復讐のカノン
「何を望む?」
世界中の輝く宝石を煮詰めたジャムのような美貌の魔女は問うた。
「復讐を」
それに応えたのは血塗れの粗末な身なりに、身体から離れた首を両腕に抱えた女。
「冤罪をなすりつけられて斬首刑にされた」と憎々しげに吐き捨てるその顔はとても美しいにも関わらず、眉間には深い深い皺が彫り込まれている。
「どんな復讐を望む?」
「あの2人に死よりも苦しい復讐を」
魔女はにやりと笑った。
さぞや苦痛に満ちた物語を生きたのだろう。
魔女は傷付いた人間から歪まれた物語を読むのが大好きで、こうやって時々声をかける。
いつもは生者の歪な物語を読むのを好む魔女だったが、とある国の刑場でいつまでも現世に彷徨うこの女の霊を見つけた時はわくわくした。この死者の歪さの中に見える恨みは格別だった。
「どうすれば復讐出来るの?」
「そうさね、転生するのが1番だろうね。そいつらの人生に干渉出来るうちにさっさと転生すれば、自分で手を下せる」
「では転生を。この恨みの記憶を残したまま奴等に復讐したいの」
「ふふ、いいところのお姫様だったアンタに似合わないセリフだね。嫌いじゃないよ」
魔女はこの女が絶対的長子継承制制度のある国の第一王女だった記憶を掬い取る。
妹の第二王女と自分の婚約者の男に騙されて、国王暗殺の犯人に仕立て上げられたのか。その2人はそのまま結婚して王位継承したんだね。
泥臭い継承争いなどまぁよくある話だ。
「私は絶対に奴等を許さない」
「今更だけど、全てを忘れて転生する安寧の道もあるんだよ。願いを叶えるのは一つの魂に一度きりだ」
「私は矜持を守るために復讐するわ」
大好きだった侍女達が共謀犯として次々に殺されたことや、取り調べ中に受けた拷問と口にするのも憚られる恥辱を思い出し、王女は眉間の皺を更に深めた。
…2人を愛していたからこそ、その恨みはここまで大きくなったのだろうねぇ。
「それならそれでいいさ。餞別に耳をあげよう」
「耳?」
「一度だけ心の声が聞こえる耳さ。使い所をよく考えて使うんだよ。安寧の生よりも、矜持ために荊に飛び込むアンタが気にいったから特別さ」
「…ありがとう」
魔女は王女の限りなく黒に染まった心に両手を伸ばして包み込む。冷え切った心はどんなに抱きしめても一切の熱を持とたない。これからこの子はとても苦しい道を行くね。
魔女はその道に光があることをそっと祈った。
◆◆◆
「私の愛しいお姫様」
「おかあさまだいすき」
今朝も会うなり包容してくる母親を受け止めながら、王女は込み上げてくる吐き気を笑顔で飲み込む。
(あの魔女は何を考えて、忌まわしい妹夫婦の子どもとして転生させたのか。小一時間問い詰めたい)
蝶よ花よと育てられた王女は愛娘の仮面を被り続け、望まれるがままに大きくなっていった。
王家伝来の美しい金髪碧眼、整った容姿、全てが愛くるしい王女は一粒種ということもあり、目に入れても痛くないほどに両親に溺愛された。
それは海を越えた国々でも有名で、婚約者すら決まっていないのは政治の駒にすることすら嫌がり手元に置いておきたがった女王の意向だ。
血塗られた王位継承劇などとうに忘れたかのような両親の溺愛ぶりとは裏腹に、王女は「死よりも苦しい復讐とは何か」と考え続けた。
本人達を殺してしまってはそこで終わりだ。
それはつまらない。考えろ、考え続けろ。
「愛しい私のお姫様」
呼ばれるたびに吐き気がした。
◆◆◆
16歳になった王女は、この日立太子式を迎えた。
愛らしい王女がこの国の女王になるための通過儀礼を誰しもが待ち望み、臣下は大いに熱狂していた。
城下から祝祭の音が聞こえてくる。
3人は王城のバルコニーからその歓声を満足げに聞いていた。
「お母様、お父様」
「まぁとても綺麗よ。世界一可愛い私の娘。緊張することはないわ。全てはお前のためにあるのだから」
最高級の絹糸で出来た総刺繍の純白のドレスに身を包み、大粒の真珠とダイアモンドで飾られたティアラは王女にとてもよく似合っている。
両親は目を細めて愛娘の成長とこれからの輝かしい未来を確信して喜んだ。
「今日の日まで大切に育ててくださり、ありがとうございました」
「これからも私達の可愛い娘には変わりないのよ。立太子おめでとう」
女王は涙を浮かべ、娘の言葉を噛み締めて言祝ぐ。
そんな両親を見て、王女はにこりと微笑んだ。
そして、秘密裏に作らせたドレスの収納布から掌に収まる程の懐刀を取り出すと、王女はそっと白い首筋に当てた。
ヒッと侍女達が悲鳴をあげ、両親は蒼白になる?
