プロローグ 「あ、なるほど。そういう事ね」
初めましての方もお久しぶりの方もこんばんは。
雪明かりと申します。
思っていたより随分コメディカルになりましたが、ずっと挑戦したいと思っていた異世界恋愛第一弾見切り発射いたします。
※10月31日に投下してしまいましたが内容が全て改稿したものとすり変わってます!
「あばばばやばばやばいやばいいい!!!」
冬の最中。まだ春の気配が遠い山のど真ん中で1人の少女が絶叫しながら少々、いや、とんでもなく人間離れした猛スピードで駆けていた。
ツインテールに結んだふわふわの髪を激しく靡かせている少女の名は、明野朝香。
その染めてもいないのに明るい太陽のようなオレンジ頭や駆ける速度など、少し普通とは言い難いがあくまで中身は普通の女子高生である。
とある事情から毎日、時間さえあれば朝昼晩。せっせとこの山に通い捜索する彼女はこの日、とんでもない目に遭っていた。
彼女の後ろには2頭の熊が!ヨダレを撒き散らしながら猛烈に追いかけてきているのだ!
朝香はあくまで晩御飯を探していたわけで熊のご飯になる予定は断じてなかっった。
現在そろそろ日の暮れる夕方、ご飯時。
自慢の鋭い五感を活かしてうさぎのお家を見つけた所まではよかった。
しかしパタパタ煙で燻出し四方八方に散ったうさぎを1羽も逃すまいと欲張ったのが間違いだった。
2兎追うものはなんとやら。
朝香は2兎どころか3兎も4兎も捕った挙句、5兎目を追いかけて茂みに頭を突っ込んだ。
そして茂みからこんにちはした朝香目の前には、哀れなうさぎではなく……お腹を空かして冬眠から目覚めた獰猛極まりない熊。
もう一度言おう。ちっちゃなうさぎを取り合って喧嘩してた熊が2頭いたのだ。
ガッツリ目が合い、三者三様驚きで固まったのはほんの一時で、先に動いたのは二頭の熊達だった。
どうやら彼らは昨日の敵は今日の友、とタッグを組んで朝香という獲物を狩ることにしたらしい。
(邪魔なんてしないからさ!あたしなんてほっといていいからさ!!2人で喧嘩してなよ!!!)
朝香は半分涙目で薮を突き抜け岩を飛び越え必死に逃げ回っていた。
腹をすかした二頭の熊にとっては小さなうさぎを取り合うより朝香の方が食いでがあるのは当然至極のこと。追うなという方が無理な話である。
(あ、やば)
そう思い浮かべた時にはもう遅く、背後にいた筈の内一頭が真横の茂みから飛び出してきた。
幾ら朝香の足が速いとは言え、足場の悪いこの山で二足歩行の人間より四足歩行の熊の方が当然有利。
足場が悪ければ悪いほど足は多いに越したことはない。
垂直の壁を登るムカデやヤスデと一緒だと朝香は思う。
更に言えば彼らは山に生きる獣。通いの朝香と違い山は彼らの棲み家。oh Yesテリトリー。差が出るのは当然なのだ。
(っし!やるっきゃないか!)
しゃがんで熊の凶悪な爪を交わすと、朝香は一瞬の判断で覚悟を決めた。
「でやああああああ!!!」
そして威勢の良い叫びと共に弾みを付けて思い切りジャンプした。
……熊の顔面に向かって。
流石にこれは熊も予想していなかったようで面食らっているその鼻面に朝香の超絶石頭がクリーンヒットする。
「グアオオオオッ!!!」
予想外の急所への直撃に熊は咆哮を上げて仰け反った。
朝香はというと頭突きした勢いそのままに熊の頭上を飛び越えその首を絞め上げようとしたのだが、そこにもう1頭が咆哮を上げながら襲いかかってきた。
(あああ!!!もおおおおお!!!これだから!!!)
これだから二頭も相手するのは嫌なのだ。
実はだが。伊達に山に潜っていないだけあって朝香は今までに何度も熊に遭遇し、その都度勝利をもぎ取ってきた。
だがしかしである。
流石にこんな真冬に!冬眠から目覚めて!ただでさえ荒ぶっている!熊が!二頭も!居る場に遭遇したことは無いのである!
