、部屋から出なくなる。訳もなく部屋の中を徘徊するようになる。男性の伴侶は彼を助けようと手をつくすが、何も効果はない。そして今日、男性は自ら命を絶とうと川に身を投げたのだ。語り終えた医師に男は、なぜまだ息のあるその男性の命を助けようとしないのか、と詰問する。医者であるあなたがなぜ? この問いに医師は、廊下に果てしなく並ぶ病室の扉をただ示して見せる。病室は一つではないのです、ここには無数の病室が扉を連ね、救いきれぬ無数の病人がいるのです、と男に告げる。医師の部屋を出た男は廊下に立ち、病室の扉が果てしなく並ぶ回廊を歩みだす。初めて書いたこの小説に紀闇は『病室』というタイトルをつけた。そしてサークルの定期刊行誌に発表した。
サークル活動の一方、紀闇はドイツ文学科の授業に出席し、自らも主にドイツ語圏の文学や思想について学びを深めていた。カフカをきっかけに、特に両大戦期のユダヤ系のドイツ語作家に興味を持つようになった。フロイトにホーフマンスタール、ツェラーンにブロッホ、ベンヤミンやアドルノにカネッティ。キリスト教徒に疎まれ、ナチスに蔑まれたユダヤ系の書き手たち。『我と汝』で知られるマルティン・ブーバーに出会ったとき、彼が紹介する「ハシディズム」と呼ばれるユダヤ教の神秘主義に強く惹かれるようになった。その教えの源流にはカバラーと呼ばれる神秘思想がある。そこではまず、世界の創造は、神の世界からの退行と、そこで生じた空隙への「セフィロト」と呼ばれる光の流出によって説明される。しかしその流出のとき、神の光を受け止めるべき器が、その光の強さのために破壊される。そしてその破片が火花となって世界の隅々にまで散らばる。この破壊の出来事が善である神から生じた悪の根拠だと言う。世界の救済とは、世に下りて行き、この流謫の状態になった神の火花を見出し、救い上げることにある、というのがユダヤのメシアニズム、ハシディズムの教えだった。
「流謫の火花」と言う表現が紀闇の心を捉えた。一方で入学当初から熱中していたカフカの文学作品を読み解く鍵がそこにあるように思えた。いやむしろ、自分とカフカとを結びつけている絆を読み解く鍵だろうか。卒業の年を迎え、紀闇は卒業論文を、このハシディズムとカフカ文学との関係をテーマにして書いた。カフカの小説の細部に、堅く閉じられた門や窓に扉、よそ者の土地測量技師を取り囲む村人たち、奇妙な形姿をした生き物のうちに、流謫の火花が潜んでいるかのように思われた。カフカの諸作品の細部を丹念にたどることが、あたかも奈落の底へと手を差し伸べようとする救済の行為であるかのように感じられた。
洗礼を受けた後も、日曜日には紀闇は教会に通い続けていた。毎週繰り返される聖餐式。聖書が読まれ、牧師が説教する。洗礼を受けて、自分は本当に生まれ変わっただろうか。紀闇は時折自問した。紀闇は昔の自分が嫌いだった。有名校への進学を推し進める教師のもと、何の生きた目標もなくただ無感情に机を見つめる自分。虚しさを埋めるため、文学部に進んだ。ドイツ語という新たな言語に取り組み、文学書や思想書を読み漁った。その一方、予備校で出会った山本義隆の言葉を思い起こし、思想の肉化の試みを忘れずにいようと試みた。教会通いと受洗はそうした試みのつもりだった。それは自分の中で実を結んでいるだろうか。
教会に通ううち、紀闇の心の中に疑いの芽が少しずつ成長していた。どうして信徒たちは、この教会で生まれ育った身内を優遇するのだろう。新来者との隔たりはどうしても目につくのだ。大学教授や医者や会社の上役といった社会的地位の高い信徒が幅をきかせているのはなぜだろうか。聖書に登場するイエスの弟子たちは、漁師や徴税人、娼婦といった、社会で蔑まれている職業の者たちではないか。ルカによる福音書にある「貧しい人たちは、神からの力がある」(6章20節)という言葉に何の重みがあったろう。
この教会で生まれ育った信徒の中にも、こうした状況に異を唱える者はいた。このままではいずれ教会は高齢化し、滅びてしまうぞ、宣教が必要だ、と威勢のいい声が上がる。彼らはしかし、あまりに強引に新来者を得ようとしていた。中高生科を担当する信徒は、ミッション系の女子校、男子校に通う生徒を利用しようとした。それぞれ学校の友人に声をかけさせ、教会を男女の出会いの場としてアピールすることで、若い教会員を増やそうと目論んだのだ。確かにそれによって一時的に教会は若者によって賑わった。しかしそのうち、恋のさやあてから生まれた不平不満が女子同士、男子同士の関係に亀裂を生じさせる。それを目にした当の大人の信徒は、「教会は神様の愛を実践する場であり、色恋沙汰で争うところではありません」と信仰の旗印を掲げながら強引に鎮めようとする。だが、好みの異性を巡る競争で戦果を得られなかった子どもたちは、不信感に満たされた目つきで大人を非難し、憮然とした表情で教会に背を向けて見せる。そうすると大人は大人で、離反者を生み出したのはだれそれのせいだとあげつらい、非の押し付け合いが始まるのだ。
「裁くな、そうすれば、あなたたちも裁かれることはない」(マタイによる福音書7章1節)とイエスは人々に説いた。他者とは裁く相手ではなく、手を差し伸べて支え、その人のために祈る者。それがキリストの愛ではなかったのか。
教会の礼拝に使われる「祈祷書」には、会衆による懺悔の言葉が記されている。
「父と子と聖霊なる全能の神、および天の会衆と師父の前に、わたしたちは、思いと、言葉と、行いによって、多くの罪を犯していることを懺悔します」。
聖餐式で唱和されるそんな言葉も、虚飾で塗り固められたような教会の人間関係を知ると空しい響きをたてた。そもそも牧師をなおざりにして、古株の信徒が勝手気ままに暴走していた。紀闇は教会から足を遠ざけようとする自分を感じていた。
ただ、その同じ「祈祷書」の中には、紀闇の心に引っかかる言葉があった。
「わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方に、教会により、またキリスト・イエスによって、栄光が世々に限りなくありますように」。
私たちの願いをはるかに越えてかなえてくれるとはどういうことだろうか。自分が教会に背を向けるとしても、やはりそこにも神の導きの手があるのだろうか。
卒論を書き上げた紀闇は大学を卒業した。だが就職はせず、大学院への進学を選んだ。卒業した大学ではなく、電車で二時間はかかる遠方にキャンパスを置く大学院。紀闇は引っ越しをすることにした。そうすればこの教会からも離れることになる。
教会を去ろうという日、紀闇は日高に別れを告げに行った。日高はただ何度か頷いて、指で十字を切り、祝福の言葉らしきものをかけてくれた。
「でもな、君がイエス様を忘れようとしても、イエス様は絶対に君を忘れんよ」。
大学院に進んだ紀闇は、東京の郊外のアパートに住まいを移した。キャンパスを、山を切り開いて作られたニュータウンに置く公立大学。自然が多く、新しい建物が目立つものの数はまばらだった。何か未来の、新たに植民した惑星にでも移り住んだような気がした。
ドイツ文学を専攻するという立場に変わりはなかった。授業は学部のときとさほど変わらず、ドイツ語で書かれた文学書を学生が読み、日本語に翻訳し、誤訳があれば教師が訂正する、の繰り返し。あとはネイティブ教師によるドイツ語での授業で、こちらは学生は委縮しつつも、学び覚えた表現を試す機会としていた。
学部のころと明らかに違うのは、将来の就職を巡る話題。いずれは教授たちと同様に大学でドイツ語や文学を講じる身分になろうと望む大学院生の群れは、時に互いに牽制しあい、酒席を囲めば同座せぬ者の論評を交え、村落のような閉じた共同体を築いていた。
教授たちはそうした院生の様子を気遣いつつも、語る言葉の調子は冴えなかった。
「我々は斜陽の業界だからねえ」。
かつてドイツ語が第二外国語として必修科目として学ばれ、教師の需要が多かった日を知る教授はそう嘆息した。
「ドイツ語の時代は終わった」。
「これからは英語じゃなきゃ、アジアの言葉の時代だね」。
酒の席で酔いが回ると、そんなぼやきばかりが聞こえてくる。ならばなぜ自分はこの仕事をしているのかという問いは、そこでは封印されていた。大学の教師という社会的評価の高く安定した地位を降りたくはないのだ。文学部の教授といえば、「文学者にとっての栄誉といえば自殺だ!」と吠えるような人物を想像していた紀闇にとって拍子抜けもいいところだった。かつて山本義隆を通じて知った大学教授の自己保身という問題がまさに眼前にあった。たとえ実験的文学の権威を名乗っていようと、自分の生き様に実験精神が無ければ何の益があろうか。その鬱屈した空気は教師から学生に、先輩から後輩に、確実に受け継がれていく。そこでの教育とは、教授たちが自分の立場を正当化してくれる共犯者を量産していく過程に他ならなかった。
ドイツ語やドイツ文学は、かつて紀闇の憧れだった。Geist(精神)やSeele(魂)といった単語の響きに酔いしれていた。だが、その理念を先導すべき大学の文学部はどうだろう。そこでは知識や教養は権威を得るための手段に堕し、知識人を自称する者たちが互いに牽制の目を光らせつつも媚びを売りあい、学界や出版界の名声に与った少数者は「知の巨人」だの「学魔」だのと呼ばれて崇められている。カフカやツェラーンらの偉大さを知れば知るほど、その研究者を自称する者たちの卑小さは際立つ一方だった。
