32話 順鹿狩り(1)
「じゃあ、私がグラベル様とあっちの岩の横の草むらに行って準備するよ。少しずつ後ろに下がりながらコーリングしてみて。」
普段より速く小さな声の囁きが、リブとケインの間で忙しなく行き交った。
「じゃあ、グラベル様、この弩弓を受け取ってください。」
ケインが革紐で括っていた弩弓をグラベルに渡し、二人が体を隠していた藪の下から体を低くしてその場を離れた。
「グラベル様、これからは音を立てないでください。音と匂いに敏感で、目もいい奴だって聞きましたよ。ケインがもっと後ろの方に行って、黒トナカイの声を真似して、奴が別の雄がいると勘違いしてこっちに来るように誘導するつもりです。」
「はい。静かに横について行きます。」
「近くにトナカイが来たら、息を吐く時は地面を見て、できるだけ鼻と口を地面に近づけて鼻から吐いてください。すみません、事前に教えておくべきことだったのに。最後に私が手で合図したら一緒に弩弓を撃ってください。胸の辺りの肺を狙ってください。」
リブは慎重に手を伸ばし、足元の乾いた土の上に指先で線を引いた。細く敏捷な手つきで、すぐにトナカイの横姿が簡潔に描かれた。真っ直ぐな背中の線の下には四本の脚が短い曲線で表され、頭の部分には角が単純な曲線二本で描かれていた。
「ここ、この辺りです。」
リブはトナカイの前脚近く、胸の辺りに当たる部分に指を押し当てて小さな円を描いた。
「ここを正確に貫通すれば、どれだけ逃げてもすぐに倒れるはずです。」
リブの指先は最後にグラベルに向かってその部位をはっきり指し示した。
「はい。わかりました。」
「よし。じゃあ行きましょう。」
リブが腰を大きく曲げ、膝を低くして動き始めた。移動しながら時折頭を上げて黒トナカイの位置と状態を確認し、最小限の音を立てて足を踏み出すたびに前方を確認しながら進んだ。
―クルクルクルクル―
二人の後ろからトナカイを誘う柔らかな息の混じった低音のケインのコーリングの音が聞こえた。
―ムゥゥゥ~ゥ~―
今度は大きな声でミュールジカを威嚇した時の声を真似した音が聞こえた。
ケインの音が峡谷の向こう側から藪を掻き分けてウィングルベリを食べていた黒トナカイに届いたのか、食べていたのを止めて体と頭をあちこち大きな角と共に回しながら周囲を見回していた。
音のする方向を探ろうと角の下に付いた小さな耳をぱたぱたさせていた黒トナカイが、ケインがもう一度鳴き声を真似すると、ウィングルベリの藪があった小さな丘の下り坂を歩いて降りた後、再びリブとグラベル、そしてもっと遠くにいるケインがいた峡谷の方の上り坂を登り始めた。
黒トナカイの動きを目で確認したリブが口をぱくぱくさせてグラベルに何かを言おうとしているようだった。
『うつぶせになって行きましょう。』
手のひらを地面に向かって下ろしながら、口を普段より大きく開けてぱくぱくさせ、リブが自分の意図をグラベルに伝え、うつ伏せになって前へ進み始めた。
グラベルもすぐにリブに倣って地面にうつ伏せになり、這って彼の後をゆっくり追い始めた。息を吐くたびに地面に顔が触れそうなくらい近くに寄せて、その吐いた息に押された土の粒が見えるほど静かに息を吐き、吸う息には土と苔の香りを嗅ぎながら静かにそしてゆっくり息をして、音を立てずに二人が動いた。
―チャク― ―チャク― ―チャチャク―
草を踏み、擦る黒トナカイの蹄の音が一定の間隔で二人の耳に聞こえてきた。
あまり頻繁にコーリングを繰り返すと逆に疑いを招くと思ったのか、ケインはもう黒トナカイの鳴き声を真似しなかった。少しの静けさがトナカイと猟師たちの間に留まると、リブはすぐに体を止めた。
やがて峡谷を割って鋭い風が通り抜ける音が聞こえ、その風を隙にトナカイに近づいていた二人の猟師が再び慎重に動き始めた。
