第3話
4
「いいのが撮れてるぜ。見ないか、お嬢」
「いいって。後で加工されたやつだけ見るから」
「そんなガッツリとはやってないって」
宣材写真の出来栄えを確認しながら、誠は「そうだな」と前置きすると、
「しいて言うなら、寝不足で作った目の下のクマ消すくらいか。ゲームのし過ぎで」
くっく、と口の端から漏れる笑いをかみ殺しながら言った。
「えっ、うそ。そんな気になる?」
「冗談だよ」
「なーんだ」
大きな目をぐるりと回しながら、腰に手を当てた流歌が不服だと言わんばかりのポーズを取る。
「あんまり夜更かしはしないでくれよ。美容の大敵っていうしな」
「してないよー」
そう言って唇を尖らせた流歌だが、図星を突かれていることは黙っておく。昨夜も遅くまでゲームを楽しんでいたのだ。それを知ってか知らずか、誠は「はいはい」と苦笑するだけで済ませると話題を変えた。
「そう言えば、オフ会ってそろそろだったよな。愛しの『彼』には会えそうなのか」
流歌は「茶化さないでよ」と誠に釘を刺してから、ほっそりとした人差し指を顎に添えて言った。
「『お稲荷』は来れるって言ってたし大丈夫だと思うけど」
誠の言う「愛しの彼」であるところの、流歌の友人である男性のハンドルネーム。それが「oinarisan」だ。略して「お稲荷」と自分は呼んでいる。彼とは夜通しゲームを一緒に遊んだこともしばしばあった仲なのだが、実際に顔を合わせるのは今度のオフ会が初となる。
「お嬢はオフ会とかって初めてだよな。向こうで恥かかないように俺がアドバイスを、」
「どうせ合コン知識でしょ。要らないよ」
「まあ、そっちもおいおいな」
話を遮ったところで、まるで耳を貸そうとしない誠の様子に呆れると、彼にくるりと背を向けた流歌はメイクを落としに更衣室へと向かった。
流歌が姉の経営する女性向けファッションブランドの専属モデルとして、宣材写真の撮影に協力するようになったのはこの春に上京してからのことだ。衣食住を世話してもらえる代わりに嬉々として引き受けたのだが、撮影はともかくとして体形の維持を含めた全身のケアには骨が折れた。元々ゲーム好きな引きこもりで美容にはまるで関心がなかったのだから当然だ。
昼夜逆転の生活を正しながらジム通いで身体を作り、引っ越しの準備に追われていたと思ったらあっという間に春は過ぎ去っていた。そこへ夏休みが目前になり、オフ会の話が持ち上がると流歌はここぞとばかりに意気揚々と参加表明をした。時間が空いたときは誠に連れられて観光名所に出向いたりもしていたのだが、友人と集まって遊ぶ機会などはここしばらくまるでなかった。
「でもさ、実際には会ったことない連中なわけだろ。緊張とかしないか」
「んー、どうだろ」
誠は音楽プレーヤー代わりにしていたノートパソコンにデジタルカメラを繋ぐと、撮影した写真を改めて細部まで確かめた。
「やっぱ恵麻さんの見立てに狂いはないな」
流歌が着替えている間も更衣室のドアは開けっ放しにしてあったので、向かい合っていなくてもお互いの声がよく通る。
自分で興したブランドでありながら「流歌に似合う服を」と、姉がノリノリでデザインしているらしいことは誠から聞いていた。身内とはいえ、その道のプロが仕立てたものなのだ。似合って当然ではあるのだが、そんな裏話があったことを知ってしまうと少々面映ゆいところもある。
「お稲荷とはいつも話してるし。会うのは楽しみだけど」
「相変わらず肝が据わってんな」
「マコちゃんはオフ会とか行ったことないの」
「ないな。お嬢くらいの年の頃はヒモやってたから」
当時を思い出したのかのように、悪びれもせず誠が意地悪そうに笑っているのが見なくてもわかる。その笑顔に魅了されてきた女性たちは、そのことごとくが彼に泣かされてきたに違いない。
「いつか刺されたりしない?」
「大丈夫だろ」
誠のあっけらかんとした物言いに呆れた流歌は、返す言葉もなくなったのでさっさと着替えてしまうことにした。
5
『アースバウンド』は火星を舞台にしたロボットアクションゲームである。オンライン上での大規模な戦闘を実現しており、プレイヤー同士で拠点への侵攻や防衛を行う対戦モード、複数のプレイヤーが共闘して強大な敵と戦う協力モードなどが用意されている。
元々は蘭子が暇つぶしに一人で遊び始めたゲームだったが、仕事に切羽詰まって遊ぶ時間がなくなると優雨が期間限定のイベント攻略などを肩代わりすることがあった。また、蘭子が遊び相手を探す目的でとあるチームに飛び入りで参加したのだが、次第にプレイ時間の比率も優雨に傾いていったことで、チームメンバーとのコミュニケーションすら蘭子の代わりに優雨が担うようになっていった。
