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1,喋る猫、影なる獣(1)


 筆舌に尽くしがたい幻想的な夜空に天体が瞬くが、都会から遠く離れた鷹宮町(たかみやちょう)に住む俺にとっては日常の一コマである。


 『郷愁』というのだろうか。感傷とは無縁の俺────瀬渕(せぶち) (りょう)は、進学校の普通科に通う高校二年生。取り立てて自慢できるようなエピソードも特技もない平々凡々な人生を送ってきた。


 強いて言うなら、人工物のない夜景なんて見飽きたレベルのド田舎に住んでいるから、毎日が退屈の連続で、面白そうなことはすぐ見に行ってしまう野次馬気質な側面を持っているくらいか。と言っても、例えばSNSで炎上ネタを漁り友達と会話のネタにする程度であって、炎上ネタそのものをリツイートしたり、どちらか片方に有利と捉えられるような発言はしない。なぜならその一線を越えると面倒だから。


 あとは芸人、というよりコントや漫才が好きなことくらいかな?


「────……瀬渕君、話を聞いているかい?」

「聞いてますよ」

「では続けよう。────この世には『陰獣(いんじゅう)』という化け物がいる。奴らは暴虐な獣でありながら、即座に殲滅されないよう、都市圏から離れた人口の少ない……いわゆる田舎に現れる狡猾さも持ち合わせてる。それらを魔法(・・)で倒すのが魔法乙女(まほうおとめ)と呼ばれる少女たちだ」


 そんな、非日常には深入りせず遠巻きに眺めるのがモットーだったのだが、寒空の下で痛々しい中二病ノートの設定集のような話を聞かされていた。


 さっきも述べたが、騒ぎを収めるヒーローになりたいとか大それた目的は無くて、ちょっとした非日常を味わえるならそれでいい。ライブやテーマパークで退屈を紛らわすように、変わり映えしない日常に刺激があればそれで十分だった。


 あぁ十分だったのさ。


『この後、時間ある……?』


 だから俺はクラスメイトの黒嵜(くろさき)さんに誘われた時、少しだけ非日常が味わえるのだと期待した。黒髪ロングの、地味で目立たないが可愛い女の子に誘われたんだ。どうやら誰かに強制されているようだったけど、「もしかしたら」という期待をして何が悪い。


 まぁ実際に望み通り非日常がやってきたのだが……求めていたのと丸っきり違う「アイタタタ」ってなる話を聞かされているとは思わなかったよ。


「あの、今からやっぱりやめましたって駄目ですか?」

「良いと言ったら踵を返すかい?」

「……いや、とりあえず最後まで見届けますけど……」


 田畑と木々に囲まれた農道のど真ん中に立たされた俺は、目を凝らして周辺を見渡した。日没してしまったので目ぼしいものはなんも見えない。真っ暗だ。


 人工的な光は、遥か遠くの民家とその前に設置された自動販売機周辺しかない。無人直売所にだって防犯灯はなく、車が来たら撥ねられるレベルのマジな真っ暗闇。なんなら反射板もガードレールもない。


 けど撥ねられる心配はないだろう。なぜなら夕暮れ時から日暮れまでぼっ立ちしてるが、車もチャリも一台も通ってないからだ。


 冗談抜きで人が通らないんだよ、この農道。幽暗な世界に『怪談』や『都市伝説』を創造してしまう人の気持ちが良く分かるレベルの暗さだからね。夜の学校とか目じゃないレベル。話し相手がいなかったら通りたくない道ナンバーワン。いやいても通りたくないな。


「心の準備はいいかな、瀬渕君?」


 ちなみに先ほどから会話をする相手は、俺を誘ったクラスメイトの黒嵜さんではなくて『猫』。


 そう、猫だ。黒をベースに白と茶色のラインが入った美人な見た目をし、なぜか成人女性の声で日本語を喋っている猫。肝心の俺を連れてきたクラスメイトはどこかへ行ってしまい、代わりにこの喋る猫がどこからかフラッと現れて、唐突に喋りだしたのだ。


 最初は猫が喋っていることに心底驚いたけれど直ぐに慣れた。本当に日本語を喋っているのではないと分かったからだ。口をパクパクとさせてそれに合わせて言葉を発しており、どうしても海外ドラマの日本語吹替を見ているような印象を受けてしまう。あるいは動物の映像に声を当てるバラエティ番組か。ただ声そのものは猫から聞こえてくるから、声帯に何か機械を取り付けているんだろうとも推察できる。


