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鯨の空  作者: 藤原(の)コウト
七日間天体観測
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九月十三日(月) 1

 地球から何光年だか何万光年だか離れた、とにかく今の地球の技術じゃ〝そこにあること〟さえも分からないくらい遠くにある星。人間とはかけ離れた姿をした連中がゴロゴロいたその星は、技術力も地球とは段違いだった。


 彼らはその技術力で母星から脱出し、星の間を旅し、銀河中を駆け巡った。色んな場所に訪れ、色んな出会いを果たし、そうするうちに地球を見つけた。

 妙ちきりんな二足歩行の生き物が繁栄する星。水がいっぱいでよく分からない星。彼らは地球に興味を抱き、観察しようと試みた。最初はこれまでそうしてきたような、単純な好奇心だった。


 彼らは人間の姿をコピーして地球に潜り込み、様々な情報を持ち帰った。その結果彼らはより地球に興味しんしんになった。イカれた技術体系。個人間のいざこざ。哲学的なアレコレ。それら全てが幼稚なのに尖っていて、彼らの文化にない新鮮なものだった。

 彼らは地球に、というか人間に惚れ込んだ。ぞっこんだった。気持ち悪いつるつるの肌に、頭だけふさふさなアンバランス生命体。四六時中変なこと考えてる連中。矛盾ばかりの言動、統一不可能なくらいちぐはぐな個人の思想。彼らはより人類のことを知ろうと思い立った。


 そこで、彼らは長期的な滞在を目論んだ。しかし地球の風土は彼らには合わなかったので、人間そのものを利用しようと考えた。

 彼らは世界全土の子供ができずに困っている家族の元を訪れ、記憶をいじり、宇宙人が作った赤ん坊を授けた。その子供たちが受けた使命は一つ、人間社会にうまく溶け込みつつ、人間を観察してその結果を彼らに報告すること。そういう、スパイのような存在を通して、彼らは密かに人類を監視しているのだ。


 そしてその一人が俺、藍川(あいかわ)(ひかる)だった。コード1234、つまり1234番目のスパイ。約百五十年間続く監視体制を支える、特殊工作員の一人。


 だった、というのは、その任務があと一週間で終わるからだ。











 俺はあと一週間でこの地球を去る。


 正直俺は、その〝終わり〟についてはまだピンときてない。ある日、というか昨日夢の中でお告げ的なものがあり、『これまでご苦労さまでした』と合成音声っぽいアナウンスに色々聞かされたことによると、


①地球への滞在期間は残り一週間である。

②期限になるとUFOで迎えに来る。

③その時に俺が地球にいた痕跡は全て消される。


 ということらしく、まあ何でこんな急にだとか、そもそも何があったら任務終了なんだとか、言いたいことはたくさんあるがその実、あまり未練もないのも事実だった。


 これまでの十八年間、俺は常に孤独だった。当然だ。人間を監視するという任務の都合上、観察対象に正体がバレてはいけない。バレるとマスコミに大々的に取り上げられたり、連日テレビで特集を組まれたり、謎の組織に拉致されて秘密裏に解剖されたりする。人間社会が大騒ぎになる、それはつまり任務失敗ということだ。

俺はあくまで路傍の石にならなきゃいけない。そういう理由で俺は誰ともつるまなかったのだ。決して友達ができなかったわけではない。決して社交性が欠落していたわけではない。


 そう、決して俺が悪いわけじゃない。悪いのは宇宙人だ。この任務さえなければ、俺はきっと放課後に友達とマックで談笑とかできていたはずだ。彼女だって何人もいただろうし、たまたま買った宝くじも当たってたに違いない。俺が負った全ての不幸は、一切合財が宇宙人のせいだ。

 だから、まあ――。


「っつ!」

「あーいかわァ……」


 だから俺がこうやって、体育倉庫裏でカツアゲされてても、それは俺のせいじゃない。

 俺を非社会的にした宇宙人と、こんなクズ共を野放しにしてる――社会が悪い。


「お前、何で自分がボコボコにされてるか分かるか?」

「…………」

「答えろよ!」


 黙っていたら殴られた。知るか。俺はそう吐き捨てたくなる。吐き捨てたらまた殴られるんだろうけど。

 こいつら三人はいつも俺を殴る。理由は知らない。拳でも鍛えてるのかもしれない。たまにこうやって金を要求する。金か。あったらいいよな。だからって人から奪うのは違うんじゃねえか?


「オレぁ言ったよな? 二万持ってこいってよ。ああ? こりゃなんだ? たったの千円しか入ってねえじゃねえか」

「数字も数えらんねえのかてめえ?」「こんなんじゃ腹空いて死んじまうよぉ、なあ?」


 チンピラが何か言ってる。こいつらの声は無駄に大きくて、いつも頭にガンガン響く。うるせえな、死ねよ。死ぬならとっとと死んでくれよ。誰が喋ってんだか分かんねえ一辺倒の口調しやがって。テンプレートの塗り重ねが。個性塗り潰された恥晒しが。


 昼休みの体育倉庫裏なんて誰も来ない。助けは期待できない。三人のチンピラが一人の生徒よってたかってぶん殴ってても、誰も助けてくれはしない。


「なあ、()()()ちゃんと持ってこいよ、あ、い、か、わ、く〜ん」


 ぎゃはははは。笑いながら追加で何発か殴って蹴って、満足したのかあいつらはどっかに行った。俺はぶっ倒れたまましばらく動かなかった。動けなかった。

 おかしいよな。何で悪いことしてるあいつらが楽しそうで、人に迷惑なんて掛けたことない俺がこんなに惨めなんだ?


