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第1章 :はじまりの特命(前半)

第1章:はじまりの特命(約3300字)

 社会部デスクの風間は、部屋の隅に山積みになった選挙公報の束にタバコの灰を落とした。


「久保田、ちょっとこい」


 書見台の前で校閲紙とにらめっこしていた久保田真人は、呼ばれて数秒間動けなかった。声に鋭さはなかったが、何かを見透かすような圧があった。


 風間は、自席のパソコンを指差すと、モニターに映ったひとつのテキストファイルを見せた。


「これ、読め」


 文面は匿名メールだった。件名は「福祉建設事業に絡む不自然な契約について」。本文には、ある地方都市で建設中の高齢者福祉施設において、特定のゼネコンが極端な優遇を受けているという記述。そして、その背後に与党幹部・神代光顕の名前がちらつくとあった。


「与党幹部が娘の福祉法人経由で資金を洗ってる……そういう構図らしいな」


 久保田は口をつぐんだまま頷いた。


「このネタ、いま政治班の誰も動いてない。理由は……まあ、察してくれ」


「上から止められてる、ということですか」


「早いな、察しが」


 風間はニヤリと笑った。


「お前に預ける。社会部で動け。政治部とは別筋でいけ。紙面に載るまで外部には出すな。誰も書けない原稿を書け。できるか?」


 久保田は唇を噛んだ。うなずく代わりに、黙って座ったままそのメールを再読した。


「特ダネがほしいのはわかる。でもこれは政治がらみだ。外せばお前だけじゃない、こっちまで飛ぶぞ。だがな、やるなら徹底的にやれ。半端は命取りだ」


 風間は椅子を軋ませて立ち上がると、久保田の肩を軽く叩いた。


「政治スキャンダルってのはな、最初はいつも“未確認情報”なんだ」


 その日の午後、久保田は記者クラブに顔を出した。空気はいつも通り静かだった。国交省の課長補佐が、記者数人を囲んで笑いながら「オフレコでさあ……」と話している。


 “オフレコ”。報道における便利な黙約。だがそれは、時に情報をねじ曲げる武器にもなる。


 久保田はその場には入らず、ひとり電話室で情報提供者へのアプローチを開始した。メールアドレスの送信元をたどると、発信地は都内某区の公共Wi-Fi。IP追跡は不可能だった。だが文面の文体、用語の癖から行政職経験者であることは明らかだった。


 市の建設課を洗っていくと、ある人物の名前が浮上した。


 江上慶太。3ヶ月前まで福祉施設建設の契約管理を担当していた人物。現在は関連団体の倉庫勤務に異動している。


「島流し人事か……」


 久保田はメモ帳を閉じた。彼のいる団体事務所の最寄り駅に向かうと、午後6時過ぎ、作業服姿の江上が一人で駅前のコンビニに入るのを目撃した。


 久保田は迷った。声をかけるか、日を改めるか。だが風間の「誰も書けない原稿を書け」という言葉が脳裏に蘇る。


「すみません、江上さん……ですよね」


 男は驚いた顔で振り向くと、警戒の色を浮かべた。


「なんですか、あなた」


「朝都新聞の記者です。いま市が建設中の福祉施設のことでお聞きしたいことが……」


「帰ってください」


 江上は短く吐き捨てると、袋に入った弁当を手に駅の改札へと消えた。


 久保田は、咄嗟に手帳を取り出して書き込んだ。「江上、話さず。明日、再アプローチ要」とだけ。


 その夜、社会部の会議室では風間と編集整理部のデスクが、次週特集面の構成について議論していた。


「久保田には任せた。ただ、今の段階で裏取りはゼロに等しい」


「スピンアウト記事を準備しとけって話ね?」


「そういうことだ。政治部は協力しない。むしろ邪魔してくる可能性すらある」


「上も警戒してる?」


「当然。神代は総裁候補だからな。刺されば政局が変わる。新聞の力ってのは、そういうときこそ問われる」


 その頃、久保田は社の記者用寮の自室で一人、缶ビールを片手に考え込んでいた。


 この情報は本物か? 政治部に黙って動くことが、社にとって本当にいいのか?


 スマホの通知が鳴った。差出人不明のメールだった。


 ──「あんた、今日俺を尾けてたな。話す気になった。明日21時。光ヶ丘団地裏の児童公園。ひとりで来い。」


 久保田の心臓が脈打つ。江上だった。



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