初恋は図書室で
──王宮図書室。
その名を口にするだけで、学者や貴族の誰もが背筋を正す。知識の殿堂にして、選ばれし者しか立ち入れぬ聖域。
けれど、その重々しい扉の前に立つのは、子爵家の娘にすぎない私、エリシア・グレイスだった。
なぜ、招待状が届いたのかは分からない。誤りではないかと、幾度も確かめた。けれど宛名は確かに私の名を記している。
ならば……と半ば夢見心地のまま、私は招待状を手に城の門を通った。
扉が開くと、冷ややかな空気が頬を撫でた。本が集まる場所特有の乾いた冷たい空気。高く伸びる書架、幾千幾万の書物、天窓から差し込む淡い光。
足音さえ憚られる静けさに、胸の鼓動が一層うるさくなってしまう。
だって、ここは憧れの場所なのだ。そこに足を踏み入れた現実にドキドキしないほうがおかしい。
その時だった。
「……誰ですか?」
低く澄んだ声が、入口のカウンターの書架の影から響いた。
姿を現したのは、明らかに貴族階級の青年。真面目さをそのまま形にしたような眼差しが、まっすぐこちらを射抜いていた。
「わ、私は……子爵家の娘、エリシア・グレイスと申します。本日は……招待を受けまして……」
声が震えるのを自覚し、慌てて胸元の招待状を差し出す。
青年はそれを一瞥し、深い灰色の瞳を細めた。
「……なるほど。確かに正式な許可証の印ですね。私の名はレオン・アルヴェール。この図書室で司書を務めています」
「司書様、ですか……。あの、私にこの招待状をくださったのは誰だかわかりますでしょうか?確かに宛名は私なのですが、私はこれを頂くような身分の者ではありません」
「招待状の出し主に心当たりはないと?」
「は、はい……」
「分かりました。では、一度、招待状は私が預かります」
「は、はい……」
私は招待状を渡した。ああ、これでもう帰れって言われるのかな、と少し残念に思っていると、彼が思いもよらない言葉を口にした。
「夕方までは自由に過ごすと良いですよ。静かにさえしていれば好きに過ごして構いません」
「え……?」
「なんです?正体不明の差出人からもらった招待状を持つから、自分はここには入れないと?」
「は、はい……」
「この招待状は正式なものです。だからここで過ごす権利があなたにはある。わざわざ王宮図書室まで来るということは、あなたは読書が好きなんでしょう?」
「はい!大好きです!学園の図書室にも毎日入り浸っていて、図書室はお前の部屋ではないとお叱りを受けることもあります」
「ならばここで有意義な時間を過ごしなさい」
司書――――そう名乗りながらも、彼の立ち居振る舞いにはどこか、ただの職務を超えた気品が漂う。
貴族階級であることは分かる。そして私が子爵家の娘であることを知っても畏まることがないということは、子爵よりは上の身分なのだろう。
「では……お探しの本を伺いましょう。宮廷詩集か、王国史の全集あたりでしょうか」
「いえ。私が読みたいのは、もしありましたら、地方の伝承集を。旅の歌や、古い民話などを」
その瞬間、彼の瞳がわずかに揺れた。
期待していた答えではなかった。だが、失望ではなく、むしろ意外な興味を惹かれたような。
「……民話、ですか?」
「はい。私の領地の小さな村でも、よく古い歌が歌われていました。けれど書物として残るものは少なく……口伝しかないのです。ですからこの場所なら、残されている伝承や歌の記録があるのではと。そういったものを声に出して読むことが好きなのです」
