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お気楽転生道中  作者: 憂姫


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9/10

9

魔獣の巨大な前脚が振り下ろされる瞬間、リナは反射的に叫んでいた。


「ハル――っ!!」


 土煙が舞い、空気が圧迫される。

 普通なら、その一撃を前にして立っていられる人間はいない。


 けれど。


「おっと……」


 ハルは一歩、ほんの少しだけ横へずれた。

 それだけで、魔獣の爪は空を切り、地面を深くえぐる。


 轟音とともに畑の土が抉れ、作物が宙を舞った。


「うわぁ……畑、すごいことになってる……」


「感想そこなの!?」


 リナは思わずツッコミを入れつつも、視線はハルから離せない。

 魔獣の一撃を、まるで散歩中に飛んできた枝を避けるかのようにかわした、その動きが信じられなかった。


 魔獣は一瞬動きを止め、こちらを睨みつける。

 低く唸る声が腹の底から響き、威圧感が周囲を包んだ。


「ねぇ……君、ちょっと落ち着こ?」


 ハルは両手を軽く上げ、敵意がないことを示すような仕草をする。


「がおおおおおおっ!!」


「やっぱり無理だよね!」


 咆哮と同時に、魔獣が再び突進してくる。


 リナは歯を食いしばり、武器を構えた。


「ハル! 一人でやろうとしないで! 私も――」


「大丈夫! リナは下がってて!」


 その声は、妙なほど落ち着いていた。


 ハルは前に出る。

 地面を蹴る音は軽く、それでいて確かだった。


 魔獣の巨体が迫る。

 影が完全にハルを覆い、視界が暗くなる。


「……よいしょっと」


 その言葉と同時に、ハルの掌が魔獣の胸元に触れた。


 叩いたわけではない。

 殴ったわけでもない。

 ただ、押しただけだった。


 次の瞬間。


 魔獣の巨体が大きくのけぞり、足元の土をえぐりながら後方へと吹き飛ばされる。


「………………え?」


 リナの口から、間の抜けた声が漏れた。


 どさり、という鈍い音を立てて、魔獣は畑の外れに転がる。

 土煙が晴れると、魔獣はしばらく起き上がれずにいた。


「い、今の……なに……?」


「うーん……ちょっと力入れすぎたかな……?」


「ちょっとであれなら、全力はどうなるのよ……」


 リナは震える声で呟いた。


 その間にも、先ほどまでハルを囲んでいた狼型魔物たちは、完全に戦意を失っていた。

 低い鳴き声を上げながら、魔獣をちらりと振り返り、森の奥へと逃げ出していく。


「……あ、逃げた」


 ハルはほっとしたように肩を落とした。


「よかった……これ以上ケガ人出なさそうだね」


「よかったで済ませる規模じゃないわよ!!」


 リナは思わず叫び、すぐにハルの胸ぐらを掴んだ。


「ねぇ! 本当に無茶しないでって言ったでしょ!?」


「えっ、無茶だった?」


「無茶の極みよ!!」


 怒鳴りながらも、リナの手は微かに震えていた。

 それに気づいたハルは、きょとんと目を瞬かせる。


「……もしかして、心配してくれた?」


「当たり前でしょ!!」


 リナは顔を真っ赤にして言い切った。


「あなたがケガしたらどうするのよ!旅、まだ始まったばっかりなんだから……!」


「……ごめん」


 ハルは素直に頭を下げた。


「でも、ありがとう。

 心配してくれる人がいるの、すごく心強い」


 その言葉に、リナは一瞬だけ言葉を失い、ぷいっと顔を背けた。


「……そういうの、さらっと言わないで」


「?」


「もう……」


「???」


 戦闘後魔物たちが森の奥へ逃げ去り、畑に静けさが戻ったあと、ハルの頭には大量の疑問符が浮かんでいた。




 ハルは倒れて動かなくなっている狼型魔物たちを見渡していた。


「うーん……」


「……なに、その嫌な間」


 リナが警戒する。


「ねぇリナ。このまま置いて帰るの、もったいなくない?」


「……は?」


