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56話 赤い鱗のドロコ (5)

そう昔のことではない。


小さなニ アの手にちょうど二本が収まるほどの小さな油瓶。香ばしいナッツの油、植物の種から採った油、爽やかな柑橘系の油、イワシの油、クジラの脂の油……世の中にはさまざまな油がある。ランプの芯を湿らせるのに使ったり、料理に使ったり、飲むこともできる油だ。誰もが求める生活必需品であるさまざまな種類の油を売る商人ニアの呼び声が、イクスターンの路地に響き渡る。


油売(あぶらう)るだる~! 長く燃えるランプの油! さわやかなレモン油~ 香ばしいピーナッツ油~ 体に塗ると肌が輝くミュミュ鳥の油~~」


狭い路地の間を縫うように歩きながら声を張るニアの声は、壁に沿って広がっていった。


ニアの小さな背中には、さまざまな種類の油瓶がぎっしり詰まった背負(しょ)(かご) が担がれ、歩くたびに瓶同士がぶつかり合って「カラン、チャリン」と軽やかな音を立てた。


ガラス瓶に収められた油は陽光を浴びてきらめき、ニアが爪先で地面を蹴るように歩くたび、肩越しに傾いた瓶が揺れて、ほのかに香ばしい油の匂いが漂ってきた。


イクスターンの石畳(いしだたみ)の路地を進みながら、ニアは馴染みの商人たちと目を合わせ、軽く会釈(えしゃく)して通り過ぎた。誰かが視線を向けるだけで、ニアは待ち構えていたかのように声を一段高くして叫んだ。


「油売るだる~! この辺りで一番長く燃えるランプの油、ここにあるだる!」


「よぉ、ドロコのニア! 上の階にランプの油を五本持ってきてくれ!」


高い建物の上の窓が開き、腕を振ってニアを呼ぶ声が聞こえた。


ニアは顔をぱっと上げ、笑みを浮かべて叫び返した。


「すぐ行くだる!」


ニアは素早く身を翻し、建物の入口へと向かった。そして、門の脇の階段の下、人通りがない隅に背負い籠をそっと下ろした。瓶がぶつからないよう巻いた布をもう一度整えて「カラン」という音を抑え、中からランプ油を五本選び出して胸に抱き、慎重に階段を上り始めた。


しばらくして、背負い籠の中で油瓶がぶつかり合う音を響かせながら、手にした銀貨をカチカチと数えるニアが、イクスターンの通りをのんびりと歩いていた。


『今日もう二十本も売れただる。円形闘技場(コロシアム)に行けるだる。』


ニアが時間に余裕のある日は必ず訪れる、イクスターン中心部に位置する大闘技場。


ラウドの円形大闘技場、ラウドの神殿、円形闘技場、大闘技場……さまざまな呼び名で呼ばれる闘士たちの聖地。石を削って作ったレンガで、8年もの歳月をかけて建てられた、観客15万人を収容できる特大の建造物だ。


計り知れないほどの石灰岩(せっかいがん)でできた外壁。山一つ分の重さがあると言われるほどの鋼鉄(こうてつ)で支えられた巨大な建築物。


競技場内には多数の魔道具を用いた機械仕掛けが備わっている。エレベーターや滑車(かっしゃ)装置、中心の武舞台(ぶぶたい)の雰囲気を変えるための木材や造形物を上下させる装置。イクスターンの水路と繋がり、管を通して競技場内に水を満たす装置もある。また、暑い夏の日には観客席の足元に水を流して、足を浸しながら試合を見られるようにする装置もある。


武舞台に最も近い下段の座席数席を除けば、入場料は異なるが、お金さえあれば自分の席を教えてくれる小さな魔道具から配られる入場券を受け取り、席に座って試合を観戦できる。


イクスターンを支配する(ここの)つの勢力(せいりょく)、通称『Wall』は、普段は異なる理念と利害で対立しているが、ただ一度——この大闘技場を建てるときだけは例外だった。彼らは唯一力を合わせ、大闘技場を建設した。その結果、内部は九つの区画に分けられ、それぞれの勢力の象徴が刻まれている。


数多くの闘士たちが血を流してぶつかり合う、紛れもない戦いと競争の空間でありながら、この場所は矛盾するようにイクスターンで最も平和な場所と見なされている。


その理由は、大闘技場が九勢力間の公式的な紛争を代行する唯一の場所だからだ。ここでは勢力間の直接衝突や全面戦争が禁じられており、『Wall』が定めたルールのもと、各勢力が推す闘士たちの決闘を通じて対立を調整することになっている。そのため、血が流れ剣がぶつかり合う激戦の場でありながら、逆説的に勢力間のバランスが保たれ、全面戦争が防がれる最も平和な空間となっているのだ。