一頭を相手に勝つことはなんら苦労することはないが、二頭同時にとなると片方を倒す合間に連携プレイとばかりにもう一頭が邪魔してくるので堪ったものではない。
……普通は一頭でも出会ってしまったらお終いなのだが。
「とおおおぅっ!!!」
朝香は素早く頭を切り替え……後ろに回り込んできた熊の頭を着地点に定めて強烈なジャーマンスープレックスをぶち込んだ。
こうして哀れ、熊どもは両者共々地面に頭を埋めることとなったのだった。
ズドオオオオオンッッッ!!!
と辺り一体に広がった激しい地響きに木陰で羽を休めていた鳥や小動物がワッと逃げ出した。
「ふー……」
そんな騒ぎを物ともせずに朝香は額の汗を拭うと
「やたっ!晩ごはんゲッチュー♪」
ケロッと上機嫌に手を組んで弾んだ。
はたから見たら人間ではなく化け物扱いされそうだがそんなことは朝香に関係ない。
ルンタッタと弾んだ足取りのまま背負った山盛りパンパンのどデカいリュックを下ろし、中からサバイバルナイフを取り出した。
これでも長年山に潜るにあたってサバイバル検定グランドマスターを取っている。無人島のだが。
まあそれは山でもちゃんと実践できているのだ。問題ない。火を炊くのも獲物を美味しくいただくことも寝床を用意するのもお手のものである。
両手にナイフを構え軽い足取りで熊に向かっていた朝香ははた、と足を止めた。
「あ、やば。制服のまんまだった」
今日は学校から直行して山に入っていたためマウンテンパーカーを羽織っているといえども中はブラザーとシャツにミニスカートの制服のままだった。
家族はもう半ば諦めているが、一応この山に入ることを禁止されている身。
流石にお泊まりで山に潜った上に制服を血みどろにして帰るのはいただけない。
リュックを漁り、替えの服を取り出したその時、
パキンッ
と小さいけど確かな、何かが割れた甲高い音が朝香の耳に届いた。
「え」
まさか、と思いながら恐る恐る視線を落とす。
腕に付けたシンプルな銀のブレスレット。
その唯一の装飾とも言える銀の台座に嵌められていた透き通るオレンジ色の玉が……砕けていた。
「うっそおおおおおおおお!?」
幼い頃に病気で亡くした父から肌身離さず付けているように言われていたこのお守りは朝香の大事な宝物だった。
「えーっ!なんでなんで……!嘘でしょヤダヤダ!こ、壊れちゃった……!!!」
砕け散った玉をほんの小さなかけらまで拾いながら朝香は上機嫌から一転半泣き状態だった。
「うそ、うそぉ……ぅえーん、なんでえ……」
全て拾い集めた欠片を両手に乗せて泣き崩れるが、壊れた原因は当然朝香である。
あんな超重量級の熊に馬鹿力で、抱きついて、首締めをかけたまま、叩きつける、なんて超圧力を受ければどんな装飾品だろうが砕けるに決まっている。むしろブレスレットが千切れていないのが不思議なくらいだ。
「うぅ〜、この熊のちくしょーめ!
