「お前を愛すことはない」と言われたけど、それに騙されるほどバカじゃありませんから
「おっ、お前のことを愛するわけないだろう!!」
忘れもしないわ。この言葉が私を私としての記憶を取り戻させてくれた時なんだから。
ガーンと殴られたような衝撃が襲ってきて、胸がギュッとなり心臓が止まってしまうかと思ったもの。
初めて会う婚約者は私よりも少しだけ背が小さくて、その分背伸びをするように足先を伸ばして一生懸命威厳をつくっていた。
ね、想像してみて。とっても可愛らしいでしょ。同い年だって聞いていたのに、まるで子供みたいって思ったの。
隣にいたお父様の顔もゆるんで、婚約者の両親であるグレース伯爵と夫人も微笑ましくその姿を見ていたのよ。
五歳の私が、つられて笑ってしまったってしょうがないと思うの。「くすっ」と子供らしく笑っただけ。その後にこの日のため、一生懸命練習したあいさつをしたわ。今までで一番の出来と胸をはって、スカートから彼へと視線を上げた時。
「わ、笑ったな! 俺を、俺はグレース伯爵家を継ぐエリック・グレースだぞ」
「え、ええっと……はい、知っています。私は」
「知らない。知るもんか。俺にピッタリの可愛い女の子と会えるって父上は言ってたのにっ!!」
地団太を踏み私をにらみつける婚約者。まるで私が可愛くないみたい。こんな風にはっきりと嫌いだと意思表示されたのは初めてでした。
お父様もお母様も可愛いとしか言わなかったもの。お兄様だって私がお願いすれば、にっこりとなんでも譲ってくれるのよ。
彼の癇癪は止まらなくて、ついに「だって、こんなケーキみたいにふくらんだ女の子だなんて! お、俺は認めないから! お前が婚約者だなんてっ!」と叫んだのです。
私は怖くなってお父様を見上げると困ったように眉を曲げています。
「何言ってるんだ? 可愛いだろう? このふっくらとした頬。真っ白でつやつやだぞ。金色の真っ直ぐな髪も美しい。エメラルドみたいにキラキラ光る瞳。今でも美人さんだぞ、大人になったら誰もが振り返るさ。まるっこい手。がっしりとした身体。これこそが美しいというのだ」
ん~……? グレース伯爵が一生懸命に褒めてくれますが、なんだろう。あんまり嬉しくない。そうね? この間お気に入りだったドレスが入らなくなっていたわね。お母様は成長期だって言ってくれたけど。騎士の訓練を始めたお兄様よりもお食事が進んでしまう時も……よくあるわ。ん、ん~~? これってつまり……。
「デブじゃないか。お、俺はお前を愛することはない。絶対にない!」
ショックなことがあると、人って泣くより先に気を失ってしまうのね。私の視界は真っ白になってそこからの記憶はないわ。
****
ここで一度整理しておきたいことがある。私はアンナ・モンドリ。モンドリ伯爵家の娘。当年、五歳。うん。ここまではまちがいない。
で、それとは別にーー。ええ、記憶があるわ。これは前世の記憶。
前世は、前の私は魔女だった。今は魔法使いとして女性も活躍できるけれど、あの当時は魔女と言われ、迫害、弾圧を受けていた。時代が悪かったとしかいえない暗い時代。
そんななか、私は街外れにひっそりと暮らしていた。先読みの力を使ってほそぼそと占いなんかをしてね。魔法使いとしての訓練を受けていない私は大した魔法が使えなかったから。
結局見つかって、形ばかりの裁判で……あの人。証言台に立った彼が王族の一人だとその時知った。
縄で繋がれ、泥だらけな私を緑の瞳が無感情に見ていた。私が彼を誘惑していた……しかも魔法を使って。なんてのはバカバカしい話。
魔法では人の気持ちなんて操れないのに……。魔法使いですら魔女と言うだけで不可能を可能にかえて、偽証する。
「彼女が魔法を使ったところなど見たことがない」これは嘘。私は彼のために何度も魔法をつかった。
「では、この魔女とくちづけを交わしていたという証言は!」
「………」
取調官の追求に一瞬のスキをつかれる彼。だめよ、ここで黙っては。
「そんなことは……しない。わたしを陥れたい誰かの噂だ」これも半分は嘘。私はあなたのくちづけを思い出にして死ぬ決意をしてるもの。あなたへの恋を胸に抱いてね、だから。
証言台に立たされた彼に意地の悪い質問がつづく。私だってバカじゃない。
これは私を裁くふりをした彼を引きずり落としたい誰かの策略だ。国民に人気があり頭も切れる彼が見せたちょっとした隙。悪い噂一つなかった彼の弱みになってしまった。
「いいわ! 彼って使えないのね。本当のことを教えてあげる」
何日も食事をもらえなかったから、かすれた声しか出なかったけど、私は精一杯声を張り上げた。
