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短剣とお守りを手にしたあとも、ハルは町の通りをゆったりと歩いていた。
どの店も賑やかで、香辛料や焼きたての肉、甘い果物の香りが入り混じり、歩くだけで胸が躍る。
そんな中でも、ハルは自然と“困っていそうな人”を探してしまっていた。
「……あ、あの人……?」
視線の先にいたのは、荷物をうんしょと持ち上げている中年男性。
重そうな木箱を、店の軒先から道路へと運び出し、汗が額から滴り落ちている。
「おじさん、大丈夫ですか? 手伝いましょうか?」
「ん? おぉ、助かるよ! 若いのに親切だな!」
「慣れてますから!」
ハルは軽く笑って木箱を持ち上げた。
――が、その瞬間、力加減を間違えてしまった。
木箱が軽々と持ち上がってしまい、勢い余って頭上まで上がってしまう。
「うおっ!?」
「ひぃっ!?」
周囲の人々も驚きの声を上げる。
「す、すごいな! そんな軽々と……!」
「いや〜、箱が軽かったんですよ。うんうん、箱が。」
「いやいや、うちの箱は中に石材がぎっしりだぞ!?」
「……え?」
ハルは木箱をそっと地面に置いた。
思っていたよりはるかに重い。
つまり――
(あれ? ぼく、これ……普通に持ち上げちゃった?)
内心で驚きながらも、表情はいつも通りゆるい。
「ありがとうございました! いやぁ、本当に助かった!」
「いえいえ! 気をつけて!」
そんな何気ないやりとりの中、通りの先から一人の若い男性が息を切らしながら駆けてきた。
服はどこかくたびれているが、瞳には緊張と焦りが浮かんでいた。
「あのっ! すみませんっ!!」
通りの人たちが驚いて振り向く中、その男性は真っ直ぐハルへ駆け寄った。
「た、助けてください! お願いです……!」
「えっ、ど、どうしました!?」
「さっき、南門のところで魔物が……っ! 子供が遊んでて……逃げ遅れて……!」
「子供!?」
ハルの表情が一瞬で引き締まった。
しかし次にはいつもの柔らかい笑みで頷く。
「わかりました! 行きましょう!」
迷いはゼロ。
ただ“助ける”以外の選択肢が浮かばなかった。
「だ、旦那! 南門は危険だぞ!?」
「守備隊が向かったばかりだ!」
「素人が行くような場所じゃ……!」
周囲の人々が口々にハルを止めるが、不安や恐怖は一切なかった。
「大丈夫です! ぼく、ちょっとだけ強いんで!」
「“ちょっとだけ”じゃねぇだろ……!」
先ほどの荷物騒動を見ていた人がツッコむ。
だがそんな声さえ背中を押す風のように軽やかに受け流し、ハルは迷いなく南門へと走り出した。
◆
南門付近はすでに騒然としていた。
門の前に数十人が集まり、悲鳴や怒号が響いている。
「な、なんだ……?」
ハルが近づくと、前列の人々が道をあけてくれた。
その中心には、守備隊の数名が剣を構えて魔物と対峙していた。
魔物は――狼型。
しかし通常の狼の2倍は大きい。背中の毛は逆立ち、口からは泡のような唾液を垂らし、明らかに興奮状態だ。
その足元に、怯えて座り込む小さな男の子がいた。
「ひっ……ひぃ……!」
「くそ……動くな! 今助けるからな!!」
隊員が叫ぶが、魔物の咆哮がそれをかき消した。
そして、魔物は――男の子に向かって踏み込んだ。
その瞬間。
ハルの体が勝手に動いた。
「間に合えぇぇぇ!!」
地面を蹴った瞬間、景色が一瞬で“流れ”に変わる。
まるで世界がスローモーションになったように、魔物の動きが遅く見える。
(早い……いや、ぼくが速いのか……!?)
ハルは驚きを飲み込み、そのまま一直線に子供のもとへ飛び込んだ。
「うわっ!?」
「な、なんだあいつ……!」
「速すぎる……!」
周囲の声が届く前に――
「ほいっ!!」
ハルは魔物の鼻先に掌底を軽く入れた。
軽い、はずだった。
しかしその一撃は、魔物の動きを完全に止め、勢いのまま地面へ転がし、砂埃が舞う。
守備隊員たちは呆然と固まった。
「お、おい……一撃……?」
「いやいやいや……嘘だろ……?」
「大丈夫!?」
ハルは子供の肩に手を置き、優しく言った。
「もう大丈夫だよ! 怖かったね!」
「う、うぅ……っ……!」
子供は涙を溢れさせ、ハルにしがみついた。
その小さな震えを感じながら、ハルも安心するように微笑む。
しばしの沈黙。
そして――。
「……あんた、まさか……本当に一般人か?」
守備隊の一人が震えた声でつぶやいた。
「うん、一般人ですよ!」
「どこがだぁぁぁぁぁ!!」
「えぇぇ!?」
隊長と隊員たちの怒号のようなツッコミが響くが、ハルはただ笑っていた。
「とにかく……男の子が無事でよかった!」
人々の緊張が一気に解け、あちこちから歓声が上がった。
「助けてくれた……!」
「すごい……!」
「なんて青年なの……!」
ハルは照れ臭そうに頭を掻く。
「いやぁ、ぼくなんてまだまだですよ〜」
「いや、十分すぎるんだよ!!」
隊長が涙目で叫んだ。
――この瞬間、
“風間ハル”という名は、この町で完全に“英雄候補”として認識された。
魔物が完全に倒れ、守備隊員によって縄で拘束されると、南門前の緊張が一気に解けていった。
「助かった……」
「まさか本当に……あの青年が……」
「速すぎて見えなかったぞ……!」