人間的な、あまりに人間的な。
そんなニーチェの著作の表題がこの社会の正鵠を射ているように感じられる。ただ一つ、紀闇の心を捉えたのは、瀬尾という名の詩人でもある教授が保持していた言葉への潔癖さだった。「文・学者」でなく、「文学・者」であろうとすること。肩書きの上での「〇〇文学者」ではなく、本物の文学者であろうとすること。両者の間に横たわる深淵に眩暈がする思いだった。大学という閉鎖的な空間の中で、紀闇は次第に夜の街を徘徊する野良猫のように警戒心を強めていった。
そうこうするうちに月日はたち、紀闇は修士論文を執筆する準備に入った。テーマに選んだのはヴァルター・ベンヤミン。20世紀ドイツのユダヤ系著述家で、神秘的な言語論や歴史哲学を展開する一方、斬新なテクノロジー批評でも知られている。そのベンヤミンの初期の神学的論述と、後期の写真論の関係を問う、というのがその論文の眼目だった。
「アウラ」に「純粋言語」、「世俗的啓示」に「神話的暴力」、「星座的状況」に「静止的弁証法」。ベンヤミン独特の用語はなにやら意味深で、秘教的と称されるのももっともだった。そうした術語が織りなす森を読み進む中で、紀闇の興味を惹いたのは、『神学的・政治的断章』に記された次のような文章だった。
「一本の矢印は、世俗的なものの可能態がそこで効果を持つような目標を示し、これに対してもう一本の別の矢印はメシア的な強度を表すとするならば、自由な人類の幸福追求とはもちろん、そのメシア的な方向のほうからひたすら離れて進むものなのだろう。が、ある力がおのれの道を行くことによって、逆向きの道を行くもう一方の力を促進することが可能であるように、世俗的なものの世俗的な秩序も、メシアの国の到来を促進しうるのだ」。
紀闇は卒業論文を書いた時からハシディズムに代表されるユダヤのメシアニズムに惹かれていた。しかしベンヤミンがここで記すメシアニズムとは、何と奇異なものだろうか。遠心力と求心力、作用と反作用が響きあうように、世俗的、つまりこの世に表れた秩序が、一見それに背を向けているかに見えるメシアの国の来訪の鍵となると言うのだ。そこにはかつて紀闇がカバラーという神秘思想に見出した、退行、流出、破壊の過程からなるという創造と同様、極度に逆説的な発想が息吹いている。修士論文で紀闇は、写真や映画といった新たな技術を巡るベンヤミンの論考から、このメシアニズムに結わえられた「世俗的な秩序」の反映を導き出そうと試みた。絵画や音楽と違い、従来は宗教芸術とは見なされて来なかった写真。そうした一見世俗的な技術に向かうベンヤミンの論述の根底にあるのは、この世の片隅にハシディズムで言う神の「流謫の火花」を見出そうとするメシア的努力に他ならないのではないだろうか。それをひたむきに追い言語化しようとする紀闇の作業は、教会生活で満たされえなかった自身の信仰を補わんとする試みだったと言えよう。学術的な論文を仕上げたいといった望みは無かった。
紀闇が提出した修士論文は、やはり学者を自称する教授からは酷評された。しかし紀闇にはそれはもはやどうでもいいことだった。
夜の帳の落ちる下、仄かな明かりが点在する。冷え切った街中の石畳の上を、音を立ててスーツケースを転がしながら紀闇は学生寮を目指して歩を進めた。中欧に位置するオーストリアの首都ウィーン。ドイツ語圏の大学に留学しようと決断した紀闇が選んだ町だ。中世を思わせる灰色の美しい街並みが続く。所々にゴシック様式の荘厳な教会が聳える。それまで紀闇が居を置いていた東京郊外のニュータウンとの趣きの違いに嘆息する。
空港から電車とバスを乗り継ぎ、部屋を契約している学生寮がある建物にたどり着いた。入口にあるベルを押す。遅い時間だが、事前に連絡してあるから大丈夫だろう。
「はい?」
扉が開き、眼鏡をかけた白人の若者が顔を出した。紀闇はドイツ語で自己紹介をした。
「ああ。待っていたよ。僕はシュテファンだ」。
そう言うと、男は紀闇に手を差し出し、二人は握手をした。シュテファンはオーストリアの田舎町の出身で、ここの寮長を担当する学生だそうだ。暗い廊下を通り、彼は紀闇を二階にある二人部屋に案内してくれた。扉をノックして部屋に入ると、机についていた大柄な男がこちらへ顔を向けた。彼はトーマシュと名乗り、チェコから来て、考古学を学んでいると言った。紀闇のルームメイトだ。異国の地での新しい生活が始まった。
紀闇が学ぶウィーン大学の本校舎は、町の中心からやや北西にあった。14世紀に作られた、ドイツ語圏最古の大学だ。本校舎の中庭回廊には、著名な出身者の胸像が並んでいる。血液型を発見したラントシュタイナー。ドップラー効果で知られるドップラー。猫の譬えのシュレーディンガー。天気の良い日には、その中庭の芝生の上に学生たちが寝っ転がり昼下がりの休息を楽しんでいる。
その大学の本校舎中庭をくぐって灰色の階段を上った先に、47番講義室がある。いつの日かそこに紀闇は通い詰めるようになった。カトリック神学部のラングターラー教授の講義に出席するためだ。ウィーン大学で学籍を得た紀闇は、ドイツ文学科ではなく哲学科を専攻に選んだ。大学ホームページにある講義録に目を通したところ、より自分の関心に近いと考えたからだった。その哲学科の授業にいくつか顔を出していくうち、特に魅力を感じたのが、哲学科の授業も担っているラングターラーの講義だった。「古典哲学」、「形而上学」、「認識論」、「哲学的神学」、「哲学的人間学」といった主題で教授は熱のこもった講義を行った。
カトリック神学部に所属する47番講義室の黒板の横手には、キリストの肉体が彫琢された大きな十字架がかけられていた。講義を聴く学生には高齢者らしき姿も目立った。おそらく年金生活者だろう。カトリックの茶色のフードがついた修道服のまま出席する者もいた。一方で、赤と緑が混じったイタリアの国旗のようなジャケットを羽織り、六芒星のペンダントを下げ、大きな黒縁眼鏡が目立つ奇異な容貌の男性もいた。
古代ギリシアで芽吹いたという西洋哲学。その根源には、人間や世界に対する「驚き」の感情があったと言う。主に西洋の哲学史をたどりながら、赤ら顔に眼鏡をかけたラングターラーは、自分たちが日常生活の中でふと立ち止まらねば気づくことのないような驚きの数々を学生に教示した。
「哲学的人間学」の講義に出席していた紀闇の印象に残った教えがあった。それは被造物に課せられた「目的志向性」を問題としたものだ。例えば蜘蛛は、その糸で素晴らしい織物の作り手となる。だが蜘蛛はその織物を、獲物を捕らえる罠としてしか用いることが出来ない。そこが人間と異なる点だ。多くの人間は、蜘蛛ほど上手に織物を紡ぐことはできない。しかし、その織物を、衣服やカーテン、テーブルクロスや様々な装飾品として、また琴線であれば音楽を奏でる楽器の一部として、特定の目的から切り離して用いることが出来る。そこにあらゆる被造物に優る人間の自由がある、と教授は説いた。
ドイツ文学者である紀闇にとって、その蜘蛛の糸とはドイツ語や文学だろう。では、その目指す先にある目的とは、はたして自由なものだろうか。蜘蛛が自身の織物を罠としてしか用いることができないように、特定の目的、つまり大学での定職の取得といった目的に呪縛されてしまっているのではないか。そうではなく、ドイツ語や文学は何かもっと貴いものを目指すための手段に他ならないのではないか。ではその貴いものとは一体何だろうか。
講義室は時に論争の場ともなる。ある日、教授がデカルトによる方法的懐疑について講じていた。デカルトはあらゆる事物を徹底的に懐疑の対象とし、神の存在さえも疑ってかかったのだ、と教授が語ると、前の席に座っていた女子学生が突然声を上げた。
「先生、あなたは聖書を読まないんですか?」
なるほど、ヘブライ人への手紙第6章11節にパウロは、「神に近づく者は、神が存在しておられること」を信じていなければならない、とある。神々しい十字架が掲げられた講堂で、教授の発言を不敬となじる学生、それに対し頭を振り振り弁論する教授、心配げに取り巻く学生たちが、市場の競りにでも居合わせたかのようにざわめく一幕であった。
ある晩、不意に電話が鳴った。紀闇は古びた携帯を手に取り発信者名を確認する。バルバラ。旧知のオーストリア人の友人だ。しばらく会っていないが、何だろう。電話に出ると、彼女は久しぶり、元気?、とまず挨拶し、それから用件を告げた。
「友達と日本の地震被災地支援のチャリティーイベントをやるんだけど、クスヤも協力してくれない?」
2011年3月11日。東日本を襲った大災害のニュースは、海を越えてヨーロッパにも伝わっていた。ウィーンでもすでに日本人を中心に様々な支援イベントが催されていた。
大地震、津波、それに原発事故。
「あまりに悪いことが続きすぎたんだ」。
支援イベントの一つで顔を会わせたオーストリア人の友人は、慰めるように紀闇に言ったものだ。
イベントの発起人である友人についてバルバラは説明してくれた。マリアという名の女性で、オーストリア人と日本人との混血。大学で社会学の他に日本学も学んでおり、それがきっかけでやはり日本通のバルバラと知り合ったとのこと。