「私はね、この魔女の力を使って贅沢な暮らしをしたかったのよ。いつまでも隠れてひっそりと暮らすなんて性に合わないもの。ねえ、私って綺麗でしょ。魔女の力で誘惑していた最中だったのにーー。もう少しだったのに。ね、殿下。あなたが王族だなんて知らなかったけど、お金持ちのお貴族さまだってのはすぐに分かったわ。密告した人は誰? 今すぐ呪い殺してあげるわ」
もちろんそんな力はない。それでも、私は彼以外の人を一人一人睨みつけていく。魔法が使える証である私の紫の瞳から逃れるように、鼻で笑って虚勢をはる奴、目をそらす奴、魔法使いですら怯えた表情で私を見る。最後に彼へと手を伸ばす。流し目をつくり、色気たっぷりに娼婦のように。
「ね、あなたは私のこと愛してたわよね。あんなに優しかったんだもの」
そんなに驚いたような顔をしないで。あなたが言うべきセリフはたった一つよ。
「ーーお前を愛することはない。……魔女め! お前は罪人だ」
そう、それでいいの。私は民衆の前に連れ出され、磔にされ焼かれる。それを中央につくられた上段から見下ろす王族の人たち。その中に彼を見つけた。彼の太陽のような金の髪はいつも通り美しかったから。
願うなら、次は魔女以外に生まれ変わりたいわ。もっと平和に暮らすの。恋はーー。
「お前を愛すことなんてない」と私は言った。彼も言った。バカなのは周りの人たちよ。私はちゃんと分かっているわ。ええ、そう信じないと私が可哀そうだもの。
これが私の死ぬ時の記憶。木材が燃える匂いがして、熱さと煙に喉が焼かれてしまう。足先から炎が私を包んでいく。めらめらとーー。
****
最悪なお見合いで失神して前世を思い出した私は、目が覚めるとベットから飛び起きて家族を探した。「まあ、目が覚めたのね」とお母様が声をあげて、食堂にいた三人が驚いている。私はお兄様に抱きついた。
「お兄様! 私ってとっても幸せ者だわ。お母様、お父様、とっても大好き。私を愛してくれてありがとう」
お母様の頬にキスをして、お父様の首にしがみついた。べそべそと泣く私をお父様が抱き上げてくれる。
「怖かったか。……やっぱり、婚約の話は白紙にしようか」とお父様。
「大丈夫よ。目が覚めたらお家だったからびっくりしただけ」
怖かったのは本当だけど、それは前世を思い出したから。それよりもこんなに大事にしてくれる家族のもとに生まれたのが嬉しくて。私はもっと立派なレディになるわ。お父様とお母様が胸をはれるような娘にね。
まずはできることから始めましょう。ということで私はダイエットを始めた。お父様もお母様も私が食事を残すことを心配したけれど、こういうことは日頃の意識が大事なの。今から適度な運動もすれば大人になっても食欲をコントロールできるはず。
婚約はそのまま継続してもらったけれど、お互いの第一印象は最悪だったから両家で話合い、仮の婚約となりました。どちらの父親も時期が早かったと反省をしたらしい。
十歳になったらもう一度会って仕切り直しをすることになった。その時に気に入らなければ、婚約はなし。破棄ではないのは、私たちの年齢、家柄、その他もろもろを考えたら候補第一位なのだけど、結婚となれば一生のことだからと、お父様たちが私とエリック様のことを考えてくれたから。
****
勉強に礼儀作法、貴族が学ばなければいけないことは沢山あります。真面目に取り組んでいると一日はあっという間に過ぎていく。それが一年、二年となり気がつくと約束の十歳になっていました。
すらりと伸びた手足。ダイエットは上手くいって細すぎず、太すぎない身体を維持している。顔もすっきりした。唇は赤くツヤツヤとして健康そう。カスタードクリームのような髪はお母様の指示でキレイに巻かれている。グリーンの瞳に合わせてドレスは薄いグリーン系。
鏡の前でくるりと回ると、お母様は満足げにうなずいた。
「素敵よ! その可愛い姿で、お口の悪いグレース家の坊ちゃんを黙らせるわよ」
お母様はまだ前回のエリック様の暴言を根にもっている。私は前世の記憶のおかげで、子供の言ったことだからともう気にしていないんだけど。
「エリック様もカッコよく成長しているかもしれないわ、お母様」
「……そうかしら。そうねーー」
ノックの音がして、お父様が部屋に入ってくる。私を見て、いつも以上に目尻を下げ
「アンナは大人びているから、正装するともう大人になったみたいだ。なんだか、さみしいよ」
といつものように頭をなでようとして、お母様に怒られている。
五歳の時に前世を思い出せてよかった。お父様もお母様も本当に私のことを可愛がっているから、あのまま大きくなっていたらきっと我がまま放題で物語のような悪役令嬢になっていたわ。前世では自ら進んで悪役になったからこそ、二度とあんな目にはあいたくないもの。
