後編
「あんた、一体何だ?」
無意識に秀一は、女から一歩、距離を取った。
突然、あたり一面に火がつけられたように無数の灯りが浮かびあがった。
「なっ!?赤い提灯が浮いてる!?」
「あれは送り提灯。近づいても近づいても、すぐに消えては前方に現れる。」
「はぁ!?」
「知りませんか?本所七不思議の一つ“送りちょうちん“。そして、これは“消えずのあんどん“。」
女は赤い棒で屋台を指し示した。
「二八そば屋のあんどんは一晩中消えない。」
「これが、そ、蕎麦屋?」
「二八と言えば蕎麦。昔は常識だったんですよ?」
「お、俺知らないっすけど?一体いつの昔ですか?」
「200年くらい前。」
「に、200年!?それって・・・・江戸時代頃!?」
「あの頃の言葉、文化、風習、随分と忘れられたものが多い。だからあなたのように、好奇心に駆られて入り込んできてしまう。まぁ、それが狙いなんだろうけど。」
彼女の最後の一言は、目の前に広がる提灯達に向けられていた。
「「「腐った肉に用はない。後ろの若い新鮮な肉をさっさと寄越せ。」」」
低い這うような声が無数に重なって鳴り響いた。
「ちょ、提灯が喋った!?」
異様な光景に怯える秀一。
けれど、女は怯むことなく淡々と提灯達と話し始めた。
「断る。この肉は諦めろ。」
「「「なぜ貴様がでしゃばる?」」」
「お上のご用命さ。“本所七不思議“程度で収まっていればよかったものを。食い始めた時点でお上の目に止まったんだよ。」
「「「何が悪い?あいつらはうじゃうじゃと生まれるではないか。数などすぐに戻る。むしろ、奴らの数は増えすぎだ。それゆえに土地を水を空を汚し、他の生物の命を脅かしている。奴らのせいでこの浅草もすっかり変わり果ててしまった。」」」
ふっ、と乾いた笑みを女は浮かべた。
「確かに。私の知っている浅草は、こんな鉄とゴミと異国語が溢れかえる場所では無かったな。」
そして女は笑みを消し、鋭い視線を眼前へと放つ。
「けれど、これはそれとは別だ。約定を忘れたか?お互いを食すことなかれ。もう2、30人は食ったろう?十分じゃないか?」
女は手にしていた赤い棒へと、もう片方の手を添えた。
そして、ゆっくりと顔へと引き寄せながらそれを抜いた。
「これは警告ではなく予告。ここで引かなければ斬る。」
赤い鞘から抜かれた銀色に煌めく刀身。
そこに映る女の瞳孔は赤かった。
「「「笑止!その約定を破った当本人に指図されるいわれなし!貴様のその腐った肉、ここで燃やし尽くしてやろう!!!」」」
鳴り響く怒号と共に、おびただしい数の提灯達が揺れ、火を吹き始めた。
そして、燃え盛る提灯どもは、女と秀一へと向かって次々に襲いかかり始めた。
「ひぃっ!?」
秀一は反射的に両腕で顔を覆って目を瞑った。
けれど、何の衝撃も感じなかった。
恐る恐る目を開けると、女が刀で提灯達を斬り落としていた。
彼女は物凄い速さで移動しつつ、襲いかかってくる提灯達を次々と斬り伏せていく。
斬られた提灯たちは灰となって、次々と地へ落ちていった。
そして、最後に残った一つを女は突き刺した。
「貴様・・・本来なら、我らの方にも、あちらの方にも属さぬくせに。」
「そうだな。おかげで300年くらいは面倒ごとに煩わされた。だから、今はこちら側にいることにした。元はあいつらと同じだからな。」
女はチラリと秀一を見た。
「意地汚く生にしがみつき、力を貪るこの異形者め!いつか報いを受け、腐臭撒き散らしながら、その命惨めに果てるがいい!」
「それは、願ったり叶ったりだ。」
女はそう言い終わると同時に、刀を上へと振り抜いた。
赤い提灯はその裂け目から火を噴き出し燃え尽きた。
「“消えずのあんどん“、お前はどうする?」
女は二八の暖簾がかかった屋台に話しかけた。
すると、屋台の灯りはスーッと消え、屋台自体も闇へと消えていった。
屋台が消えるのと引き換えに、明かりと気温が戻ってきた。
「もとに戻った?今のは、一体・・・?」
秀一は目の前に立つ、『女』と思っていたのを凝視する。
白衣、赤い仕込み刀、赤く光る瞳。
「まさか、いや、今の現代に、そんな・・。」
化け物、妖怪、鬼。
そんな単語が秀一の頭を占める。
「次、屋台に入る時はしっかりと暖簾を確認して下さい。新橋あたりは大丈夫だと思いますよ。職場はそちらの方が近いでしょう?」
女は微笑を秀一へと向けながら、刀を真っ赤な鞘へとしまった。
「俺、仕事先、言いましたっけ?」
「いいえ?でも私には見えてしまうから。KM建築会社営業一課所属、汐留本社勤務、篠崎秀一、28歳。」
言葉を失い固まった秀一。
赤い瞳が彼へと笑いかけてる。
「これは忠告。今後は、賢い選択をするように。難しくありませんよ。怪談、悪い噂などいわくのある場所、時間には出向かない。例えば、ここではこの門。」
女は真上にある大きな提灯がぶら下がる赤い門を指差した。
「この宝蔵門は雷門より本堂に近いせいで、色んな思念を引き寄せやすい。昼間は人間の、丑三つ時に近い深夜を回れば、その他の生物のを集める。そういったものは出入り口にと利用される。あなたは“消えずのあんどん“に目をつけられ誘い込まれたけど、偶然に私が居合わせた。よかったですね、普通は帰ってこられませんよ。」
そう言い終わると、女は秀一へと背を向け本堂へと向かって歩き始めた。
「またお会いすることはないと祈っています。では、良い夜を秀一さん。」
そうして、女の白い後ろ姿はヒールを鳴らす音と共に闇へと消えていった。