蘭子のもとでアルバイトをするようになってから、優雨の勉強机だったものはゲームやパソコンの周辺機器に埋め尽くされ、ノートや教科書を広げるスペースがすっかりなくなってしまっていた。アルバイト代の使い道が他になかったとはいえ、ゲーミングチェアの座り心地の良さといったら勉強に対する意欲を根こそぎ奪われてしまうほどだ。
平日なら学校に居残って課題を片付けるのだが、自室では集中できないからといって、休日に居間のテーブルを占拠してまで勉強するのもなかなかに居心地が悪い。その点、蘭子の家は優雨が勉強できるだけの場所も充分にあったし(家主の生活スペースが寝室に集中しているからだ)急な呼び出しを受けるまでもなく原稿の手伝いにもすぐさま対応できる。まさに休日を過ごすのにうってつけの場所だった。
父親が再婚してからは家事を一手に引き受けることもなくなっていたため、休日の手持ち無沙汰を解消するのにも蘭子の世話は丁度良かった。そのせいか、彼女のだらしなさは加速していく一方なのだが。
「お疲れさまでした」
デフォルメされたサメのキャラクターが大きく口を開いたデザインの座椅子にだらしない姿勢で沈み込みながら、優雨の言葉に蘭子が力なく頷いた。彼女が同人誌にまで手を出すようになってから度重なる入稿期限に悪戦苦闘する日々が続いていたものの、それらも今日でなんとか一段落した形だ。
「夕食は何がいいですか」
優雨が彼女にリクエストがないか聞くと、ただ一言「お酒」と返ってきた。駄目な大人の見本みたいな答えだった。
「わかりました」
とりあえず、冷蔵庫にあるもので適当なおつまみでも用意しておくことにする。それが完成に近づくと、その気配を察した蘭子がのそのそと座椅子から這い出してきた。
ざっくりとカットしたキャベツに特製のタレをかけて塩コショウで味を調えたものをあらかじめテーブルに出しておく。すると、ダイニングに辿り着いた蘭子がぽりぽりとそれをかじり始めた。その間に鶏ささみで作ったチャーシューをレンジで加熱し、仕上がったものに細かく刻んだネギをまぶし、おまけに半分に割ったゆで卵を添える。
「待ってましたっ」
完成したおつまみと冷蔵庫から出したばかりの缶ビールを蘭子の前に並べると、彼女がぱっと表情を明るくして言った。
「どうぞ」
優雨が蘭子の向かいに座るのと、彼女が缶ビールのプルタブを開けた音がしたのはほとんど同時のことだ。彼はダイニングテーブルに頬杖をつくと、蘭子が夢中で食事にありつく姿をしばらく眺めた。
「次の日曜なんだけどさ、」
「はい」
日曜といえば、例のオフ会がある日だ。しかし、参加するわけでもない蘭子がその日時を律儀に覚えているとは思えない。なんだか嫌な予感がした。
「打ち合わせ入れたけど大丈夫だよな」
「えぇ・・・・・・」
思わず優雨が閉口するのを見て、蘭子が訝しむように言った。
「なんかあったっけ」
「オフ会ですよ」
「あー」
蘭子はばつが悪そうに細めた目を泳がせてから、
「いや、なんつーか、あたしより先にメール確認しなかったお前も悪い」
見事に開き直った。優雨はため息が出るのを堪えながら、「しょうがないですね」とだけ答えてさっさと気持ちを切り替えられるよう努めることにした。先方の都合も考えると、今更日程を動かすこともできない。
蘭子が「あららぎいさお」としてプロデビューしたのは優雨をアシスタントとして雇う前だったが、精力的に作家活動を始めてから彼女は「二人一組」を公言している。勉学の傍らアルバイト感覚で仕事を手伝っていたつもりの優雨だったが、いつしか蘭子の面倒をみてはその不摂生を正すのが日常となり、漫画のネタ探しにまで仕事が及ぶにつれ「あららぎいさお」の片割れという認識が周囲にも公然化していった。
そうなると当然、彼女の担当編集との打ち合わせに優雨が同席させられるのも当たり前になっていた。打ち合わせに蘭子一人で向かわせることも考えたが、果たして彼女だけで話がまとまるかどうか、どうにも不安なところがあった。
一体全体、自分がいなかった頃はどうやって周囲と折り合いをつけていたのか疑問に思うほど、ことコミュニケーション能力においては乱雑な一面が彼女にはあったのだ。『アースバウンド』では優雨と同一のアカウントを使っていたこともあり、蘭子の支離滅裂な言動で周囲が困惑している様を後になってチャットの履歴から知らされることもあったほどである。
「何時からですか」
「昼」
「オフ会は遅刻ですね」
「ま、しゃーない。どうせおっさんしか来ないんだし、いいだろ別に」
彼の気苦労を知ってか知らずか、蘭子が気楽な様子で言った。優雨は不安を募らせながらも、親しいゲーム友達と会えることに密かに期待もしていた。彼女の言う通りおっさんだらけの集まりだったとしても構わない。
「そうですね」
なるようになるさ―――そう自分に言い聞かせた優雨は、すっかり酔いの回った蘭子の話に耳を傾けながら、夜更けのゆったりとした時間の流れに身を任せることにした。