ヒュウウン―激しい風が吹くたび、彼らが踏む枯れ葉や擦る枝の音が風に埋もれて消えた。
『もう少し近づかないと…あの厚い毛皮に万一ボルトが弾かれたり、中途半端に刺さったりしたら駄目だから。』
リブが心の中で思い、腹と胸を地面に付けたまま片耳を空に向け、黒トナカイが出す音を聞こうとした。
風の音に混じったトナカイの蹄の音がだんだん近く聞こえてきた。早朝の空気を含んで乾いてしまった草葉を擦る音がリブの耳に聞こえた。
『もうほとんどだ。あと少し、ほんの少しだけ…。』
近づく黒トナカイの音にリブの心臓が速く打ち始めた。耳に聞こえる自分の心臓の音が緊張をさらに増幅させた。息を吐く時も顎の筋肉が痙攣を起こして音が出そうで、口を手で覆って何度も息を止める必要があった。
―クルルック。プルック!―
黒トナカイが息を急に吐く音が近くから聞こえた。トナカイの音を聞いたリブがうつ伏せの状態から姿勢を変えてトナカイの位置を確認した。
艶のある黒い毛に茶褐色の角が太い木の枝のように空に向かって分かれて伸びている黒トナカイの姿がリブの目に映った。手のひらを折り曲げて広げ、グラベルに手信号を送った後、弩弓を片腕で支えてリブが少しずつそしてゆっくり体を起こした。
息を止めてトナカイに向かって弩弓の先を狙い、頭を振ってグラベルと目を合わせた後、顎を一度頷かせて弩弓の引き金を引いた。
―トン!―
―ピュン!―
引き金を引くと同時に弦を掛けていた掛金を下に下げ、弦が弩弓の矢を弾き飛ばし、黒トナカイの首と胸に一本ずつ飛んで刺さった。
「ケイイイイイイン!! 当たった!!」
リブが我慢していた息を大きく吸った後、遠くで待っているケインに向かって大きく叫んだ。
リブが大きな声を出したと同時に、弩弓の矢が与える痛みと突然目の前に姿を現したリブとグラベルの姿に驚いた黒トナカイが駆け足で丘を下り、瞬く間に距離を広げて自分を狙った猟師たちから遠ざかった。
「あの大きさのトナカイなら、どれだけ上手く当たったとしても結構遠くまで逃げるはずです。早く追いかけましょう。」
リブが丘の下へ飛び降りながら横で並んで走るグラベルに言った。
「もうあんなに遠くに行っちゃったのに、大丈夫ですか?」
「フウック!フウック! はい、あいつより…小さな奴らでも普通は肺の片方を当てたら日が暮れるまで一日中血痕を追う時もあるし、両方の肺を当てたり運良く心臓に当たったら一道も行かずに捕まえる時もあるんですよ。」
リブが弩弓を手にしたまま黒トナカイが逃げた方向に向かって走りながらグラベルに言った。
「リブ~! どうなった?」
ケインが後を追って峡谷の下を走っているリブとグラベルに合流しながら聞いた。
「首に一本、そして胸の方に一本。」
「フウ! フウック! 胸の方は貫通した?」
「いや、ボルトが半分くらい刺さった程度。確かじゃないけど」
「うん…ちょっと走らないとね?」
「そうだね?」
「でも首にも一本当てたから意外と遠くまで行ってないかもよ。」
「500金貨のトナカイだぜ、日が暮れるまで走ってもいいよ。」
額から流れる汗を手の甲で拭いながら走っている最中だったが、二人の口元には笑みが絶えなかった。
「おっ! あそこ血痕だ。」
リブが走っていた足を止め、藪の枝に付いた赤い血痕を調べた。
「血に泡が混じってるのを見ると肺に当たったのは確実だ。あっちに…もう歩いてゆっくり行ってもいいみたい。」
リブが手を上げて低い木々が集まって生えている方を指しながら言った。
万一トナカイが途中で急に方向を変えて移動したかもと思い、リブが地面を注意深く見ながら先頭に立って歩いた。
「ふふふふ。なんて幸運だよ。本当に黒トナカイを捕まえるなんて! 黒トナカイだぜ! なあ? リブ?」
