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81話 リシア (2)

リシアがゆっくりと手を上げ、ラントの顎先で震える下唇の下を流れていた血を、親指で拭った。血はぬるく、べっとりとしていて、彼女の指の先にゆっくりと広がっていった。


リシアはその血を、何かを確かめるように擦り合わせてみた。そして、もう片方の指を二本、ラントの口の中に突っ込んで、痙攣(けいれん)する顎が舌を噛み切らないようにした。


「ふうぅ…。私の料理を待ってる方が、量が足りないっておっしゃるかもと思って。女神の加護が刻まれた肉は、あの方に捧げるわけにはいかなかったんですもの。」


ラントの腹に突き刺さった手に、もう一度力を入れて彼の心臓を爪の先で掴んだリシアの眼差しが変わった。


相手を圧倒する残酷な目。小さな瞳が揺らぐことなく、目の前で苦痛に身をよじるラントを見つめていた。憐れみの感情など微塵も感じさせない捕食者(ほしょくしゃ)の目。命の意志を失い、恐怖に染まり、そんな感情さえ飲み込んで楽しむような目だった。


「さあ…。それじゃあ、今度は。」


上がる口角と共に、噴き出そうになる喜びの笑い声を抑えたリシアの声が響いた。


―クゥゥゥン―


リシアが背後から感じる気配に気づき、ラントを押し飛ばして跳躍した。そして彼女が立っていた場所には、青い光を放つ鉄槌(てっつい)が振り下ろされ、地面をへこませていた。


「ディアラ!」


リシアが自分に向かって振り下ろした魔力が宿った杖の持ち主の名を、大きく叫んだ。


「どうして…。こんなことを。理由は何なんですか、リシア様!」


ディアラが頭を下げて地面に倒れているラントを眺めながら言った。回復魔法をかける余地もなく、倒れたまま命の兆しを見せていなかった。


「さあ? きっと…。必要だから、でしょうね?」


地面に向かってべっとりとした血で汚れた手を払いながら、リシアが言った。


「それにしても、優しいわねディアラ。こんな状況でも『様』を付けて呼んでくれるなんて。でも、どうやって私を追ってきたの? どうやって、じゃなくて…どうして私を追ってきたのかしら? 深夜に私をこっそり尾行するほどの疑いをかけた覚えはないんだけど。」


反射的にディアラの攻撃を避けた時に生じた敵意を抑え、柔らかくしなやかな口調でリシアが言った。


「ニアが教えてくれたんです。」


「ニア? ……あぁ、あの小さなドロコのことね。だから? そのドロコが何を教えてくれたって言うの?」


「リシア様から血の匂いがするって。馬車と血溜まりが見つかった場所にニアと一緒に行ったんですけど、そこにあった血の匂いがリシア様からもするって言ったんです。」


ディアラの言葉を聞いたリシアが、不思議そうな表情を浮かべて自分の指先に付いた血を眺めた。


「はあ…。まさか、私を疑ってこっそり尾行してきたの? ドロコたちがそんなに鼻が利くなんて知らなかったわ。」


「リシア様…。私が知ってるリシア様で合ってるんですか? いったい…どうして…何がリシア様をこんなに変えてしまったんですか?」


ためらいのこもった声でディアラがリシアの目を見つめながら言った。


「変えてしまっただなんて~。私は元からこんな人間よ。ディアラが見てたのは本当の私じゃなかったのよ。『隠れ月の騎士』っていう、私の偽物の殻を見てただけ。」


「そ…そんな。」


ディアラが目から涙が流れ落ちないよう力を入れ、唇を噛んで嗚咽(おえつ)混じりの声が漏れないようにした。


「う~ん。私もディアラに私のこんな姿を知られたくなかったわ。それなら、何事もなく長くお互いを知り合って過ごせたのにね。それくらいの不便は我慢できたのに。」


「そうしたら、たくさんの人たちがリシア様の手で命を失ってたんでしょうね。今日のラント様みたいに。」


「ふふっ。ええ。そうだったわね。」


リシアが口元に微笑みを浮かべ、細く目尻を下げながら言った。


「私たち、ちょっと長く話しすぎじゃないかしら? 時間が遅くなりすぎる前に、お互いのやるべきことを始めましょうか?」


―クグググク―


リシアが地面に向かって手を伸ばし、手のひらを広げると、土の中から長い白い骨で作られた剣が、握りやすい高さまで浮かび上がってきた。不思議な形の小さな骨が飾られ、長い骨が刃となった骨の剣を手に取ったリシアの表情が、再び冷たく変わった。


