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58話 赤い鱗のドロコ (7)

ドアジュが疾走(しっそう)する。以前よりさらに赤く染まった体からは、気化する汗の蒸気が細く立ち上っていた。


「グァァァァァ!」


肩を前に突き出し、ニアに迫ったドアジュが地面を擦るように鉄槌(てっつい)を天に向かって振り上げる。その攻撃は空を切り、細かな風を巻き起こしながら、砂塵が尾のように鉄槌の先に付き従った。


続くドアジュの攻撃。振り上げた鉄槌を再び叩きつけ、ニアの脇腹を狙って横薙(よこな)ぎに巨大な棘付き鉄槌を振るう。


「クゥゥゥッ!」


痛みに顔を歪めながら吐き出した(うめ)きとともに、ニアが闘技場の床に投げ出されるように転がり倒れた。


盾を合わせることでさらに大きくなった棘付き鉄槌の攻撃範囲と、ニアの予想とは逆にさらに速くなったドアジュの攻撃。倒れたニアが起き上がって体勢を整える間もなく、血に汚れたドアジュの鉄槌が迫る。


叩きつけ、振り回し、舞い上がる砂塵を切り裂くドアジュの猛攻を、闘技場の観客たちは熱狂の歓声で迎えた。


「クゥッ! よくもまあ、ひょこひょこ避けやがるな!」


荒い息を吐きながらドアジュが言った。


『避けなければ……避けなければ……。もっと速くなった鉄槌を、避けなければる。』


土に絡まった血が、ニアの体にところどころ付着していた。


「ん? 姿勢が変わったな……」


試合開始直後、両手で両手剣を握り腰を落として剣を前に突き出していたニアの構えが、明らかに変わっていることにドアジュは気づいた。


膝を曲げて低く構えていた姿勢から、腰を伸ばし肩を開いた。長い両手剣は両手で握るのをやめ、片手で握って肩に預け、刃を寝かせた。


かつてイクスターンの円形闘技場でニアが見た、ある闘士(とうし)の構えと同じだった。


名前は観客の歓声に埋もれて聞き取れなかったが、遠い南の群島(ぐんとう)の海賊だと紹介された闘士の動き。


刃先に向かって徐々に厚くなり、緩やかに湾曲(わんきょく)した大型のシャムシールを肩に担ぎ、つま先で地面を軽く蹴って体重を移す動き。一定のリズムで続くその歩法(ほほう)は、見る者に正確な位置を掴ませず、攻撃をかわす隙を作り出していた。


長い年月、油壺(あぶらつぼ)や荷物を背負って練習を重ねてきた、遥か南の海賊の剣術を、ニアはドアジュの前で再現していた。


ニアの数多いる剣術の師匠たちの中でも、攻撃をかわすことに関してはどの闘技場の闘士よりも優れていたという海賊の剣術。


数えきれない闘技場の試合の中で、試合中ずっと口元に大きな笑みを浮かべ、たった一度の攻撃すら服の裾にすら触れさせず、余裕を持って相手を倒したあの海賊の剣術を、あの時の姿を胸に深く刻み込み、幾つもの季節を越えて、ニアは隙を見つけるたびにその剣術を練習し続けてきた。


そして今、ドアジュの前には、長い剣を肩に担いだ南の海の剣術を使う小さな剣士が立っていた。


『重心を高くしてバランスを捨て、速度を優先したか……。こりゃあ、だんだん厄介になってくるな。』


ニアは軽快な動きで、ドアジュの攻撃を紙一重(かみひとえ)のタイミングでかわしていた。


以前の大きな歩幅とそれに伴う斬撃動作とは異なり、最小限の動きで急速に軸を移動させて回避するため、小さな動作でもドアジュの攻撃をかわすことができ、体力の消耗も抑えられていた。


荒かった息が静かに落ち着き、呼吸が整ったことで思考に余裕が生まれた。避けることに必死だった心も、呼吸とともに静かに沈静化した。


一方、ドアジュの呼吸は荒くなり、肩が激しく上下していた。


「フフゥ~ハァ! 避けているだけじゃ、俺が倒れるわけがねえだろ!」


巨大な鉄槌を恐ろしい勢いで振り回しながら、ドアジュがニアに向かって叫んだ。避け続けているニアに苛立ちも混じっていたが、ドアジュの言葉にも一理あった。


素早い軸移動と機動性で攻撃をかわしてはいたが、重心移動の幅が小さいため、回避後の反撃には力が乗っていない。ニアの剣術のその弱点を見抜いていたからこそ、ドアジュは自信を持って叫ぶことができた。


