36話 トルド伯爵 (2)
「カビル家を知っているか?」
トルド伯爵がグラベルに尋ねた。声には親しみなど微塵もなく、感情の混じらない口調だった。
「聞いたことはあります。王国北西部のウェイルド地方の公爵だと存じています。」
「では、そのカビル家が私のトルド家、そして私が仕えるバナス大公と最も敵対する家柄だということも知っているか?」
「エステタ王国の北西部に二つの貴族連合があり、互いに敵対しているということだけ存じています。」
「そうだな、かなり長い間、分裂して争い続けてきた……。大まかでも知っているなら話が早くなるな。」
トルド伯爵は剣の柄をいじりながら、頭の中で言葉を選んでいるようだった。
「それにしても、そんな質問はなぜなのですか?」
グラベルの問いに、トルド伯爵は剣をいじっていた手を止め、ゆっくりと首を回してグラベルを見据えた。
「どうも、疑念というものが生まれてしまってな……老騎士の勘というものは、時折り正確に当たるものだ。確かに君は、ただ遠い異国からエステタへ旅に来た腕の立つ冒険者だと思うのが正しいのだろうが……」
トルド伯爵は首を上げて浅いため息をつき、言葉を続けた。
「もしかすると君は、大公に近づくためにディアラを手助けしたのではないかという思いが浮かんでな。バナス家に仕える家臣として、この疑念をただ見過ごすわけにはいかんのだ……だから問うよ、君はカビル家と関わりのある者か?」
狭くなった眉間と力の入った両目がグラベルに集中し、トルド伯爵の顔は感情を表さない冷たい表情に変わっていた。自分の言葉に対するグラベルの反応を、一つとして見逃すまいとするように、静かに言葉を終えると、口を固く閉ざしたままだった。
「カビル家という名を聞いたのは最近のことですが……今は言葉以外に伯爵様の疑念を払う方法がないようです。」
トルド伯爵がグラベルに投げかけた問いは、グリックの襲撃、そしてタイミングよく現れたグラベルが、もしかするとよく練られた芝居ではないかという意味だとグラベルは理解した。自分をカビル家に雇われ、ディアラに付き従ってヴェス・ディナスへ行き、バナス大公に近づく敵対家の雇われ人だと考える伯爵の疑念。説得する方法を見つけなければならないとグラベルは思った。
「ははは。そうだろうな。私も、君がディアラの馬車を襲ったグリックという者と事前に計画して近づいたのかもしれないと考えてみたのだが……。ただの考えであって、君を追い詰める証拠はない。そして、もしそうなら大公に近づいた後で何をするつもりなのかもわからんし、まだ朧ろげに生まれたこの疑念が、ただ老人の過剰な心配であってほしいというのが私の本心だ……」
トルド伯爵は後ろ手に組み、首を上げて頭上の木の枝を見ながら言葉を続けた。
「それでも、こんな小さな疑念でも生まれたら、今日のように無礼な方法しか使えんというのは、事前に謝っておく。」
トルド伯爵の説得力のない疑念だったが、グラベル自身も自分がどこから来て、何を目的にエステタ王国を旅しているのか、トルド伯爵に説明できないことが多かったため、伯爵の疑念を明快に払う言葉を言えなかった。少しの沈黙が続いた後、グラベルは何かを思い浮かべたように口を開き、伯爵に言った。
「私が伯爵様を説得する方法があります。ただ、私がカビル家や、あるいはバナス家を敵対するいかなる勢力とも関わりがないと今この場で言っても、それもただの言葉ですから、少し荒っぽい方法になるかもしれません。だから、事前に謝罪しておきます。」
グラベルが言葉を終え、地面に向かって両手の掌を広げて魔法陣を展開した。トルド伯爵とはかなり距離が離れていたが、二人の間の地面の上に、無数の文が満載された大きな魔法陣だった。
魔法陣の文たちが黄金色の光を放ち、グラベルが立っている場所を中心に展開された巨大な魔法陣が、次第にその姿を現した。魔法陣を展開するグラベルの様子を見たトルド伯爵は、警戒するように剣の柄を握り、いつでも剣を抜く準備をする姿勢を取った。
「九度の慟哭を呼ぶ杖よ! Induku Idwalda!(インドゥク・イドワルダ)」
グラベルが魔法の発動語を叫ぶと、地面に描かれた魔法陣の無数の黄金色の文たちがより大きく光を放ち、空に向かって文から生まれた小さな光の球体が昇り始めた。
地面から上がって虚空に集まった光の球体が、次第に光を失うように萎んで消えていくと、空間が歪むように捩れ、裂ける音が響き渡った。
そしてその場所では、長い指を持つ手が虚空の空間から現れた。
禍々しい気配を放つ二つの手が、グラベルが展開した地面の魔法陣から光を吸い取るように気配を引き寄せ始めた。
『メレックの岩の杖(Melec's Rock Staff)は、9レベルの魔法とはいえ発動速度が遅すぎるな。特に、あの手を召喚した後に魔法を詠唱する二重発動の魔法だから……』
自分の頭上の高い空の上に魔法で展開された手の形を首を上げて見つめながら、グラベルは思った。
手の姿は奇怪さを超え、大きさもこの世界に属さないような様子だった。黄金色の血管を伝う血が黒い皮膚を流れ、長細い指と皺くちゃの獣の皮のような厚い皮膚を透かしてその姿を見せている。不明な文と図が手の甲と掌のあちこちで脈動するように光を放っていた。
「初めて見る魔法だな。ディアラから君の魔法の腕も相当なものだと聞いたが。それにしても、その魔法が私をどう説得するというのだ? 説明してくれ。」