そのマリアの連絡先を告げてから、バルバラは電話を切った。紀闇は翌日、マリアと会うことになったのだった。
ウィーンの風物詩の一つとして知られているのが数々の由緒あるカフェである。ツェントラルにザッハー、ラントマン、ブロイナーホフにムゼウム。ソファに座り、コーヒーやケーキを味わうカップル。眼鏡をもたげ、新聞に目を走らせるスーツ姿の壮年男性。何やら熱心にノートにペンを走らせる若者。ワインを傾けながら論議する様子の青年たち。そのテーブルの間を、制服を着たウェイターが背をぴんと伸ばして歩む。朝から晩までそんな風に、この町のカフェは賑わう。
紀闇の行きつけの老舗カフェ・アイレスは、市庁舎の裏手にあった。そこでマリアと待ち合わせることになった。
地下鉄の階段を上がると、目の前に石造りのカフェがある。扉を開け、店に入り、ウェイターと挨拶を交わす。顔を上げると、正面の席に褐色の肌、黒い瞳と髪の女性が座っている。マリアだ。紀闇を認めると、彼女は右手を軽く掲げて微笑んだ。
日本人音楽家を母に持つというマリアは、しかしオーストリア人の父のもと、ウィーンで生まれ育った。それはドイツ語の訛りからも窺えた。大学では主に社会学を学び、ジェンダー問題を研究の主題としていると言う。日本の学校の性教育を調査するため、日本に留学した経験もあるそうだ。
「毎日、ニュースを見ているの。クスヤの家族は大丈夫? 放射能の影響について、世界中が危惧しているわ」。
日本に所縁の深い彼女は、とりわけ今回の災難を憂慮している様だった。その思いから、被災地の支援をするチャリティーイベントをこの地で行うという決意に至った。
「市の施設を借りて、ボランティアのⅮJによるダンスパーティイベントをしようと思うの。もちろん、お酒やジュース、軽食も出すのよ。集まった義援金は、赤十字みたいな大きな団体じゃなくて、被災地支援に当たっているNPOのプロジェクト活動費に当ててもらいましょう。まずは現地で活動している団体を調べなきゃ。クスヤ、協力してくれる?」
紀闇はうなずいた。いつもは頼りがちのオーストリア人のほうから頼られるのは、嬉しく誇らしかった。マリアに別れを告げると、部屋に戻り、パソコンを立ち上げ、情報収集を開始した。
東北地方でかの地震が発生して数か月。被災地の支援に当たるNPOは、ネットで探すと次から次へと見つかった。支援候補が見つかるたびに、紀闇はマリアに連絡した。論を重ねるうちに、三つの団体の活動が特に有力となった。一つは各地から食料を集め現地に配送するフードバンク。それから、以前より現地でホームレス支援に当たっていた団体。そして、DVなど女性が抱える問題を支援する団体。紀闇は各団体の代表にメールで連絡を取った。ウィーンで被災地支援プロジェクトイベントを行いたいことを伝えると、どこの代表も快諾してくれた。被災地で撮影した写真を送ってくれた団体もあった。
チャリティーイベントを支援してくれるウィーンの企業を探す必要もあった。紀闇は主に日系の、飲食店や旅行代理店を回り、意向を伺った。金銭やチケットなどで支援に乗ってくれた団体もあったが、一方では店主らから邪険にあしらわれる場面もあった。
イベントのポスターやチラシを作るため、紀闇は友人であるノブという愛称の日本人版画家にデザインを依頼した。ノブはすぐに幾つかのデザイン案を送ってくれた。マリア達のほうでも、心当たりのあるオーストリア人アーティストに依頼を持ち掛けていた。結局、ポスターとチラシは、ノブを含む三人のアーティストによる合作となった。自分の送った案の一部しか採用されなかったことについて、ノブはしばらくぶつぶつと文句を言ってきた。
イベントがダンスパーティであるため、DJや歌手もそろえる必要があった。紀闇はつてを通じて、ファッションを学ぶ日本人学生でDJの心得がある者がいると知った。タローと呼ばれるその学生に紀闇が連絡すると、彼は日本のポップソングなら何とかなるでしょう、と快く引き受けてくれた。そして同じくファッションを学ぶ友人学生にも声をかけてくれると約束してくれた。
「イベントを行うのに、協会を作って市に登録する必要があるわ」。
ある日、マリアがこう告げた。そこで企画メンバーはマリアの部屋に集まり、協会設立のための会議を行った。協会の名称は日本語の言葉にしようという話になり、紀闇がいくつかの日本語を挙げて行った。ココロ、サムライ、オモテナシ、ユウアイ、サクラ…。キズナ、という言葉を挙げたとき、メンバーの表情がぱっと輝いた。
「キズナ! それ、いいんじゃない?」
紀闇は、それが精神的なものを含めた結びつきを意味する日本語だと説明した。オーストリア人メンバーはその説明にご満悦な様子だった。語の響きがアフリカ風だね、と誰かが口にした。そうして協会の名称はKIZUNAに決まり、代表をマリア、副代表を紀闇が務めることになった。
こうした全ての情報をまとめて公示するために、紀闇はイベントのためのウェブサイトを立ち上げた。日本の会社のホームページ無料作成サービスを活用したのである。HTMLを自律的に学んでいたことがサイト作成に役立ったのは幸運というものか。ウェブサイトには、マリアがドイツ語で、紀闇が日本語でイベント案内やメッセージを掲載した。商店や飲食店、大学や語学学校にポスターが貼られ、チラシが置かれた。イベントの日が近づいてきた。
イベントが行われたのはある夏の夕刻。場所は、ウィーン北西に位置する公共のワークショップ・イベント施設である。二つの屋内ホールを借り、ダンスホールとした。前もって準備しておいた酒類や軽食も出せるようにしてある。中庭のテーブルや椅子も借りて、屋外でも楽しめるようにした。幸い、天気は良好だった。
開場時間が近づくと、少しずつ人が集まり始めた。オーストリア人らしき者もいれば、日本人もいる。ウィーンで知り合った紀闇の友人も次々と顔を出した。そしてイベントが始まる。大ホールでは、音楽家であるマリアの母親が琴の演奏を始めた。そしてオーストリア人の歌手やDJによるライブが続き、タローたち日本人DJは日本で流行のポップソングを流し始める。カウンターではアルコールやジュースが配られ、歓声や嬌声が響く。夏のウィーンは、19時でもまだ明るい。白や褐色の肌をした男女が着飾り密集する施設で今夜、歌と踊りで被災地にメッセージと義援金を届けるのだ。
チャリティーイベントは無事終了し、紀闇たちメンバーは日本の各団体に、集まった義援金を送ることができた。
イベントが終わってからも、紀闇はちょくちょくマリアの住まいを訪れた。彼女は盲目の哲学者であるボーイフレンドと同居しており、紀闇が訪ねるたび、頬を軽く合わせて挨拶してくれる。
「社会学の博士号を取るために、論文を仕上げなきゃいけないの。ジェンダー問題がテーマで、日本の中学校の性教育のことも取り上げるつもり。日本に留学した時に録音したデータがあるから、文字起こしと翻訳を手伝ってくれない?」。
マリアのパソコンには日本の学校教師、教育学者、政治家から聞き出した性教育についてのインタビューのデータファイルが収まっていた。紀闇はそれを聴き、一文ずつドイツ語に翻訳した。マリアは傍らでそれを書き留めていった。
そんなある日、マリアの部屋で一緒に軽食を取っていたときのこと。彼女はふと食事の手を止め、紀闇をじっと見つめて言った。
「クスヤ。市民大学って知ってる?」
「市が経営している学校だよね。カルチャースクール? ドイツ語の講座もあったと思うけど」。
「そこでね、日本語教師の仕事の話があるの。クスヤ、やってみない?」
日本語教師。ウィーン大学に在学する紀闇は、ときおり日本学科を訪ね、ホルボウスキーという名の名物教授による日独翻訳の授業に出席していた。その学科に、日本語教師を肩書きとする日本人がいることは知っている。だが、市民大学にそうした講座があるとは想定になかった。
紀闇がやってみたい、と答えると、マリアの表情がほころんだ。
「学生はだいたいオーストリア人でドイツ語が役立つから、クスヤにちょうどいいわよ。市民大学のほうにメールを送っておくね」。
ウィーンは全部で23の区に分かれており、それぞれに市民大学と呼ばれる教育施設が設置されている。マリアの仲介により、紀闇はそのうち二つの区にある学校で、日本語の授業を受け持つことになった。
授業は夕刻から始まる。最初の授業の日、早めに到着した紀闇が教室で待っていると、登録した学生が次々と集まってきた。
確かに大半はオーストリア人だったが、年齢や職業は様々だ。高校生の若者もいれば、年金生活の老齢者もいる。ドイツ語教師をしている者、出版社で働く者、それに貿易会社員にジャーナリスト。イタリアやロシア、チェコ出身の学生もいた。そんな移民の若者は、なんとなくファッションも尖っていて際立つものが見て取れた。
日本語を学ぶ動機も色々だった。先の地震のニュースで関心を持ったという者もいた。だが最も多いのは、やはり日本のアニメや漫画、ゲームにはまった、いわゆる「オタク」の若者だろう。
「カンケーねーよ!」。
「あたしのこと、あいしてる?」