グレース家で行われる仕切り直しの顔合わせのために、寄宿学校に入っているお兄様がわざわざ帰ってきてくれて
「いいかい、アンナ。気に入らなかったら、ここを蹴るんだ。股の間だ。男なら一発で仕留められる!」
と、ものすごく物騒な言葉で私たちを見送ってくれました。
グレース家に着くと、グレース伯爵夫婦が私たちを出迎えてくれました。こちらに負けずグレースご夫婦も着飾っている。
「今日は来てくれてありがとう、アンナさん」
「やあ、アンナ嬢。またお会いできて嬉しいよ。すっかりレディだね」
前回お会いした時には気がつかなかったけれど、グレース夫人はずいぶんとふくよかだわ。そして、そのふわふわとした体形をグレース伯爵はたいへん好ましく思っているようで
「すっかり細くなってしまって。マシュマロみたいなのも可愛いと思うんだけど」
と残念そうに言って、夫人に睨まれていた。
「エリックは庭で待っているわ。あの子ね、今日の為に色々用意していたの。頑張っていたから、ぜひ見てあげて」
心配そうな夫人に笑顔でかえし、付き添おうとするお父様を断ってエリック様のもとに向かった。
グレース家の庭は屋敷の裏手にありました。バルコニーを抜けると自然を模して造られた緑でいっぱいの庭にでた。大きな木が植えられ、野草のような自然さで植物が植えられている。その一画にテーブルと椅子がおかれていた。
「アンナ・モンドリ嬢ですか?」
これまたびっくりなのだけど、私はエリック様の容姿をまったく覚えていなかった。覚えていても五歳の時からきっと変わっているはずだから、結局驚いてしまっていたかもしれないけど。
「エリック様ですか?」
短くそろえた栗色の髪で紫水晶のような大きな瞳の少年がこちらに手を差し出していた。私はその手をとり、横目で彼を観察する。
(私よりも身長が高くなってる。それに、紫の瞳。懐かしいわ。あの頃は目薬で色を変えていたから、滅多に自分でも見ることができなかったけれど)
「気になりますか? 俺の瞳」
椅子に座ったところでエリック様は自分の目に手をあてた。盗み見をしていたのはバレていたらしい。
「いいえ、その……初めてみたので……。魔法が使える方は珍しいですから」
「みんな、びっくりします。そして、ちょっと怖がられるんです」
「………いいえ、いいえ。そんなことはないです。その目は綺麗です。その瞳に宿っている力を大事にしてください。その力もその瞳もエリック様の一部ですもの」
エリック様の表情に傷心が見えて、魔女として迫害されていた自分と重なった。
虚を突かれたのか、大きな瞳をさらに大きくさせエリック様は口ごもった。少しして「ありがとう」と呟いた彼は頬を染めていた。
「最近、魔法を学ぶようになったんです。だから、自分でもこの瞳に慣れていなくて。家族に魔法が使える人がいないので、両親も時々、俺との距離にとまどっているのが分かるので……。気をつけているんですけどね」
幼い頃は魔力の暴走をおさえる為に、薬を使うと聞いたことがある。魔力が具現しない時は瞳の色も変わる。昔は偽装するだけにしか使えなかったが、いろんなものが進歩している。魔法を習い始めたばかりなら、魔力のコントロールに苦労しているはずだわ。
「そうだったんですね……」
「それより、せっかく来てもらったのに、おもてなしもしなくてごめんなさい。いまからお茶をいれますね」
そう言ってエリック様は手際よく紅茶を用意し始めました。メイドではなく自分で。そういえは使用人が一人もいない。
「このお菓子も俺が選んだんです。と言っても母のお菓子リストから選んだだけなんですが。母はお菓子には特にうるさいので、味は折り紙つきです」
「もしかして、このコーディネートはすべてエリック様が」
「そうです。母からきつく言われて。招いた側が、心をこめて自分でするのが最上級のおもてなしだって」
「ーーまぁ」
よく見れば、テーブルは庭の一番いい場所に置いてある。ここまで運ぶのもひと手間だっただろう。糊のきいた白いテーブルクロスをひき、食器も選んだのかと想像すると感動がおそってくる。
淹れたての紅茶に口をつけると、よい香りがする。少し渋みのある紅茶に合わせた甘めの焼き菓子も素晴らしい味だ。
「アンナ嬢も、さっき見た時は分からなかったです。その……」
「前は太っていましたもんね」
怒っていない印ににっこりと微笑む。「ごめんなさい」と謝られて、私は手をふる。
「前のことはお互い様ですわ。こちらも気を失ってしまって、最後までお話できませんでしたし」
「いや、あれは俺が悪いんです。あの日は、母に怒られた後だったからつい、八つ当たりみたいなことで。あんなことを言うつもりはなくて」