トルド伯爵もグラベルと同じく首を上げて空中に現れた奇怪な形の手を見ながら言った。自分に対する敵意は感じられず、事前に謝罪の言葉とともに説得の手段として詠唱した魔法だと認識したのか、いつの間にか握っていた剣の柄から手を離していた。
「お久しぶりに使う魔法なので発動が遅いのかもしれません。少しお待ちいただければ、今この魔法の名である岩の杖が姿を現すはずです。」
グラベルが見上げた空には、地上の魔法陣からすべての魔力を吸収した手が、ゆっくりと長い指を折って拳を握った形をしていた。
しかしそれもほんのわずかな間。まるで手に目が付いているかのように、自分が召喚された世界を見下ろして鑑賞するように柔らかく握っていた手の指を一つ一つゆっくりと緩やかに広げながら動いていた手の動きが止まると、トルド伯爵とグラベルが立っている地面が揺れ始めた。地面の岩と木々が空に浮かぶ手の動きに合わせて空に向かって浮かび上がり、空中の一点を向かって飛んで集まり始めた。
数十の岩が土中から噴き出し、自分の重さを忘れて空中に浮かぶ。周囲の岩同士とぶつかりながら浮かぶ岩たちの様子に目を丸くしたトルド伯爵は、揺れる地面にバランスを取ろうと苦労しながら周囲を見回し、空の上空の手を見ながら言った。
「こ・・・これは、何の魔法だ……」
トルド伯爵の声は、周囲の岩と木々が地面から引き抜かれぶつかる音と木々が折れる音、そしてその木の枝と葉が立てる音に埋もれ、グラベルに届かなかった。
範囲を広げながら地面の岩を集めていた空に浮かぶ手の動きが止まり、吹く風に散る煙のようにその形が消えた空中上の場所には、巨大な石の柱が浮かんでいた。
一見して600キュビット(300m)の長さはありそうで、まるで城壁を剥ぎ取って持ち上げて空に浮かべたような様子だった。大きさの異なる石と岩が積み重なって合わさった巨大な石柱の隙間には、岩とともに地面から引き抜かれた草と木々が折れたり挟まったりしたままだった。そうしてグラベルの魔法で姿を現したメレックの岩の杖が、夜明けの薄明かりを受けて、その下のグラベルとトルド伯爵が立つ場所に黒い影を落としていた。
「これが、私が伯爵様にお見せできる説得です。」
グラベルの言葉に、ぼんやりと空の上を見上げていたトルド伯爵が再び首を下げ、グラベルと目を合わせた。
グラベルの声に込められた意味。グラベルが言った説得の意味をトルド伯爵は理解できた。今二人の上に浮かぶ巨大な石の柱を落として自分を害するという脅迫のような説得を言っているのではない。
トルド伯爵がグラベルに問うたカビル家に雇われた者か、という問いにグラベルが見せた答えの意味を、空に浮かぶ岩の柱が意味するものをトルド伯爵は理解できた。
私にはこんな力があるのだから、誰かに雇われる理由もなく、大公に近づくために芝居などする必要もないという意図が込められた魔法だった。そしてそれは、グラベルが言ったように強力な説得力を備えた答えだった。
気が向いたら呼吸の乱れ一つなく、特別な努力なく軽く詠唱したこんな魔法を使って都市一つくらいは消し飛ばせるという力の誇示。また、そんな魔法を直接目の前で見たトルド伯爵は、しばらく目の前の巨大な岩柱が自分の領地であるバラ・グラスに落ちる様子を想像してみた。想像の中でも都市の高き城壁は何の意味もなく、数多くの兵士も、馬上の厚い鎧を着込んだ兵士たちと騎士たちも役に立たなかった。
「槍と剣の道を歩んできて魔法については深く知らんが……この程度の威力を備えた魔法を使う魔法使いがいるとはな……。そして君の言ったその説得の意味も理解した……」
空から落ちる土が肩と頭に積もり、それらを払い落としながらトルド伯爵がグラベルに言った。
「不快に思われなければいいのですが。私がどれだけバナス家を敵対する勢力と何の関係もないと言っても、それはただ聞く相手が信じてくれることを願う言葉だけだと思いました。」
「ははは。そう思うのも無理はないな。君の言う通り、生まれた疑念は目で直接何かを確認するまで容易には消えんからな……」
トルド伯爵が笑いながらグラベルに言った。いつの間にか鋭く開いていた目の力は解け、穏やかな表情でグラベルを見ながら話していた。
「はい。だから伯爵様が懸念されるように、私がバナス家に不純な意図で近づいたという疑念を払うために、そんなに苦労して芝居までして何かをする必要すらない人間であることを、魔法で伯爵様にお見せしたのです。」
トルド伯爵と会話を続けながら、掌を広げた腕を頭上の石柱に向かってまっすぐ伸ばしながらグラベルが言った。
「そうだな……あんな岩の槍を投げつけたら、どんな厚い城壁に囲まれた要塞や城でも無駄だろうからな……ところで急だが、私の頼みを一つ聞いてくれんか?」
「おっしゃってください。」
頭上のメレックの岩の杖が少しずつ崩れ、数個に分離して地面に向かって降りてきていた。
「まず、バナス家の家臣として言う言葉ではないことをわかってくれ。そして私が頼むのはそんな大それたことではなく、ただ君の目でバナス家を見てから、そしてそのバナス家が君の正義、善、資格、どんな言葉で言うべきかわからんが、君の基準に合う、人々の上に立って統治する資格のある者たちだと思ったら……そう思ったら、私に見せてくれた今日のこの力を、どうかバナス大公のために使ってくれ。大公を助けてくれ。」
トルド伯爵がゆっくりだが真剣な口調でグラベルに言った。
ちなみに、今回グラベルが呼び出した「メレクの岩の杖」は1本だけですが、『グランドワールド・オンライン』では最大で16本を同時に詠唱したことがあります。




