追跡
予期せず逃げてと叫ばれて動けるものなどいるのだろうか。走る二人が横を過ぎてワンテンポ遅れてから足が動き出した。そもそもなぜ走らなければいけないのかも分かっていない。
手を引かれて無理矢理一緒に走っている冬亜は突然のことに状況が把握しきれない。
「何々なんかあったの?!」
「とにかく走って!」
冷ややかで物静かな雰囲気を纏う冷斗が想像もできない程の大声で言葉を発している様子から只事ではないのだと察せられる。もつれながらも全力で公園の外まで出たところで後ろを振り返ってみると、波に揺られるようにただ浮遊していただけだった海月の海獣が淡い赤色に発光し、一気に押し寄せて来るのが視界に入った。
地を歩く生き物は摩擦や足音で来ているのが分かるがその音がしないため気がつかなかった。
「てか、なんで僕たち襲われてんの!?」
「お前が手を伸ばしたからだろ絶対」
「えー!天宮さん触ってたじゃん」
「犬猫みたいに好き嫌いあるんじゃねーの」
だんだん状況が分かってきた冬亜は自分の足で走り始めた。
走り続けて公園が見えない距離になってきたが海獣は追いかけることをやめない。
すると冷斗が突然、竜樹の方に顔を向けた。
「君……えっと、君はここから家は近い?」
「へ、あ、はい!予備校の帰り道なんでここからすぐです」
「わかった。君はそのまま家まで走って。そこの道から二手に分かれよう」
丁度Y字路の分かれ道まで気づかぬ間に来ていたようだ。ここを右に行けば竜樹の家はすぐそこである。
「冬亜は?」
「私が連れて行く。それでいいよね?」
「いいけど、竜樹の方に行ったらどうするの?!」
「…………大丈夫だと思う。多分。こっちに来るはず」
「それはそれで怖い!!」
「行くよ」
合図とともに竜樹は右へ冬亜たちは左へ速度を緩めることなく二手に分かれた。
後ろを振り返ると海月たちはこちらに迫っていた。数が減っているように見えないことから全てがこちらに向かってきているのがわかった。
(良かった。竜樹の方には行ってない)
だがこのまま走り続ければ持久力が切れ追い付かれるのは容易に想像が着く。
「………君は、家どっち方面?」
「あ、え、えーと」
家の住所を伝えるとまるで行ったことがあるかのようにスムーズに道を選んでいく。
「僕の家のあたり来たことあるの?」
「ない。でも何かあった時のために町の地図は頭に入ってる」
難しいことを淡々とやって退ける冷斗はそろそろ走り疲れてペースが落ちてきた冬亜とは対照的に汗ひとつかかず、ただ前を向いている。
(成績優秀、運動神経抜群、この差はなんだ?)
疲れすぎてどうでもいいことを考え始めてしまう。
見覚えのある街灯が見え始め、やっと住んでいる団地に着いたのだとわかった。だが後ろを振り返れば追ってくる奴らの姿が見える。このまま家に逃げ帰っても階段を登っている間に追いつかれることだろう。
帰るに帰れないこの状況にこまっていると冷斗が振り向いた。
「ここだよね」
「ああ、うん、そうだよ!」
そう答えると冷斗は突然立ち止まった。
「え、え!?何してるの??逃げないと!」
そう言っても無反応で俯いている。
もう海獣の群れが追い着き逃げられないと思ったその時冷斗はバッと顔を上げた。
風が吹いていないのに透き通る銀糸の髪は風に靡かれるように揺れ、月明かりに照らされた瞳はアメジストのような輝きと見たもの全てがひれ伏すような圧を持っていた。
雰囲気が変わった。
空気が揺らいだ。
海獣たちも足を止めている。追うのをやめたというよりは困惑しているように見える。
冷斗は海獣の群れに冷ややかな視線を向け口を開いた。
「散って。お前たちの居場所はここじゃない」
すると、ざわざわしていた海獣達は透けて何処かへ消え去ってしまった。
茫然と一連の事態を目の当たりにした冬亜は驚きと威圧感で冷斗に声をかけられずにいた。