その言葉に嘘は感じない。これは好感しかないわ。あの暴言のイメージしか覚えていなかったから、今日も悪ガキのようだったらどうしようかと思っていたけど。
「エリック様はとても努力されているんですね。とても同じ年とは思えないです」
素直に賞賛をおくると、エリック様も「そんなことないです。アンナ嬢の方が落ち着いて大人みたいだ」と返してくれる。
中身は一度大人を経験しているから当然だわ。そんなズルをしてる私とは違う。自分で成長しようとしているのが本当に立派だわ。
「「あの」」
お互いの声が重なって、顔を見合わせ笑ってしまう。
「エリック様からどうぞ」
「じゃあ、あの。これからは婚約者として認めてくれますか」
「もちろんですわ。私も同じことを言おうとしてましたわ。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
こうして、仕切り直しのお見合いは終わりました。こっそりと覗いていた両方の両親は手をとりあって歓声をあげていたらしいけど、私もエリック様も喜んで正式に婚約を結びました。
****
年に数回、お茶会をすることが続き、最近は月に一度お互いの屋敷を行き来するようになりました。初めの頃は、お兄様が同席したりして目を光らせていたけれど、エリックの好青年っぷりをすっかり気に入って、弟気分で可愛がっています。
「アンナ、そろそろエリックが来るころだろ。ほら、出迎えなきゃ」
寄宿学校を卒業したお兄様はモンドリ家を継ぐためにお父様の手伝いをしている。だから、こうやってお節介を焼く時間もあるのです。
「はーい。すぐ行くわ」
サロンで日向ぼっこをしながら読んでいた本を置いて、玄関ホールに向かうとちょうどエリックが着いたところです。
「珍しい、アンナが出迎えてくれるなんて」
「まあ、ひどい。一度うっかりしただけよ」
一度だけすっぽかしてしまったことを持ち出して、くすくすと笑うエリックに、頬を膨らませる。本当にもう……、すっかり大きくなって。
「エリック、また背が伸びた?」
背伸びをしてみるが、頭ひとつ分エリックの方が大きい。じっと見上げるとエリックが顔を横に向ける。ちょっと赤らめているのが可愛い。
「アンナ、近いよ」
「んー……お兄様とどっちが高いかしら」
大人だった私を覚えていると、エリックが弟みたいに思えて、こんなに大きくなったんだと毎回、親戚のおばさんのような気分で驚いてしまう。
「もういいよ。それより今日の約束は覚えている?」
「もちろんよ」
今日は二人でお出かけです。私たちはもうすぐ十五歳になります。十五歳になったら、エリックは寄宿学校に入ることになっている。これまでは魔法学院で魔法を学んでいたけれど、これからは他の貴族子息たちと寮生活を通じて人脈作りや貴族としての必要な教養、勉強をするからです。
身分に関係なく素養のある人が集まる魔法学院の自由な雰囲気とは違った空気を寄宿学校はまとっているはずです。
エリックもお兄様から話を聞いたりして、準備に忙しくしていたのだけど、寄宿学校に入学するとなかなか帰って来れなくなるので、思い出作りをしようと二人で決めたのです。
エリックからは動きやすい服でと言われていたので、シンプルなワンピースを着ています。エリックも飾り気のないシンプルな服装で「私たち、庶民に見えるかしら?」と冗談めかしてみると、苦笑いされてしまいます。
「それはさすがに無理かな。アンナはとっても可愛いから」
婚約者の贔屓というものでしょう。さすがに褒めすぎです。否定しようとすると「そうだ。アンナは世界一可愛いんだ」とお兄様も同意してきました。
本当に、綿菓子のように私は甘やかされています。
「というわけだ、エリック。アンナを危ないところに連れていくなよ。それと、絶対に目を離すな。俺の大事な家族だ。なにかあったら、君といえども承知しないからな」
「もちろんです。二人で出かけることを許可していただき、感謝しています」
エリックとお兄様が熱く盛り上がって、私はお兄様と別れのハグをして屋敷を出ました。
貴族の邸宅街から、商店が並ぶ中心部まで二人で歩きます。天気もよく、まさにお散歩日和といった感じです。
のんびりと世間話をしていると、あっという間に人込みになってきました。馬車で目的地まで行くことがおおい私にはこの賑やかさも新鮮です。きょろきょろとよそ見をしていると、目の前を横切る人にぶつかってしまいそうになった。
「ーーあっ」
「アンナ、こっち!」
エリックが手を伸ばして私をかばってくれました。それからは「やっぱり心配だから」と言われ、手を繋ぐことになりました。
ずっと一緒にいたけれど、こうやってギュッと手を繋いだことはなかったかもしれません。エリックはいつでも紳士で、ほどよい距離感を保ってくれているから。