ざわめく隊員や町人たちを尻目に、ハルは男の子の無事を確認することに集中していた。
「どこも怪我ない? 痛いところない?」
「……うん……でも……怖かった……!」
男の子は涙をぽろぽろ流しながら、ハルの胸に顔を埋める。
ハルは背中をゆっくり撫でながら優しく微笑んだ。
「怖かったね。でも、もう平気だよ。お兄さんがここにいるから!」
「……うんっ!」
その様子を見ていた隊長は、思わず胸に拳を当て、深く息を吸った。
「……君は、本当に……」
「え?」
「本当にいい青年だ……!」
隊長の突然のしんみりした声に、ハルは少し困惑する。
「いやいや、普通ですよ! 困ってたら助けるだけで!」
「それが普通にできる奴は少ないんだ……!」
隊長はしみじみと言ってから、突然ビシッと姿勢を正した。
「ハル! 改めて礼を言わせてくれ!」
周囲の隊員たちも一斉に整列する。
「町の子供を救ってくれた。それだけで充分すぎるほど功績だ!」
「え、こ、功績……?」
「当然だとも! この町の歴史に残るレベルだ!」
「えぇぇ!? そんな大げさな……!」
「いいや、大げさではない!」
隊長の声は南門中に響き渡るほど大きかった。
ハルは苦笑しながら頭を掻く。
「でも、とにかく子供が無事でよかったですよ!」
「……普通、それを言うのはこちら側だろうに……」
隊長は困ったように笑い、そしてハルの肩に手を置いた。
「ハル、やはり正式に礼をしたい。町の“友人”として、詰め所で歓待させてくれ!」
「友人……!」
昨日、ゴドンから受けた温かさ。
今日、町人たちから受けた感謝。
そこに“友人としての歓迎”まで加わるなんて……。
胸がじんわりと熱くなった。
「じゃあ……お邪魔します!」
「よしっ!! 皆、詰め所へ戻るぞ!」
隊長の号令により南門の騒動は収まり、人々も安心した表情で散っていく。
◆
守備隊の詰め所は、町の北側にある堅牢な石造りの建物だった。
中に入ると、広々とした訓練場と、武器庫、作戦室、休憩室が整然と配置されている。
「おー……!」
ハルは素直に感嘆した。
こういう“ミリタリー系施設”は男子のロマンが詰まっている。
「おい、ハル! こっちだ!」
隊長に案内されて入った食堂では、十数人の隊員が既に座っていた。
全員、ハルを見るなり立ち上がり、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとう!!」
「子供が無事でよかった……!」
「あの速さ……あんた絶対ただ者じゃないだろ!」
「えぇ!? そんなに褒めないでくださいよ〜!」
ハルは顔を真っ赤にして手を振った。
だが隊員たちの熱は冷めない。
「お前は命の恩人だ!」
「ぜひ当隊に——」
「隊長、それ以上言うと逃げられますよ」
「お、おぅ……たしかに……!」
微妙にズレた会話をしつつも、雰囲気はとても和やかだった。
「座れ、ハル! 飯を用意させた!」
「えっ、そんな……!」
「礼なんだ。遠慮するな!」
大皿に盛られた肉料理、温かなスープ、新鮮な野菜、そして香り高いハーブ茶。
町で食べた朝食よりもさらに豪華だ。
「ぼく、こんなに食べられるかな……!」
「食べきれなかったら俺らが手伝う! 気にすんな!」
「ありがたい……!」
ハルは目を輝かせ、手を合わせた。
「いただきます!」
口に入れた瞬間、驚きの声が漏れた。
「うまっ……!!」
「だろう!? 町一番の料理人が作ってるんだ!」
「強いだけじゃなくて食事が美味しいとか……この町最高では……?」
「はっはっは!! だろうとも!」
食堂は笑いに包まれ、ハルも自然に輪の中へ溶け込んでいった。
料理を楽しみながら会話も弾む。
「にしても、あんな速さで魔物に突っ込むなんてなぁ……」
「訓練してないって本当なのか?」
「危なくないのか?」
「うーん……身体が勝手に動くんですよね! たぶん、昨日鍛えられたからかも!」
「昨日は魔物を倒しただけだろうがぁぁぁ!!」
「ということは……天才か……?」
「天性の戦士か……?」
「いや、どちらかといえば……努力型ではなく、直感型だろう……」
「本人、全くその自覚がなさそうだが」
「命知らずで、純粋で、優しい……」
「守りたくなるタイプだな」
「いや助けられてるのは俺たちだよ……」
隊員たちの謎の評が飛び交う中、ハルはスープを啜っていた。
「うま〜……!」
「平和だ……!」
◆
食事を終えたあと、隊長が改めてハルの前に立った。
「ハル。今日の働き、忘れない。君はこの町の友人であり、恩人だ。」
「そんな……本当に、ありがとうございます……!」
「いつでも寄ってくれ。困った時は力になる!」
「はい!」
ハルは深く頭を下げ、詰め所をあとにした。
外へ出ると、夕日が町全体を黄金色に染めていた。
子供たちが遊ぶ声、露店の賑わい、笑い声が風に乗る。
ハルは胸に手を当て、ゆっくりと歩き出した。
「今日も……誰かを助けられてよかった……」
あの刺された夜、神様と交わした会話が頭をよぎる。
『向こうの世界でも、君は君のままでいい。困っている人を助ける、その心を忘れないでほしい』
「……うん。約束通り、“ぼくのまま”で行こう」
爽やかな風が吹き抜ける。
その風に背中を押されるように――
ハルの“お気楽転生道中”は、着実に動き始めていた。