「なるほど。グレイス家の領地は、確かルーガルのあたりですね?」
「は、はい、ご存じなのですか?」
「これでも文官も兼任してますので、貴族領地のことは頭に入ってます」
そう言って彼は歩き出し、私を高い書架の奥へと導いた。
長い指先が、背表紙に触れ、滑るように選んでいく。
「ここに、地方ごとの記録が残されています。ほとんどが散逸していて、全てを網羅するのは不可能ですが……」
彼は一冊を抜き取り、私の前に差し出した。
「民謡や伝承を本気で探す方は、珍しいのですよ。ここを訪れる多くの方は、国史や年代記ばかりを求めますから」
「私……子どもの頃から好きなんです。領地のお祭りの時に村の古老が語ってくれる昔話や、祭りの時に歌われる歌や音楽が。あれはきっと、消えてしまえば二度と戻らない宝物ですから」
「面白いかただ。ああ、いや、その考え方は私も好きです。失われたら二度と戻らないものを記録しすくい上げ、残す。それが書物の役割だと思いますから」
レオン様はそう言いながら、差し出した本を私の手に託した。装丁は簡素だが、じっくりとした重みは歴史そのものなのだと思うと胸が高鳴る。
「……ありがとうございます。必ず大切に読ませていただきます」
胸に抱きしめると、思わずそう口にしてしまった。
レオン様の瞳がふっと和らぎ、かすかな微笑みが浮かぶ。
「そう言ってくださる方に本を渡せるのは、司書としても嬉しいことです。……いや、今日は良い出会いになりました。ただ、ここで声に出して読むのはやめてくださいね」
「え、えと、はい……分かってます。自分の部屋でしか、声に出して読むようなことはしません」
思わず復唱してしまい、耳まで熱くなる。彼は私の狼狽など気にした様子もなく、静かに歩みを戻していった。
天窓から差し込む光はまだ日が高いことを教えてくれ、私はしばらく呆然とした後、図書室の一角のテーブルと椅子を借りて、読みたかった本を堪能した。
読み切った本をカウンターに返しに来たが、レオン様はいなかった。私の招待状を調べてくださっているのだろうと考え、今度お会いしたらお礼を言おうと決めた。
ふと返した本の間から、一枚の小さな紙片がひらりと落ちた。
「……?」
拾い上げると、端正な筆跡で書かれていた。
『同じ系列の記録は第三書架に』
ただの親切な案内。それだけのはずなのに、不思議と胸が高鳴った。
きっと、また会える。そう思えてならなかった。
その夜、机の上に小さな日記帳を広げた。
私の一日のことなど、誰に知られるわけでもない。けれど書きとめておかないと、今日の出来事が夢のように消えてしまいそうで……。
今日は招待状を頂き、生まれて初めて王宮図書室に行った。
扉の向こうは静謐で、書物の海のようだった。
学校の図書室とは比べ物にならない蔵書量で、素晴らしい場所だった。
けれど、そこで出会った方のことの方が、もっと心に残っている。
名前は、レオン・アルヴェール様。
おそらく、私より上の階級の貴族の方で、司書と文官を兼任されているということは、とても優秀な方なのだろう。
あの方の灰色の瞳が本を探す様に私は見とれてしまった。とても本を大切に扱う指先がきれいだった。
私の読みたかった本を探してくれ、次の本がある場所も教えてくださった。
レオン様は良い出会い、とおっしゃってくださったけど、あれは私のこと?それとも普段は借りられることのない本との出会いのこと?