そんな日本語のセリフをアニメから覚えて、口癖のように唱える者もいた。複雑な漢字をノートにひたすら書き留めている、漢字オタクの学生の存在も知った。
「孫が日本で仕事をしているんです。それで私も日本の言葉を学んでみたいと思って」。
ある高齢の女性は、最初の授業の自己紹介の際にそう言った。彼女はいつも決まって最前列に席を取っていた。
紀闇はドイツ語で説明が付いた日本語の教科書を購入させ、ドイツ語を媒介語として日本語の挨拶や文法、さまざまな表現、さらには文化のことも学生たちに教えた。日本の大学で日本人の学生にドイツ語を教えるつもりだったのが、今、ドイツ語を用いてヨーロッパ人に日本語を教えている。あべこべの世界。しかし学生たちの熱心さは想像以上で、紀闇はその勢いに押されつつも、授業のたびに密かな心地よさを覚えるようになっていた。
外国語として日本語を教え続けていると、いわばよそ行きの服を身に着けているような気持になる。外国人としてウィーンに滞在していた紀闇は、自分が異国の者だということをますます意識するようになっていった。
中欧の古都ウィーン。そこはもともと、外国人が寄り集う都市だった。中でもトルコ人は多かった。褐色の肌をしたおじさんが肉塊を削るケバブの屋台は、もはや伝統のソーセージ店を圧倒していた。大学そばのケバブ店を、紀闇も好んで昼食時に利用していた。店のお兄さんはあきれたように叫んだものだ。
「日本人がこんなにケバブが好きなら、俺は東京に行ってケバブ屋を開くぞ!」
一方で、日に日に存在感を増すトルコ人に反感を示す現地人も少なくなかった。移民排斥を訴える右派政党は、確実に支持者を増やしていた。ある日、その政党はこんなスローガンを党首の顔写真とともにでかでかと掲示した。
《ウィーンはイスタンブールになってはならない》。
紀闇自身、外国人として差別される経験を味わう機会があった。特にそれを感じたのは、引っ越しのため部屋探しをしていたときだ。雑誌で入居者募集の情報を見つけ、アポイントを取り、実際にその物件を訪ねてみれば、家主や先住者が不興気にじろじろと観察してくる。異郷で安物の絨毯のように値踏みされる東アジア人。帰宅して電話を取ると、耳に届くのは丁重な断りのお知らせだった。
部屋の内見をする間も無く入居を拒否されることもあった。ある物件では、紀闇が連絡の電話を入れた相手の女性はこう告げた。
「この国に住んでいいのは、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語のどれかを美しく話せる人だけです。あなたのような下手なドイツ語を話す人に部屋は貸せません」。
それは確かに国営放送のように綺麗に発音されたドイツ語だった。人種差別、外国人蔑視は、この国では建前としては否定されている。だが何がしかの理由をつけてそれが正当化される場面に紀闇はたびたび出くわして来たのだった。
「難民」という言葉をテレビやネットのニュースで頻繁に目にするようになったのはいつごろだったろうか。この都市に目立つ外国人の中でも、帰ることが出来る祖国を持たない人たち。大学そばの緑が映える公園のベンチに、時折ぽつんと黒い肌の若者があてもなさそうに腰かけている。賑わう駅のほうに足を向ければ、やはり黒い肌をした若者が、声を張り上げて日刊新聞を売ろうと通行人に呼び掛けている。紀闇にとって、難民とはまずそんな人々に体現されたイメージだった
そんな紀闇が、この国の難民と新たな関わりを持つ機会がやってきた。きっかけはやはりマリアだった。
「ウテ・ボックって聞いたことある?」
文字起こしと翻訳を中断し、一休みしているとき、マリアが口にした。
「いや、知らない。女性の名前?」
「そう、オーストリアで、難民支援で知られた女の人よ。彼女の名前を付けたNPOがあってね、そこに難民にドイツ語を教えるクラスがあるの。私もそこでボランティアのドイツ語教師をしてるのよ」。
そう言うとマリアは、ちょっとクラスを覗いてみる気はないか、と紀闇を誘ってきた。何やらまた新しい経験が出来るかもしれない。そんな軽い気持ちから、紀闇はマリアの言葉に頷いた。
マリアが連れて行ってくれた先は、古風なアパートの一室だった。この都市のこうした建物に時折あるようにエレベーターが無く、二人は鉄の手すりがついた螺旋状の階段を昇ってその部屋にたどり着いた。
入口の扉を開けると、若い女性が二人、すでにテーブルの席についていた。片方は黒髪に褐色の肌で、もう片方は頭にスカーフを被っている。それぞれインドとチェチェンの出身だ、とマリアが説明してくれた。インド人の女性は紀闇の顔を目にすると、興味深げにまじまじと眺めて来た。チェチェン人のほうは自分の手元のほうに目をやっている。
「中国人?」
インド人の女性が尋ねた。
「いえ、日本人よ。でも見分けるのは難しいわよね」。
笑いながらマリアがそう返答すると、ああ、日本、とインド人女性は高く細い声を上げた。トヨタやニッサンの自動車でも思い浮かべたのだろうか。
そうこうするうち、他の学生も集まってきた。マリアによるドイツ語の授業が始まる。褐色の肌に禿頭、口ひげを蓄えたモロッコ人の中年男性は、授業中もしきりに紀闇のほうににやけ顔を向けて話しかけてきた。絵教材や遊具を用いたマリアの陽気な授業を学生たちは大いに楽しみ、盛り上がりを見せていた。授業が終わり、二人が建物を出たとき、外はすでに暗くなっていた。
ウテ・ボックの事務所で、難民にドイツ語を教えてみないか。次に会ったとき、マリアは唐突にそう尋ねて来た。紀闇は狼狽し、口をつけたばかりのコーヒーカップをテーブルに置いた。
「僕はドイツ語母語話者じゃないよ」。
「あら、クスヤなら大丈夫よ。自信を持って! 良い経験になるし、楽しそうなクラスだと思わなかった?」
そう言われると気弱な紀闇としては、ここは奮起を見せねばという気持ちにもなる。マリアのほうはと言えばもうすっかりその気で、ウテ・ボックの事務所への行き方を紀闇に説明していた。
「ボランティアの教師だから、給料は出ないけどね」。
そう付け加えるのも忘れなかった。教師を引き受ける約束を交わし、マリアの部屋を出るとき、幸運をね、と言って彼女は送り出してくれた。
ウィーン10区にあるツォーマン通り。そこにウテ・ボックの事務所がある、とマリアは言った。紀闇は路面電車を乗り継ぎ、その建物にたどり着いた。灰色とオレンジの外壁。入口の上には“UTE BOCK HAUS”と記してある。紀闇は入口脇のチャイムを押した。
名前と用件を告げると、ドアが開かれた。眼鏡をかけ、無精ひげを生やしたTシャツ姿の若者が出てきて、紀闇を招き入れてくれた。
「僕は兵役を拒否して、代わりにここで奉仕しているんだ」。
薄暗い廊下を先に立って歩いて行く。立ち止まり、ドアをノックする。中から女性のものらしき返事の声がした。
若者は紀闇に、入れ、と手で促した。部屋の中は明るい。書類が積まれ、無骨なファイルやくすんだ色合いのパソコンが置かれた机に、年配らしき女性が座っていた。白髪交じりの髪に眼鏡をかけ、カーディガンを羽織っている。深く刻まれたしわの内側でくっきりと際立つその女性の目が、紀闇を見上げる。
ウテ・ボックだ。そう直感した。
「新しいドイツ語の教師ね。あなたのことは聞いていますよ」。
ボックは立ち上がると、ゆっくりとした足取りで紀闇に歩み寄った。そばに来ると、なんだかぷんと猫の餌の匂いがしたような気がした。
ボックはドイツ語の授業を行う教室へと紀闇を案内してくれた。廊下を抜けると広間があり、白い壁にいくつかのマットレスが立てかけられてある。机の上には寄付されたものらしきインスタント食品や衣類の山。その広間の先に、教室のドアがあった。
ドアを開けると、背の高い白人の女性が立って、何やら喋っている。紀闇達に気づくと、話を止めた。彼女が教師だろう。脇のホワイトボードにドイツ語の文がいくつか書かれている。コの字型に置かれた白いテーブルには学生らしき者たちが座っていた。白に黒に褐色の肌。濃い口髭の男性に、スカーフを被りゆったりとした服を身にまとった女性。好奇の念が露わになった彼らの黒い瞳。その熱い視線が紀闇へと集まった。
ボックは教師に紀闇のことを紹介してくれた。そして紀闇にこの授業を見学していくと良い、と言い、背を向けて部屋を立ち去った。
ウテ・ボックの事務所で、紀闇はドイツ語のクラスを始めることになった。教室の大きさは市民大学のそれとさほど変わらないが、学生の出自が違う。まず多いのがシリアやアフガニスタン出身者。それから、ボスニアやアゼルバイジャンといった東欧や、セネガル、コンゴ、ナイジェリアなどのアフリカ諸国から来た者たち。紀闇と同様にのっぺりとした顔をした中国出身の女性もいた。信仰心の篤さも特徴かと思われる。イスラム教徒の学生は女性ではスカーフ、男性では口髭が目立ち、キリスト教徒の者は十字架のネックレスを下げたり、“JESUS IS MY LORD”とプリントされたTシャツを堂々と着こなしたりしていた。彼らと共にいると、故郷でもないはずなのに、なぜか懐かしい気持ちが溢れた。
