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第5章 亡国の記者


 記者証を返却したその日、久保田陽介は朝都新聞社の玄関を振り返らなかった。20年通い続けたその建物には、いまやもはや「言葉」がなかった。あるのは、空虚な社のロゴと、見慣れた受付の天井灯の白い光だけだった。


 背中に、重いリュック。中には記者としての“遺品”が詰まっていた。録音機、取材ノート、そしてあの、原稿。


 朝都新聞は沈黙を守りきった。しかし、その沈黙は、紙面の外で徐々にひび割れを起こし始めていた。


 週刊誌に掲載された「光泉会」スキャンダルの記事は、ネットニュースを通じてSNSを中心に拡散され、YouTubeやX(旧Twitter)では「新聞社の裏切り」「沈黙の報道機関」「腐敗の共犯者」といったタグがバズを巻き起こしていた。


 だが、新聞社自身はその動きを黙殺した。いや、「抹殺しようとした」と言うべきだ。


 田之倉デスクは社内で孤立していた。政治部からは「造反者」、上層部からは「現場を煽る危険分子」として扱われ、編集会議から外され、次第に重要な案件は一切回されなくなった。


 「まるで、死んだ者のようだな」と田之倉は笑った。


 一方、久保田は表舞台から姿を消したままだった。


 だが、実際には姿を変えて“報道”を続けていた。


 ある夜、神楽坂の小さな事務所。


 そこは、独立系ニュースサイト『Factusファクトゥス』の編集部だった。久保田はそこに記者兼編集者として加わっていた。匿名で、立場を伏せたまま。かつての肩書など、もう必要なかった。


 「ジャーナリズムに記者証はいらない。ただの紙だよ。あれは。俺はもう、亡国の記者なんだ」


 そう言って、彼は再び調査報道に着手していた。


 ターゲットは――“報道を封じる国家そのもの”。


 久保田が次に追いかけていたのは、内閣情報調査室、いわゆる“内調”の情報操作だった。


 光泉会スキャンダルと同時期に行われていた複数の報道封じ。特定メディアへの補助金削減、記者クラブ制度の恣意的な運用、記者への内偵、SNSアカウントの特定と接触――その断片が、複数の匿名告発から浮かび上がってきていた。


 「つまり、“言論封殺”は一部の利権政治家の問題ではなく、国家ぐるみの行動だったってことか?」


 編集会議で若いスタッフが震えながら問う。


 「そうだよ」と久保田は短く答えた。「国家とメディアが癒着するなら、記者はその“敵”にならなきゃならない」


 かつては飲みの場で冗談のように語られた言葉が、今や現実になっていた。


 その年の暮れ、田之倉が急逝した。心筋梗塞だった。


 社葬すら開かれず、葬式にはわずかな記者仲間だけが集まった。久保田は喪服ではなく、黒いパーカー姿で現れた。


 「……あいつは、最後まで原稿を諦めなかった。書けないことより、誰も読まないことの方が恐ろしかったんだろうな」


 帰り際、彼は田之倉の机に一枚のメモを置いた。


“報道とは、沈黙と闘う者の手にある”


 久保田が出した最終報告記事『沈黙の代償』は、国際的な記者連盟から高く評価され、あるヨーロッパの報道賞にノミネートされた。だが本人は一切公に姿を見せなかった。


 彼が次に向かったのは、東南アジア。密輸ルートの現地調査のためだった。


 その背中を見送る者は誰もいなかった。ただ彼の足跡だけが、静かに“真実の通路”に刻まれていった。


終章 沈黙を破る者たちへ

 新聞が語れなかった言葉は、SNSの断片では語り尽くせない。週刊誌の活字の裏にこそ、書かれるべき“真実の構造”がある。


 国家が報道を沈黙させるとき、記者が国家に沈黙する日がやってくる。


 だが、久保田陽介は最後にこう語ったという。


「報道とは、国家の正義に膝を屈しないことだ」


 それは、亡国の記者が最後に放った、魂の一行だった。



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