それにしてもずいぶん大きな手です。魔法だけでなく、剣も学んでいる彼の手にいくつもタコができているのが分かります。
「そんなに俺の手をじっと見てないで、ほら、もうすぐ屋台街につくよ」
耳を赤らめるエリックが握っている手を大きくふって指したほうから、美味しそうな香りがしてきました。
砂糖をまぶした薄焼きのパン、肉の串焼きなどなど。エリックにすすめられるまま次々と口にはこぶ。どのお店も手はこんでいないけれど、ため息がでるくらい美味しい。さすが、美味しいもの好きのグレース夫人の息子だわ。
「エリックはいつもこんな美味しいもの食べているのね、うらやましいわ」
「学院の帰りに時々だよ。母に頼まれる時もあるんだ」
母には内緒だよと、エリックは言って飲み物をわたしてくれる。私が食べるのに夢中になっている間に買ってきてくれたみたい。
「わっ、冷たい! すごいわ、外で冷たい飲み物が飲めるなんて」
「びっくりした? 魔法ではこんなこともできるんだ」
「ーーん。おいしい、冷たいとこんなにもすっきり飲めるのね」
お腹はパンパンになっていたけど、冷やした果汁ジュースはするすると飲めてしまう。そうそう、前世でもこれくらいの魔法はよく使っていたわね。お客さんが来た時とか……。ってそれもめったにないことだったけど。あの人に出したら驚いてくれて、思わず笑ってしまったこともあったわね。
「エリックの魔法をはじめて見たかも! こんなに便利ならもっと使ってくれてもいいのに」
私の言葉にエリックは紫の瞳を瞬かせ、少し考えるようにうつむいた。
「……そうだね、そういえばそうだったかも。実は、俺の使える魔法って大したことがないんだよ。だから、アンナががっかりするんじゃないかってーー」
魔法が使えるだけで十分、貴重な才能なのに。そんなふうに思っていたなんて……。
過去の私みたいに隠さなきゃいけない時代でもないんだから。
「もっとエリックの魔法、見たいわ。もっと魔法の話してくれてもいいのに」
「ん、そう? なんでかな。アンナはあんまり聞きたくないかなって思ってた……」
「そんなわけないじゃない! 魔法って素敵だもの」
私は首を思い切りふって否定する。過去の私も同じように首を振っている。
昔の私が魔力をもって生まれたことを悲しんだことはない。魔女と落とされようとも、魔法の有用性と可能性はずっと信じてきたのだから。
「ありがとう、アンナはほんとうにやさしいね」
「それはね、エリックがいつもやさしいからよ」
本当にそう思っている。私は幸せだわ。こんなに優しい婚約者と温かい家族に囲まれて。
食事の後は、前から行ってみたかった本屋に行くことになりました。いつもお抱えの本屋が屋敷まで持ってきてくれるから、庶民も行く街の本屋には前から興味があったのです。
本棚にはお父様の書斎にならんでいるような立派な装丁のものはなく、紐でむすんだだけの簡易な本がたくさん並んでいます。巷で人気のある小説の表紙を眺め、どれを買おうかと吟味していく。
エリックは黙ってついてきてくれる。知らない題名を聞くとだいたいエリックは知っていて、学院にいると庶民の生徒がよく読んでいるらしく勝手に詳しくなるんだと教えてくれました。
店内を一回りして、最後の棚。そこは子供や文字を読むのが苦手な人向けのコーナーだった。平積みされている一冊の本が気になって手にとる。ぱらぱらとめくると挿絵がおおく文字がわからなくても、ストーリーが分かるようになっている。
その本は『王子と魔女』と表紙に書かれている。一ページ目をめくると、火あぶりにされる魔女の姿。魔力の宿った紫の瞳を輝かせて真っ赤に燃えていた。
「……こんな本があったのね」
私は夢中になってページをめくっていく。
王子が魔女に出会うシーン。魔女の家を何度も訪れる王子のシーン。二人はどんどん親密になっていく。そして、密告され魔女裁判を受ける魔女。王子は魔女を庇うが、結局魔女は火あぶりにされてしまう。
「ああ、この絵本。これは庶民には有名なお話だよ。結構人気があるんだよ。次のページを見て」
エリックに促されてページをめくる。
魔女のお墓の前で泣く王子の姿が美しく描かれている。その隣のページでは、王子は魔法使いたちや裁判官に剣を突きつけていた。
「これが有名なフェリシア法の逸話だよ」
「フェリシア……?」
「そう、この火あぶりにされてる魔女の名前。王子はこの魔女を死なせてしまったことを悔やんで魔女狩りを禁止する法律を作ったんだ。魔法を使えるものが等しく生きられるようにって。魔法使いは必ず習う大事な歴史の話だよ」
「知らない?」とエリックが言うが、私の頭の中はそれどころじゃなかった。
フェリシア? フェリシアですって!?