学生たちは紀闇に親しげだった。紀闇は自分がドイツ語のネイティブスピーカーではないことを危惧していたが、彼らはそうしたことに無頓着な様子だった。むしろ金髪碧眼のゲルマン系教師に対して警戒心を抱き、同じ異国人である黒髪で黒い瞳の紀闇を近しく感じたのかもしれない。授業が終わった後、帰りの路面電車の中で同席し、事務所で受け取った食料品を紀闇に分けてくれる学生もいた。授業はウテ・ボックの事務所だけでなく、左派政党の事務所の一室を借りて行われることもあった。いつも赤ん坊を抱きかかえて教室に来る学生や、お手製のケーキを持参してくれる学生。授業がパーティになることも珍しくなかった。
これまで紀闇にとって外国語と言えば、趣味や教養として学ばれるものだった。だが彼ら難民の学生は、生きるためにドイツ語を学んでいた。彼らは生きること、学ぶこと、働くことに飢えており、教師である紀闇の共在を欲していた。彼らにドイツ語を教え、彼らと共に語り合うとき、紀闇の心に初めて、自分が生涯を尽くして従事したい仕事のイメージが湧き起ってきた。
なぜ自分は、ユダヤの神秘主義であるハシディズムにかつてあれほど心を奪われたのか。その理由が今、紀闇の中で初めて明瞭になった。神の創造の際、この世に散らばせられた流謫の火花とは、まさに彼ら難民のことなのだ。紀闇は修士論文で思想として把握し叙述したものが、今ここで肉体をもって現存しているのだと感じていた。
かつて目指していたアカデミズム、大学の教師という地位のことを紀闇は考えてみた。このウィーンにも多くの日本人留学生が研究のために訪れ、キャリアを積み、日本に帰って大学教師のポストを得ている。いずれは大学教授や名誉教授、御用学会の理事や会長にでも収まるのだろう。だが、それは自分が向かうべき道だろうか。紀闇の心に旧約聖書の創世記第13章にある逸話が思い浮かぶ。それは「信仰の父」と称されるアブラハムが、まだアブラムと呼ばれていた時代のこと。アブラムの一族は親類であるロトの一族と共に旅の途上にあった。しかし両者の間に諍いが生じる。アブラムはロトに、別々の道に分かれることを提案する。ロトはソドムの町の近くが潤っているのを見て、そちらの道を選ぶ。ソドムが既にその罪深さで知られていたのにも関わらずである。アブラムはロトと分かれ、カナンの地へ進む。ロトが向かったソドムのほうは、後に神によって、天からの硫黄と火によって滅ぼされることになってしまう。ロトの選択。それは紀闇にとって、アカデミズムの栄誉にすがろうとする道に他ならなかった。滅びに導こうとするその誘惑に、なんとしても背を向けねばならなかった。
さらに紀闇の心に浮かんだのは、新約聖書のルカによる福音書第15章にある、いわゆる放蕩息子の話だった。ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父親から自分の分の財産を受け取るが、それを遠くの地で散財し尽してしまう。その地方で飢饉が起こり、困窮した弟は、父のもとに帰って、雇人の一人にでもしてもらおうと考える。帰ってきた息子に父はすぐに気づき、走り寄ると、その首にすがって接吻する。自分は道をふみはずしたと詫びる子に、父親は言う。「いそいで、いちばんいい晴れ着をもってきてこの子に着せ、手には指輪、足にはサンダルをつけさせなさい。そして、よく肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。みんなで食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだ」。自分はこの放蕩息子に他ならないのかもしれない、と紀闇は考える。ウィーンという異国の地で長らく暮らし、日本の大学で積み上げてきたキャリアや信用は蕩尽してしまった。その道をふみはずした自分を、接吻して迎えてくれる父とは何者だろう。それは断じて大学の人間ではないだろう。
なぜ自分はこの道から外れた道を選んだのだろうか。かつて浪人時代、山本義隆に出会ったからだ。少年時代、『ブラック・ジャック』を読んで魂を掴まれたからだ。文学とは紀闇にとって、もはや研究の対象ではなかった。それは真の文学ではなく借り物の体験、エレミヤ書にいうところの「水を溜めることもできないすぐ壊れる水溜」に過ぎないだろう。文学とは、アクセサリーじゃない。自分が生きる道だ。かつてカフカの文学にそれを感じ取ったように。紀闇が望んだのはカフカの研究者になることではなかった。彼のソウルメイトになりたいのだ。それはカフカについての論文や評伝を書いたりその翻訳をしたりすることではなく、カフカのように生きること。プラハの労働者災害保険局に勤めながら、貧しく傷ついた労働者をいたわり支えるカフカ。お気に入りの人形を無くしてしまった少女のため、人形の代わりに手紙を書き届けてあげるカフカ。仕事が終わり、家族が寝静まった自宅で一人、執筆のためペンを走らせるカフカ。
ドイツ語の授業を終え、路面電車を乗り継ぎ帰宅する。そんな紀闇の心には新たな人生の展望が開けつつあった。
紀闇はウィーンを去り、日本に戻ることを決意した。市民大学やウテ・ボックの学生たちに別れを告げるのは辛かったが、紀闇の思いを告げると、彼らは前途の幸運を祈ってくれた。最後の授業では、ワインや本や花束を手渡してくれた。
マリアやKIZUNAのメンバーもお別れの会合を催してくれた。場所はマリアと初めて会ったカフェ・アイレス。ご当地のワインやビール、子牛肉や白アスパラガスを用いたウィーン料理。もう当分味わうことが出来ないのかと思うと、自分の生まれ育った国との遠さを改めて実感した。別れの際、メンバーと再会を約束し、祝福を交わし合った。
久しく離れていた故国。しかし新たな居住地としたのは、大学のあった東京ではない。紀闇の故郷の近く、ある港湾都市に校舎を置く日本語学校を訪ねた。ウィーンで最後の日々を過ごす頃、紀闇はインターネットで、日本で学ぶ外国人留学生の増加を知らせるニュースに度々触れた。彼らは主にアジア諸国から、日本で学び働くために日本に来ていると言う。西欧諸国のように、移民国家になりつつある日本。紀闇の決意とは、その日本で外国人に日本語を教え、彼らの生活を支援しようというものだった。それはウテ・ボックの志を継ぐ仕事だと思えた。
日本語学校に連絡し、講師として応募したい由を告げると、すぐに採用のための模擬授業と面接の日を知らされた。その日、紀闇はスーツ姿で学校を訪れ、小さな教室で教師たちを学生役とした模擬授業を行い、応接室で面接に入った。面接を担当したのは眼鏡をかけた小柄な女性で、その学校の副校長だと言う。紀闇がウィーンで日本語やドイツ語の教師、ウェブライター等の仕事をこなしてきたことを語ると、彼女は小さな体をゆすって面白がってくれた。無事採用が決まり、その日本語学校で教員を務めることになった。
紀闇の日本語学校での勤務が始まった。ウィーンですでに日本語教師の仕事は経験していたが、日本の学校でのやり方は全く異なるものだった。かの地では、学生はみなドイツ語を理解できるため、文法事項等は基本的にドイツ語で説明すれば良かった。しかし日本の学校の留学生の出身国、母語は多様だ。中国語にベトナム語、ネパール語にシンハラ語、ベンガル語にインドネシア語。そうした諸言語に紀闇は通じていない。したがって、共通言語としての英語はある程度通じるものの、日本語によって日本語を教える、というやり方、つまり直接法に熟達することが求められていた。特に初級クラスを担当するときは、難解な言い回しを避け、平易な表現で意思疎通を図る能力が必要だった。
昔は日本語教師と言えば外国で日本の古典や近代文学を教えるようなイメージだったが、今は変わった。学生の多くは、トヨタやホンダといった日本の大企業、日本のアニメやゲームに憧れ、何より先進国である豊かな日本で働き稼ぎたいという志を持ってやって来る。しかし日本語学校に入学し、月日が経つとともに、学習意欲が低下する学生が増えていくのが教師たちの悩みの種だった。日本である程度暮らしていると、生活に必要な言い回しは大体覚える。何か困ったことが起きたら、日本語が上手な同国出身者にでも頼ればいいや。そんな思いが、日本語学習のモチベーションの低下を招く。紀闇はウィーン滞在時、同じような理由からドイツ語の習得を放棄するようになる日本人留学生を目にしていたので、その気持ちがなんだか理解できた。しかし、言語とは単なる意思疎通の手段ではない。かつて文学を学んだ紀闇には、それを学生たちに伝えることが使命だと思われた。
「皆さんが日本に来てくれて嬉しいです。でも、皆さんはお客さんじゃありません。日本の社会を一緒に作るメンバーです。自由や権利があります。でも、責任もあるんです」。
そんなせりふを学生たちに口癖のように言い続けた。
地域からの、学生を巡る苦情も悩ましかった。ゴミの分別をまたしていない。夜中に大声で騒がれると迷惑だ。ただ夜中に外国人が集まっていた、というだけの理由で苦情の電話がかかってきたこともあった。
「どうせおたくの学校の生徒なんでしょ!」
そんな金切り文句を叩きつけて、唐突に電話は切られた。
この仕事をしていると、外国人に冷淡な日本社会の現状を度々味わわねばならない。日本語学校を卒業し、遠方に引っ越しをする学生の部屋探しを紀闇が手伝う機会があった。インターネットで物件を探し、不動産会社に電話をかける。そんなとき、「すみません、こちらは大家さんの意向で、外国の方の入居は遠慮させて頂いていまして」と断られることが少なくない。紀闇の脳裏に、やはりウィーンで部屋を探していたときに自分が味わった屈辱が浮かび上がる。
