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第2章:夜討ちの果てに(後半)


 朝都新聞編集局、地下一階。午前9時を少し過ぎた時間、社会部のデスク島では、朝刊作業を終えた者たちが次第に自席へと戻っていた。


 久保田は、まだ社内が完全に覚醒していないこの時間帯に、自らのノートPCで原稿を仕上げていた。タイトルは仮に「神代光泉会理事長、ゼネコンとの資金関係明らかに」とし、見出しには「“寄付”と建設契約の不透明な関係」と入れた。


 記事の骨子はこうだ――

 福祉法人「光泉会」が都内の大規模高齢者施設建設に際し、あるゼネコンから“寄付”を受けていた。だがその“寄付”は実質的には、建設契約を獲得するための“見返り”であり、裏金と評価されうる内容だった。ゼネコン側の内部資料と、施設決定直前に振り込まれた寄付金の一致が、それを示していた。


「久保田、ちょっと来い」


 デスク席の斜め後ろから声をかけてきたのは、社会部デスクの佐伯だった。白髪混じりの髪、皺だらけの額――記者を30年やった男の顔。


「この神代の記事、お前一人で書いたのか?」


「ええ。夜討ちも含めて。資料はすべて裏をとってあります」


「それはわかってる。問題は、これがどこまで突っ込んでいいネタか、だ」


 佐伯は手元の原稿を指で軽く叩いた。


「なあ久保田。お前は、政治部とこの件、すり合わせたか?」


「……していません。社会部のネタとして進めてます。そもそも、政治家個人の“罪”ではなく、福祉法人の資金の問題ですから」


「だが神代総務大臣の娘だろう。政治家案件になる。であれば、政治部案件とされるのは当然だ」


 久保田の表情が凍りつく。


「じゃあ、政治部に回せってことですか? 社会部が書いた原稿を?」


「……俺が言ってるのはそういう意味じゃない。ただ、“社としてどう扱うか”は整理しないといけないという話だ」


 その時だった。政治部デスクの綾瀬が、社会部島に現れた。スーツの襟をピンと立てたその姿は、まるで記者ではなく、広報官のように見えた。


「失礼。ちょっとよろしいか?」


 綾瀬は無遠慮に久保田のPCの画面を覗き込み、苦笑する。


「これ、出すのか? 初報にしては踏み込み過ぎじゃないか?」


「裏は取ってます」


「裏? じゃあ、ゼネコンの“寄付”が確実に政治家サイドの便宜を得た見返りだと立証できるのか?」


「金の流れと資料の整合性は確認済みです。神代理事長本人には夜討ちでコメントも……」


「夜討ち、ねぇ」


 綾瀬は小さく肩をすくめた。


「大臣の娘を深夜に突撃取材か。なるほど、それじゃ“取材手法”からしても問題だな」


「法には触れていません。社会部の基準に則って……」


「でも“今の”編集局の方針には合っていないかもしれないな。トップの意向を聞いてみたらどうだ?」


 久保田の口元がきつく結ばれる。背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


 翌日。


 会議室に呼び出された久保田を待っていたのは、編集局長・清水英一郎だった。新聞社内では“首切り屋”とも囁かれる男。穏やかな語り口とは裏腹に、部下の原稿を容赦なく“潰す”ことで知られる。


「久保田君、君の原稿、読ませてもらった」


「ありがとうございます」


「良い出来だ。資料の裏取り、現場取材、構成、どれも申し分ない」


 一瞬、希望が芽生えた。


「だが……掲載は見送る」


 その言葉は、心臓を刃物で貫くような感覚だった。


「なぜですか?」


「わかっているだろう。神代大臣は、政権の中枢だ。我々がその娘の関与を示唆する記事を出せば、ただの疑惑報道でも、政権中枢を揺るがす“印象報道”として扱われる」


「……それでも、報道すべきです。公益性の高い内容です」


「公益性があるかどうかを決めるのは記者ではない。社としての判断がある」


「じゃあ、私は誰のために取材したんですか。情報提供者は命がけでした。市民の知る権利のために――」


「理想を語るな、久保田。君が“誰のために”取材したかなど、組織にとっては瑣末なことだ」


 沈黙が支配した。


「記事は保留にする。あとは政治部と調整して、週明けの解説記事に再構成しよう。君の名前は外れることになるが、それは“処分”ではない。ただの調整だ」


 久保田は、それ以上言葉を発せなかった。握った拳の中で、爪が肉に食い込んでいた。


 夜、編集局地下の倉庫。そこで久保田は、同期の文化部記者・藤村と会っていた。


「潰されたんだな」


「……ああ。完璧な“内部検閲”だよ。編集局長の名のもとに」


 藤村は、無言で缶コーヒーを差し出す。


「俺さ、社会部には行きたくても行けなかった。だけど、お前の“真っ向勝負”を見てると、逆にこっちまで傷ついてる気分になるよ」


 久保田は受け取った缶を開け、乾いた喉に流し込んだ。


「これで、終わりじゃない。俺は記事を捨てない」


「どうするつもりだ?」


「光泉会には、まだ金の動きがある。検察が動く前に、俺がもう一度“根”を掘る」


 久保田の目には、静かな怒りが宿っていた。


 黙殺された真実。

 それでも、伝える者がいなければ、それは永久に“なかったこと”になる。



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