それって…………それって私の名前じゃない? え、前世の私が歴史になってるの!
「アンナ、大丈夫?顔、赤いよ」
ーーんっ。赤くならないわけがないわ。フェリシアと呼ぶ、蜂蜜のように優しいあの人の呼ぶ声が聞こえた気がしたわ。
私って……思っていたよりも愛されていたのかしら。こんな時代を超えた告白って……。
「し、知らなかったわ。す、す、すごい魔法使いがいたのね」
「本当かどうか分からないけどね、単に王子を誑かした悪女とも言われているし、王子を思って自ら偽りの罪を認めたとも言われてるんだ」
「へ、へぇー」
なんだか動悸がすごいわ。なんで今まで知らなかったのかしら。お父様ってあんまり魔法に興味ないのよね。
「アンナはどう思う?」
「どうって?」
「この魔女は王子を好きだったかどうかだよ。どっちだと思う?」
「ーーえ」
絵本の上に影ができる。エリックの両腕が私をエリックと本棚の間に閉じ込めた。自然と振り返る。背中は本棚にくっついている。
見下ろすエリックは唇をぎゅっと結んでいる。私の心臓はもう飛び出そうです。
「王子は魔女を愛していた。けれど、魔女はどうだったんだろう?」
「そんなこと……」
「分からない? 俺は知りたいんだ、アンナなら答えてくれる?」
なんで? と聞いてはいけないような雰囲気で、私はどうしようかと自分に問いかける。過去の自分が真っ赤になって「決まってるでしょう。愛していたわよ」と悶えている。
けれど、過去の私と今の私は違うもの。同じだけど、同じじゃなくて……。だから。
「……分からないわ。人の思いを他の人が決めつけたりしてはいけないと思うの。その王子様が優しくて正しい判断をしたっていう意味では素晴らしい人だと思う」
心の声に従ったら、何を言いだすか分からなかった。それくらい、彼を愛していたと過去の私が叫んでいる。
「そっか……。ごめん、変なことを聞いて」
「ううん、答えられなくてごめんなさい」
「そのかわり」と私は続けて、エリックの顔を覗き込みました。紫の瞳はくもっています。悲しい、苦しい……そんなにごりがみえました。
「私はあなたの横にいるわ。ずっと、だって婚約者でしょ」
エリックの腕に抱きしめられた。
「……アンナ。俺が寄宿学校に行っても待ってて。毎週手紙を送るよ。俺のこと、忘れないで」
「もちろんよ。私も手紙書くわ」
「うん。早く大人になりたい」
耳元で喋るエリックの声がふるえていた。手を回して背中をさすってあげるとエリックはすぐに私から離れてくれた。
濡れた子犬みたいなエリックの手を引いて、本屋をでました。そのまま私たちはゆっくり歩いて帰ることにしました。
***
お出かけ以降、準備に忙しいエリックと私は会うことができず、エリックはそのまま寄宿学校へ行ってしまった。
寄宿学校に入ってからエリックは本当に毎週手紙を送ってくれました。私もがんばって毎週送りましたが、エリックに比べたら変化の少ない毎日です。近況報告と言っても読んだ本の感想くらいになった手紙も少なくなかったわ。
五年ほど在席する予定だった寄宿学校をエリックは三年でカリキュラムを終了して帰ってきました。休暇も返上して学校に残ってひたすら勉強に剣術にと勤しむ姿は鬼気迫るものがあったと、心配して様子を見に行ったお兄様から聞きました。
帰郷した日、エリックは自邸に帰るより先に我が家にやってきました。
身長は前よりほんの少しだけ高く、がっしりとした男らしい体格になっていました。髪を切る時間も惜しんだのか、栗色の髪も伸びて前髪も目にかかるくらい長くなっていました。
馬から降りたエリックは前髪をかきあげ、私に言いました。
「ただいま、アンナ。結婚しよう」
私はびっくりしてしまって「おかえり」と言おうと思っていたのに、それすら言えなくて口をパクパクしてしまいました。池から飛び出た魚のようになっている私にひざまずくエリック。
答えは決まっています。私はエリックのことが大好きです。……それにしたって心の準備というものがーー。
大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けている間、エリックは心配そうに私を見ています。
「ーーはい」
と返事をすると、パァァァァと雲が晴れたような笑顔になったエリックは私を抱き上げクルクルと回ります。
何事かと集まってきていたお兄様たちが私たちの様子を微笑ましく見ているのが、視界に写っては消えてを繰り返しました。