 にしても、黒嵜さんに誘われた(・・・・・・・・・)という前提があっても“人気のない暗闇の田舎道で猫が喋るというシチュエーション”は、黄色い噴水が股間からジョボジョボ零れてしまうほど怖かったが、思惑通り非日常的な現象に出くわしたからワクワクしているのも事実。


 だから痛々しい中二病ノートの設定だって真面目に受け止めていられる。仮にこれがドッキリでもなんでもいい。全力で乗ってやろうじゃないか。


「心の準備もなにも、俺、シンさんに教えられるまで何するか聞かされていなかったんで……なんスか陰獣って」


 ちなみに猫は自らを「シン」と名乗った。名前はもうある。


「え……? 本当に何も? じゃあ黒嵜君になんて言われて連れてこられたんだい?」

「放課後に黒嵜さんから『ここに来て』っていうもんだから、『はい行きますぅ!』っつって……」

「軽すぎるだろう……そんな誘われ方をされて怪しいと思わなかったのか?」

「だって聞いても答えてくれないんですもん。まぁ黒嵜さん悪い人じゃなさそうだし、困ってそうだったから、別にいいかなーって。今は後悔と期待が鬩ぎ合ってますけど」

「なるほど。その警戒心の無さは今時のオトコノコという感じがするな」

「それ褒めてんすか?」

「角の立たない言葉とは便利だな。さて、では代わりに私が君のすることを伝えておこう。君には魔法乙女を強化する特別な能力が備わっている。自覚はないだろうがな」

「はぁ……?」

「そうだな……君たち世代のゲームで例えるなら、後方で能力強化魔法(バフ)をかけ続ける支援職のようなものだと考えてくれ」

「はぁ……」

「そして君はそこに立っているだけでいい」

「……ここに?」


 俺は無駄にコンクリートで舗装された道路を、つま先でコツコツと叩いた。


 そこには日が暮れる前に、猫が口にくわえたチョークで一生懸命描いた、アニメやゲームでよくみる魔方陣のような幾何学模様があった。不思議なことに、運動靴ではコンクリートの道路に描かれた幾何学模様は削れない。少し強めに模様を削ろうと力を入れるも爪先が痛くなるだけで終わってしまった。信じられないが、どうやら物理的干渉を拒んでいるようだ。


 まぁそもそも喋る猫を前にして現実味が薄れていたが……いよいよ脳みそがパンクしそうだ。


 しかしここに立っているだけで良いと言われたが、本当に何もしなくていいのだろうか。ゲームで言う支援職なら、例えば音楽を奏でるとか、ダンスを踊るとか、杖を振ったりだとか、MP(マジックポイント)を消費する触媒みたなもんがあるだろうに。


「その魔方陣は陰獣から君を守ってくれる。いいかい、なにがあろうとそこから出てはいけないよ」

「ふーん……」

「……さっきからずいぶんと薄い反応だな」

「実際にその、俺の支援的なもんがあるかどうか分かんないし、魔方陣の性能やらもピンと来ないんで……。それに……その……陰獣?ってやつも知らないし、姿形をイメージしづらいんですよ。なにもかもがフワッとしてて。そもそも『陰獣』ってどういう化け物なんですか? 四谷怪談の幽霊的な? それとも特撮に出てくるような怪獣とか?」

「ほぅ、陰獣の存在否定はしないのだな」

「別にいてもいなくてもどっちでもいいんですけど、居た場合の心構えが必要かなーって。まぁぶっちゃけ半信半疑っすよ。で、どっちなんですか?」

「どちらかというと後者だな。怪獣……と呼称するのが正しいかどうかは悩みどころだが」

「ふーん……」


 俺は乏しい想像力を働かせ、『いんじゅう』という言葉から連想される怪獣を思い浮かべる。


 触手をうねうねと動かし、まるでイソギンチャクをそのまま大きくさせたような怪獣────。ゲームに精を出すクラスメイトからエロゲなる存在を聞かされた時、力説されたことがある。そのクラスメイト曰く、化け物が出てくるエロゲーに触手は必須らしいから多分あるんだろう。あとは人一人を丸のみにするくらい大きい口。


