銀狼、バンピー
ミサキさんの家を出て、ぼくは夜道を歩いていた。途中花崎さんに会って送っていこうかと言われたが、断った。一人で考え事をしていたかった。
考えるのはもちろん、ヴィヨンドのことだった。
ぼくは選択しなければならなかった。このまま彼女を助ける道を模索し続けるか、それとも全て投げ出して彼女を看取るか。どちらもぼくにとって辛い道だ。そしてどちらも同じ道を辿る。
吸血鬼ヴィヨンドはもう助からない。それをぼくはよく知っている。だったら、諦めて彼女とその時まで談笑していた方が気が楽だ。見つからない方法を探すより、よほど楽だ。
その時は夜通し話そう。眠らないきみが眠るまで話していよう。学校も休んで、きみの家に泊まって、下らないことで笑い合っていよう。
だけどぼくは、おそらくその道を選ばない。そして後悔する。もっときみと話せばよかったと悔やむ。
馬鹿馬鹿しい、だけど、安易に望みは捨てられない。それが愚かな行為でも、ぼくはやめられない。
「よぉ、救世主。浮かない顔だな、何かあったのか?」
「バンピー……」
そんなぼくに声をかけたのは、一匹の狼だった。赤い目と、銀色の毛並みが月明かりに照らされて、普段よりずっと綺麗に見える。この街が闇に沈む夜を、人狼の彼も心なしはしゃいでいるように思えた。
「しかし夜に一人歩きたぁ、感心しねえ。夜は俺たちの時間だ。人間の時間じゃねえ。しかもお前は弱っちそうだ。そんなんだから、あの吸血鬼に襲われたりすんだ」
「はは、心配してくれてるんだ。ありがとう」
「心配もするさ、そりゃ。かつてこの街を救った救世主サマが、そんな暗い面してたらよ」
だが、まあなんとなく予想はつく。バンピーはそう低く唸る。
「どうせあの吸血鬼だろう。どうにもいけすかない小娘。今は死にかけのヴィヨンド=エッタハリアだ」
「……そうだよ。ぼくはあれからずっと、ヴィヨンドのことを考えてる」
「まるで恋だな。人狼も恋をする」
「吸血鬼もするかな」
「するさ。あの大岩のジジイでさえした。なんなら、鯨の野郎もしてるかもだ」
「……そういうものかな」
「そういうもんだ。だからお前が何に悩んでいるか、俺にはわかる」
まだ諦められてないんだろう、あの小娘を――バンピーの言葉に、ぼくは打ちのめされるようだった。
ヴィヨンドが倒れたあの日から、ぼくは彼女を助ける方法を誰も彼もに聞いて回った。人狼族にも同じように尋ねた。
ヴィヨンドがこの街を襲った時と同じように、ぼくは人狼たちに助けを求めた。ヴィヨンドを倒すためではなく、治すために。彼らは一緒に悩んでくれた。
ぼくがヴィヨンドを倒してこの街を救って、徐々に彼女は変わっていった。同胞すら疑うような凝り固まった心が、少しずつ溶けていった。死闘を繰り広げた人狼族とさえ手を結んだ。
その優しさが彼女を弱くした。街に被害が出ることを恐れて、彼女は力の全てを出し切れなかった。
そして、彼女は倒れた。歪んだ空間に封印された。
その歪みですら彼女は一人で抱え込もうとした。あれだけの歪み、放置しておけば悪いものの呼び水になることは明らかだったから。だから彼女は、あれを彼女の部屋に押し込んだ。誰かがそれに感謝してくれることなんてないのに、ヴィヨンドはやってのけた。
そんな彼女が死んでいいはずがない。だけど、この人狼は言う。
「だが無理だ。あいつはとっくに限界だ。いつ死んでもおかしくねえ」
「知ってる」
「むしろ今なぜ生きているのか不思議なくらいだ。万物に死は訪れる。やつの両親だってあれだけ強かったのに、結局は他と同じように死んだ。だからこれは運命だ。俺も、お前も、いつかは死ぬぞ。あいつの場合、それが今だったってだけだ」
何も不思議なことはない。バンピーは続ける。
「あいつはよくやった。あのヴァンパイア・ハンターを前に何の被害も出さずコトを終えた。俺たち人狼でもできないことをやった。だからこの結果は必然だ。無理すれば死ぬのは、普通のことだろ」
「……そう、なのかな」
「分かれよ、俺はお前が心配なんだ。ここまで言っても諦めないお前が。鏡見てるか? ひどい面だぜ。戦いで死ぬやつの面構えだ。俺たちは戦士だから、それがよく分かる。いいか、このままだと、お前は死ぬ。ヴィヨンドが死ぬ前にお前が死ぬ」
「ぼくは、死ぬかな?」
「ああ死ぬ。それは必然だ。だけどまだ早すぎる。お前はまだ若い。戦士でもないお前が、今死ぬ理由はどこにもない」
「死ぬ、か……」
それは、嫌だ。当たり前だ。誰だって死にたくはない。
きみもそうだろ、ヴィヨンド。
「……全く響いてねえな、こりゃ」
「ごめんね、バンピー」
「はっ、謝んな謝んな。俺はお前に、いや、この街はお前に救われた。ならこの街はお前を救うべきだ。だから、謝罪なんていらねえのさ。『もっと俺を改心させるようなことを言えよ!』とか、お前には言う権利がある」
「言わないよ」
「だろうよ。損な性格してるぜ、ホント」
じゃあな。そう言い残して、バンピーは闇夜に消えていった。人狼らしい、何の痕跡も残さない完璧な紛れ方だった。
夜は彼らの時間。ふと月を見上げて、ぼくは空の果てに鯨を見つけた。彼はいつものようにそこにいた。
なあ、きみは恋をしてるかい? もしそうなら、ぼくにヴィヨンドを助ける方法を教えてくれよ。
鯨は何も言わない。夜空の一部となって、自由に雲の上を泳いでいる。
「もしかして、気づかれたかな……」
ぼくはそっと独り言を言う。あの人狼は、ぼくの考えを見透かしていたかもしれない。
けれど、構わない。ぼくのやることは、変わらない。
「……帰るか」
ぼくは静かに帰路につく。
もう、これしかない。