そして、答えもせずに杖を握って立っているディアラに向かって、再び言葉をかけた。


「それにしても、一体どんな自信で一人で来たの。他の人たちを連れてこなかったのは、大きな間違いよディアラ。そしてその間違いの代償は…」


リシアが少し言葉を止め、手に持った骨の剣を地面に向かって振り下ろすと、その先端が地面に触れた。再び地面を引っ掻いて持ち上げた剣の柄を少し眺めた後、再びディアラに言った。


「生きて帰れないってことになるわね!」


ディアラに向かって叫びながら広げたリシアの手のひらの上に魔法陣が生まれた。続いて光を放つ魔法陣からは、丸く固まった水の球体が二つに分かれ、お互いを追いかけるようにその場で回転を始めた。


「魔法まで使って戦うなんて、久しぶりだから! 昔ほどの実力が出るかしら~?」


自分自身に問いかけるように、謙遜の言葉を吐き出す傲慢な声がディアラに向かった。そしてそんなリシアの声と同時に、水で作られた二つの砲弾のような球体が空中での回転を止め、猛烈な速さで目標に向かって飛んでいった。


―ペン! クァクァァン!!―


飛んできた水の砲弾が地面と空き地の壁にぶつかって爆発し、鉄砲水のような音と共に、周囲に砕けた岩の欠片と抉られた土が飛び散った。


「避けたの? まだ始まったばかりだから、ある程度の足掻(あが)きはするわよね?」


「ファイア・ボール!」


リシアの魔法を避けて素早く横に跳躍したディアラが、両手で握った杖の先から赤い炎の球体をリシアに向かって放った。


「相変わらず炎魔法がお好きね、ディアラ!」


自分に向かって飛んでくる炎の球体を前にしたリシアの顔には、微笑みが浮かんでいた。


余裕のある表情で、続いて自分の赤い唇を舌で一度舐めた後、厚い唇が一瞬薄くなり、微笑みを帯びた。そして前に手を伸ばした。


「ファイア・ボールじゃ、この水の盾は貫けないわよ!」


飛んでくる火の玉に向かって伸ばしたリシアの手を中心に、地面から湧き上がった水流と広げた手のひらの周りに集まった水滴が集まり、透明な水の盾を作り出した。


周囲から生まれる水滴を吸い込みながら大きさを増していった水の盾が、後ろのリシアを包むように曲がった。


燃え盛るようにリシアに向かって飛んでいた火の塊が水の盾に触れると、白い煙を上げながら、阻む水の盾に飲み込まれるように姿が見えなくなった。


「忘れたの? 炎を飲み込む水の魔法が私の得意だってこと?」


消えたディアラの炎弾を確認したリシアが、片方の口角を上げながら言った。


「忘れてません。だから、飲み込まれない炎を作り出すために努力してきました。」


「ふっ、それじゃその努力が足りなかったわね。」


「まだ終わりじゃない! スキャタード・フレイム!」


「…炎魔法じゃダメだって言ったでしょ!」


再び自分に向かってディアラが唱えた魔法が飛んでくると思ったリシアが、水の盾に魔力をさらに集中させながら、数歩前に出た時だった。


リシアの目に映ったのは、腰を曲げて杖に寄りかかり、かろうじて頭を上げてリシアを(にら)んでいるディアラの姿だけだった。


「はっ!? 何よ~、詠唱(えいしょう)に失敗したの?」


(あざけ)りの混じった声でリシアが、骨の剣を握っていた手を上げてディアラに剣先を向けた。


「詠唱に…失敗したんじゃありません。ふう…目標の周りで敵を焼くのが、スキャタード・フレイムなんですから!」


息を切らしながらようやく落ち着かせたディアラがリシアに言い、再び姿勢を整えて前に走り出した。


「何? それどういう意味よ…。こんな!」


