ヴァラール魔法学院の今日の怪異!?
その日は、燃えるような夕焼け空だった。
「鴉が鳴いたら帰ろう!!」
「今日の晩ご飯は何だろうな」
「今日はね、エドがカレーを作るって言ってたよ!!」
「何と、エドさんのカレーか。それは楽しみだ」
今日の晩ご飯の献立で会話が盛り上がる用務員の未成年組、アズマ・ショウとハルア・アナスタシスは用務員室への帰路を急いでいた。
窓から見える空は燃えるような赤い色に染まり、遠くでは鴉が物寂しげな鳴き声を響かせる。放課後の校舎内は嘘のように静まり返り、ショウとハルアの賑やかな会話と足音だけがやけにうるさく反響する。
放課後とはいえ、生徒数が10000人を超える巨大な名門魔法学校である。誰かしらの生徒とすれ違ってもいいぐらいだが、今日は運がいいのか悪いのか、廊下で生徒や教職員すら見かけない。
ショウはキョロリと周囲を見渡し、
「生徒や先生たちがいないな」
「学生寮に帰ったんじゃないかな!?」
「そうだろうか……」
見覚えのある頭の螺子の所在を疑いたくなる弾けた笑顔を見せるハルアに、ショウは不安げにそう応じる。
普段のヴァラール魔法学院ならばあり得ない光景なのだ。どこでも生徒や教職員で賑わい、誰もいない場所なんてないほど騒がしい。それがどうしてこんなに薄寒く感じるほど静かなのか。
ショウの歩みが止まると、ハルアが数歩ほど進んでからこちらに振り返る。窓から差し込む夕焼けが、彼の琥珀色の双眸を煌めかせた。
「どうしたの?」
「…………」
首を傾げる用務員の先輩に、ショウは意を決して言う。
「やっぱりおかしいぞ、ハルさん」
「おかしいかな?」
「ああ、だって――」
ショウは茜色の光が差し込む廊下を指差して、
「もう何分も歩いているのに、一向に用務員室へ到着しないのだが?」
廊下に立ち並ぶ教室の群れを見ても同じことが言えた。
全く景色が変わらないのだ。どこまで進んでも同じ教室ばかりが繰り返されて、まるで進んでいるように思えない。その場で足踏みをしているようだ。
そんなショウの疑問を、ハルアはこう切って捨てる。
「気のせいじゃない?」
「…………」
ショウはハルアの顔を見据える。
彼の表情は変わらない。ずっと笑顔のままだ。あの頭の螺子の所在を疑いたくなる、それでいて普段と変わりがないが故に安心感を覚える笑顔である。
しかし、今はその笑顔が妙に恐ろしい。まるで作り物めいているのだ。ハリボテのような笑顔を向けられているような気がする。
ジリジリとハルアから距離を取るショウは、
「ハルさん」
「何?」
「…………貴方は誰だ?」
そう問いかければ、彼の笑顔が酷く歪んだ。
顔面の表組織が溶け出し、どろりと融解する。琥珀色の双眸はこぼれ落ち、鼻も唇も消え失せて、剥き出しの頭蓋骨がガタガタと蠢きながらショウを見据えていた。
そんな状態になってもなお気味の悪い笑みを絶やすことないハルアの偽物は、ショウの腕を物凄い力で掴む。
「ヒ ドぃ よ ォ」
声が歪んで聞こえた。
怖気がする。全身に鳥肌が立つ。
ハルアの手を振り払おうとするも、彼の腕の方が力が強くて振り解けない。皮膚が溶けた顔面が迫る。
その時だ。
「いかんな、実にいかん」
その声は、静かな校舎内にあって、凛とした響きで持ってショウの耳朶に触れる。
気がつくと、顔面の溶けた先輩の偽物の隣に見覚えのない少年が佇んでいた。
年齢は自分と同じぐらいだろうか。茜色の空の色に染まる白髪と、宝石の如き色鮮やかな赤い瞳の不思議な見た目の少年だ。夕闇が迫る時間帯に浮かび上がる黒い詰襟の格好が何とも不気味である。
ニタリと気味の悪い笑みを見せた白髪の少年は、テーブルナイフで先輩の見た目をした怪物の腕を刺す。ずぶり、とテーブルナイフの丸まった先端は簡単に怪物の腕を貫通した。
――――――――――――!!
