深志は?
森長可:仁科領についてはわかった。しかし深志はそうでは無いであろう?
武田時代、深志城は武田家重臣馬場信春が管轄。その信春が長篠の戦いで討ち死にした後入ったのが息子の昌房。木曽義昌が織田信長に寝返った事により境目となった深志城一帯を防衛するため、各所の守りを指示されたのが長年。この地域で活動を続け、当時は武田の陪臣に位置付けられていた西牧氏。でありましたが……。
大塚丹後守:はい。西牧氏当主又兵衛は武田の将来に不安を覚え木曽義昌に連絡。武田勢と合戦し深志城攻略に貢献しました。その後、旧領回復を目論んだ小笠原貞慶が信長様の御機嫌伺いにやって来るも深志城は木曽義昌の物に。この過程で小笠原に付いた者共と木曽の関係は悪化。武装闘争に発展。この紛争を鎮めるのに貢献したのも西牧又兵衛。木曽義昌の信任を得た西牧は深志城周辺で重きを為していました。
森長可:西牧が木曽を見限る可能性は?
大塚丹後守:「木曽義昌あっての。」
でありますので本心はわかりませんが、
「出来ない。」
でありましょう。
林為忠:西牧は今どうしている?
変化之六平:わかりません。ただ上杉と行動を共にしている事はありません。
林為忠:何故そう言い切れる?
変化之六平:深志城に入ったのが……。
「小笠原だからであります。」
大塚丹後守:貞慶か?
各務元正:いや。それはあり得ぬ。彼は京に居る。
大塚丹後守:上杉が連れて来たとなると……越後で匿っている者の中に小笠原に所縁のある人物が居る?
変化之六平:その通りであります。上杉景勝は深志城を手に入れるにあたり、1人の人物を擁立しています。その人物の名は……。
小笠原洞雪斎。
各務元正:小笠原洞雪斎は兄であり先程名前貞慶の父でもある長時と共に武田信玄に敗れ京の三好を頼るも、信長様とのいくさに敗れ越後に逃れたと聞いている。
変化之六平:はい。その後は上杉謙信の助けを借りながら武田と戦い、旧領の回復を目指していました。此度の政変により、洞雪斎の働き掛けが活発化。この動きに呼応したのが、武田滅亡時。深志に入った貞慶に従った者共であり、仁科領の国衆であります。
木曽が単独で彼らの動き並びに上杉の侵攻を喰い止める力はありません。現状、織田が深志に大兵を送り込む事が出来る体制にはありません。唯一協力可能な人物は殿しかいません。にも関わらず木曽は、殿を亡き者にしようと画策していました。木曽を支援する人物は誰一人として存在しません。