この恨みハラサデオクベキカ!!美味しく食べてやる!!!」
と自分のことは棚上げして再びリュックを引きずりながら熊に向かって一歩、踏み出したその瞬間。
「あれ?」
足が着いたのは山の枯葉や小枝だらけの地面ではなく綺麗に整えられた石畳。
まだ陽が沈み切ってなかった夕暮れの空は真っ暗な夜に。
真冬の冷たい空気は生温かい夏の空気を思わせるものへと、何もかもが急変した。
見回せば左から右にかけて登る長い長い階段。その途中の踊り場のど真ん中ぽつんと朝香は立っていた。
階段と共にずらりと並んだ真っ赤な鳥居は有名どころの神社のよう。
鳥居と鳥居を繋ぐ間に下がる赤くて丸い提灯と、何処からか聞こえてくるテンテンテケテン、テンテケテンと呑気な三味線の音も合間って突然夏祭り会場にでも迷い込んだみたいだ。
前を見ても、後ろを見ても、元の山も熊も見当たらない。
『朝香———
戸惑う朝香の脳裏にふ、と亡き父の声が聞こえた気がして幼い頃の記憶が蘇った。
———そう、あれは十二年も前の夏の日だった。
家の裏にあるこの山は豊かで、窓を開ければ蝉の鳴く声がわんわん響いてまともに話すこともできなかったっけ……
『朝香。
一人でいる時に……そうだな、お面を被った人みたいな変なモノに話しかけられてもついて行ってはいけないよ』
『はあーい。しらない人にはついて行きませーん』
『いい子だ。でも知った人の声を真似してくるかもしれないから気をつけて。
それから、何も無い場所で、傍に誰もいないのに声がしたらすぐに逃げなさい』
もう何度同じことを聞いただろうか。
クーラーを効かせてひんやり涼しい部屋の中。
ベッドに寄りかかって体を起こす父が朝香の物心つく頃から、口を酸っぱくして繰り返す言葉はまるでなぞなぞだった。
首を捻る朝香の頭を父はいつもの微笑みを浮かべて撫でた。
『またぁ?ねえなんで〜?』
『もし手を引かれたり、返事をしたらとっても怖い目に遭うんだよ。
そうだな……例えば二度と家に帰れなくなったりするんだ』
『ええ?へんなの〜』
『朝香』
そう言って病床に伏せる父のベッドに頬を付けてだらけていると、父にしては物凄く珍しく硬い響きをもった声で呼ばれて顔を上げた。
そこには笑みを消して真剣な眼差しで朝香を見つめる父の顔がそこにあった。
その時ばかりは朝香の背筋も自然と伸びた。
『それから、これも絶対守ってほしい。
突然知らないところに迷い込んだらすぐ引き返しなさい』
『えぇ?しらないところって?』
『そうだね。例えば……
昼なのに突然夜になったり、見たことのない神社の前にいたり……』
『おひるから夜になるなんてあるわけないじゃーん』
『時々そういうことがあるんだよ。
もし、知らない内に迷い込んでしまったら直ぐに回れ右だ。
目の前に何があっても気にせず、周りも見なかった事にして、モノにぶつかりそうでも気にするな。
急いでもと来た方向へ走りなさい。そしたら大丈夫だから』
『へんなの〜』
聞く内に可笑しくなってきて朝香がケラケラと笑うと父も真剣な表情を崩し、微笑みを浮かべた。
そして朝香の瞼と耳を優しく塞ぐ・いつものおまじない・をした。
『夕方以降出かけるときは必ず僕か夜白くんと一緒に行くんだよ。
ちゃんと約束を守って、朝香が大きくなったら……パパが内緒の話を教えてあげよう』
『ほんと!?パパのナイショってなあに!?』
『ははは、十八歳まで約束を守ったら、だよ』
『ぜったい!?』
『ああ、絶対だ』
そうして今思えば叶えられるはずもない約束に小指を絡ませ指切りげんまんをしたのだった。
だって父が亡くなったのはそれから間も無いことだったから———
「あ、なるほど。そういう事ね」
ポロリと言葉がこぼれ落ちる。
記憶を思い出したと同時に朝香は昔の謎の全てがストンと胸に落ちた。
ここだ。こういう所だ。父が言っていたのは。
そして父の言いつけを守らず、真っ直ぐ伸びる階段を見上げる。
(あたしの直感、間違ってなかった)
はっきりと確信したのだ。
朝香が山に潜りまくっていた理由。
ずっと、何処もかしこも探し回ったのに全く見つからなかった。
でも、必ずこの山の何処かに居ると、予感がして、諦め切れずにいたとある人物……。
なんの音も立てず、なんの前兆もなく、影も形もなく突如消えた朝香の兄、 夜白。
———彼はずっとここに 居たのだ。
生温い風が前髪を揺らす中、朝香の直感はそう、告げていた。