私のほうこそ良い出会いだった。また行っても良いみたいだし、また王宮図書室に行こう。
まだまだ読みたい本がある。
この胸の高鳴りがまだ知らぬ本への期待なのか、違うのか、まだ分からない。
日記を閉じて寝床に入ると、レオン様の少し低い声を思い出して、頬が熱くなるのを感じた。
翌日、学校での授業を終えて、放課後私はまた王立図書室に訪れた。
今日は、先日提出した、地方の伝承の祭り、というレポートが優秀賞を受けたので学園長室で受賞の賞状をもらっていたので遅くなってしまった。まだ日が長い季節で良かった。
招待状はもう手元になかったが、昨日帰りにカウンターでもらった入室証があれば問題なく入れた。
「ええと……第三書架……は……」
私はレオン様に教えていただいた書架を目指して静かな図書室の中を歩いていた。昨日は気づかなかったけど、割と同じ制服の人がいる。同じ学校で王立図書室に入れる人となると、確実に私より上の階級の貴族だ。邪魔をしないように動かなければ……。
第三書架の前にたどり着くと、背の高い書架の間に、誰かの姿があった。
レオン様――昨日お会いした、あの灰色の瞳の青年だ。
私は思わず息を呑む。昨日よりも近くに感じるだけで、心臓が跳ね上がる。
「あの、レオン様……」
小さな声で話しかけると、書架梯の上で本を片付けていたレオン様がこちらを見る。
「ああ、エリシア様、でしたね。今日もいらしたんですね」
「はい。それで、レオン様が教えてくださったこの書架に来ました」
声が自然と震えてしまう。恥ずかしくて、でも思わずレオン様の目を見てしまう自分がいる。
美しい灰色の瞳に私が映ってる。
レオン様が慎重に目の前の書架から一冊の本を抜き取る。
「この本に、民話や伝承をまとめた記録があります。昨日の続きを読みたい方に、ぴったりかと」
その一冊は、昨日私が探していた本の関連書で、手渡される瞬間にレオン様の指先が触れる。
小さな接触なのに、頬が熱くなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
お礼を言うと、レオン様は少し微笑んでくれた。
私はレオン様が作業をしているのが見える位置で、レオン様が選んでくださった本を読み始めた。
ページの文字に集中しようとするけれど、視線はどうしてもレオン様に向かってしまう。
高い書架の上で梯子を軽やかに昇り降りする姿、慎重に本を手に取る手つき、そして時折こちらに向ける微笑み――そのすべてが、静かな図書室の中で本よりも私の胸を熱くした。
一冊読み終わったタイミングで、レオン様が私の前に次の本を置いてくれた。
「これはルーガル地方の祭りの伝承を記録した本です。エリシア様にはぴったりかと」
「ありがとうございます」
その時後ろから声がした。
「おや、侯爵家の三男が、子爵家の娘に本を渡しているとはな」
振り向くと、同じ学校の上級貴族の男子生徒が、にやりと笑ってこちらを見ていた。
声は小さいけれど、図書室は静かすぎて、はっきり耳に届く。
心臓が跳ね、頬が一気に熱くなる。
レオン様が侯爵家の三男……。そんな。
いくら何でも身分が違いすぎる。地方の子爵家程度の娘がお話をしたり、何か頼みごとをしていい方ではない。
でも、レオン様は微動だにせず、静かに私に本を差し出したまま、落ち着いた声で言った。
「無視して構いません。図書室は、学ぶ者のための場所ですから」
灰色の瞳は真剣で、外の雑音など何もないかのようだった。
レオン様の強さがうらやましい。
私のページをめくる手が止まる。さっきの揶揄の声が、まだ耳の奥で響いているような気がした。
すると、レオン様がそっと私の肩に手を置いた。
「少し、移動しませんか?」
驚いて顔を上げると、彼は柔らかい灰色の瞳で微笑んでいる。
「本をゆっくり読める場所へ行きましょう」
そうしてレオン様に手を引かれ、私は本を抱えたまま、王宮図書室の中庭の東屋へ連れてこられたのだった。
「ここなら声を出して読んでも構いませんよ?」
「え……」
「声に出して読むほうが好きだとおっしゃっていたでしょう?ここでそうすれば良い」
「……良いのですか?」
「ええ」
私は本を開き、祭りの伝承のページをじっと見つめる。
文字を目で追えど、声に出さなければ伝わらない何かがある気がした。
そうだ、そう思うからこそ、声に出して読むことで心の中で形になるものがある。
深呼吸をひとつして、そっと声を出す。
「ルーガルのコリン村では、春の訪れとともに太陽に感謝し、古の踊りを舞う……」
私の声はまだ小さく震えているけれど、読むたびに少しずつ落ち着いてくる。
遠い昔、村人たちがこの祭りをどれほど大切にしていたのかを想像すると、胸が熱くなる。
私の大事な故郷の領地に伝わるものがこんなに愛しい。
すると、レオン様も静かに声を合わせた。
「そして、夜には焚き火を囲み、星空の下で古歌を歌ったという」
二人の声が、静かな中庭に柔らかく響く。
文字が声になり、まるで伝承そのものが生き返ったかのような気がした。
ページをめくるたび、私の声は少しずつ自信を帯び、自然と表情も明るくなる。
「その調子です、エリシア様。言葉にすると、さらに生き生きと伝わりますね」
頬が熱くなる。私の声を、彼がちゃんと聞いてくれている……。
その事実だけで、心がふわりと浮いたようだった。
伝承の世界に没頭しながらも、ふと気づくと、私とレオン様は互いに顔を向け合って声を重ねていた。
本のページの向こうにある物語よりも、今ここで共有する時間の方が、ずっと大切で特別に思えた。
ああ、なんて楽しい時間なんでしょう。
本からあふれる世界を共有できる人がそばにいる。
いつも一人で没頭していた世界も楽しかったけれど、こうして誰かと共有するのは初めてで、それがこんなに楽しいなんて!
