九月十六日(木) 2
「お、おまたせ……」
と言って現れた春原は、びしょびしょのパーカーを着ていた。おい。
またか。また俺の心をざわつかせる気か。これ以上は色々保たんぞ。具体的に何がどうなるかは俺の精神衛生上の問題で割愛するけど。
納得のいくように説明してみろ。俺はそんな目で春原をじっと見つめた。決してエロい目的じゃなく。
「ち、違うの! 服がないの! さっき水浴びするついでに服も洗って、それで干してる途中に光くんが来たから……!」
春原はわたわたしながらそう言った。つまり俺のせいか……そりゃ悪いことをした。
だが待てよ。ということは?
「は、春原、お前もしかして服一着しか持ってないの?」
春原は恥ずかしそうに肯定した。なるほど、まあ春原の事情を鑑みればむべなるかなと言ったところか。春原の母親は必要以上に春原にものを買い与えなかっただろうし、春原も大した準備もせずに家出してきたんだろう。
「い、急いでたから今ぱんつも履いてません……」
「そういうことは報告しなくていい! 俺が言わせたみたいになるだろ!」
と、とにかく、いくらなんでも一着しかないのは問題だ。洗濯するたび全裸で過ごさなきゃならないのは春原も嫌だろうし、すると自動的に俺もマズい。コンプラ的な意味で。
ふむ、と俺は熟考する。これも解決しなければいけない問題だな。そう心のトゥドゥリストに書き加えた。
俺はあと一週間も地球にいないが、それでもなるだけ多くやれることはやっておきたい。生活能力も社会力もない春原が自立するための手伝いくらいは、俺がいなくなる前に終わらせておきたい。
飢えてるやつには魚じゃなくて釣り竿を渡す。人助けにもうまいやり方があるはずだ。最善とまではいかなくとも、せめて俺のベストは尽くそう。それが生まれて初めての友達に対する、俺なりの礼儀ってやつだ。
しかし、難問である。
なにせ女性服だ。俺のような人間は服屋に行くのにすらエネルギーを使うのに、それが異性用となると一体どれほどの負担となるか。春原は金も持っていないし、何より体質のせいで店員とトラブルを起こす可能性もある。それで春原が傷つくよりかは俺が傷ついた方が何倍もマシなのは確かだが……。
「え? 別に私、男の人用でもいいけど……」
着れるなら別になんでも。春原はあっさりとしていた。
「パンツも?」
「ぱ、ぱんつも。別にこだわりあるわけじゃないし……」
まあ用途が同じならどっちも変わらないか。究極、局部を守るという目的が達成されればいいのだ……いいのか?
だが、と俺は閃く。余計な閃きだったかもしれないが。だけど女子には必須と聞く。
「ぶ、ブラは?」
「ぶ、ぶら……」
言わば胸部装甲。胸についてるアレの形を保つのにいるとか何とか、詳しくないので知らないが(詳しかったら怖い)、女子にとってはパンツと同じくらい重要なんじゃないか?
しかし肝心の春原ときたら、
「ぶらって、なに?」
正確に言えば春原母ときたら、だ。年頃の娘にブラも買い与えんとは徹底してるな。
「それって、ぱ、ぱんつと同じものなの? どこにつけるの?」
「え、えーと……」
待て、何で俺が教える流れになっているんだ。冷静に考えて恥ずかしすぎないかこれ? 春原母め。俺はてめえを一生恨むぞ。
「む、胸だ」
「おっぱい? なんで?」
おっ……いや、なんでもない。しかし『なんで?』と来たか。……なんで? って俺もそんなに知らねえよ……。
「なんか、ほら、胸の形崩れないようにするとか、服に擦れて痛い場合もあるらしいし? 知らんけど。そういうのから守る……とか?」
「よく分かんないけど、それってシャツじゃだめなの? なんでおっぱいの形を守るの? というかこれって取れちゃうの?」
「取れ……はしないと思うけど、ほら、見たことない? すっごい胸が垂れてるおばあちゃんとか。ああいうの嫌がってつけるんだと思うよ。まあ春原が気にしないなら、別になくてもいいと思うけど……」
恥ずい。猛烈に恥ずい。何で俺が女子にブラの必要性を問われなきゃいけないんだ。こちとら花も恥じらう男子ですけど!
そこで俺ははっと気づいた。これは完全に余計なことだ。衝動的に脳味噌を焼き切りたくなるくらいに余計だ。
今、春原ってもしかしてノーブラ?
「…………」
「光くん?」
いやまずい! 完璧にまずい。その考えだけは駄目だ。明らかに危険すぎる。ノーパン+ノーブラ+濡れて肌に張り付いているパーカーの組み合わせとか場合によっちゃ核爆弾より爆発力がヤバくてヤバい!
だってよ、今の春原は普段より体のラインが出やすいわけで? 女性の体を線でなぞったらある部分が飛び出るわけで? ブラもしてないんじゃそれがより顕著なわけで!? 俗に言うぽっちってのが見えるんじゃないかとか思うとうおァーーーーーーッッッ!!
「へっくち!」
俺のよこしまな考えは、春原のくしゃみと一緒に吹き飛んだ。そうだ。俺が世界で一番苦しめられていたような気でいたけど、実際に寒がっているのは春原だった。ピンク色の思考に囚われかけて、大事なものを取りこぼすところだった。悪に落ちる寸前で正気を取り戻した。
「と、とりあえずこれ着てろ」
俺は着ていたジャージを脱ぎ、春原の体に被せた……例の部位を極力目に入れないように。
「俺の服何着か持ってくるから。ちょっと待ってな」
「あ、ありがとう……」
お礼を言う春原に背を向けて、俺は一旦家に帰った。そこでもう着なくなった服とかをクローゼットから引っ張り出しつつ、
「(…………髪が鎖骨に張り付いててエロかったな)」
とか考えては手近な壁に頭を打ち付けて冷静さを取り戻し、家を出たあと百均にも寄った。
まあ、スポーツブラでもしないよりマシだ! 「何に使うつもりだ?」みたいな店員の目はこの際なかったことにして、俺はもろもろの準備をして再び神社に戻ったのだった。