外国人と日本社会との共生。アピールする機会を作ろうと、ときどき教員と学生たちが一緒に、付近のゴミ拾いに出かける。軍手をはめ、トングと袋を手に、道路を見回しながら連れ立って町を歩く。煙草の吸殻がいたるところにある。学生たちは大きなゴミを見つけると競い合うように拾い上げ、ゴミ袋に放り込む。貧しさの中の明るさ。そんな姿をみるとき、紀闇は、かつてウテ・ボックの教室で出会った難民の学生たちの姿を思い起こすのだった。
その日、紀闇は午前の授業を受け持たなかった。職員室を出て、階段を上がると、踊り場でスリランカ人の男子学生の後姿を目にした。携帯電話を耳にあて、何やら話している。
「授業中じゃないの? 何やってるの?」
紀闇はやや強い口調で学生に話しかけた。こちらを振り向いた学生の目は、涙でにじんでいる。
「どうしたの?」
意表をつかれた紀闇は思わず学生を凝視した。
「かのじょが、びょういんにいます」。
学生はそう言うと、また紀闇に背中を向けて通話に戻った。
紀闇が職員室に戻ると、同僚たちが立ち上がり、ざわついていた。何か起きたのだろうか。同僚の一人に尋ねてみた。
「サチニさんが車に轢かれたんです。今、救急車で病院に運ばれているって」。
サチニはスリランカ人の女子学生で、先ほど携帯で話していた学生の恋人だった。紀闇はさらに同僚たちの会話に耳を傾けた。
話はこうだった。アルバイト先からの帰り道、サチニは自転車で横断歩道を渡ろうとした。そこへ大型トレーラーが左折してきた。運転手はサチニに気づかず、自転車ごと彼女を轢いた。巨大な車輪が彼女の左足の上に乗り、そのまましばらく止まった。悲鳴を聞いた通行人が救急車を呼んだ。サチニは救急車で、地域の大学病院に運ばれた。
彼女の容態を危惧する教員、事務員、学生たちは、学校でただひたすら連絡を待った。夕方になって、大学病院で手術が行われているという電話が入った。定時になり、学校の電灯は消され玄関は施錠され、みな家路についた。
帰宅してすぐ、紀闇は居間のテレビをつけた。
「スリランカ人留学生 大型車両に轢かれ重体」。
ニュース番組でそうテロップが付けられ、報道されていた。白い横断歩道の上に、潰れて横たわった自転車が映されている。その夜、紀闇は携帯電話をそばに置き、同僚からの連絡をじっと待った。
大学病院での長時間にわたる手術は終わったと知らされた。幸いなことにサチニの命は無事だった。ただ、轢かれた足が元のように動くという保証はまだないとのことだった。
日曜日の朝、紀闇は近所にある教会を訪ねた。事前にインターネットで調べて見つけたのだ。入口脇の看板を見ると、ちょうど礼拝が始まる前のようだった。
玄関扉を開け、礼拝堂に入っていった。正面に十字架が置かれ、脇には子を抱いた聖母マリアの像がある。左右には木製の長椅子が並んでいたが、その数はかつて東京で通った教会ほど多くは無かった。
脇のほうに、祭服を着た男性が蹲り、なにか作業をしているようだった。彼がこの教会の司祭だろう。紀闇は声をかけた。
「すみません。聖餐式に参加させていただけませんか」。
祭服の男性は顔を上げた。紀闇とさほど年は変わらなさそうだ。若々しい顔つきをしている。
「もちろんです。どうぞ座ってください」。
司祭は笑顔で紀闇に答えた。
紀闇は司祭に自己紹介をした。かつて東京の教会に通い、そこで洗礼を受けたこと。今はこの町で日本語学校の教員をしていること。ずっと教会から離れていたが、学生の一人が事故で重傷を負い、彼女の回復を祈りたくてこの教会にやって来たこと。説明を聞くと司祭は、「分かりました、私も一緒に彼女のためにお祈りします」と言った。
信徒たちが少しずつ集まり、礼拝が始まった。祈祷書に沿って進む礼拝の中で、紀闇はひたすらサチニの回復を祈った。紀闇にとって初めて、他者のために行う真摯な祈りだった。
それまでの紀闇にとって、キリスト教の信仰とは専ら知的に傾いたものだった。日本語やドイツ語で抽象的で難解な神学書を読み、聖書についても思弁的に交わされる議論に好んで耳を傾けていた。しかし今、事故で傷ついた教え子のために膝をつき、ただひたすら彼女のことを思い、神に祈り語りかけている。紀闇は、古い自分が安価な陶器のように砕け散っていくのを心身で感じていた。
かつて大阪で、本田哲郎神父を訪ねたときのことをふと思い出した。本田神父は大阪の貧民街で、ホームレスや日雇い労働者の支援を行いながら活動している人物だった。禿頭に眼鏡をかけた、小柄な老人だ。事務所の一室に木の十字架が置かれた机にパイプ椅子が並べられ、そこでミサが行われた。ウィーンで訪ねた石造りの荘厳な大聖堂と何という違いだろう。だが、作業着にストラと呼ばれる肩掛けをまとっただけの本田神父は威厳を放っていた。
古ぼけた扇風機が首を振る殺風景な一室で、20人ほどの信徒を前にした本田神父は、ミサの中で語った。
「洗礼とは、ただ教会で受ければ良いというものではありません。イエス・キリストにとって洗礼とは、盃を飲み干すこと、つまり死の苦しみを受け止めて立ち上がる過ぎ越しでした。十字架によって自分に死んで、復活のいのちによって立ち上がること。これが真の洗礼なのです。どんな人でも人生の中で、自分を死なせねばならない場面に出くわして、そして、そこから立ち上がっていくでしょう。それこそが洗礼なのです。水の儀式によって洗礼を受けたかどうかで区別をする意味なんてないんです」。
真の洗礼。紀闇はかつて、東京の教会で洗礼を受けたことで、自分は生まれ変わったのだと信じていた。医学部志望から文学部へ進路を変えることで、何かが大きく変わったのだと思い込んでいた。キリスト教の「回心」とは「方向転換」を意味する、と聞いたことがある。紀闇は方向転換など全くできていなかった。古い自分は死なず、自分自身への執着と自己肥大への欲求という暗いマグマに捕らえられていた。だが、一人の傷ついた教え子を想い神に語りかけるとき、本田神父の言葉と共に、心のうちに古い自分を裁き、かつ受け入れてくれる十字架の姿が浮かび上がった。
サチニの容態は幸いなことに、順調に回復に向かっているようだった。数日後、杖をついて彼女は学校を訪れた。その脇には恋人の学生が笑顔で寄り添っていた。
ある日、紀闇は、インターネットのニュースでSEALDsという団体の名を知った。政治的活動に参与する大学生のグループで、目下、世間の熱い注目を集めている様子だった。彼らの活動を紹介する記事の中にあった「学生運動」という言葉に紀闇は目を奪われた。山本義隆との出会いが思い浮かぶ。この団体にも代表と言うべき、創設メンバーがいるらしい。その一人は、奥田愛基と言う名だった。若者だが、すでに著書も出しているようだ。紀闇は、好奇の念からその書を覗いてみることにした。
最初のほうに、著者の自己紹介的な章がある。紀闇の故郷に近い町の、牧師の家庭に生まれたと言う。そして次の文が続いた。
「小学生の頃、先生や友だちに、「何人家族ですか?」と聞かれる度、いつも返答に困った。なぜなら、僕の家には肉親ではない「家族」がいつも住んでいたからだ」。
著者が朝、目を覚まして居間に行くと、見知らぬおじさんが座っている。そして牧師である父親が現れて言う。「この人、今日から家族だから。よろしく」。
こうした見知らぬおじさん、時にはお兄さんやお姉さんは、地元のホームレスの人たちだった。奥田の父親は牧師として、そうしたホームレス支援に尽力し、彼らを幾度も家族として受け入れ、社会復帰や自立を手助けしているのだ、と言う。
紀闇は東京の教会にいたころ、その大都市にある他のいくつかの名のある教会も訪ねて回ったことがある。だが、このような牧師に出会ったことはかつて無かった。牧師の名は、奥田知志と言うらしい。書店に行き、彼による説教集が並んであるのを見つけると、早速購入し、ページを開いてみた。
その書に収められた説教の中に、イスカリオテのユダについての話があった。最後の晩餐の後、主であるイエスを裏切り、彼を十字架につけようとするユダヤ人たちに売り払った、史上比類なく悪名高き男。クリスチャンも、いやクリスチャンであればこそ、恩知らずの裏切り者であるユダを蔑み、憎んできた。だが、奥田の主張はそれに逆らうものだった。
「ユダがもし救われないのなら、あるいは世の中で赦されない人が一人でもいるということになれば、神の救済は不完全だと言わざるを得ないのです」。
神様は、ユダをも決して見捨てない。これが奥田のメッセージだった。その話はこうだ。イエスを裏切り自ら命を絶ち、地獄に落ちたユダは、そのことを激しく後悔した。自分はイエスになんということをしてしまったのだろう。そして陰府の底で気づく。自分は帰るところを間違えた。ユダヤの祭司長や律法学者のもとではなく、イエスのところに帰るべきだったのだ。そんな苦悶するユダの前に、突如傷ついたイエスが現れ、彼を抱きしめて言う。
「ユダよ、帰れ。お前が帰るべきは私のところなのだ。私こそがお前の帰る場所、ホームなのだ。私はお前よりも先に地獄に下り、お前の受けるべき裁きを受けた。お前の罪は裁かれた。大丈夫だ。お前は許された罪人としてこれからも生きるのだ。私と一緒においでなさい。さあ帰ろう」。