それはレオン様だからだろうか。
レオン様のきれいな指先が本のページをめくる様は、まるでダンスでもしているかのような軽やかさで。
私の声が最後の一文を読み終えたとき、東屋の外にはもう夕陽の色が濃く差し込んでいた。
橙色の光がページに淡く映り、風に揺れる木々の影が揺らめく。
読み終わった本をそっと閉じると、胸の奥がじんわりと熱くなっていることに気づく。二人で重ねた本の余韻と、隣に座るレオン様の存在が混ざり合って。
「声に出していただくと、物語が生きているように感じられます」
レオン様が本の表紙を指でなぞりながら、柔らかく微笑む。その横顔に見惚れて、思わず視線を逸らした。
……いけない。こんなに近くで、こんなに長くご一緒してしまって。
「……でも、よろしかったのですか?」
気づけば、口から思いが漏れていた。
「私などが……その、侯爵家の三男であるレオン様と、こうして時間を過ごしてしまって……」
身分の差が重たく胸にのしかかり、言葉が細くなる。
けれどレオン様は首を横に振った。
「本に身分はありません。誰が読んでも、同じ価値を持つ。……だから私は、エリシア様と読む時間がとても楽しかったですよ」
穏やかに告げられたその言葉に、鼓動が一気に速まった。
「わ、私も……私もとても楽しかったです。誰かと一緒に本の世界を共有するって、こんなに楽しいことだったのですね」
橙の光の中で、頬が熱くなるのをごまかすように私は俯いた。けれどどうしても、笑みがこぼれてしまう。
――ああ、きっとこれはただの憧れではない。
その時、遠くから小さな笑い声が聞こえた気がした。
振り向けば、中庭の端を通り過ぎる同じ学校の制服の影。誰かがこちらを見ていたような気がして、胸がざわついた。
私はいいけど、レオン様に何か変な噂が立つのはよろしくない。
そう瞬時に思った私は顔を上げて東屋を立つ。
「レオン様のお仕事の邪魔をしてすみませんでした。私、今日は失礼いたします」
「また、いらっしゃいますか?」
そのレオン様の言葉の返事を迷っていると、レオン様の掌が私の頭にぽん、と乗せられた。
「私はエリシア様と本の話をするのが楽しいのです。次の本も探しておきますので、ぜひいらしてくださいね。入館証があれば大丈夫ですから」
優しく頭のてっぺんを撫でられ、幼いころ、お父様に同じようにしてもらったときよりもう私の心はずいぶん遠くまで来たのだと自覚した。
だが、世間と言うのはゴシップが好きで、私とレオン様が王宮図書室で親密に過ごしている、という噂が広まり、私の耳にも届いた。クラスメイト達に直接聞かれ知ったのだ。
「エリシア様、あの灰色の君とお知り合いなの?」
と。
レオン様はこの学校の卒業生でもあり、在学中に文官試験に合格するほどの秀才であったと聞いた。レオン様は侯爵家の三男で、家督には関係ないが、文官として優秀で、いずれ自力で爵位を得るだろうと言われていると。私の知らなかったレオン様のことを色々教えられるたびに、ますますもうお会いしないほうが良い、身分が違いすぎる、と思ったがレオン様の声、本を大切に扱う指先を思い出すたび胸が痛んだ。そして自覚する。
ああ、これが私の初恋だったと。
それから数日、私は放課後になると真っ直ぐ帰宅するようになった。
鞄の中に忍ばせてある王宮図書室の入館証が、やけに重く感じるのは、きっと私の心の重さそのものだ。
