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鯨の空  作者: 藤原(の)コウト
幼吸血鬼ヴィヨンドの受難
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二人の『鯨乗り』


『〝機械仕掛けの鯨〟は、太古に生きた魔女の遺産だ。魔女伝説の一端にもなっている鯨には、様々な古代の魔術や呪術が搭載(とうさい)されている。それを解析し、乗りこなすのが俺たち『鯨乗り』の仕事だ』


 かつて凄腕『鯨乗り』ゲルカ=リドネスがこの街に訪れた時、彼はぼくにそう解説してくれた。その神秘を求めて世界を旅するという生き様に、ぼくは少し憧れたことを覚えている。

 その彼に染み付いた機械油の匂いがして、ぼくは目が覚めた。


「……う……」


 ロウソクの火がちろちろ揺れる薄暗いテント。そこに並べられた道具の数々には、見覚えがある。

 視線を巡らせれば、案の定彼はいた。


「リドさん……?」

「ん、起きたか、少年」


 リドさんは不愛想(ぶあいそ)にそう言うと、手元のコーヒーを(すす)る。前に会った時より、無精髭(ぶしょうひげ)が目立つ気がした。

 彼はマグカップを机に置くと、ぼくの方に向き直った。


「……悪い、遅くなった。メール、見てくれたか?」


 その言葉に、ぼくは昨日のことを思い出す。ミサキさんにご馳走(ちそう)になる前に受け取ったメール。そっけない一文。


「本来であれば、昨日の昼には到着しているはずだったんだが」リドさんは少しくたびれた顔だった。「……厄介なことに巻き込まれてしまってな。おかげで、ここまで遅れてしまった。すまない」

「いえ……」ぼくは一度言葉を飲んだ。「あの、リドさん」

「なんだ」

「ヴィヨンドは? 彼女は今どこに?」


 閉じていく世界。崩れる十字架。抱きとめていた彼女の首。ぼくはそれらをはっきりと覚えていて、だけどここに彼女はいない。

 ぼくが不安そうな顔をすると、リドさんは地面を指差した。


「マクヴィルの中だ。つまり、俺たちの足元に彼女はいる」

「マクヴィル……?」


 ぼくははっとする。マクヴィル。それは、僕らの街の空を泳ぐあの鯨の名前。ヴィヨンドの部屋で最後に聞こえた鳴き声は、やはり彼のものだった。

 でも、なぜヴィヨンドはそんなところに? ぼくが状況を飲み込めないでいると、テントの入り口から声がした。


「そうだよ、ここは鯨の背中だ。お前が俺を置いてった場所だ」

「ば、バンピー……?」


 人狼の戦士、バンピー。狼の姿を好む彼が珍しく、少年の姿で立っていた。彼の不機嫌そうな顔を見て、ぼくはここでバンピーと一戦交えたことを思い出す。


「準備は整ったか、人狼の戦士」

「ああ、大体終わった。そんであのキンキン(やかま)しいガキが呼んでこいとうるせえんだ。早く行ってやれ、お師匠様とやら」

「……弟子を取った覚えはないんだがな……」

「あ、あの!」


 ぼくは慌てて出て行こうとする二人を呼び止めた。準備やら弟子やら、何が起こっているのかさっぱりわからない。


「ついてこい、少年……ヴィヨンドはこっちだ」


 だけど、その言葉だけでぼくは進む決心がついた。






「儀式場へは転移陣を使う」


 テントを畳んで、ぼくらは鯨の頭頂部まで来た。辺りはすっかり暗くなっていて、リドさんに持たされたランタンと頭上の月だけがぼくたちを照らしている。


「…………」

 