嘘をつくことなく人を愛することができる……なんて幸せなんでしょう。
過去の私も喜んでいました。「今回は愛している」と言うことができたと。
こうして、前世は魔女だった私は普通の幸せを手に入れたのです。
****
すやすやと眠るアンナを気遣って俺はベッドから静かに降り、本棚から『王子と魔女』をとりだす。何度も読み返したおかげでボロボロになっている。
差し込む月明かりの中、本を開く。何ページに何が書いてあるかは目をつぶっていても分かる。ここには俺の過去がすべて書いてある。
五歳の時、悪夢とともに俺の魔力が発現した。婚約者、アンナ・モンドリに会った日だ。
生まれつき癇癪持ちだった俺は、その日もイライラとしていた。母に怒られ、父に言いくるめられ、しぶしぶ行った先にいたのがアンナだ。今は誰もが振り向くような美しさだけど、当時は母そっくりのふっくらとした少女だった。
何かを押しつけられるのが嫌いだった俺は、父のいう「可愛い」がまったく分からなくて
「お前のことを愛することはない」
なんて言ってしまった。もちろんアンナはそのまま気絶して、俺は両親に引きずられるようにして帰った。父にこってりと叱られ、部屋でふてくされて寝ていると、俺は悪夢を見た。
ーー私が彼女を殺したんだ。あの時の彼女の気持ちは分かっていた。私はバカではない。愛していないと言う彼女の声。何もかも捨てて彼女を救いたかった。それなのにーー
ーーそれなのに、お前は……。生まれ変わっても。変わらないーー
ーーーー私はそんな自分を呪う。ああ、彼女のようにーー
悪い夢だ。大切な物がなくなってしまった夢。俺はずっと悲しんで、悔やんで、恨んでいた。罰を受けるべきは自分。なんで生きているんだろうという後悔。
深い深い闇が泥のようにへばりついてきた。両目は刺すように痛く、燃えるように熱かった。
「ああああっーー。痛い、いたぁい。目が……目が……」
駆けつけた両親はベッドの上で両目を押さえて叫ぶ俺を見つけ、俺の紫色になった瞳に息を飲んだ。魔力持ちは印として生まれながらに魔力を宿した紫の瞳を持ってくることがほとんどだが、ごく稀になにかの拍子に魔力を発現させる者がいると、医者が説明してくれ目薬をもらう。
「癇癪がおおいのも、魔力持ちの特徴ですな。小さいうちは魔力が上手く循環せずに感情のコントロールが難しい子がおおいんですよ」
と言われ、分別がつくまではともらった目薬で魔力を押さえることになった。一族に魔法使いがいたのはもう何代も前で、両親は恐る恐る俺に接するようになった。愛情があっても、うまくいかない時があることをその時には俺は知っていたから両親を恨んだりすることはなかった。
それよりも毎晩、おそってくる悪夢。黒い影は毎夜俺を責め立て、苦しめた。眠るのが怖かった。それでも夜はやってくる。
ーーああ、彼女を。もう一度、彼女に会いたい。それが私の願い。
黒い影は俺を暗闇に突き落とし延々と叫びつづけた。
部屋にこもりがちになった俺の為に、両親は奔走してくれていた。何かあればすぐ医者を呼び、子供向けの魔法の本も持ってきてくれた。
『王子と魔女』
そんな本の中に入っていた一冊だった。子供向けに書かれた絵本で、今の魔法使いにとっては大事なフェリシア法を教える内容だ。
そう、十五歳になる前にアンナが本屋で見つけたあの本だ。俺はくいいるように読んだ。俺はこれをよく知っている。フェリシアと私の物語だ。
ーーそうだ。私は忘れていた。私は彼女の思いをきちんと形にしたかったんだ。彼女は魔女が魔女として貶められない世界を望んでいた。それが彼女の願い。
黒い影がそれを思い出してからは俺の悪夢は少しづつ変わっていった。彼女との何気ない過去の思い出が浮かんでくる。粗末な彼女の家で語らう何気ない話。初めて彼女と出会った日のこと。幸せな夢をみるごとに俺の性格は落ち着いていった。
そして、俺はもう一度アンナと会う。散々な顔合わせで、婚約の話がなくなってもおかしくなかったが、どうにかもう一度チャンスはもらえていた。
「気になりますか? 俺の瞳」
そう言った時、俺は怖かった。彼女にだけは嫌われたくなかったのだ。けれど、彼女はためらわなかった。エメラルドのような瞳で真っ直ぐの俺の目をみて、綺麗だと言ってくれた。
ーーああ、やっぱり彼女だ! 彼女とまた出会えるなんて!!
