?月?日(?)
どこだ、ここ。俺は非現実的な、ふわふわした世界で目を覚ました。いや、本当に俺は起きてるのか? どうもはっきりしない。
暑くも寒くもない。涼しくも暖かくもない。ぬるま湯に浸かっているような温度に、俺は全身を包まれていた。
「なんだこれ?」
遠近感のない空間だ。ずっと遠くにまで続いているようにも、すぐ近くに壁があるようにも感じる。あやふやで実態のない、強いて形容するなら、そう、
「夢……?」
「そう、夢だ。私の見せた夢だ」
聞き慣れない声がして、俺は振り向いた。白いキャンパスに墨を一滴垂らすように、黒猫が乳白色の空間に浮いていた。何でいるんだ。夢ってなんだ。
というか、諸々の疑問の前に言うべきことがある。
「ね、猫が喋ってる……!?」
「何を驚く。その程度のこと、予想くらいついていただろうに」
いや、まあ。やたら人間の言葉に反応するな、とは思ってたけど。まさか本当に喋れるとは思わねえだろ。しかもいい声で。
全く現実的じゃない。
「現実的じゃないのは君もだろう。宇宙人」
「おまっ、俺のこと知って……!? つうか、心読まれた!?」
「騒がしいやつだ。心くらい読めなくてどうする」
あっさり言ってくれるが、別に誰でも持ってるスキルじゃねえぞ? あれ? ということは、俺がこれまで思ったアレやコレやは全部筒抜けだった?
「もちろんだ。中々に失礼な発言だったな。私を畜生呼ばわりするとは」
全部バレてる! ということはこいつ、やっぱ春原と一緒にいた黒猫で間違いねえな!
「おや、こちらの正体を探るためのブラフだったか。それは、一杯食わされたな。君の評価を見直さなければなるまい」
うるせえ。畜生が理知的に喋りやがって。ああくそ、色々俺の理解を飛び越えている!
「こちらとしてはむしろ、君の理解度の低さに疑問を抱くのだがね。君もどちらかと言えば、我々に近い存在だろうに」
「俺はどちらかと言えばただの人間に近いんだよ!」
お前みたいな常識ブッちぎった存在じゃねーんだ!
「まあ、身体的な面でもそれは事実らしい。そういう風にデザインされたのだから、当然と言えば当然なのだが」
……こいつ、マジで俺が宇宙人だってこと知ってんだな。
「ああ、知っている。ところで、いくら私が君の思念を読み取れるとしても、せっかく目の前にいるのだから直接会話しないのはいかがなものか、と思うのだが?」
「だが? じゃねえよムカつくな。俺が口にする前にお前が勝手に返答するんだろ」
「そうだったか。それは失敬」
「は、失敬と来たか! 紳士ぶる猫たぁ、こりゃまた斬新な切り口だ。お前なんか猫好きクラスタに一瞬だけバズって消費される哀れなコンテンツに成り下がりゃあいいぜ」
「…………君、『どうせ心読まれてるし思ったこと全部言おう』と開き直るのは別に構わんが、だからと言って遠慮がなさすぎなのではないか? というか君、前からそんな性格をしていたか?」
「知らん。なんか妙にそういうことが言いやすいだけだ」
普段より頭の回転が早い。気がする。
「それはおそらく、君が今魂だけの存在だからだろう。普段生存のために回しているリソースを、今の君は必要としていない。思考の早さはその副産物だ」
魂だけ、と来たか。道理で体を動かそうとしてもうまく行かないわけだ。そもそも動かす体がないのだから。
しかし細かい理屈はどうでもいい。気になるのは一点だけ。
「……俺は、死んだのか?」
「いや。神経の集中する顔ばかりを痛みつけられていたから、痛みによるショックこそ凄まじかったものの、傷も浅いし命に別状はない。面会謝絶にもならなくて済んだようだぞ?」
意外だな。もう死んでるか、それでなくとも瀕死でいるとは思っていた。そうか。そりゃよかった。
「母さんは?」