「運が良かったよ。それでもウィングルベリの藪が集まって生える峡谷の木の少ない場所を選んでコーリングして待ったのも、ある程度運をこっちに引き寄せる役割はしただろうよ。ははは。」
「グラベル様はどうでしたか? 狩りは初めてだって言ってましたよね?」
「私は失敗しないようにという気持ちで、ただリブさんの指示に従って行動しただけですよ。」
「とても上手でしたよ。気配を殺して動くのも上手だし、立ち上がって弩弓を撃つまで全部完璧でした。」
黒トナカイの続く血痕を追跡しながら三人が小さな木々が集まった森に辿り着いた。
様々な形の小さな葉が赤く変わりつつある木々が並んだ峡谷の中へ続く森だった。
「あっちだ!」
リブが走り出した。その後を追ってケインとグラベルが走り、前を塞ぐ木の枝を掻き分けて到着した場所には黒トナカイが横たわっていた。最後の息を吸ってから間もないような姿だった。温かさが残る黒トナカイの死体は一目で4キュビット(2m)を超える長さの体に巨大な角を木に凭れさせて息絶えていた。
「ヒュウ~、近くで見ると想像してたより大きいな?」
リブが横たわるトナカイの死体を見下ろしながら言っていた。
「遠くまで行ってないのを見ると反対側の肺までボルトが届いたみたいだね。そのおかげで時間を半日分は節約したよ。」
「じゃあ始めようか? グラベル様、木の枝を集めて火を起こしてください。その間に私とケインでこいつを解体します。」
その後、黒トナカイの死体の近くに焚き火が起こされ、トナカイの解体が始まった。
リブが丁寧にトナカイの皮を剥ぎ取ると、ケインが内臓を抉り出し、脚を切り離して袋から取り出した紐を使って木に吊るし、大きく切った肉は小さな袋から取り出した粉を塗って擦り込んだ後、他の大きな袋に入れたり小さく切って焚き火の近くに木の枝を適当に立てて作った即席の乾燥台に掛けた。
リブも忙しく動きながら近くの木の枝に剥いだトナカイの毛皮を掛け、ケインと共にトナカイの肉を切り出し骨から肉片を剥ぎ取り、トナカイはいつしか二人の猟師によって腱を剥がれ、肉は部位ごとに分けられていた。
グラベルも小さなナイフを取り出し、リブとケインからトナカイの解体法を学びながら数時間を過ごした末に黒トナカイの解体を終えることができた。
「ふあ! これも久しぶりにやると疲れるな!」
ケインが焚き火の横に座り込みながら言った。腕と顔に付いたトナカイの血の染みがトナカイの解体にどれだけの労力が入ったかを代わりに示しているようだった。
「それでも村を出てから長いのに解体法は忘れてないんだな?」
リブが大きな肉の塊を串刺しにした長い木の枝を焚き火の横に刺して座った。
「子供の頃からずっとやってたことだから。小さなウサギから大きな鹿まで解体して内臓と皮を分けるのが日常だったよ、あの頃は…」
ケインが少し時間を遡って村にいた幼い頃の自分とリブの姿を思い浮かべながら言った。
「グラベル様もお疲れ様でした。トナカイの解体まで手伝ってくださって。おかげで少し早く終わりました。」
「お役に立てましたか? それなら、よかったです。」
火で焼かれたトナカイの肉が熟れていき、三人の服に付いた血の染みが気になり始めるほど余裕が生まれると、肉が刺さった木の枝を取って手に持ち、三人の会話が続いた。リブが地面に座って小さく切った塩と胡椒そして香辛料が塗られた肉を口で咀嚼しながらその味を味わい、グラベルとケインもリブほどではなかったが大きく噛み切った肉を味わいながら三人の猟師の狩りの成功を祝う焚き火の横の宴を始めた。
トナカイの肉は、牛肉の香ばしさや豚肉のコクとは異なる、独特な風味を持っています。クセもなく、非常に食べやすいそうです




