35話 トルド伯爵 (1)
1階のホールは両側に長く伸びた長方形の構造で、天井が高く、壁面ごとに長く置かれた木製の椅子とテーブルたちの間に人々が座っていた。すぐ隣のテーブルには4人の男が大きな背負い袋を床に下ろし、酒杯をぶつけ合いながら、魚料理がたっぷり盛られた皿一つを中央に置き、会話を交わしていた。
「前回はどれくらい稼いだ?」
「うう。今回の冬をなんとか耐えられるくらいしか稼げなかったよ。お前はどうだ?」
「似たようなもんだよ! まあ・・・。それで。今度はどこに行くんだ?」
魚料理の汁にパンの欠片を浸して濡らしながら男が言った。
「遺跡の西側外郭はもうだめだ。遺跡からもっと北へ行ってみるか、それでもだめなら下側の遺跡に行くしかないよ。」
「ええ~それでも地下はだめだよ。冒険者たちを雇って行っても危険なのに、俺たちみたいな探索者たちだけで行く瞬間すぐに・・・」
自分の首に手を当て、手刀で首を切る仕草をしながら男が言った。
近くからは興が乗った兵士たちの会話が聞こえてきた。
「男爵様は身代金を払って解放されたのかな?」
「気にすんな! 今さら何を・・・」
酒の味が落ちたというように顔をしかめながら兵士が言った。
「貴族様たちの命と俺たちの命はそもそも価値が違うんだから。あのグリックって奴が、ずっしりした金貨の入った袋と交換したんだろうよ。」
「それでも、楽になったじゃねえか? 朝から温めた洗顔水を天幕に運ばなくてもいいし。」
「夕方にはあの巨大なベルデ家の紋章が刺繍された天幕を張らなくてもいいしな。」
「きっとお元気でいるさ! 無駄な心配すんなよ、飲もうぜ!」
グラベルがもっと遠い側のテーブルに視線を移した。視線が届いたそこには丸いテーブルに囲んで座った数名の体格の大きな男たちがいたが、彼らの視線はテーブルの一側に顎鬚を長く伸ばした老年の男に集まっていた。老年の男は酒杯を高く持ち上げ、声を大きく出していた。
「明日は森の奥へもっと入るぞ! しっかり食っておけ!」
「はい!」
「了解! わかりました。」
一団の頭領らしい老人は顔には深い皺が刻まれていたが、酒杯を持ち上げた腕には長い時間を鍛え込んだ筋肉質の腕と老人の体型とは距離のある、着込んだ革鎧では隠せない力強い体躯だった。
鋭い目つきだったが、豪快な笑い声をホールに響かせるように出し、部下たちと笑いながら次々と酒杯を飲み干す老人の外見は長い間旅をしたのか、土埃だらけの鎧に髪の毛と髭にも埃が付いていた。
「今日はやけに客が多いようだな。」
ホールの中をゆっくり見回していた老人の視線がリブとケイン、そして兵士たちが座っているところで少し止まりながら言った。そして再び手に持った酒杯を飲み干しながら視線を移し、その目が止まったところはディアラが座っているテーブルだった。
「ほう・・・バナス家の兵士たちと、青いローブの魔法使いか・・・」
老人は酒杯を口に当てていた動作を止め、頭を少し傾けながらディアラの方をじっくり眺めた。
濃く覆われた眉の下で目が細くしかめられ、まるで馴染みのある何かを思い浮かべようとするように、しばらくの間視線を外せなかった。
少し後、彼は杯をテーブルの上に置いた。置いた杯が『ガタン』と音を立てて響き、その音とともに老人は顎で部下たちに何かを知らせたように肩を一度すくめ、席を払って立ち上がった。
座っていたテーブルを背にし、一方の手で腰元のマントを払い落とした彼は、重い足取りを大きく踏み出しながら、ディアラのいるテーブルに向かって近づき始めた。
歩みを進めながら、万一髭に食べ物や酒杯から付いた泡があるかと顎と鼻周りを触りながら歩いた。そしてディアラとグラベル、イリスが座っているところまで歩いてきて言った。
「おお~おおほ! やはりディアラだったか! ロールみたいな田舎に何の用だ? それにバナス家の兵士たちまで連れて・・・」
自分の名前を呼ぶ老人の声にディアラが頭を上げ、老人と目を合わせた。
「トルド伯爵様? ここにどうして・・・いえ、まずは挨拶を・・・。お元気でしたか? 伯爵様。」
驚いたディアラの目が大きく見開かれ、席から慌てて立ち上がり、トルド伯爵が差し出した手を握って握手しながら挨拶した。