「無事だ。仕事先で連絡を受けて、そのまま君が運ばれた病院に来たから彼らと鉢合わせにはなってない」
「やっぱあいつら、母さんにもなんかしようとしてたのか……」
つうか、地味に生徒手帳が役に立ってるな。持ってた場合と持ってなかった場合、一体どっちがよかったのか、もはや分からん。
何にせよ、無事でよかった。
「驚いたな」
「ん?」
「君は、君自身の容態には興味はないのか?」
「無事なんだろ?」
「まあ、そうなのだが」
「じゃあそれ以外に何を聞けばいいんだ? どこどこが複雑骨折しましたとか、そういう細かい怪我の名前か?」
「複雑骨折を細かい怪我と言える君の胆力には脱帽するが……」
黒猫は驚き半分、呆れ半分と言った様子だ。
「教えてくれと言うのなら、教えてやれる。だがこれは本当に君が求める情報か?」
「んなわけねーだろちょっとは考えろ」
「……やはり君、私に対してだけ当たりが強くないか?」
そうかもな。
というかこの刺々しさは、春原に出会う前の俺に似ているような気もする。
「ここにいるのは君の魂だけだからな。浮き彫りになっている思考回路は、単にそうであった期間の長さで決められているのだろう」
捻くれた攻撃的な思考は十八年と数ヶ月。
多少やわらかくなった思考は四日。ま、当然っちゃ当然だな。単に黒猫がムカつくだけの可能性もあるけど。何ならそっちの方がありえそうだけど。
では、と黒猫が仕切り直すように口を開いた。
「何か聞きたいことはあるか? 答えられる範囲であれば答えよう」
「ここはどこだ」
「さっきも言った通り、私の夢の中だ。現実世界の君はとても会話できる状態ではないからな。こうして魂だけでも出張ってきてもらった」
「お前は何だ」
「これも先ほど言ったぞ」
黒猫は出来の悪い生徒を諭すように、少し口調を崩した。
「ワ、レ、ワ、レ、ハ、ウ、チュ、ウ、ジ、ン、ダ」
「………………何やってんだお前」
「君こそ、何故呆然としている。地球では異星人はこう名乗るのが通例なのだろう? 多少理解に難のある行為だが、異文化とは得てしてそういうものだ」
なんか、この、こう……。もうちょっとなかったのか? これでは驚くにも驚けない。
「おかしいな、こうすると聞いたのだが……」
何やらブツブツ言っている黒猫は、やがて自己解決したようで俺に向き直った。
「私は宇宙人だ。正確に言えば君と同じ、〇〇星人に作られた地球観測用現地生命体類似型生体インターフェイス、その中でも特殊な任務を負わされた一体だ」
……全体的になんて言った? 特にナントカ星人のとこ。明らかに人間のできる発音じゃなかったぞ?
「ああそう……で、特殊な任務って?」
「春原愛奈の監視だ」
「…………」
まあ、予想はできていたことだ。宇宙人からすりゃ、あんな興味深いもんはないだろうさ。地球人だってそう思うんだから。俺は宇宙人だけど。
「春原愛奈は、〇〇星人が観測できた中で最も特異なケースだった。他のどの地球人とも違う、彼女だけの特性を――君風に言えば体質を有していた」
人に嫌われて、人以外に好かれる。そんなややこしいことになってるのは、地球広しと言えど春原だけだろう。潜り込んでる宇宙人よりレアケースだ。
「だから、彼らは春原愛奈を通して研究をしようと思い立った。より深く地球を知ろうと、その足がかりとして春原愛奈を特別観察対象に置いた」
「で、あいつをストーキングして何か分かったのか?」
「残念ながら、これと言って」
ということは、こいつらにも春原の体質の謎は掴めていないのか……本当に治せるものなのかね、アレ。
「ただ、〇〇星人が予測していたより、地球は面白い方向に発展していることは分かった」
「面白い方向?」
ああ、と、黒猫は楽しみにとっておいたお菓子箱を開けるような期待を込めて、
「君、ドラゴンを見たことはあるか?」
と言った。
