九月十六日(木) 5
結局バイトには遅れた。ただし、遅れたと言っても数分だ。
それでも叩く材料を見つけた店長は俺にネチネチ、遅れた時間以上の説教をしてくる。よくもまあそんなに舌が回るもんだな。街頭演説が仕事の政治家でも目指しゃあよかったんじゃねえの? こういう皮肉っぽい言い回しも、春原に出会ってからはあまりやってない気がするな。
それでもやっぱりムカつくもんはムカつくもんで、店長は相変わらず俺にネチネチ言うし、キレる客は何やったってキレるし、それに鬱憤溜まるのは、春原がいてもいなくても変わらない。
地球は回るし宇宙人はいる。それとコンビニバイトがストレス満載なのは同じことだ。いつものことだし、俺もあんまり気にしないほうがいいんだろう。気にするだけ無駄だ。
日も完全に落ち、客足が少なくなる時間帯。レジを先輩(やる気ない)一人に任せ品出ししていると、中学生カップルか? 制服を着た男子とジャージの女子が入店してきた。ジャージの方は金髪でやたら気合の入っている感じだ。珍しいわけでもないけど。意地でも声を上げない先輩に代わって「いらっしゃいませー」と言う。
以前の俺なら「中学生で交際とか爛れてんな、情操教育どうなってんのかね」なんてニヒリスト気取りの恥ずかしいことを思っただろうが、今の俺は違う。というか自分でも驚くくらい、彼らの存在を自然にスルーできていた。これも春原と出会って変わったことだろうか?
「よいしょっと……」
「わきゃ!」
あぶねっ! 品出しが一個終わって次の棚に移る途中、俺はジャージの子とぶつかりそうになった。考え事してて周りが見えてなかった。そのせいで彼女は転びかけたのだが、格好いいことにうまく彼氏がキャッチした。
突然だったというのに全く危うくなく、むしろ余裕さえ漂わせるほどの振る舞いだ。俺は一瞬素直に感心して、それから謝罪を忘れていたことを思い出した。
「す、すみません! お怪我ないでしょうか!」
「いえ、大丈夫みたいです。だよね?」
こくこく、と彼女が頷く。どうも、不意に彼氏と接近して照れているらしい。青春だな。俺はその当て馬にされたようだ。まるでモブ扱いだ。構わねえけどな?
特に気にした風もなく、その後彼らは物色に戻ったようだ。それにしても今の彼氏は格好よかったな。ありゃモテるだろうな。顔も悪くなかったし。そんなモブみたいなことを思った。
あれがもし、俺と春原だったらどうだったんだろう。俺は詮ないことを考え始めた。
俺は運動神経もなけりゃ反射神経の持ち合わせもない。もし同じ状況になったら、下手に手を出して二人一緒に転ぶかもしれない。そんなダセえことはないな。でも華麗にキャッチするより、そっちの方が想像しやすくて悲しい。
中学生カップルが弁当二つとジュースを買って帰ったのち、客足はさほど回復することなく俺のシフトは終わった。
心のこもってない「お先です」を言い残し、俺は帰途につく。
「…………」
一人になると退屈を紛らわすために思考に没頭するのは、もはや呼吸と同じくらい当たり前のことだ。コンビニから駅、駅から家。その間の一時間を、俺は思考に費やした。
コンビニで見たあの中学生カップルが頭から離れない。俺にとって学生カップルってのはその場のノリだけで付き合い始めて、そのうち互いの欠点に我慢ならなくなって別れる、そんな短絡的なものだと思っていた。
だけど彼らは何か違う気がした。互いの欠点なんて気にならなくなるくらいの長い時間を共にして、色んな艱難辛苦を乗り越えた結果結ばれているような……と言えばあまりにもドラマチックすぎるが、まあ要するに羨ましかったのだ。
彼らは互いを想っていて、労っていた。ぎゃーぎゃー騒いで人前でいちゃつくのが恋愛だと思ってる頭スカスカ野郎共とは一線を画した、なんなら老夫婦のような雰囲気すら醸し出すくらいの冷静さ。
共にあるのが普通。そういう類の恋愛をしていた――ように思えて、俺は彼らが羨ましかったんだ。
まさに理想のカップル。相手は年下だが、邪推なく尊敬できた。
そこでふと、気づいた。
今俺が無意識で隣に置いていた人間は、一体誰だ?