「楽しいだる、ドアジュ! この闘技場で戦うのが、すごくすごく楽しいだる!」


試合中ずっと静かだったニアの口から出た言葉を聞き、ドアジュは笑って答えた。


「グハハハハ! さすが闘士だ! ラウドの信徒らしい台詞だな、ニア・カラゴン! 俺も楽しいぞ。お前を傷つけるのが楽しいんじゃねえ。互いに積み上げてきた闘争の技を競い合う、この舞台に立っていること自体が楽しいんだ!」


そう言い終えると、ドアジュは被っていた(かぶと)を片手で掴んで外し、地面に投げ捨てた。


厚く濃い眉。短く刈り揃えた髭。濃い茶色の髪と日焼けした肌の色に反して、ひときわ白く輝く歯が爽やかに笑う表情とともに、闘技場の陽光の下に露わになった。


「じゃあ勝負を決めようぜ! ドロコ闘士よ。」


笑みを浮かべていたドアジュの表情が一変した。眉間に深い皺が刻まれ、皮膚の下で血管が浮き上がり、鎧を押し破らんばかりに全身の筋肉が波打ち、周囲の空気を熱く(たぎ)らせる。


次の攻撃に、文字通り勝負を決める覚悟が込められていた。


そんなドアジュの姿を見て、ニアも軽やかに地面を蹴っていた脚を止め、肩に担いでいた剣を両手で握り直した。


その光景を見守っていた観客たちから、嵐の日の激しい雨音のような拍手が武舞台に降り注いだ。


その拍手喝采にかき消されて、ニアが剣を握り直す音も、ドアジュの気合の声も聞こえない。


刹那(せつな)、ニアの目に流れ落ちる一滴の血がまぶたを伝う瞬間、その短い隙を突くようにドアジュが動いた。


——クォゥゥンッ!


地面を震わせ、闘技場の床が抉れ込むほどの強烈な一撃。土煙の霧の中から、ニアが弾かれるように飛び退いた。ドアジュはそれを追うように飛び上がり、ニアを追いかけた。


「グァァァァ!」


飛び上がったドアジュが、ニアに向かって巨大な棘付き鉄槌を叩きつける。あまりにも速い攻撃に、ニアは剣を振り下ろして防ごうとしたが、すでに鉄槌の棘はニアの肩に届くほど近くまで迫っていた。


「クゥゥゥゥッ!」


苦痛に満ちたニアの呻きとともに、(うろこ)を貫いて肩に食い込んだ鉄槌の棘の隙間から、赤い血がどくどくと溢れ、肩を伝って流れ落ちた。


ドアジュの顔に笑みが浮かんだ。


『ようやく見えてきたな!』


ニアの剣を押さえていた鉄槌をさらに強く押し込み、肩に食い込んだ棘を深く埋め込もうとした。


「ん?」


再び鉄槌の柄に力を込めようとしたその瞬間。自分の力に拮抗(きっこう)していた抵抗が、突然消えた。


一瞬、体勢を崩したドアジュの体が前に傾き、鉄槌の先端が地面を叩いた。そしてドアジュの脇腹から噴き出す赤い血が、ぱたぱたと音を立てて土に飛び散った。


「ウゥッ! くそっ。」


ニアは、向かい合ったドアジュの鉄槌を剣を傾けて流し、ドアジュの左脇をすり抜けながら脇腹を斬り、さらに剣を握った手首をひねって方向を変え、ドアジュの背中を斬りつけた。


背中に感じた肉を裂く重い痛みに、ドアジュは反射的に体を回して鉄槌を大きく振り回した。


前方に駆け出して脇腹を斬り、再び剣を回して背中を斬ったため、無理に体勢をひねったニアのバランスは崩れていた。


そのため、猛スピードで迫るドアジュの鉄槌を避けることができなかった。


「ウゥッ! 遅いだる! 避けられない……!」


激痛に反応してドアジュが振り回した鉄槌をまともに受け、ニアは床に倒れ込んだ。鎧がへこむ鈍い音とともに、痛みの声すら上げられず、闘技場の地面を転がり倒れた。


防ぐことも避けることもできず、全身で受け止めた鉄槌の一撃。全身を駆け巡る激痛がニアの体に広がった。手足が痙攣(けいれん)し、地面に叩きつけられた衝撃で胸が詰まり、息ができない。


「フゥゥゥゥゥッ!」


詰まっていた息がようやく通り、ニアは体を起こしながら大きく空気を吸い込んだ。


「まだ終わるには早すぎだ!」


ドアジュは、ニアに斬られた傷から血を流しながら、右手一本で鉄槌を地面に引きずり、駆け寄ってきた。背中と脇腹の傷、そして左腕はだらりと垂れ下がり、手の甲から血が滴り落ちていた。


——カガガガガッ!


