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ノワールな月夜の明ける時まで

作者: 2626

 おでこに金属製の餌皿を落とされた衝撃で目が覚めた。



 『やい!このうすらまぬけのすっとこどっこい!オレ様の飯を用意しろ!』

悶絶する僕の頭上から黒猫のジジの怒鳴り声がする。

「い、痛い……」

『このオレ様を飢えさせるからだ、ぼんくら!能なし!早く飯を出せ!』

「わ、分かったよ……」

痛みを堪えながら起き上がり、猫缶を開けてから餌皿に盛り付ける。

『飯!飯だー!うみゃみゃみゃみゃー!』

ジジが夢中で食べている間に猫用トイレの掃除をして、空になった猫缶を片付けてから歯を磨いて服を着る。身だしなみが整ったらジジを連れて部屋を出る。

点滅している灯りに照らされる階段を下って一階にある喫茶店『ノワール』の裏口から入ると、もうマスターがカウンターを磨いていた。

「こんばんはです、マスター」

「やあ、良い夜だねイズミ君。今夜は満月だ、どうにも血が騒ぐ。情熱的な音楽が良いだろう。君のセンスでレコードをかけてくれたまえ」

「はい」

僕は年代物の蓄音機をいつものように掃除すると、棚からレコードを取り出して設置し、そっと針を下ろす。

「ショパンのノクターン……ああ、懐かしい。あの頃、私は今は無きヨーロッパの国々を遍歴していた……」

満足そうに微笑むマスターに看板猫のジジがすり寄る。

『マスター、オレ様はあの頃が嫌いだぜ。黒猫だってだけで酷い目に遭ったからな』

「今は?」

『あんぽんたんの大馬鹿が寝坊して、オレ様に餌を出すのが遅くなる以外は嫌いじゃないぜ』

「そうか」

ジジを撫でてやってからマスターは呟く。

「しかし、もう『人間』はイズミ君しかいない。私達も予期していなかった……まさか第三次世界大戦で彼以外の人間が絶滅してしまうなんてね……」




 人類初のコールドスリープ実験の成功者。それが僕である。天涯孤独の上に難病で余命僅かだったので、自ら志願した。

でも、僕が五十年ほど眠っている間に第三次世界大戦が起きて、世界は一変した。

ユーラシア大陸の大半が消え、南北アメリカは諸島となった。アフリカやオーストラリアはまだ残っているけれど、今後千年は生き物が住めないほど汚染されたそうだ。


 滅亡しつつある人間に対して、吸血鬼は細々ながら生き残る事に成功した。彼らは人間の生活や技術を受け継ぎ、ある亡国の首都の廃墟を復興させながらそこで平和的に暮らしている。その首都の地下で僕が五十年の睡眠から起きた時、周りに居た彼らが酷く安堵した顔をしていた事を覚えている。


 「吸血鬼とは不老不死の遺伝子を持つ者の事だ。長いようで短かった人間や生物の歴史の中、私達の様な存在も何人、幾匹か生まれたのだよ。だから……戦争を生き延びてしまった」

目覚めた後で説明を受けた僕は混乱した。

世界が滅びた?人間が絶滅しつつある?生き残ったのは吸血鬼だけ?

でも、悪質な嘘だと定義するには、彼らはあまりにも僕に優しかった。


 天涯孤独だった時、僕は人間から傷つけられて傷つけて、毎日泣いてばかりだった。

病気になった時、ずっと痛くて苦しくて辛くて、でも誰も側に居てくれなかった。


 彼らは違う。

喫茶ノワールで顔を合わせれば、僕がここにいるだけで良かった、今日も元気そうで良かったと微笑んでくれる。

いつもは辛辣なジジだって、僕が風邪を引いたらずっと側にいるのだ。




 「君だけでも無事で本当に良かったよ」

彼らは惜しみなく高価な新薬を使って、僕の難病をあっという間に完治させてくれた。

何もしなくて良い、生きてくれているだけで充分だと言ってくれているけれど、何もしないのも退屈なので、こうして僕はノワールを手伝っているのだ。




 「本当の事は言わないでおこう」

「人間は、私達を滅ぼすために戦争を起こした事を」

「イズミ君は何も知らない」

「知った所で、それは彼にとっての幸せなのか」

「五十年どころかその何倍も孤独に放置されていたのに」

「ああ、今夜も彼は笑っている」

「明日の夜も彼が笑っていられる事を願おう」




 夜明け前に、喫茶ノワールは店じまいする。吸血鬼のお客全員が帰った後で、片付けてゴミを出して、CLOSEの看板を掛けてお終いだ。

マスターにお休みの挨拶をしてから、僕はジジと一緒に階段を上って部屋に戻る。

「ジジ、夜明けだよ。お休み」

『ああ、良い夢を見ろよ』

ジジは僕の脇の下で丸まってご機嫌で答える。

「きっと今が一番良い夢を見ているよ」

僕はそう呟いて目を閉じた。




 この幸せな生活が彼ら吸血鬼の嘘の上にあるとしたら、僕の最後まで真実を見せないでくれる事を信じて。

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