剥き出しになった歯列から、耳障りな絶叫が放たれる。
痛かったのだろう、怪物は慌ててショウの腕を解放した。それから恨めしげに白髪の少年を睨みつける。
しかし、白髪の少年は悠然とした態度で怪物のことを真っ直ぐに見据えていた。
「あゝ、美味そうだなァ」
訂正、じゅるりと涎を啜る音がしたので、おそらくあれは餌として認識しているようだった。
たじろぐ怪物の前に、白髪の少年が立ち塞がる。怪物の腕に突き刺さったテーブルナイフを引き抜くと、黒色の粘性のある液体が糸を引きながら溢れた。痛みによる怪物の悲鳴がますます大きくなる。
白髪の少年は思い切り踏み込んだ。怪物の懐に身体を潜り込ませると、テーブルナイフを怪物の喉元に突き刺す。簡単に怪物の肉を裂いたテーブルナイフを伝い、ねばねばとした黒い液体がこぼれ落ちた。
悍ましい光景を前に、白髪の少年は一言。
「い た だ き ま す」
食事の開始を告げるかのような一言と共に、少年は怪物の喉元に食らいついた。
くちゃ、くちゃくちゃ。
がりがりッ、ぐちゃッ。
背筋の凍るような咀嚼音、そして肉を噛みちぎる音が鼓膜を震わせる。
少年は口元を真っ黒に汚しながら、それはそれは美味しそうに怪物を食べていた。異様な食事風景を前に、ショウは凍りつくしかない。
目の前で繰り広げられている食事風景は、果たして何だろうか。ショウが知らないだけで一般常識となったのだろうか?
すると、白髪の少年が頬いっぱいに怪物の肉を詰め込んだ状態で、呆然と立ち尽くすショウへと振り返る。
「何を見ている。助けてやったのだからとっとと行け」
「え、あ、はい……」
ショウは「助けてくれてありがとうございます」とかろうじて礼を言うと、踵を返す。だが、ふと思い直して再び少年へと振り返った。
「あ、あの」
「何だ」
怪物の肉で頬を膨らませ、リスのような顔を見せる白髪の少年は、どこか不満げな顔で応じた。
「貴方のお名前を伺っていないと言いますか……」
「オマエの先輩に聞いてみるがいい」
白髪の少年はそれだけ言うと、また食事に戻ってしまった。
ショウは首を傾げ、とりあえずその場から離れることとする。
背後から聞こえてくる食事の音は、いつのまにかぷつりと途絶えた。
☆
「ショウちゃん、どうしたの!?」
「ふわ」
目の前にぴょこりと琥珀色の瞳が迫り、ショウは思わず背筋を仰け反らせる。
気がつけば、見慣れた廊下の風景と怪訝な表情を見せるハルアがいた。彼の腕にはツキノウサギのぷいぷいが「ぷ」なんて言いながら、もひもひとクローバーを口に運んでいる。
窓の向こうに広がる夕焼けは、物寂しげな雰囲気は漂うものの普通と同じ空模様だった。遠くの方で鴉が甲高い鳴き声を響かせている。先程までと同じ光景なはずなのに、どうしてか今の方が安心感がある。
ハルアは「大丈夫?」と首を傾げ、
「具合悪いなら担いで行こうか? ぷいぷい抱っこしててくれる?」
「いや大丈夫だ、ハルさん。少しぼんやりしてて」
「急に喋らなくなっちゃったから何か怒らせちゃったのかなって思ったよ!!」
快活な笑みでそんなことを言うハルア。彼の表情にはハリボテのような不気味な笑顔は乗せられていない。
あれは何かの夢だったのだろうか。それとも幻覚か何かか?
ともあれ、ショウが元の世界に戻ってこれたのは幸いである。あのまま変な世界を彷徨い歩くことがなくて本当によかった。
ふと、ショウはあの少年のことを思い出した。そう言えば、名前を伺った際に「先輩に聞いてみろ」と言われていたのだ。
「ハルさん」
「何!?」
「あの、真っ白な髪で赤い瞳の、俺と同い年ぐらいの男の人を知っているだろうか。真っ黒な詰襟が特徴の服を着てて」
「ああ、あれね!!」
ハルアは合点がいったとばかりにポンと手を叩く。
「まだ成仏してなかったんだね!!」
「成仏?」
「何かね、かなり昔の生徒で魔法の事故でどこか別の世界に飛ばされちゃったんだって!! 今も見つかってないって話だよ!! ユーリが『幽霊みたい』って言うからオレらも幽霊扱いしてるの!!」
ハルアは「名前は何て言ったっけな!?」と首を捻り、
「確かね、ユーイル・エネンって名前だったよ!!」
――「は あ い」
背後から聞こえてきた楽しげな少年の声に、ショウとハルアは揃って悲鳴を上げると、光の如き速さでその場から逃げ出した。
《登場人物》
【ショウ】まさか幽霊に遭遇するとは。だがあの喋り方、どことなく誰かに似ているような気がする。
【ハルア】魔法の実験事故で1人の生徒が異界に飛ばされてから行方不明になったという話は上司から聞いたことはあるが、遭遇したことはまだない。
【ユーイル・エネン】別の世界にて怪異を食事とする幽霊。元々は人間だったが、とある怪異に身体を奪われて幽霊として1人の少女に取り憑くことになる。このたび、愉快なあれそれが理由で異世界に流れ着いたので、異世界の怪異とやらを堪能中。なんか知らんが都合よく現実が歪んだので満喫している。