「ははは。そうだ! 久しぶりだなディアラ。隠れ月の寺院で会った時は子供だったのに、もうこんなに時が経ったのか。それにしてもどこへ行く途中だ? それにどこから来る途中だ?」
「アクイルンからバナス大公様に持って行かなければならない物を抱えてヴェス・ディナスへ向かう途中でした。」
ディアラがトルド伯爵に言った。
「ほう・・・大公様に・・・それなら今はバラ・グラスへ向かう途中だったろうな。ははは!」
トルド伯爵が大きく声を出して笑いながらディアラに言った。そしてふと、とても昔の記憶が浮かんだ。初めてディアラを見た瞬間、自分の髪の毛が今のように白くなかった時代の記憶だった。
*****
隠れ月の寺院。ヴェス・ディナスから西へ少し離れたところに位置する隠れ月の騎士団の本拠地だ。寺院の中央には昔ラヴィルーン大陸に落下した三番目の月の欠片を削って作った月の尖塔があり、月の尖塔を中心に西側には騎士団の宿舎をはじめ武器庫と馬小屋、鍛冶場など騎士たちが寺院に滞在しながら暮らすのに必要な施設があった。そして北側には巨大な石造建築物の月の図書館が、東側の広い広場には修練する騎士たちと訓練生たちがいつもいた。
修練場で訓練を終えた寺院の幼い訓練生たちが流した汗を拭きながら向かうところは南側の大きな建物の食堂だった。そこでトルド伯爵はディアラと初めて出会った。
訓練生騎士たちの訓練を手伝ってほしいというバナス大公の依頼にしばらく寺院に滞在しようと到着した初日、寺院から出された食事をたっぷり食べ、後食にはリンゴ三つを手で掴んで椅子に寄りかかり、もう一つの椅子には足を乗せてリンゴをむしゃむしゃ食べていた時だった。小さな橙色の髪の女の子が自分の前に近づいてきて声を掛けた。
「おじさん。騎士でしょ?」
「ううむ?! そうだ、一応騎士の名で生きてはいるよ。」
口の中のリンゴの欠片をごくりと飲み込みながらトルド伯爵が言った。
「ふむ。あまり強そうには見えないけど・・・。それなら、私におじさんがどれくらい強いか見せてくれますか?」
じっと細目を開いてトルド伯爵を眺めていた子が、座っていた伯爵の姿をじろじろ見回しながら言った。
「こほんこほん! それでもエステタ王国では私が一番強いはずだよ? まだ誰にも負けたことがないんだから!」
トルド伯爵が口を覆って空咳をし、口を覆っていた手を外して大きな笑みを浮かべて子に言った。
「え? 本当? 嘘じゃないよね? どうしたらおじさんみたいに強くなれるの? 私は強くなきゃいけないんだよ。」
目が大きく見開かれた子が数歩近づいてきてトルド伯爵に尋ねた。
「ははは。そうだ、私の伯爵位を賭けよう。でもなぜそんなに強くなりたいのか聞いてもいいか?」
「それは詳しく言えないよ。私は最高の隠れ月の騎士にならなきゃいけないの。だから・・・だから私にこの武器で戦う方法を教えてください。」
大きく力を入れて見開いた目とともに少女が持っていた小さな杖から末端が丸い鈍器の形状が青い光を放っていた。
「(おお? これがあの隠れ月の騎士たちの武器発現か?)まだ幼いのに立派な武器発現だな。そうだ、最高になるために私を探したんだからそうしてやろう。私に学べ。」
トルド伯爵がディアラの頭の上に手を置いて撫でながら言った。
そうしてしばらくトルド伯爵が幼い頃のディアラとの出会いを少し思い浮かべていた。
*****
「それにしてもこの方たちは誰だ?」
トルド伯爵が席に座りながら二人の方へ掌を広げるように慎重に差し出しながら尋ねた。
「ヴェス・ディナスまで護衛のために一緒に来てくださる冒険者、グラベル様とイリス様です。」
紹介されたグラベルとイリスがトルド伯爵に挨拶した後、四人が席に座って会話を続けた。
「それにしても伯爵様はどうしてロールにいらっしゃるんですか?」
ディアラがトルド伯爵に尋ねた。
「シャラボラスの森に生息する赤熊はこの時期が一番危険な時だからな。これを見ろ! これも少し前に捕った奴で作ったんだが。」
トルド伯爵が着込んだ赤い毛皮の外套をディアラに差し出して見せた。
「ふう。もう年齢も考えなきゃいけませんよ。伯爵様なのにこんなにうろついて趣味で熊狩りなんて・・・」
「こほん! 趣味とは何だ! これがすべて領民たちの安全と騎士たちの訓練も兼ねてるんだ。それに年齢とは。私が老いたというのか? それにアクイルンに行く時はバラ・グラスにも寄ったはずなのに、なぜ顔一つ見せずに去ったんだ!」