そうしてユダはイエスの懐に抱かれて天に昇ったと言う。
何という聖書の読み方だろうか。紀闇はこれまでも教会での説教は幾度も聞いてきた。大学時代、キリスト教学科の授業に出席し、神学者による様々な解釈も耳にした。だがかくも大胆に、ユダを愛するイエスを描いてみせたものにはお目にかかったことがなかった。
奥田が司牧する教会は、紀闇の住まいからさほど遠くはない。その教会のホームページの情報から、次の日曜日に礼拝が行われることを知った。訪ねてみよう。その夜、興奮を抑えきれぬまま、紀闇は眠りについた。
日曜日の朝、電車とバスを乗り継ぎ、その教会にたどり着いた。木造の建物の二階に、やはり木造らしき十字架が飾られてある。目立った看板は見当たらなかった。
扉を開けて入ると、正面に黒髪でスーツ姿の若々しい男性が立っていた。紀闇と目が合うと微笑みを浮かべた。男性は石橋と名乗り、この教会の牧師の一人だと言った。
「初めて教会に来られたんですか?」
石橋牧師の質問に、紀闇は、かつて別の教派の教会で洗礼を受けたが、奥田知志牧師の活動を知り、興味を持ってこの教会に来たのだ、と答えた。石橋牧師は頷き、どうぞこちらへ、と紀闇を招き入れた。
その教会の内部もほぼ木造のようだった。天井が高い。長椅子が四列に並び、会堂正面の高い位置に十字架が飾られている。これまで訪ねて来た教会に比べ、随分と簡素な作りのようだ。「軒の教会」と呼ばれていることを後で知った。
石橋牧師に着いて行くと、やはりスーツ姿で白髪混じりの、恰幅の良い男性が立ち上がり、こちらへと歩いてきた。その顔には柔らかく、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「ようこそ。私が奥田です」。
深みのある低い声で、奥田牧師は紀闇を迎えてくれた。
二人の牧師に挨拶したのち、紀闇は、この教会の他の信徒たちと交わる時を持った。話をするうちにすぐに分かったのは、彼らが様々な過去を背負っているということだった。かつてホームレス生活を経験した者、極道だった者。家族から激しい虐待を受け、そこから逃げ出して来た者。難病を患う者。いじめやパワハラを受け、何度も自ら命を絶とうとした者。新来者である紀闇を囲み、明るく笑い語りあう中で、彼らのそうした背景が少しずつ明らかになっていった。
信徒の一人が、礼拝堂の脇にある小さな納骨室へと案内してくれた。扉を開けて入ると、灯りがつき、沢山の顔写真が並んでいるのが見えた。微笑みを浮かべた顔。ちょっと気取った顔。愁いを含んだ顔。彼らはみな、身寄りがなく亡くなった者たちで、その部屋の床下に、骨が納められているのだと言う。写真のそばには、お供え物らしき包みがいくつか置かれていた。この教会は、そんな死者たちと共に生き、歩んでいるのだ。紀闇はじっと立ち尽くし、その幾枚かの顔写真に見入っていた。
しばらくして、礼拝が始まった。正装した女性が正面に立ち、マイクを通して教会の標語を読み上げる。
「神様はどうでもいい命をおつくりになるほどお暇ではありません」。
どうでもいい命。それはかつてこの教会を訪れたある若者が、口癖のように連呼していた言葉だそうだ。
「俺の命なんかどうでもいいんだ!」
その若者にどのような背景があるのかは分からない。ただそれは、生に倦み疲れ苦しむ者が耐え切れず上げる、普遍的な叫び声だと思われた。この教会の標語は、その叫びに応えようとするものなのだろう。
ピアノの伴奏と共に、皆で讃美歌を口ずさむ。そしていよいよ、奥田牧師の説教が始まった。
奥田牧師が説教の中で語ったのは、ホームレス支援で自身が体験した出来事だった。冬の寒さの中、段ボールを被って横たわるある身寄りのない男性は、声をかけた奥田牧師に向かって言った。
「先生。私はね、いつも寝る前に祈っているんです」。
素晴らしい、何と信心深いことだ、と奥田牧師は一瞬思ったそうだ。だが、男性は続けた。
「いや先生、私は神も仏も信じちゃいません。ただいつも、寝る前に祈っているんです。このままずっと目が覚めませんように、ってね」。
その教会で初めて紀闇が体験する礼拝が終わった。信徒たちと別れの挨拶を交わし、紀闇は家路へとついた。
その次の礼拝の日、教会を訪れた紀闇は石橋牧師に、この教会に正式に加入したい由を伝えた。
「それでしたらさっそく今週からでも、転入会クラスを始めることに致しましょう」。
石橋牧師の説明によれば、ここの教会員になるために、すでに他の教会で洗礼を受けた紀闇がまた受洗式を行う必要はないそうだ。ただし、奥田・石橋両牧師による転入会クラスに参加し、その間に自分の「信仰告白」を書き上げねばならない。そしてクラス修了後の礼拝で、信徒たちの前でその信仰告白を開陳し、彼らの賛同を得ることで、紀闇は初めて新たな信徒として承認される、ということだった。そういうわけで、紀闇はまず石橋牧師のクラスに参加することになった。予定を打ち合わせ、日取りを決めていった。
転入会クラスは教会堂の奥にある小さな部屋で行われた。円形のテーブルに、紀闇と石橋牧師は向かい合った。二人の手元には、分厚い聖書が置かれている。
石橋牧師による祈りの言葉の後、紀闇の最初のクラスが始まった。牧師は聖書を開き、少しはにかんだような面持ちで、そこに記された一つの聖句を朗読した。
「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。
マタイによる福音書第五章にある、イエスの言葉だった。石橋牧師は紀闇のほうをじっと見つめて言った。
「今までどんな行いをしてきた方でも、神様は分け隔てなく受け入れて下さいます。私が一番好きな聖書の言葉です。紀闇さん、どうぞ気兼ねなく、紀闇さんの歩んで来たこれまでの人生の道筋、紀闇さんにとっての信仰のことを、このクラスで語ってください」。
まだ慣れぬ新参の教会で、知らず知らずのうち寄留者の気持ちでいた紀闇の緊張を解きほぐす言葉だった。紀闇は年若の石橋牧師の前で、自分の生涯の出来事を思い起こしながら語り始めた。
この教会からさほど遠くない地方の町で、代々続く開業医の家庭に生まれたこと。将来医者になるために、大学進学実績で知られた私立の中高一貫校に進み、寮生活を送ったこと。その学校で落ちこぼれ、医大受験に失敗し、東京の予備校に入ったこと。その浪人時代、かつて全共闘を率いて闘い、大学を去り、予備校教師になった男と出会ったこと。大学は結局、医学部ではなく文学部に入学し、ドイツ語とドイツ文学を専攻したこと。そして新たに生まれ変わりたいという思いから教会に通い出し、洗礼を受けたこと。大学卒業後、大学院に進み、さらにウィーンに留学したこと。そのウィーンで初めて日本語教師の仕事を体験したこと。一方で難民にドイツ語を教えた経験から、外国人支援を生涯の仕事と考えるようになり、日本に戻って日本語学校の教員になったこと。
記憶をたぐりつつ、たどたどしく語る紀闇の言葉に、石橋牧師は一つ一つあいづちを打ちながら応えた。不明瞭な箇所があれば、「そのあたりをもう少し詳しく話して頂けませんか」と内省を促し、話がまとまった形になれば「面白いですね」と目を細めた。
そうしてクラスを重ねるうちに、紀闇は数ページの信仰告白をなんとか書き上げた。教会に持参し、石橋牧師の前でそれを朗読した。
紀闇が語る信仰告白を、石橋牧師は目を閉じてじっと聴いていた。語り終わると、牧師は紀闇のほうに眼を向け、深く頷いて言った。
「私のクラスはこれで終わりにしましょう。次回からは、奥田先生のクラスに参加してください。紀闇さんの前途に神様の祝福がありますように」。
奥田牧師による最初の転入会クラスの日。教会の同じ小部屋で、紀闇は牧師とテーブル越しに向かい合い、石橋牧師のクラスでまとめた信仰告白を読み上げた。
紀闇が読み終えるやいなや、奥田牧師は両の拳を握りしめて叫んだ。
「面白い! まるで小説のようだ!」
それから牧師は、何か遠くを見るような眼差しをしながら、自分自身の生い立ちについて淀みない口調で語り始めた。奥田牧師が幼少のころから通っていた教会は、同じプロテスタントでもこの教会とは教派が異なり、厳格な教条主義によって知られていたそうだ。その教会の司牧者、つまり奥田牧師に洗礼を授けた牧師は、やはり原理主義的な信条の持ち主で、「いいですか、人は洗礼を受けてクリスチャンにならない限り、みんな地獄に落ちてしまうんですよ」と繰り返し幼い奥田少年に説いていた。その牧師は教会にいようと居間にいようと寝室にいようと熱心な祈りを欠かさなかった。信徒を車で送迎するといったようなときでさえも「神様、この車が事故に会わないようお守りください」といちいち手を合わせ念じていたという。そんな中、奥田少年は成長し、自身が牧師になることを決意する。しかし、司牧に選んだのは別の教派の教会だった。そのことを件の牧師に伝えると、彼は深刻な面持ちで奥田牧師に尋ねてきたそうだ。
「その教会は、お酒を飲んでもいい教会ですか?」
奥田牧師の軽妙な語りに、紀闇も溢れ出す笑いをこらえることが出来なかった。語り終えると、奥田牧師は笑みを浮かべたまま居住まいを正して言った。