その夜の光景に、無性にぼくは心が乱される。


「大丈夫だ」ぼくの不安を()み取ったのか、リドさんはぼくの頭に手を置いた。

「下の連中は、君が寝ている間に俺とバンピーとで処理しておいた。竜二の呪いも、ミサキの怪我も心配いらん。だから君は、ヴィヨンドだけに集中しろ」

「……はい」


 だけど、それでもこのざわつきは(ぬぐ)えない。今夜が(とうげ)。ミサキさんの言葉が頭の中でぐるぐる回る。

 タイムリミットはもう来ている。ぼくは、もしかしたら間に合わなかったんじゃないか。そんなネガティブな思考が、引っ付いて離れない。


「……偉大なる大魔女よ。御身(おんみ)(のこ)した鯨に、しばし踏み入ることをお許し下さい――」


 古風な祝詞(のりと)を上げて、転移陣を起動する。古代の術式だけど、リドさんの手にかかれば開くことに造作(ぞうさ)もない。

 (まばた)きの間に、ぼくらは広い空間に出た。


「ここは……」


「儀式場だ。マクヴィルに用意された、魔女たちの実験場だな」


 リドさんが簡単な解説をしてくれる。たしかに、各所に見えるおどろおどろしくも美しい装飾は、いかにも魔女らしい荘厳(そうごん)な出で立ちだった。

 ぼくが感心していると、「あっ!」と誰かが声を上げた。様々な術式が敷かれた床、その中心に立つ人影がこちらに気づいて駆け寄ってくる。


「師匠お疲れ様っす! こちらマクヴィルの『時間凍結』、ならびに『空間固定』起動確認っす! 術式も安定! さすが大魔女の作品っすね、何百年も放置されてたのに全く機構(きこう)に錆び付きがないっす!」

「……そうか。助かった、セシル。あと俺は師匠じゃない」

「お安い御用っすよ、師匠! あとバンピーも伝言ありがとっす! メール? でしたっけ、人間の技術は使いにくいんっすよねー!」

「おう、そうか。俺もスマホとかいうのを最近知ったばかりだ。気にすんな」

「じゃ、お仲間っすね!」


 えへへ、と笑う彼女は、ぼくの知らない人だった。右腕に()めてある無骨で巨大なガントレットが、やけにリドさんの装備と似ていて、たぶんリドさんと同じ『鯨乗り』だろうとぼくは予想する。


「あれ? 誰っすかこのチビ? なんか不思議な匂いするっすねー」

「さっきも言っただろう。彼が佐々木くんだ」

「あー、知ってるっす知ってるっす! あの魔術王のお気に入り! はじめまして、さ、サシャーキ? くん? よろしく、セシルっす! ドイツ語はできるっすか?」

「は、はじめまして。習ったから、少しは……」

「お! やるっすね! じゃあ極東の変な言葉は使わないでいいっすね! あれ発音がややっこしいんっすよ!」

「セシル、仕事に戻れ」


 リドさんが呆れつつそう言うと、彼女は「はーい!」と持ち場に戻っていった。


「げ、元気な人、ですね」

「腕はいいんだ、腕は。だが俺は助手を雇っただけで、弟子を取ったつもりはない。なのになぜか、あいつは俺を師匠と呼ぶ。弟子は取りたくないんだがな……」

「何が不満なんだ、『鯨乗り』。自分の極めた道を後に残すのは、いつ死ぬかわからん俺たちにとっては重要なことだろ? それにあれは女だ。ついでに(めと)って子でも成せば一石二鳥じゃないのか?」

「子っ……」

「やめてくれ、人狼。俺とあいつはそういうんじゃない」

「わからんな。早く襲えばいいのに」


 そう言ってバンピーは首をひねる。彼は人狼だから、人間よりよほど本能に生きている。悪気はなくて、本当にわからないんだろう。彼の言う恋は、ぼくらのそれとだいぶ違う気がする。


「とにかく」リドさんは話題を変えた。「今はヴィヨンドだ。まあ、口で説明するより見た方が早い」


 そう言って、彼は儀式場の真ん中へと歩き出した。ちょうど、仕事を再開したセシルさんを追うような形だ。


「セシル、()()()()()