図書室へ足を向ければ、レオン様に会える。けれど、もう会うわけにはいかない……そう自分に言い聞かせて。
けれど心は正直だ。
窓から差し込む光に照らされた書架の間、指先でそっとページをめくる姿。声に出して読み合った伝承の言葉。
思い出すたびに胸が締め付けられ、私はそれが恋だと知ってしまった。
――――その日の放課後。
昇降口を出ようとしたとき、背後から聞きたかった声が響いた。
「エリシア様」
振り返った瞬間、心臓が跳ねる。
そこに立っていたのは、この何日か、私が避け続けていた人だった。
「レオン様……?」
「今日も図書室へはいらっしゃらないのですか?」
「……」
言葉が出てこない。どう答えても、噂を気にしているのが透けてしまう気がした。
そんな私の沈黙を破るように、レオン様は一歩近づき、声を落とした。
「実は、エリシア様にどうしてもお伝えしたいことがあって、今日はここまで伺いました」
「え……?」
「エリシア様に招待状を出した差出人が分かりましたもので」
「わ、分かったんですか?どなたですか?私、お礼を言わないと……!」
「あの招待状を出したのは私です。匿名で大変失礼しました」
「今、なんと……?」
今、レオン様はなんと?
あの招待状を私にくださったのがレオン様?
「エリシア様が提出された、地方の祭りについてのレポートを読みました。この学校の試験レポートは全て王宮の文官室に上がってきますからね。あれを読んで、この人はもっと勉強をしたいのだろうと思い学園長先生に伺ってそれなら王宮図書室へ招待してはどうかと言う話になりまして匿名で招待状をお送りしました。あの招待状をもって、エリシア様が来てくれた時、私はとても嬉しかったんです。この人の欲する知識を広げるお手伝いができると」
待って、追いつかない、理解も気持ちも追いつかない。
「……どうして、そこまでしてくださったのですか?」
震える声で、ようやく問い返す。
レオン様は一瞬目を伏せ、そしてまっすぐに私を見た。
「……あなたが本気で学びたいと思っているからです。その想いを支えるのは、私にとっても喜びなのです」
真剣な眼差しに射抜かれ、息が止まる。噂に惑わされて、レオン様を避けていたことが恥ずかしい。この方はこんなに正直に私の知識欲を認めてくださっているのに……。
胸の奥がじんと熱を帯びていく。
逃げていたのは私の方だったのだ、と痛感する。
「……ありがとうございます。私、あの招待状を頂いて、王宮図書室と言う、私にとっては夢の場所へ行けて、世界が広がった気がしました。だからこそ、レオン様にご迷惑をかけているのでは、と申し訳なくて……」
俯いた私の言葉に、レオン様はふっと穏やかに微笑む。
「私はあなたと過ごす時間は楽しいですよ、エリシア様。あなたが気になさっていることは分かっています。身分など、と言えるわけがないことも。ですが、学びの機会は一度逃せば二度と戻らないかもしれない」
そう言って差し伸べられた大きな手に、思わず視線を落とした。
「どうか、また……王宮図書室に。ご一緒に本を読んでいただけませんか?」
私は差し出された手に自分の手を重ね、レオン様の温もりあふれる手のひらに笑みが浮かび、頬が染まるのを感じた。
これは叶わない初恋かもしれない。けれど、もう少しだけ、この方がくれる世界に甘えても良いだろうか。
あの光あふれる東屋のような知識と心を重ねる世界に。
終