ニアの脳裏には、円形闘技場を初めて訪れた日の記憶が深く刻まれている。ある日、油を売っているときに知り合った客が「今日は用事ができて行けなくなった」と言って、円形闘技場のチケットを一枚ニアに渡してくれた。


その日、ニアは商売を早めに切り上げ、疲れた足を引きずりながら闘技場へと向かった。


そして闘技場に入った瞬間、ニアの耳に届いたのは、嵐の中の雷鳴のような観客たちの歓声だった。武舞台の上の剣闘士が剣を一振りするたび、空から響くような雷のような音がした。偉大なる赤き龍カタダルの咆哮を聞いたら、あんな感じだったろうと思った。


その日から、ニアの胸の内に、小さなランプの芯の炎のような小さな願いが灯った。


闘士になりたかった。数万の視線が集中する武舞台の上で、15万人の観客に喝采を浴びるあの場所を欲した。だからその日から、ニアの人生の道は変わった。


油瓶を売り歩くニアの手には、適度に削った長い棒が握られていた。剣術を教えてくれる師匠はいなかったが、とにかく棒を振り回した。寝るときでさえ、心の中で相手を斬っていた。


時間があるときは、棒を使って何度も空を切り、何度も空を突いた。新しい剣術が思い浮かんでも、相手をしてくれる人はいなかった。商売がうまくいった日は、大闘技場の外れの遠い客席に座って見る闘士たちが、ニアの師匠であり、心の中の敵だった。


1年。3年。5年が過ぎても、ニアの相手は頭の中の想像の闘士たちと、ニアの棒剣を受け止めてくれるイクスターン外れの大きな木や岩、そして存分に剣を振れる夜空だけだった。それでも長い時間が過ぎても、ニアの心の中の剣への意志は衰えなかった。





*****



イクスターン技術者の通り。その路地の奥深くに(たたず)む小さな鍛冶屋に、ニアは立っていた。


ふいごが動くたびに炉から吹きつける熱風が顔を撫で、耳が痛くなるほどの繰り返しの槌音が金床(かなとこ)を打つ。周囲の鍛冶屋からも響く金床の音や、焼けた金属が水に触れる「ジュー」という音が、技術者の通りがどれほど賑わっているかを音で伝えているようだった。


「よぉ、ニア。今日もあの剣を見に来たのか? 何度も言ってるが、お前には長すぎるぞ。」


炭で黒く汚れた髭と顔、腕に染みがついたドワーフがニアに言った。


「ドワーフのラムバディル。今日は見に来たんじゃないだる。あの剣を俺に売ってくれだる。」


ニアはラムバディルに向かって、金貨がいっぱい入った袋を取り出して差し出した。


「はっ!? このドロコのバカ、こんな大金を貯めたのか? どうやって貯めたんだよ!?」


口をぽかんと開け、目を丸く見開いたラムバディルが、叩いていた槌を置き、ニアに駆け寄りながら言った。そしてニアが差し出した袋の紐を解き、中身を確認した。


「油瓶を売って、飯を減らして貯めただる。」


「いや……それでも、そう簡単に貯められる額じゃないだろう……」


「ここに金貨180枚あるだる。ラムバディルが作った最高の剣を、俺が買うだる。」


「……売るよ。売るから、とりあえず俺の話を聞いてくれ! ニア。」


ラムバディルは両手のひらを広げて前へ向け、ニアを落ち着かせようとした。


「じゃあこの金貨の袋はここに置くだる。」


「……ああ。……ああ。まずはこんな大金を貯めるために苦労したな。そして今すぐあの剣を手に持って出ていきたいだろうが、俺に十日の時間をくれ。どうやらお前があの剣を抜くには別途の仕掛けが必要そうだし、持ち主の手に渡る前に仕上げの作業をする時間も必要だからな。」


今すぐ飛び出して剣を掴み、鍛冶屋を出ていきそうな勢いのニアをなだめながら、ラムバディルは陳列棚の奥に掛けられた長い両手剣を見つめて言った。


名前もつけられていない愛憎(あいぞう)の剣……。数年前、何の風の吹き回しか港を行き来し、苦労して金属商からバレイル産の鋼鉄塊(こうてつかい)を買い込み、「今生最高の剣を作ろう」と決意して、昼夜を問わず槌を振るった。


