第9話 朔愛のピンチ(前編)
「ねぇ、お姉。ちょっと聞きたいんだけどさ」
「んん?何よ」
気持ち良く晴れた日曜日のお昼すぎ、居間のソファに寝転んでいた姉の結愛が首をのそりと持ち上げる。
昨日は深夜までアニメを見て寝不足らしく、目をしょぼしょぼさせながらこちらを向く。
「あのさー、先週お姉の誕生日祝いを買うから同級生に付き合ってもらったって言ったじゃん」
「ああ、あれね!あれはね、最高のチョイスだよ。その同級生にはちゃんとお礼を言っておいてくれただろうな?もうあれから1週間も経ってるんだし」
「それがさー、中々話すキッカケが無くてさー」
テーブルの上のアイスコーヒーに口を付け、椅子に座りながら足をプラプラさせる。
「へー、あんたにしては珍しいじゃん!誰にも物怖じしない陽キャが話すタイミングを掴めないなんて」
お姉はしょぼしょぼさせた目を無理やり開けて、驚きの表情を浮かべる。
「んー。あ、でね?今度そいつにお礼がてら、何か渡そうかと思ってさ。何が良いかなーって」
「はっ???朔愛が????おいおい何だよ!6月下旬なのに雪でも降るのか?」
ソファに寝転びながらウーンと背伸びをした結愛がカパッと身体を起こす。
「バトラのフィギアを選んでくれたのって男の子でしょ?何よあんた、その子の事が好きなの???」
私と良く似た、くりくりと大きな目が更に大きくなる。
「んー、そう言うのはまだ良く分からないんだけどね。でもまぁ、何かお礼はしたいなーって思うんだよね」
そう言って私は今まで水樹との間に起きた事……コンビニの件や保健室で起きた件をお姉に話す。
ただ秋葉原での買い物が終わった後の……別れ際の件は黙っておいた。
「はー!そんなんさ、王子様じゃん!!」
いつの間にかお姉の目がキラキラと輝いている。
お姉は好きだからなー、そう言うシチュエーションが。
でも……水樹が王子様ねぇ。
お姉の言葉を聞いたら絶対にあいつ、「オレはそんな大層な物じゃない!ただのモブ男だ!」って否定するんだろうな。
頭の中でわたわたと焦る水樹を想像して「いししっ」と笑ってしまう。
「おいおいおいおいおいおいおい、男っ気が全く無い姉の前で何ニヤついてるんだお前?お?」
お姉がわざとらしく凄むが、目は楽しそうに笑ってる。
「まー、そう言う訳でさ。とりあえず何か渡そうと思うんだ」
「成る程ねー。ま、私も良い物を貰ったし、何かお返しをしたいところではあるわね」
2人でうーんと頭を悩ませていると、お姉が突然ぽんっと手を打つ。
「ねぇ、その水樹くんって子、カバンにフラウのぬいぐるみキーホルダー付けてたんだよね?」
「あっ、うん」
「それじゃ、きっとフラウの事は好きなんだよね?」
「多分そうだと思うよ」
「だったらちょっと待ってな!」
そう言ってお姉は走って居間から出ていき、手に財布を持ってすぐ戻ってくる。
そして財布を開き、中から一枚の紙を取り出す。
「はい!これ、あんたに上げるよ」
「何これ?」
お姉から引換券のような紙を受け取る。
「前にアキバのグッズショップで店舗独自のキャンペーンをやっててさ。丁度エンジェルメルトのBlu-rayを買って応募資格があったからその場で何気に参加したのよ」
「うんうん」
「で、一昨日くらいかな?メールが来てね。当選しましたよって」
「わー!お姉、凄いじゃん!」
「ふふん!まーね!それで当選した物なんだけど……フラウのキーホルダーなのよね。私はそこまでフラウ推しでも無いし、3等だから激レアって程でも無いけれど。それでも一応非売品だからさ。それ、使いなよ」
「えー!良いの?」
「可愛い妹の為だ!後、ここで水樹くんに恩を売っておくと後々良い事があるかもしれないしな」
お姉はニヤリと笑って軽くウインクをする。
今日はこの後特に予定も無いし、秋葉原は先週水樹と一緒に行ったから何となくお店の場所も分かると思うし。
よし!今日、交換に行っちゃおう!