俺の中で過去の自分が歓喜しているのが分かった。それとは関係なく、その彼女の真っ直ぐな姿がすっかり好きになってしまっていた。
彼女に胸をはれるような婚約者になろう。そう思って、魔法の勉強を一生懸命とりくんだ。過去の彼女が学びたくても学べなかった魔法だ。けれど、魔法の初等訓練を受け、魔法学院に通う中で、俺には大した才能がないことが分かった。
そうなると、彼女に魔法を見せることはできなかった。できない自分を知られたくなかった……いや、これも言い訳だ。結局、俺は怖かったんだ。
だからこそ、貴族としてもきちんとしたくて寄宿学校まで行くことを決めた。
「アンナはどう思う?」と本屋で聞いた時は過去の俺が暴走していた。彼女が死んだ後の自分の行動を知った彼女がどう思うか、知りたくてたまらなかったのだ。
分からないと答えられ、これまでの我慢の糸が切れ彼女を抱きしめてしまった。たまらなく、彼女らしい答えだったからだ。
彼女が過去の記憶を持っているか、ずっと分からなかった。思い出してほしいという気持ちと思い出して欲しくないという気持ちは、天秤の上でいつもグラグラと揺れていた。
どちらでもいいじゃないか。俺は今のアンナを信じればいいんだ。俺の横にいてくれると言ってくれたんだ。
ーーそう、俺たちは彼女を愛している。
狂気じみた執着を持って、彼女を愛している。必ず俺は彼女を幸せにする。
寄宿学校の日々は彼女のことばかり考えていた。彼女からの何気ない日々の手紙を読み返し、彼女との将来を思い描く。休暇になるまで会えない数か月も我慢できなかったが、その休暇で会える数日よりも早く彼女とずっと一緒にいたかった。そのために五年の寄宿学校を三年で卒業した。
ひさしぶりの彼女はさらに美しくなっていた。内面からあふれる善良さが彼女を輝かせていた。
挨拶だけのつもりだったのに、思わずプロポーズをしてしまったが、はにかみながら頷く彼女の姿を見てその後悔も吹き飛んだ。
白い無垢なウエディングドレスを着た彼女とかわす誓いのキス。
ようやく、俺は彼女と幸せになれたのだ。
彼女と一緒に寝た初めての日。俺は見たことのない夢をみた。
栗色の髪で紫の瞳の彼女が、私を見上げている。私は彼女の願いである魔女の救済のために魔女狩りを率先する魔法省の小悪人たちと戦うことを決めた日だ。
きっと、忙しくなる。彼らの偏見は根深いし、色々根回しも必要だ。しばらく彼女に会うことも控えなけれならないだろう。蛇のように彼らは人の弱みをいつも探している。
愛していると伝えたかった。けれど、今はまだ……。
そのかわり、私は彼女の頬にキスをした。(これが見られていたとは思わなかったが)
彼女は真っ赤になって、顔を両手でおおっていた。
「恥ずかしいわ」
「嫌ではないんだね?」
控え目にうなずく彼女。
(こんなことがあったんだな。これが俺の一番大切にしていた夢か)
俺は過去の俺と過去の彼女にもう一度誓う。
「お前を愛すことはない」なんてバカなことはもう二度と言わない。愛しているよ、アンナ。
ベッドの中で眠るアンナは天使のようだ。金色の髪を広げ、瞼の奥には輝くようなエメラルドの瞳を隠している。彼女の髪をひと房すくい、その絹糸のような髪にキスを落とす。
明日は、彼女が気に入っている冷たい果汁ジュースを魔法で用意しよう。大したことのない俺の魔法も好きでいる彼女の為に。
ーendー
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