 しかしこんな怪獣がいたら、すぐにでもニュースになるだろうさ。もしくはスマホによって即ネットにアップロードされる。猫が喋っているから、他の非現実的な話を聞いていられるが胡散臭さは拭えない。


 大体『陰獣』ってなんだよ。怪獣っぽい見た目なら『怪獣』でいいじゃん。なんで怪獣って呼ぶのに抵抗があるんだよ。


「あの……お、お待たせしました……」


 暇つぶしにスマホを弄っていた俺の後ろから、風にかき消されてしまいそうなか細い声。ちょっとトーンを上げて声を作っているが、間違いなく俺をこの場に誘った張本人────黒嵜(くろさき)さんだ。


「黒嵜さ……ん……!? んんんん!!?」


 だが振り向いた俺は、この女性が「地味だがお人好しで頼まれたことが断れない、地味だけど可愛いクラスメイトの黒嵜さん」と言い切れる自信がなくなってしまった────。


 月明かりを全身に浴びた彼女は、幼児向けアニメに出てくる魔法少女のような非現実的な衣装を着込んでおり、これまた女児向け玩具のようなピンク色のステッキを片手に立っていたからだ。まるでネットやテレビでしか見たことないコスプレというやつ。


 だが、黒嵜さんは第一印象こそ「コスプレ感」があったが、ピンク色のステッキにさえ目を瞑れば異国の令嬢のようでもあった。


「ワーオ……」


 絹のように滑らかな素材で白に縁どられた黒のドレスを着込み、抱きしめれば折れてしまうんじゃないかと心配になるほど細い身体にフィットしている。目が隠れそうなくらい伸ばしていた前髪は、白いカチューシャで左サイドに寄せられていてあどけない顔立ちが露わになっており、整った目鼻立ちが前面に押し出されていた。


「あの……」


 足元を見れば、丈の長い学生服で隠されていた絶対領域からの素足がスラリと伸び、こんな片田舎で履いている人がいないであろうチャンキーヒールを履きこなしていた。


 いつもの地味な見た目からは予想もつかないほど派手な露出をしたコスチュームだったが、自然と彼女にマッチしている。幼くとも整った顔立ちはお姫様のような、華奢な体に映える黒いドレスを見れば女王様のような、けれどステッキ含めて全体像を見ればアニメの魔法少女のような────。


「あ、あのっ……瀬渕くん……」


 林檎のように紅潮させた顔を背けたことで、ようやく俺は、この女性がクラスメイトの黒嵜さんであると確信が得られたのと同時に、羞恥を感じていることに気づいた。片手でスカートの裾をギュッと握り締め、もう片手で胸を押さえて体を縮こませている。


「あ、ご、ごめん……」


 やたら露出の多いコスチュームだが好んで着ている訳でもないだろう。羞恥に晒してしまったことを申し訳ないと思い、謝りつつ顔を明後日の方に逸らした。しかし彼女を照らしているのが自然光の月明かりで、背景の森林と合わさりとても幻想的だ。田畑を極力写さないようにしてスマホで写真を撮りたい。


「……」

「……」


 しかし沈黙は気まずい。「好きでもない男に見られて災難だったね」と慰めるべきか、「とても綺麗だよ」と素直に褒めるべきか、「隠さずにもっと見せろ」と強要すべきか、なんて声をかけるのが正解なのか分からないまま時が過ぎていく。


「甘酸っぱい雰囲気を楽しんでいるところ申し訳ないが」


 見かねた猫が助け舟を出してくれた。ありがとう。


「今一度整理をさせてもらうぞ瀬渕君」

「あ、はい、どうぞ」

「まず君の身の安全(・・・・・・)は確保されている。その魔方陣の中にいれば安全だが……周りを見てみると良い」


 俺はぐるりと周囲を見渡した。


 月明かりに照らされて薄らと見えるのは、水の張った田んぼに、トラクターのタイヤ痕が残った道路。背の高い草が生い茂った森林帯からは小さな明かりがポツポツと光っている。多分あれは、路上で轢かれて死ぬ動物の代表である狸やらハクビシンの目だろう。