ディアラの言葉を聞いたリシアが、大きく見開いた目で慌てて頭を振り、周囲を見回した。そして彼女の目に映ったのは、炎と呼べるほどの小さな火から、さっきディアラが唱えた炎弾ほどではないが他の炎より大きな火の塊まで、数え切れないほどのさまざまな大きさの炎が、周囲からリシアに向かって集まりながら飛んでくる姿だった。


「うわぁっ!」


リシアが水の盾を握っていた腕を振り上げて防ごうとしたが、リシアの周りを囲んだすべての炎を防ぎきれるはずがなかった。


大小の爆発音と、水に触れて消える炎が冷める音が止むことなく響き、リシアの姿が見えなくなるほどの濃い水蒸気を作り出した。


一瞬の静寂。ゆっくりと空き地の空の上と洞窟につながる場所へ白い煙が抜け出していき、走っていたディアラがぼんやりとした黒い影の輪郭に向かって魔力を込めた杖を振り下ろした瞬間だった。


―クワジャク―


暗い影に向かって振り下ろした杖が何かに阻まれ、鈍い音が響き、視界を遮っていた煙の中から現れたのは、象牙色の骨が束ねられて立てられた骨の壁だった。太く長い脚の骨、短い手首と足首の骨、丸い膝の骨と平たく繋がった肋骨、そして黒く穴が開き、所々に歯が抜けた頭蓋骨(ずがいこつ)まで。


絡み合い、混ざって壁を成す形の壁に向かってディアラが再び杖に魔力を込めようとした瞬間だった。


「痛かったわよ! ディアラ。」


リシアの怒りに満ちた声が響き、裂けそうなほど大きく開いた目、そしてその目で相手を睨む不気味な眼差しと、しかめられた眉間を見せながら、ディアラの肩に向かって手に持った剣をリシアが突き出した。


「うっ!」


短い(うめ)きと共に肩から感じる鋭い痛みに、ディアラが握っていた杖を落とし、続くリシアの剣を避けて体を飛ばし、後ろに退いた。


「初めて見る魔法だったけど…。魔法の発動を遅らせたの?」


両手にマナを集中させて距離を保ち、止まって魔法の防壁を唱えようとするディアラに向かってリシアが言った。


そしてディアラを狙っていた剣を下ろし、歩く方向を変えてラントの死体がある場所へ向かった。


ディアラから目を離さずに歩いているリシアの右肩には、炎によって穴の開いたローブとスキャタード・フレイムによる傷が見えていた。


沸き立つ怒りを抑えながら、歩く方向とは逆に大きく開いたリシアの目は、自分との距離を保ち、地面に落ちた杖に向かって動くディアラを睨んでいた。


ゆっくりと、とてもゆっくりラントの死体に向かって動いていたが、ディアラから少しでも自分に向けた敵対的な動きを感じたら、一瞬で距離を詰めてきそうな殺気に満ちた眼差しでディアラを睨みながら、リシアが歩いていた。


「待ってて。とーっても面白いものを見せてあげるわ。」


地面の血溜まりの上に倒れているラントの死体の前に歩みを止めたリシアが、余裕のある微笑みを見せながらディアラに言った。


―ズブッ―


「何してるの!」


リシアがラントの死体を手に持った長い骨の剣の先で突き刺した。そしてその姿を見たディアラがリシアに向かって叫んだ。


「ふふっ! ディアラ、気が短いわね。そんなに時間がかかることじゃないのに~。」


剣の先に付いて出てくるべっとりとした血を見て、リシアが興奮に満ちた眼差しと、開いた口の間から赤い舌を出し、妖艶な表情を浮かべた。


「ブラッド・マジック。血の魔法については聞いたことあるわよね?」

お読みいただき、ありがとうございました

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