「……あれ?」
待て。俺は今恋愛の話をしていたんだ。こんなカップル見かけてすごかった。俺もああなりたいなあ。そういう話をしていたんだ。そこに何で春原が出てくる。
あいつとは友達だ。助けてもらって、助け返して、一緒に遊んで、笑い合う。共通の問題を抱えて、その傷を舐め合う。そういう関係で、それ以上でも以下でもないはずだろ。なのに何でだ? なんだって俺の不出来な脳味噌は〝理想の彼女〟の位置にあいつを収めようとするんだ!?
待て。待て待て待て。俺は足を止めてしまった。だけど思考は止まらない。むしろ加速する。通行人から変な目で見られたが、とても気にしていられる状況じゃない。
だってそうだろ、友達だから問題は共有するし、助け合いもする。遊ぶ。まして、初めて孤独を分かち合った友達だからこそ余計にだ。感謝してるし、たぶんされてる。春原が助けてと言えば俺は迷いなく助けるし、俺が助けてと言えば春原は全力を尽くしてくれるだろう。
それが友達ってことじゃないのか?
俺は失念していたのか? 俺が男で、春原が女ってこと。男女が仲睦まじそうにしていたら、きょうだい以外にはどんな発想に至る? 彼氏彼女? いや、周囲の見方は関係ない。どうせ社会から排斥された二人だ。客観視なんてのはどうでもいい。
大事なのは主観だ。俺が春原をどう思っているかだ。
どうってそりゃ、言った通りだ。友達だ。大事な友達だ。でも俺は一つ忘れている。
『何で光くんは私に優しくしてくれるの?』
春原の質問。まだ答えの出せてない問い。でも今なら分かる気がする。分かってしまう。
もう一度原点に帰ろう。春原の体質。人外を引き寄せる彼女。宇宙人の俺は誘蛾灯に羽虫が押し寄せるがごとく、システム的に春原を助けたんだと思った。だからその「春原を助けたい気持ち」が嘘のように思えて、俺は悩んでいたんだ。悩んだ末の告白も嘘だと捉えられ、そのままなし崩し的に今日までほったらかしでいる。
その難問がもし、至極簡単な解で解けるとしたら? 体質だの宇宙の神秘だの小難しいことは全部前提から取っ払って、シンプルに考えてもいいとしたら?
コペルニクス的転回。百八十度ひっくり返った問題文を、俺は今一度解いてみた。そしたら信じられない結果が出た。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………おい」
俺ってもしかして、春原のこと好きなのか?
友達として以前に、女の子として。
「嘘だろ……」
俺は軽くショックだった。
俺が春原に下心を抱いていたこと、ではない。それも少しあるけど。
俺がショックだったのは、恋心なんてどデカいもんに今さら気づいた自分の鈍感さ、だ。
「救えねえぞ……救えねえ馬鹿加減だ……」
俺は俺のことを、自分てものをよく分かってるオトナと思っていた。なにせ他人との会話に精を出す連中とは違って、自分との対話で日々を過ごしてきたからだ。だがそれはどうにも違ったらしい。
というか俺は自分で言ってたじゃないか。『自分への理解は、他人との会話の中で培われていくもの』だと。自意識は人間関係の中で構築されていく。それが分かっていながら、それを怠ってきたやつが、どうして自分を分かってるだなんて思えるんだ。
馬鹿はお前だ。形のない〝他人との会話に精を出す連中〟の概念にそう突きつけられたようだった。
「……明日からどんな顔であいつに会えばいいんだ……」
顔が熱い。自分でも分かる。背中がなんかじっとりする。
頭の中で黒猫が、「気づくの遅いにゃあ」なんて言った。いや、幻覚だしそもそも猫は喋らないけど。
いつまでも同じところに突っ立っていれば不審に思われるし電車にも遅れる。ということで俺は無理矢理歩き出したのだが、しばらく歩き方を忘れたようにまともに進めなかった。心臓がはち切れそうなほどバクバクしている。
「……くそ、何でこんなドキドキすんだよ……」
家に帰っても動悸は収まらず、その日は中々寝付けなかった。