「了解っす!」


 リドさんが指示を出すと、セシルさんは床に――術式が蜘蛛の巣のように張り巡らされた床に、巨大なガントレットを押し付けた。魔法陣が淡く光る。


「魔女で八年、人狼で三年、『鯨乗り』が一ヶ月、何の魔術耐性もない人間が三十分、ってとこすっかね。早く出てきた方が身のためっすよ、少年!」

「? えっと……」

「術式空間での耐久時間だ。特に君は今魔力が空っぽだから、遅くても十分で出た方がいい」

「時間を過ぎるとどうなる? 死ぬのか?」

「呪いが全身を回って肉片まで魔力に変換される。跡形も残らん」

「き、気をつけます……」

「大魔女の魔力は強力だ。それでいい」


 恐ろしすぎる注意を受け、ぼくは気を引き締めた。


「いくっすよー!」


 セシルさんが魔力を流し込むと、何もなかったはずの空間が歪み、真っ黒な扉が目の前に現れた。その扉はひとりでに開き、内側をぼくらに見せつける。


「ヴィヨンド……!」


 それは見慣れた666号室。ヴィヨンドを閉じ込めていた空間も十字架も消え失せ、元の安アパートの一室に戻っていた。

 だけどそこに異常が一つ。透明な棺桶(かんおけ)。まるで氷漬けにされたように、その中でヴィヨンドは眠っていた。


「『時間凍結』だ」リドさんが言う。「マクヴィルに搭載されていた大魔術を使わせてもらった。これで俺とセシルの魔力の続く間、およそ三日はヴィヨンドの時を止められる」

「っ……」

「そして『空間固定』。現在ヴィヨンドの根城(ねじろ)は、このマクヴィルに座標が移っている。あれほどの濃密な魔力、地上に解き放てば大問題だろうからな」

「魔力? ヴァンパイア・ハンターの封印術式はもうとっくに壊れてるんだろ? ヴィヨンド自身にも魔力はほとんど残ってないし、どこにそんなもんが……」

「十字架の中だ」


 バンピーの疑問に、リドさんは淡々と答えた。


「あれは封印の要石(かなめいし)であると共に、爆弾でもあった。封じた吸血鬼が死ねば、そいつから吸った負のエネルギーを広範囲に撒き散らす。吸血鬼の魔力に耐性のない人間が直に触れれば、それはもはや吸血鬼の吸血行為と何も変わらん。血に飢えたグールが大量発生する」

「……何だそりゃ。ヴァンパイア・ハンターは吸血鬼から人間を守るんだろうが。それがグールなんぞを増やしてどうする」

「憎悪に目的が曖昧(あいまい)になって、根っこから歪んだんだろう。憎しみだけで動くとロクな結果にならん、といういい例だ」


ぼくらは666号室の中に入り、透明な棺桶のそばに立つ。ヴィヨンドは自らの首を抱えて静かに目を閉じていた。あまりに命の気配がしないから、このまま二度と目を開けないような気さえした。

 そしてそれは正しくて、()てついた彼女の時間は永遠ではない。


「呪いの進行は食い止めた。だが元を断たないと、時間を戻した途端に彼女は死ぬ」

「吸血鬼の不死性に由来した『不治(ふち)』の呪い、だったか。なんつうか、まさに吸血鬼を殺すためだけに(こしら)えた呪いだな」


 大した執念だ、全く。バンピーの憎まれ口を、ぼくは黙って聞いていた。


「……ヴィヨンドは、治りますか」

「難しいな」


 リドさんは取り(つくろ)わない。ぼくが子供だからって、容赦(ようしゃ)しない。事実は事実。下手に希望を持たせないのは、ミサキさんと一緒だ。


「だが、可能性はある」

「!」


 その彼がそう言った。だからこれは、事実なのだ。ぼくが思わず目を輝かせると、リドさんに(たしな)められた。


「あまり期待するな。これは……これは、ほとんど賭けにも近い」

「教えてください」


 ぼくは努めて真摯(しんし)にそう言った。ぼくは決して目を逸らさなかった。


「賭けでもなんでも、ぼくはヴィヨンドを助けたい。そのためなら何だってやってやる。だから教えてください。何が必要で、ぼくに何ができるかを」

「もちろんだ」


 そう言って、リドさんは薄く笑った。ぼくの決意を歓迎するように。


「君とヴィヨンドにはこの街を……俺の(ミサキ)義弟(りゅうじ)を助けてもらった恩がある。その君に、俺は賭けるとも」

「本当なら今すぐ家に帰したいところだが……しゃあねえ、ここまできたら俺も乗るぜ」


 ただ、三日以上は待たねえからな。バンピーはふんと鼻を鳴らした。


「……ありがとう、ございます」

「いいさ。今日はもう休め。今日までと違って、君には明日があるのだから」


 その夜、ぼくは久しぶりにゆっくりと眠れた。

 あと三日。リドさんたちが用意してくれたチャンスを逃すまいと、ぼくは覚悟を新たにした。



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