久しぶりに会ったディアラに感じる嬉しさが、トルド伯爵の声から内心表れていた。
「どうせ今みたいに熊狩りだの領民のための治安維持だのとおっしゃりながらうろついてる最中だったんでしょう!」
しばらく二人のじゃれ合いがあってから、トルド伯爵が遠い側のテーブルにいた部下の一人を手招きして近づくように呼んだ。
「お呼びでしょうか伯爵様。」
太い低音の声で言った男がトルド伯爵の座っている席に近づいて言った。
「ディラード。私は明日バラ・グラスに帰る。明日から熊狩りは君が率いてくれ。」
「お任せください。予定通り数日間もっとロールに滞在して赤熊討伐をしてバラ・グラスに帰還します。」
「そうだ。せっかく会った孫娘みたいなのに忙しくて顔も見づらい隠れ月の騎士様と道ででも分かち合う話が多いからな。それじゃバラ・グラスで会うのを楽しみにしてるよ。待ってる間に良い酒を準備しておく。」
「楽しみにしてます。伯爵様。」
*****
翌日。ディウレ川に沿った道にはディアラの馬車と兵士たち、そしてその横を馬に乗って並走するトルド伯爵が一緒に移動していた。
「それで、そのグリックという奴は逃げたのか?」
「はい。仕方なかったんです。怪我した兵士の方々もいたし。追う余力がなかったんです。」
「うむ・・・。もう少し早く話を聞いていたら昨夜ディラードに赤熊の代わりにそのグリックという奴の処理を任せたのに・・・」
トルド伯爵がディアラに襲撃された時の事を聞きながら言った。
「このトルドに学んだ鈍器術が負けるなんて・・・。普段の修練がどれだけ怠けていたら。ちっ、石像運びは止めてしばらくバラ・グラスで再修練するのはどうだ?」
トルド伯爵が舌打ちしながらディアラを横目で睨みながら言った。
「そんなんじゃないですよ。それに年配の騎士様に学ぶほど実力が足りないわけでもないですし・・・」
「くうう・・・相変わらず一言も負けない生意気な孫娘め。」
久しぶりに会った二人の会話が続き、ディアラの馬車が道を進み続けた。
*****
風の音と時折その音に混ざって -チャプン-音を立てて水面の餌を食べる魚の音が聞こえるディウレ川の川辺に、ディアラの馬車が一晩を過ごすために設置した野営地があった。
前日の夜に焼いて食べ残した魚たちの骨が焚き火の横に積まれていた。その横では串に刺された魚たちが焼けながら香ばしい匂いを周囲に広げている。一日中馬車を引いて疲れた馬たちも野営地の一角に繋がれ静かに休んでいた。焚き火の周囲には温めた石を抱き、毛布を被ったまま眠った兵士たちの姿が見える。
起きている人は昨夜周囲を警戒することになっていたグラベルとイリスの二人だけだった。焚き火の熱気にほんのり温まった岩に寄りかかって座り、お茶の入った杯を両手で包み込み、ゆらゆら立ち上る湯気を眺めている頃、グラベルが見つめていた白い煙のような湯気の後ろから赤みがかった毛皮を着込んだ人影が近づいてきていた。
「少し一緒に歩きながら話ができるか?」
トルド伯爵がグラベルに近づいて手招きしながら言った。
「はい。」
短い返事を終えてグラベルが席から立ち上がり、トルド伯爵を追って歩いた。
野営地から少しずつ離れながら黙って二人が森の奥に向かって歩いた。
そして二人の間に漂っていた沈黙を破ってトルド伯爵がグラベルに言った。
「歳がこれくらいになると回りくどく言うのも面倒になるな。それでもあまり無礼に見えないように少しは回りくどく言ってみる。」
「はい? 何のお話でしょうか・・・」
意味がわからないトルド伯爵の言葉にグラベルが歩みを止め、自分を眺める伯爵に目を合わせながら微笑みを浮かべて答えた。
過去3日間見てきた姿とは違う表情をしたトルド伯爵の目がグラベルを見ていた。敵意は感じられなかったが、温和な好意も感じられない、自分の言葉にどのような反応をするか、小さな表情の変化や手振り、視線の方向、何一つ相手の様子を見逃さないために集中する目だった。
今日の冬!ファッションの完成形は――赤グマの毛皮コート!
えっ、重い?動きづらい?そんなこと言う奴は森に置いてくぞ!
伯爵曰く「ファッションとは、命を懸けてでも守るべき信念」だそうです。