「……ねえよ。あるわけねえだろ」
「魔法は? それを操る魔女はどうだ? あるいは奇跡を起こす、神の姿を見たことはないか?」
「ない……ないけど、それってもしかして」
「ああ、地球には彼らが存在する」
「…………はっ、」
そいつは、なるほど。確かに面白い。
「しかし、分かったのは存在までだ。実際に彼らとコンタクトを取る段階までは来ていない。〇〇星人の母星は科学技術こそ地球の何千倍も発達しているものの、だからこそそういう空想的な存在を否定できてしまってね。それがいると分かったのは、彼らにとっても僥倖だったろう」
宇宙人でもロマンは感じるのか。ちょっと意外だ。
「そして春原愛奈の体質も、それに由来するものだろうと仮設が立てられている。なに、〇〇星人の技術力は素晴らしい。近いうちに、きっと原因も特定できるはずだ」
そうか。
……それなら、安心だ。
「いいのか?」
何がだ。
「君自身が解決しないで。好きなのだろう、春原愛奈のことが」
「好きだよ。だけどそれは俺じゃなくてもいい。お前だっていい。俺は最終的にあいつが幸せになりゃ満足なだけで、そこに俺はいなくていいんだ」
必ずしも、俺が春原にとって必要であるわけじゃない。あいつは何だかんだで強い。俺が何かしなくたって、一人ででもあいつはあの神社を見つけていた。
「あそこに招待したのは、観察対象に死なれるわけにはいかないという理由もあったが……」
「それ以外にもなんかあんのか?」
「それだけなら、春原愛奈が家出した直後に招待していたよ。他にも雨をしのげる場所がないでもなかったが、彼女の体質を考えるとあの場所以外ではどの道駄目だったからな。苦渋の選択ではあった」
「だから何でだよ」
痺れを切らして尋ねると、黒猫は嘆息した。
「あの場所は、着陸予定地だったんだ」
「着陸予定地? ……おい、まさか」
「君の予想通りだ。今から約二時間後、君を迎えに△△△……もとい、UFOがやってくる。だから観察対象の春原愛奈を近づけたくはなかったのだが、情報の秘匿と彼女の安全を天秤にかけた結果だ。しょうがあるまい」
「待て待て待て待て!!」
俺は咄嗟に声を張り上げる。まあ、体がないからその表現も正しくはないのかもしれないが、とにかく。今さりげに大事なことを言わなかったか、この猫畜生!
「また畜生と……全く、年長者に対する敬意というものが感じられんな、君からは」
「今はそんな話してね……ええ年長者!? いや違う、俺が言いたいのはそれじゃねえ!」
また新情報に惑わされそうになったが、俺は脱線しかけた本筋を戻した。
「お前今、あと二時間後にUFOが来るとか言わなかったか!?」
「ああ、言った」対して、黒猫はあっさりとしていた。「だからこのタイミングで起こしに来たのだ。このままでは遅刻だろうからな」
黒猫がそう言ったとたん、夢の世界が形を失い始めた。元々形がなかったのだから、実体化したとでも言うべきか? なんにせよさっきまでの乳白色の世界は現実の色と混ざり始め、マーブル状の崩壊を起こしていた。視界がぐるぐる回って気持ち悪い。これも俺の魂とやらが、俺の体に帰っているということだろうか?
「次に君が目を覚ませば、そこは九月十九日日曜日、その午後四時三分だ。その時一番近くにいる人間に挨拶するといい。彼女も君を心配している人間の一人だ」
待て! まだ聞きたいことがあるんだ! 黒猫は俺の叫びを無視した。
「最後に一つだけ言っておくと――」
黒猫が遠くで何か呟いている。なんだ。よく聞こえねえ。世界の崩壊のせいか、やけに音が遠い。
「――春原愛奈も、まだ君を待っている」
だが、その一言だけははっきり聞こえた。その名前だけは、耳元で花火が鳴ったって聞き逃さない。
次の瞬間、視界は暗転し、夢の世界は完全に閉じてしまった。