お姉から貰った引換券を眺めながら、明日どうやって水樹にキーホルダーを渡そうかな、水樹は喜んでくれるかなと考えるだけで、外の天気と同じ様な気持ちの良い風が、私の心に流れ込んでくるのを感じていた。
「いししっ」
私は手に持ったビニール袋を眺め、小さく微笑む。
秋葉原の駅に着いてからスマホを片手にお姉が教えてくれたお店を探すと、そこは先週に水樹と回った店舗の内の一つだった。
店内に入り、お姉から貰った引換券を渡してフラウの限定キーホルダーを受取る。後はこれを水樹に渡すだけだ。
明日、水樹に渡すタイミングや場所についてあれこれ考えながら、来た道を戻り駅へ向かった……はずだったのだが、どうやら道を間違えてしまったらしい。
辺りを見渡すと、アニメショップやパソコンショップが全く無く、代わりにメイドカフェやコンセプトカフェと書かれた外看板が路上のあちらこちらに置かれている。
時刻は17時過ぎで空はまだ何とか明るいが、何故か人通りが少なく余り良い感じはしない。
スマホを取り出し、現在位置から駅までの道のりを検索して早く帰ろうと地図アプリを起動した時だった。
「あれ?テメェ、この前の」
下品でタチの悪そうな声が、私の背中に浴びせられる。
後ろを振り向くとそこには……以前コンビニで私に絡んで来た男達が3人、ニヤつきながら立っていた。
私は大きく溜息を一つ付き、男達を無視してスマホの地図アプリを眺める。どうやら駅と逆方向に歩いてしまったみたいで道を戻らないといけないらしい。
さっさとこんな奴等の前から立ち去ろうと歩き出すと肩を強く掴まれる。
「おい!シカトしてんじゃねぇぞ!」
男が大きな声を出して凄む。
「やめてよ!汚い手で触らないでよ!!」
私も大きな声を出して男の手を弾く。
「何だよ、こんなところで会うなんて奇遇だな?お前あれか?学生なのにこの辺りで働いてるのか?どこのメイド喫茶よ。俺等全員で行ってやるぜ?そん時はちゃんと『お帰りなさいませ、ご主人様』って言えよなこのクソ生意気女がよ?」
以前、コンビニで私の手首を掴んだ入れ墨男がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
「はぁ?あんた脳みそ入ってるの?働いてる訳ないでしょ?ただ買い物に来て帰り道に迷っただけよ!『お帰りなさいませ』って言われたいなら、そこら辺にあるお店にでも行けば良いじゃない!お金さえ払えばあんたみたいな脳みそ空っぽな男にも『ご主人様』って言ってくれるわよ?」
私はふっと鼻で笑い、入れ墨男を一瞥する。
こんなチャラくて馬鹿そうな男達と話しても私の人生に何の特もない。
寧ろ、時間の無駄だ。
さっさとこの場から立ち去ろうと踵を返すと、入れ墨男の仲間たちが目の前に立ち塞がる。
「さっきから黙って聞いてれば好き勝手言いやがってよぉ!!攫うぞこの野郎!!!」
男が私の腕を強く掴む。
「離して!触らないでよ気持ち悪い!!」
男を睨みつけ、手を振りほどこうとするが、掴まれた腕は全く動かない。
辺りをチラリと見渡すと、人はチラホラいるがみんな我関せずと言った感じで足早に通り過ぎて行く。
そうしている間に別の男が私のもう一方の腕を掴む。
「おい、車持ってこいよ。マジでこいつ攫っちまおうぜ」
そう声が掛かると、入れ墨男は『ニチャァ』と音がするような気味の悪い笑みを浮かべる。
「いいねぇ。このクソ生意気な女に礼儀って物を教えてやらないとな。後は男に対する作法もな」
「そうだな。三日もあれば男を喜ばす術を叩き込めるしな」
「逆に生意気な女の方が仕込みがいがあるしな」
ゲラゲラと笑う男達を私はキッと睨む。
「あんた達みたいなクソ野郎に好き勝手されるなら、この場で舌を噛んで死んだ方がマシだわ!!!」
「おっ、言うねぇ。どこまでその勝ち気なツラを保ってられるか楽しみだわ」
入れ墨男が腰をかがめて私の顔を覗き込む。
こんな男達に連れ去られるくらいなら、腕に噛みついてでも逃げてやる!
「じゃ、お前らちょっと待ってろよ。車持ってくるからよ」
そう言い残し、立ち去る入れ墨男。
残された2人は私の腕を掴みながらニヤニヤしている。
「まー、でもよく見りゃめちゃくちゃ可愛いよなこいつ」
「確かにな。コンビニの時も思ったけど、オレこう言うやつ超タイプだわ。頭押さえつけて、逆にヒーヒー言わせたいぜ」
「お前ドSだからなぁ。ま、俺も好きだけどよ」
右腕を掴んでいた男が私の顔を望みこむ。
「しかもこいつ、細身の癖に胸もデケェしよ」
男の手が私の胸を掴む素振りを見せ、こんな奴に触らせるくらいなら本当に舌を噛んでやる!!と唇を噛み締めた瞬間、男の背中がドン!と何かに押され、男は前につんのめる。
同じ様に私の左腕を掴んでいた男も背中を何かに押され倒れる。
「えっ?」
驚いて後ろを向いた私は、目の前に立つ人の事を何も考えられずに見つめる。
ただ何故か無意識に、お姉の言葉が頭に浮かんでいた。
『そんなんさ、王子様じゃん!!』
私の目の前には、険しい表情を浮かべた水樹が息を切らしながら立っていた。