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Yesterday(1)

休業中の張り紙がドアと窓に貼られた小さなベーカリー。

その作業場で、一人の少女がバゲットや食パンを袋に詰めたり、サンドイッチを作っている。


少女――名は荒谷(ありや)レンカ。黒に近い濃い茶色の髪を無造作に束ねた頭。小麦粉で薄っすら白くなった青いエプロン。


「レンカお姉ちゃん、今日も病院に行くの?」


レンカに、作業場の出入口に佇む幼い弟が尋ねた。


「おはようカイくん。そうだね、行くよ。配達が終わったら、そのついでにお見舞いにね」



店舗は休業しているが、一部の馴染み客に限って配達での営業は続けていた。もっとも、本来の店主はいないため、クオリティは保証できない。それでも欲しいという客に向けてのサービスだった。



「じゃ、じゃあ、あ、あのさ、えと……」


「ん? どうしたの?」


「え、えっと……ねえ、お姉ちゃん、もう病院行かないで」


「カイくん、ど――」どうして、と口を開きかける。


それを遮るように妹ユラが割り込んでくる。


「カイは怖いんだよ。このままじゃレンカお姉ちゃんも病気になっちゃうかもって。お母さんとアンナお姉ちゃんみたいに。病院に行ったら、それっきり帰ってこないんじゃないかって。……それに、わたしだって、同じふうに思ってる」


妹弟にそう言われたレンカは困ったような顔を一瞬浮かべて笑う。屈んで弟の頭を撫でる。


「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」


「そういうんじゃ……」ユラが小声で呟いた。



レンカの顔は誰が見ても疲れているといった様子。目のクマ、乾燥気味の肌と唇。

ユラから見ても、ここ最近で酷くやつれたように思える。ユラより年上だとしても、レンカはまだ子供だ。20歳を過ぎて婚約者までいた上の姉アンナや、亡母とは違う。


「……ねえ、わたしもお店手伝うよ?」


「大丈夫。ユラちゃんはちゃんと学校行って。前も言ったでしょ」


「お姉ちゃんだって本当は学校あるよね? でも、アンナお姉ちゃんが入院してからずっと学校行ってないじゃん。それに、もう休んでよ。レンカお姉ちゃんが大変なのにわたしだけ――」


「ユラちゃん」きっぱりと告げる。


「――っ」


「ありがとうね」


レンカは微笑む。

ユラはレンカの得も言われぬ圧に屈した。どのみち10歳のユラに手伝えることは多くないし、14歳のレンカが無理をしてでも働いているのはユラやカイたちのためでもあることは妹弟は理解していた。


レンカも妹弟たちの心配事は察している。

しかし、そもそもの話、レンカが働かなくとも当面の間生活できるだけの蓄えも支援もある。

それでも、レンカは家業を細々とながら続け、さらには外でも仕事をしていた。多少無理をしてでも自分が頑張らなければならない。レンカはそう思い込んでいた。

自分が背負い込むことで何かが報われるのではないか、と脅迫めいた観念に動かされていた。そうした歪さに、レンカ本人も気づいている。


「さ、二人とも、学校遅れちゃうよ」


レンカは妹弟を促した。

二人はしぶしぶといった素振りを滲ませるが、これ以上姉を困らせてもしようがないと、レンカに従う。


「「行ってきます」」


ユラとカイは登校していった。


自分一人しかいなくなった家の中で、レンカは天井を見上げた。

深呼吸する。


「さて、と」


自室に戻り、化粧で目元を明るくさせるレンカ。

それから、配達用の大容量バックパックを背負い、パンの入った籠を持つ。すっかり自転車置き場と化した店舗、自転車の荷台と前籠に荷物を置いて、店舗出入口から通りへ出る。

初春、陽の光は暖かさを増してきているが、風は未だ肌を刺すような冷たさ。


レンカの暮らす街はドームで覆われているが、都市外の季節と同調するような気温設定になっている。北の地方にあるこの「トヤハナ」コロニーでは、冬期は街全体が冷蔵庫のような環境に置かれる。積雪がないだけ外に比べればマシかもしれないが、それでもときおり強く吹く風や低湿度状態は無意味な彩りだった。


「さむっ」


レンカはマフラーを鼻まで上げ、自転車を押して歩き出した。





警察署にレンカはいた。

小さな警察分署が最後の配達場所だった。


「ああ、いつもご苦労さん」


守衛をほぼ顔パスで通り抜け、オフィスへと入るレンカ。


「配達に来ましたぁ」


レンカが現れるなり、数人の署員がレンカのもとに寄ってくる。


「おぉっ、今日もありがとさん」


わいわいと、各々パンを手に取っている。

大の大人が楽しそうに自分の作ったパンを受け取る。

この何とも言えない温かさは嬉しくもあり気恥ずかしくもある。配達を始めて三ヶ月ほどだが、レンカはまだ慣れない。


「レンカちゃんお疲れ様。これ、今日の分」


50過ぎくらいの白髪交じりの男性がレンカに封筒を差し出す。中身は配達の料金だった。


「あ、署長さん」


レンカが封筒を受け取ったのを見て、署長はバゲットを手にし、千切って口へと運んだ。

その様をその場にいる全員が見つめている。

署長はレンカの母や祖父母の代からレンカの家でパンを買っている付き合いの長い常連の一人だ。


「うん。ここ一ヶ月くらいは安定してるね。もうお店に出しても誰も文句言えないよ。正直な話、お姉さんより上手だよ」


「ほ、本当ですか。やった」


「おお、やったじゃん」「よっ、天才パン屋さん」口々にギャラリーが囃し立てる。



「こら、お前たち」


「あ、すみません署長」


俄かに静まり返る。


「味は合格だよ」


「ありがとうございます。内村さんも藤井さんも署長さんと同じこと言ってくれました」


「あの人らも、常連だったからね」


「もうお店を再開してもいいんじゃないかって」


「ああ、そうなるか……。う~ん、質は問題ないんだけど。その、まあ、いまの配達くらいなら認めるけど、お店を開くのはもう何年かしたらかな。僕らも本音を言えば、キミくらいの年齢なら学校で勉強したり、遊んだりしててほしんだ」


「そりゃあ、そうっすけど、俺がレンカちゃんくらいのときなんて学校なんて行きたくなかったし、家のことなんかも知ったこっちゃなかったっすよ」


「お前みたいなアホとは違うだろ」


「はははっ」


署員たちが笑う。

レンカもつられて苦笑いする。


「うちらも一応、寄付金みたいなの集めてんの」サンドイッチを頬張りながら、女性警官が言った。


配達依頼もその一環だった。


「言わないでよ」署長がわざとらしく肩を竦める。


また笑いが起こる。


その賑やかな光景を眺めながら、空になった配達用のバッグを片付けるレンカ。室内を見回す。


「このあとはお姉さんのお見舞い?」近くにいた署員が尋ねる。


「あ、はい」


ちょうどそこに男性警官がやってきた。


「ただいま戻りました」


レンカを見一瞥し、男性警官は、オフィスの奥のロッカールームへと行こうとする。

そこを署長が呼び止める。


「谷村」


「はい、なんです? 署長」


「いまから、医療センター分院までパトロールお願い」


「え、いや、あっちはこの分署の管轄じゃないですよね」


「じゃあ、いまから半休ってことで」

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