「では、今日は私たちお互いの自己紹介ということで。次回からは、聖書の学びを始めましょう」。
その言葉の通り、次の奥田牧師のクラスからは、聖書を土台とした学びが始まった。神様が、私たちの髪の毛までを一本残らず数えているとは如何なることか。十字架にかかる前、イエスがゲッセマネの園で、「私の望みではなく、御心のままに」と祈ったのは何を意味しているのか。「神の子なら、石をパンに変えてみよ」と試みた悪魔に、なぜイエスは奇跡をもって応えなかったのか。姦淫を犯した女の罪は、イエスの言葉によって赦されたのか。情欲の目で女を見ることがすでに姦淫であるなら、私たちはどうしてこのような体を持っていられるのか。祈るときにはどんな言葉でどんな思いを込めればよいのか。私たちは自分でも聖書を読めるのに、どうしてそもそも教会が必要なのか。奥田牧師自身がクリスチャンだけでなくあらゆる人はすでに救われていると説いているのに、なぜそれでも私はクリスチャンであろうとするのか。
奥田牧師はチラシの裏に黒のサインペンで鍵となる言葉を書きなぐりながら、紀闇に一つ一つの問いを投げかけていった。紀闇は問われる度に自分の経験や思いを顧みながら言葉を紡ぎ出そうと試みた。その日のクラスが終わるごとに、奥田牧師は黒く太く荒々しい自身の筆致が映えるチラシの裏紙を紀闇に渡してくれた。帰宅すると紀闇は、それをファイルに一枚ずつ大事に綴じた。
奥田牧師のクラスが修了し、いよいよ紀闇が信徒たちの前で信仰告白を語る礼拝の日がやって来た。会堂の前方に進み出て、マイクを前にし、会堂を埋める信徒たちに向かって紀闇は自分が書いた信仰告白を読み上げた。結びの言葉を述べた後に、石橋牧師が立ち上がって言った。
「今の紀闇さんの信仰告白が、私たちの教会の信仰告白だと思う方は、挙手を願います」。
信徒たちの手が一斉に挙がった。紀闇は教会員として受け入れられたのだ。
礼拝後、信徒たちは紀闇のそばに集まり、それぞれに趣向を凝らした祝福の言葉をかけてくれた。そうして彼らが各々の作業のために散ったのち、一人の男性が紀闇に静かに近づいて来てふり絞るように囁いた。
「私も同じなんです。私も薬屋の家庭に生まれて、浪人を繰り返し、意に沿わず薬学部に進まなければならなかったんです」。
新たに教会員に加わった紀闇の指導に当たってくれたのは、牧野という先輩信徒の男性だった。牧野は大学時代に神学を専攻したそうで、この教会だけでなく様々な教会の事情に通じていた。かつてこの教会が経験した分裂の危機について、牧野は紀闇に語ってくれた。
奥田牧師がこの教会に赴任したばかりの頃は、教会員の大半は代々続く古参の信者だったそうだ。だが、教会活動の傍らホームレス支援に当たっていた奥田牧師は、教会にホームレスの人たちをも招き入れた。礼拝の際、席のいくつかを、汚れた衣服を纏い、ぼさぼさに伸びた髪と無精髭、そして異臭を放つ得体の知れないホームレス男性が埋めるようになった。奥田牧師が説教をしているとき、突然がたんと物が落ちたような響きがする。居眠りをしていたホームレス男性が椅子から転げ落ちたのだ。礼拝が終わり、昼食の時間になると、彼らは食堂の間に向かい、無料で与れる熱々のうどんを嬉々としてすする。
「あの人たちは一体、何をしに教会に来ているんですか!」
少なからぬ古参の信徒は、そう言って奥田牧師をなじった。もうついて行けません、と捨て台詞を残して何人も教会を去って行った。そうして教会員の数は激減した。しかし、牧師の支援活動の評判を耳にして、少しずつ賛同する者が集まるようになる。もちろん紀闇もそうした一人だった。今では教会員の数は、かつての人数を越えるまでになった。
奥田牧師が代表を務めるホームレス支援NPO法人がある。その炊き出しの活動に、紀闇もボランティアとして参加したことがあった。
すでに薄暗くなった夕刻、現地に集まったスタッフやボランティアがいくつかの白テントを立てる。灯りが灯され、長机や椅子が並べられる。炊き出しの列に並ぶ人たち。おそらくはみなが野宿者とは限らないが、何か事情があってここに来ているのだ。時間が来ると、弁当やコーヒー、薬が配られる。弁当の一つ一つには、手書きのメッセージが添えられている。弁護士による無料の法律相談コーナーも置かれていた。
白テントには、団体の標語が黒字で記されている。
「あんたもわしも、おんなじいのち」。
炊き出しの列に並ぶ人たちを見て、紀闇はウィーンで出会った難民の人たちのことを想い起こす。どちらもどこか遠慮がちだが、人懐こい笑顔やつぶらな瞳にははっきりと生きる意志が認められた。難民にもホームレスにも、その生き方には常に危うさが潜んでいる。「あなたたちはこの社会に寄生して生きているんじゃないですか?」という非難の声にさらされる危険だ。しかし、「おんなじいのち」である私たちの間にある真の関係とは、寄生ではなく共生というありかたなのだ。そうした理想の実現のためにこそ、奥田知志やウテ・ボックのような人物が必要なのだろう。
奥田牧師の教会を舞台にしたドキュメンタリー映画がある。教会で催された上映会で、紀闇もその映画を観ることが出来た。
紀闇が知り合った元やくざ、元ホームレス、重度の虐待を体験した信徒らが登場し、それぞれの過去を語る。その信徒らが演じる受難劇の様子も映される。イエスを演じているのは、元やくざの信徒だ。
映画には子供たちも登場している。その子供たちが歌を口ずさむ場面がある。
「イエス様と一緒なら、闇の中でも歩いていける」。
この歌詞は、実は聖書の言葉に反している。ヨハネによる福音書第八章に記されているのは、イエスに従う者は「闇の中を歩まない」という言葉なのだ。だが、奥田牧師はこの相違にこそ、この教会の現実があると言う。この教会を訪れる人々は、たとえ洗礼を受けようとも、未だ闇を抱えたままでいる。悩みは尽きず、諍いは絶えない。私たちの信仰とは、その闇の中を共に歩んで行くことに他ならないのだと。
「私たちはみな、癒すことの出来ない「傷」を抱えています。そうした人たちが作る連帯のことを「きずな」と呼ぶのです」。
そのようにして奥田牧師はこの教会のありかたを人々に教示して見せた。
紀闇の勤務する日本語学校では、年ごとに様々なイベントが繰り返される。お花見に七夕、スピーチ大会にクリスマスパーティ、ピクニックに研修旅行。そうしたイベントの中でも毎年三月に行われる卒業式はとりわけ感慨深い。およそ二年に渡って関わってきた学生たちがスーツ姿で集い、誇らしげに卒業証書を受け取る。花束やプレゼントを持参して教師に贈ってくれる。クラスで撮る各年の卒業の記念写真を、紀闇は宝物の様に大切に自分のパソコンのフォルダに収めていた。
紀闇久寿也はかつてアカデミズムの場に身を置いていた。大学でドイツ語やドイツ文学を教授する道を未来に描いていた。だが実際に彼の仕事の場となったのは、町の小さな日本語学校だ。ここに至る人生の歩みを振り返るとき、紀闇の心に、かつて籍を置いた教会で見知った祈りの言葉が浮かび上がって来る。すなわち神様とは「わたしたちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方」であると。そのとおり、紀闇の願いは彼の心をはるかに越えてかなえられていた。
この日本語学校の授業で、紀闇がドイツ語を使う機会は今のところ無い。ここの学生たちはドイツ語圏と縁を持たないのだ。日本の地方都市での日常生活でも、もちろんドイツ語が活躍する場面は無い。それでも紀闇にとってこの言語は今も誇らしく、外国人支援の象徴となってその胸の中に深々と刻まれている。
授業で文学作品を講ずることも無いだろう。だが紀闇は、自分が文学者であることを忘れることは無かった。それは結局、言葉に希望を置き、その希望を言葉で伝えて行くという生き方そのものの問題なのだ。日本語教師であることと、文学者であること。この二つは、紀闇の中で分かちがたく同居している。ちょうどカフカの掌編に登場する半分は猫、半分は羊という奇妙な動物のように。
紀闇はこれまでどこにいても、なぜか自分はよそ者、異邦人であると感じて来た。その他者との隔たりは消え去ったわけではない。むしろ日に日に存在感を増してさえいる。しかし、その隔たりをかけがえなく愛おしく思う心情が、紀闇の人生の歩みの中で確実に芽生えて来ていた。
勤務のある平日の朝、紀闇はたいてい自転車で学校にやって来る。朝礼を終え、授業の支度をする。そんなとき、奥田牧師が最後のクラスで語った言葉が紀闇の記憶の中に鮮明に甦る。
「紀闇さん、あなたが自分らしく生きるのは良いことだ。だがこれからは、周りの人たちが自分らしく生きられるよう助けなければなりません」。
授業開始を告げるチャイムが響く。ドアを開け、学生たちが待つ教室に入る。紀闇は日直の学生に目で合図を送る。日直の号令と共に、学生たちは立ち上がった。
※聖書からの引用は、『小さくされた人々のための福音』(本田哲郎訳)および聖書協会共同訳による。その他の引用は、山本義隆『知性の叛乱』(前衛社)、本田哲郎『釜ヶ崎と福音』(岩波書店)、奥田愛基『変える』(河出書房新社)、奥田知志『ユダよ、帰れ』(新教出版社)による。