「姫!?」
「…お母様の一番大事なものはなんですか?」
「貴女に決まっているでしょう?…ほら危ないから、そんなもの手放しなさい?」
「お父様の一番大事なものはなんですか?」
「姫、お前だよ。危ないからそれをよこしなさい」
突然刃物を手に取った王女に両親は慌てふためいた。
どうにかして刃物を手放させようと懇願する。
すると王女は「良かった」と微笑んだ。
「わたしもあの日まではあなた達を愛していたわ」
「あの日?」
「マリーもベスも、ヨハンも何もしていないのに拷問されて斬首台に上げられてしまった」
「マリー?ベス?」
王女はおかしそうにクスリと笑う。
「あなた達にとってはもう名前すら思い出しもしないのね。元から知ろうともしなかったのかしら。マリーには双子の子ども達がいたし、ヨハンは赤ちゃんが生まれたばかりだったの。ベスは結婚を控えていたわ。皆幸せになるはずだったの」
「何を言っているの?姫…何かあるならゆっくり話しましょう。ほら、こちらにおいで」
女王は引き攣る笑顔のまま、両腕を広げる。
幼い頃から閉じ込められてきたその両腕の中に収まる気など毛頭なかった。
「王城の地下牢は酷く寒いの。そしてね、鞭で打たれると皮膚が破れるだけじゃなくて、あぁあれは多分折れていたのね。息を吸うのも辛かった。そして口にするのも憚られる程の恥辱はね、心を殺すの」
王女が元姉で元婚約者など夢にも思わないのだろう。
何を言っても伝わらないようだ。突然狂言を言い出したとしか思っていないのだろう。
「あなた達が座る王座の下にどれほどの幸せが踏みつけられたか、知っているリリアナ?」
女王はその呼び名にゾッとする。
今は亡き両親と姉だけが呼ぶその愛称を、何故王女が知っている?
「姫?」
「あなたの大切なお姫様はもういないわ。何故とはもう聞かない。そんなこともうどうでも良いの」
王女は美しい笑みを浮かべたまま、懐刀を持つ手に力を込める。刃渡が短くとも、よく研がれた切先は易々とその白磁の様な柔らかい皮膚を切り裂いた。
鮮血が辺り一面に飛び散り、純白のドレスを染めていく。
王女の命が途切れるその一瞬ーーー
最期の力を振り絞って両親の声に耳を澄ます。
何故
愛してる
何故
愛してる
何故
愛してる
王女はにやりとして意識を手放した。
◆◆◆
「派手にやったもんだ」
魔女は血塗られた朱殷のドレスを身に纏い、今にも歌い出しそうな位喜色ばんだ王女を眺める。その姿は半透明で、限りなく透明に近い。
「自分が死ぬより辛いことを考えたら、大切なものを奪えばいいと思いついたの」
それが私だったというだけ。
最愛の娘が晴れの日にあっけなく死んでしまうことは、あの2人にとってどれほど残酷なことか。
残念なのはこの行く末を見られないことくらい。
どうやらもうタイムリミットらしい。このまま輪廻の輪に還り、記憶は一切リセットされるという。
「もう思い残すことはないわ。復讐させてくれてありがとう魔女さん」
「次は幸せにおなり」
「今も幸せよ」
王女はにやりとして消えていった。
◆◆◆
「何を望む?」
世界中の輝く宝石を煮詰めたジャムのような美貌の魔女は問うた。
「娘に会いたい!」
それに応えたのは絢爛豪華なドレスで着飾りながらも、歳の割にひどく老け込んだ女だった。
一点を見つめ、泣きながら何故愛している何故とひたすら繰り返す。
「過去は変えられないよ。死んでしまった者には2度と会えない」
「そんなのは嫌!どうにかしてあの子に会わせて!」
「完全に輪廻の輪から外れて、永遠に同じ時間を繰り返すというなら可能だよ。それはとても苦しい道だけれど、それでもいいかい?」
「あの子に会えるならそれでいいわ!」
魔女はふむ、と考え込む。
この女王は永遠に惨劇を繰り返すを厭わないという。既に気が触れているかもしれないね。
「最後に聞くよ。娘に会いたいという願いでいいのかい?」
「ええ、それでいいわ!」
魔女はその紫色の心に両手を伸ばして包み込む。
女王の望みが「何故死を選んだのか知りたい」であれば違った物語になったろうに。
知りたいとも思わない傲慢な愛。
王女が生まれた日に戻った女王はまた溺愛するだろう。そして、また目の前で死なれ続けるのだ。
王女の復讐はこれから永遠に続く。
「私の愛しいお姫様」
「おかあさまだいすき」