 リナは一瞬、意味がわからないという顔をした。


「だってほら、これ魔物でしょ?毛皮とか、牙とか……村で使えるかもしれないし」


「そっちの意味!?」


「うん! 村の人たち、畑も荒らされてるし、少しでも足しになればいいなって」


 リナは呆然と魔物とハルを見比べたあと、深くため息をついた。


「……あんた、戦闘後の発想が生活者すぎるのよ……」


「そう?」


「そう!!」


 とはいえ、言っていることは間違っていない。

 村にとっては、魔物の素材は貴重な資源だ。


「……私たちだけじゃ運べないでしょ。とりあえず1匹持ち帰って、村から人手を借りましょ」


「大丈夫!」


 ハルは満面の笑みを浮かべる。


 

 無力化していた魔物のうち、状態の良いものを数匹選び、ハルが軽々と担ぎ上げることになった。


「ちょっと待って……それ、一人で持つ量じゃないでしょ……」


「え? 軽いよ?」


「おかしいわよ!!」


 リナが叫ぶ横で、ハルは魔物を肩に担ぎ、もう一匹を腕に抱える。


「よし、じゃあ帰ろっか!」


「ちょっとした買い出し感覚で言わないで!!」


 


 村へ戻る途中、松明の灯りを持った村人たちがこちらに気づき、ざわめきが起こった。


「お、おい……!」

「あれ……魔物じゃないか!?」

「倒したのか!?」


「こんばんはー!」


 ハルは元気よく手を振った。


「畑を荒らしてた魔物です!もう大丈夫ですよ!」


「……大丈夫どころか……」


 村人たちは、ハルが担いでいる魔物を見て言葉を失った。


「こ、こんなものを……一人で……?」


「いえ、リナも一緒に!」


「いや私は指示しただけだから!!」


 リナは即座に否定する。


 


 村に到着すると、事態を察した村人たちが一斉に集まってきた。


「畑は……?」

「作物は……?」


「被害はありますけど、これ以上は大丈夫です!」


 ハルは笑顔で答えた。


「それに、魔物の素材、村で使ってください。毛皮も肉も、きっと役に立つと思います!」


「まだ、畑の方に残っています。村の人手を貸していただけますか?」


 その言葉に、村人たちは目を見開いた。


「…………」


「俺が行くぜ!」

「まてまて運ぶなら荷車が必要だろ!」

「男連中集めてこい!!!」



 沸き立つ村人達を背に村長が震える声で言う。


「本当に……なんと礼を言えばいいか……」


「いえいえ! 旅の途中ですし!」


 あくまで軽い調子のハルだった。


 


 用意された家で休むことになり、暖炉の火が灯る。


「……正直、助かったわ」


 リナが小さく呟く。


「魔物を追い払っただけじゃなくて、村の人たちの生活のことまで考えてたんだもん」


「え? 普通じゃない?」


「普通じゃないから困ってるの!!」


 そう言いながらも、リナの声は少し柔らかかった。


 


 スープを飲み、身体が温まったあと、村長から森の話が出る。


 地面が崩れた洞穴。

 妙な気配。

 魔物たちが追い出された理由。


「やっぱり……森の奥が原因っぽいね」


「ええ。だから、明日様子を見に行く必要がある」


「もちろん一緒に行くよ!」


「当たり前でしょ」


 


 夜。

 寝床に腰を下ろしながら、ハルはぽつりと言った。


「今日さ……魔物、怖かった?」


「……ちょっとね」


「でも、ちゃんと一緒にいられてよかった」


 リナは少し黙ってから、静かに答えた。


「……ええ。あんた一人だったら、絶対無茶してた」


「それは否定できない!」


 二人は小さく笑う。


 


 畑は守られ、魔物は持ち帰られ、村に少しの余裕が生まれた。

 だが問題の根は、まだ森の奥に残っている。


 それでも、ハルの表情は明るかった。


「よし。明日は森探検だね!」


「探検じゃないから」


 そんなやり取りを交わしながら、二人は静かな夜に身を委ねた。


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