 ……いや待て待て、なんであんな数が規則正しく並んでいるんだ。どう考えても不自然だろ。


「どうだ、動物が多いと思わないか?」

「そっすね……多いっすね……」

「あれらは君を監視している者たちだが、必要とあらば身をなげうって君の盾になるだろう」

「え!?」

「だからもし魔方陣から外に出ても、君を逃がすくらいの時間は稼げるということだ」


 その言葉を肯定するかのように、動物たちはがさがさと背の高い草に身を隠してしまった。


 シンさんの説明が正しければ仏陀の兎を彷彿とさせる献身ぶりだが、そんな自爆特攻をしてまで守られるというのは忍びない。想定外の事故でも起こらない限り、絶対に魔方陣から外に出ないようにしよう。というかこれだけ危険だって言われてるのに自ら外に出るって、それ完全に自己責任じゃん。んなアホなことはしない。


「ま、基本的に黒嵜君が君を守ってくれるだろうからその心配はないと思うがね」

「が……頑張りますッ!」


 羞恥に染まっていた黒嵜さんは、改めて魔法のステッキをグッと握り締めて気合を入れていた。教室でよくみる地味で大人しい黒嵜さんとギャップがあって可愛い。髪の毛を左に寄せるだけでも印象が変わるもんだなぁ。


 ……いや印象が変わってるのは髪の毛のせいだけじゃないだろうけど。


「うん、私だ……うん……うん!?」


 シンさんが急に独り言を呟き始めた。そういうの怖いからやめてほしい。


「やれやれ……運が良いのか悪いのか。黒嵜の魔法乙女姿をお披露目するだけだったのだが……────来るぞ」

「はい!」


 これまた急にシンさんが警鐘を鳴らす。それに合わせて、黒嵜さんがステッキの先端でコンクリートの道路をこつんと叩いた。フワッと、黒嵜さんを起点に波動のようなものが広がっていくのを感じた。


「今のは────?」


 まだ余裕があったから、今の行為に何の意味があるのかを猫に聞こうとしたが、えずくように何かが喉に詰まって声が出なくなった。


 淀みない澄んだ空気に鼻を抓みたくなる異臭が漂う。春先だというのに肌寒さを感じていたが、吐息のような生暖かい風に包まれる。寒くもないし、苦手な集合体を視界に入れていないのに、どうしてか鳥肌が止まらない。


 悍ましさの正体を掴むよりも早く「フッ────」と、月明かりが雲に隠れたように暗くなる。異変を感じ取って顔をあげてみれば、そこには────。




「────────ッ!!!!」




 全身が体液塗れでヌルヌルテカテカとし、全長3mはあろう人型の『化け物』がいた。



「は……?」



 『化け物』と形容したのは、その全てがちぐはぐなもので構成されていたからだ。両腕が肥大化して鎌のように湾曲し、上半身を背面に反っている。


 下半身は脚部が無くナメクジかカタツムリのようで、なんと腹部には頭部らしき突起物がついていた。代わりに目や耳のような器官はなさそうだが、突起物いっぱいに十字に刻まれた口腔が大きく開かれて獲物を待ち構えていた。


「な……え……?」


 予想を大きく裏切った『陰獣』と呼ばれる化け物の姿に、思わず俺は腰を抜かして、その場にぺちゃりと尻もちを着いてしまう。陰獣とかいうシモを連想させる言葉に、クラスメイトの力説も相まって触手を備えた怪物を想像していたからだ。


 それがまさかこんな、特撮怪獣をそのまま小さくした形でお出しされるとは思ってもいなかった。だから最初から、陰獣じゃなくて怪獣って呼べって……。


 不幸中の幸いだったのは、決壊寸前だった股間のダムが人間の尊厳を損なわないギリギリで踏みとどまったことと、腰を抜かしたのが魔方陣の中ということだろうか。猫の話が正しければ魔方陣の中にいれば陰獣から感知されない。それを証明するかのように、陰獣とかいう化け物は腰を抜かした俺を見向きもしていない(顔が反対側にあるのだから見向きもしないというのは正しくないのかもしれないが)。


「……瀬渕くんは、そこで見ていてください。私の────私たちの戦いを!」


 さっきまで羞恥に悶えていた黒嵜さんは、ステップでもしながら何気ない日常動作のように────空を飛んだ。


 比喩表現ではなくマジで飛んだ。


 ……え?


「と……飛んだ……!?」


 肩甲骨から羽根を生やすでもなく、脚部からエネルギーを噴出するでもなく、バトル系少年漫画のように地面を蹴り上げて夜空を駆けるその姿は、紛うことなき魔法乙女(ファンタジー)だった────。

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