武舞台の地面を削る耳障りな音を立てて迫ったドアジュの鉄槌が、地面を離れて空を切った。


鉄槌の後ろに生じた暴風は、回避したニアすらよろめかせるほどの威力だった。


全身のマナを爆発的に鉄槌に注ぎ込むドアジュの猛攻が続く。


振り回される鉄槌の風圧で、後を追う砂と土煙の塊が、まるで生き物のようにニアを追いかけた。


「ドアジュ! 受け止めてやるだる!」


避け続けていては不利だとニアは判断した。鉄槌の衝撃と(とげ)に刺された傷が、ニアの動きを鈍らせていた。


ドアジュに向かって大きく声を上げ、ニアは剣を構えて挑発した。


もう一度鉄槌をまともに受ければ、敗北は確実だ。これ以上自分の体は持たない。


「ハッハ! ちょうどいいぜ。こっちも疲れてきたところだった。」


もう避けずに自分の攻撃を受けると言ったニアの言葉に、ドアジュは笑って応じた。


ドアジュは、長い剣の切っ先を自分に向けるニアめがけて鉄槌を振り下ろした。


この勝負の最後を飾る、すべてを賭けた一撃。上半身の痛みを堪え、かろうじて体を支える力まで絞り出したドアジュの最終の一撃が、ニアの剣に激突し、轟音が闘技場に響き渡った。


「今日のこの勝負! 俺がもらうぜ! いい試合だった、ニア・カラゴン!」


ニアは左肩の上に剣を構え、ドアジュの鉄槌を受け止めていた。


ドアジュは、手先に感じる感触で勝利を確信した。闘技場で何度も味わった感触だ。自分と拮抗していたニアの剣が、力なく押し込まれている。


そうして目前に迫る栄光と勝利の喜びに浸っていたその瞬間——


互いの武器がぶつかり、押し潰すような強烈な力に耐えきれず、ドアジュの鉄槌をニアは真正面から力で受け止めず、剣を滑らせるように後ろへ流した。鉄槌の重みをそのまま剣に預けさせ、押し寄せる力を利用して体を逆方向に回転させ、剣とともに体を一回転させた。


相手の力を加速させたニアの剣は、ドアジュの左太ももから右肩にかけて、斜めに深く斬り裂いた。


「ウゥゥッ! どうして……こんな……」


ドアジュの眼前が赤く染まった。自分の胸から噴き出した血が視界を覆い、それが自分の血だと気づいた瞬間、熱い火で焼かれるような激痛が胸に走った。


「私の勝ちだる。ドアジュ・ラマヌサ!」


ドアジュの両膝が地面に落ち、前に崩れ落ちた。大きな歓声と拍手がニアに向かって降り注ぐ。地面に突き立てた両手剣に体を預けて立つニアが、空に向かって握り拳を突き上げた。


「ウォォォォォォォォォ!!!」


「マジかよ……あのドロコがドアジュを倒したって?!」


「すげえ! 赤き龍!」


「へへへ……くそったれ。」


「いや、どうしてあんな小さなドロコに負けるんだよ!」


「ニア・カラゴン~! 最高の試合だったぜ!」


「いい試合だったな、ニア!」


「次はいつだ? また見に来るぜ、赤き龍!」


「ヒュゥゥゥゥゥ!」


「今日は入場料が全然惜しくなかったな。」


「次の試合まで時間空くか? 何か食べてくるか?」


今まで息を潜めて見守っていた観客たちの声が、客席のあちこちから上がった。


ニアは体を起こし、声援を送ってくれる観客たちに手を振った。


「みんな、ありがとうだる! ありがとうだる!」

劣勢からの逆転劇、いかがでしたか。 南方の海賊の技術を再現するシーンは、個人的に一番書きたかった場面です。 楽しんでいただけたなら幸いです。

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