バレイル鋼は通常の鋼より高い温度で柔らかくなるため、鍛冶炉を改造し、バンヤ木を使った最高級の炭と魔石装置まで使って炎を大きくし、真っ赤に焼けたバレイル鋼を叩いて今の剣を完成させた。


しかしラムバディルは完成したとは思えなかった。剣のバランス、刃の鋭さ、柄の調和……満足できる最高の剣に近づいてはいたが、最高の剣ではなかった。理由のわからないその曖昧な境界に立っている剣が、いつも気にかかっていた。


『いっそ売ってしまえ。材料代だけでも回収できればいい』と思い、鍛冶屋の片隅の壁に掛けておいたが、バレイル鋼の途方もない価格、炉の改造費を差し引いても必要なのはまさに今の価格、金貨180枚……。


売れなかった。ラムバディル自身も心のどこかに残る未練(みれん)のせいか、たまたま壁の剣の値段を尋ねる客には「金貨180枚」と言う以外、剣の性能や高価な材料を使ったことさえ積極的に伝えなかった。


そうしてどれだけの時間が流れたかわからない。愛憎の剣への思いが薄れ、今日ニアが金貨の袋を自分の前に見せるまで、深い霧の中でぼんやりと心に浮かんでいた剣の姿が、ラムバディルの目の前に現れた。


粗末な小さな鍛冶屋の壁に掛かっていた剣ではなく、主人に出会って見知らぬ土地をあちこち旅する剣の姿が浮かんだ。


その姿が目の前から消えてしまいそうで、ニアが置いていった金貨の袋を急いでニアの手に戻し、「十日後にまた会おう」と慌ただしく挨拶すると、壁から剣を外して炉の中に突っ込んだ。


倉庫の隅で出番を待っていたバンヤの炭も再び取り出した。そして十日の間、ラムバディルは鍛冶屋を離れなかった。剣を叩き、装飾をやすりで削り、磨き……鍛冶の神クルームガディに見せても恥ずかしくない剣を完成させるために動き続けた。


やがて主人を迎える剣に、主人の象徴となる名前「小赤龍(しょうせきりゅう)」と、主人に出会った剣への自分の思いを刻み込み、ニアの手へ小赤龍を握らせた。


「これがこのラムバディル最後の炎かもしれないと思って打ち上げた剣だ。その点を忘れず、この小赤龍を大事に使ってくれよ、ニア!」


惜別(せきべつ)のこもったラムバディルの声が、小赤龍とともにニアへと届けられた。


その日から、ニアの腰にはラムバディルが作り上げた小赤龍が常に伴っていた。目を閉じて想像の相手と剣を振るうときも、ニアの手には棒ではなく小赤龍があった。自分の身長より長い両手剣を振り回しながら短くない時間を過ごした。そして闘技場でも小赤龍とともに、生死の境を何度も行き来しながら時を過ごしてきた。


それらの時間を振り返りながら、ニアは高く掲げた剣をゆっくりと目の前に下ろして見つめた。


『今日の試合、勝たなきゃだる。俺の神カタダルと、お前の神クルームガディに恥ずかしくない戦いをしなきゃだる。180金貨!』


名を呼ばれたニアの剣は、ランプの灯りに照らされてさらに赤く輝いて見えた。


ニアは速くなった呼吸を整え、座って、ドアズとの試合を前に乱れた心を落ち着けた。何度も闘技場に通って見た数多くの試合が頭をよぎる。


斬り、突き、受け流して反撃(はんげき)、後ろに下がって避ける……まだ姿を知らない想像の中のドアズとニアが長い両手剣を振り回して戦っている頃、声が聞こえた。


——キィィィィ——


「ニア・カラゴン様。準備をお願いします。武舞台の準備がほぼ整いました。」


濃いローブを頭からかぶったトレア商隊の団員が控室(ひかえしつ)の扉を開け、顔を覗かせてニアに言った。


「準備はできてるだる。」


閉じていた目を大きく見開いて、ニアが答えた。


「では名前が呼ばれた後、あちらの大きな扉が開いたら、武舞台に向かって歩いて出てください。」


「うん! わかっただる。」

5年という月日と180金貨。ニアが積み上げてきたものの答え가、次回の試合で明かされます。引き続き見守っていただければ幸いです。

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