「いってえ……」


 倒れたまま呟いてみる。口の中が血の味でいっぱいだ。どっかが切れたんだろう。指を口に突っ込んで取り出してみると、ぬめった血が指先に付いていた。宇宙人らしく血が緑色……とかではない。普通に赤だ。

 ああちくしょう。あいつら容赦(ようしゃ)なく殴りやがって。こちとら肉体は普通の人間なんだ。ボコスカ殴られりゃ痛いし、血も出るし、全治は三週間だ。


「……教室、戻るか」


 ぼそりと言うと、ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。今日もまた敗北宣言だ。負け犬の遠吠えだ。

 体を起こして、制服についた泥を払った。ぶち()けられた財布の中身を黙って拾う。小銭。レシート。生徒手帳。入れていた千円札は奪われた。ああ、帰りにノートでも買おうと思ってたのにな。

 廊下を歩いていると授業に遅れないように走る連中に追い抜かれ、結局着席したのは本鈴ギリギリ。誰も遅刻寸前の俺なんて気にせず、授業が始まった。


 授業はいつも通り退屈だ。教科書を目で追うだけの時間。ひそひそ話が後ろから聞こえてくる。まるで自分が笑われているようで心が乱される。そんなことはないんだろうけど。じっと座っていると先生に当てられた。藍川、答えてみろ。

 席を立つ。教室が静まり返る。視線が俺に集中している気がする。息遣いさえ注目されている気がする。汗がじんわりと全身ににじむ。


「……分かりません」


 嘘だ。本当は分かっていた。だけど回答は六文字より長くて、とても口にできる文字数じゃなかった。それに、自信を持って言った答えが間違いだったら恥ずかしいし、笑われそうで怖かった。

 何か喋ればボロが出そうで、それが怖くて俺はいつもこう答えていた。俺は静かに席に戻った。後ろでまた内緒話が聞こえる。


 どいつもこいつも真面目に授業なんか聞いちゃいなかった。先生もそれを黙認していた。ただ決められた時間椅子に座っているだけ。何の意味もない、生産性のない時間。

その椅子を受験生がこぞって争い、入学したらしたで勉強なんかしたくないと文句を言い、なのに定期テストでは赤点取らないように一夜漬けして、矛盾と言い訳で三年間を浪費する場所。それが俺にとっての高校だった。


 他人に自慢できる夢もない。

 胸を張って言える目標もない。

 主体性のない理由だけでここに座っている。そんな連中の呼気を被って生きている。俺はこの教室が大嫌いだった。


 学生でいればまだ子供でいられる。親に守ってもらえる。働かなくていい。遊んで暮らせる。

将来を先延ばしにできる。決断を先送りにできる。現実から目を逸らせる。幸せのふりができる。甘ったるくて吐きそうだ。


 最後の授業が終わって、放課後。担任のどうでもいい連絡事項を聞き流して、リュックに荷物をまとめて教室を去る。友達を待つ必要もないので、俺がいつも一番乗りだ。

 部活がだるい。帰りにどっか行こう。先生に呼び出し食らった。廊下に響く会話にイヤホンで耳を塞いで、そそくさと早足で靴箱まで歩く。

校門を過ぎる。楽しそうに話してる集団から道を違えて、誰もいない通学路を逆戻りする。会話が遠ざかっていく。役目を終えたイヤホンを外す。音楽が聞きたいわけじゃない。何も聞きたくないから音楽を流していただけだ。


「…………」


 一週間。それが俺に残された時間。

 現実感はない。だけど、あと七日でこんな生活が終わるのであれば、それも悪くないと思ってしまった。

一人で歩く帰り道が惨めじゃなくてなんだ。誰にも見つからないように猫背で背負うリュックの重みが、悲しくなければ一体なんだ。そんなもんしか手に入れられなかった十八年に、一体何の価値があるってんだ。


 地球を去ることに未練はない。あるとすれば、それは――。

 駅まで歩いて電車に乗って、また家まで歩く。自転車は持っていない。あったとしても、どうせどこにも行きはしない。家がやっと見えてきて、俺はポケットから鍵を取り出した。


「ただいま」

「あら、おかえり。って、その顔どうしたの」


 幼い頃から染み付いた挨拶を返す声があった。母さんだ。ちょうど今から出かけるとこらしく、玄関で鉢合わせした。

 母さんの視線が頬についた(あざ)に向いたのを見て、少しドキリとした。だけど俺はあえて笑顔を顔面に貼り付ける。母さんを安心させるように努めて軽薄そうに言った。


「大したことないよ。喧嘩喧嘩。この歳になっても男ってガキだからさ。教室でドタバタやったりすんのさ」

「またぁ?」


 母さんはそれ以上追求することはなかった。急いでいるからと言って、怪我した息子を心配しない冷血じゃない。単に「男の子なら喧嘩くらいする」と思っているだけだ。もっとも、俺が怪我する度にそういう言い訳を使っているから、そう思い込んでいるだけかもしれないが。


「ちょっとは落ち着きなさいよね」と呆れたように母さんは軽く注意し、


「じゃあ母さん行ってくるから。戸締まりお願いね。ご飯はいつも通り冷蔵庫。帰りは四時くらいになるから」

「分かった。いってらっしゃい」


 そう残して扉が閉じた。俺は言われた通り鍵を締めて、冷蔵庫を開いた。ラップの掛かったオムライスをレンジに突っ込みつつ時計を確認。午後四時前。だから母さんが帰ってくるのは、午前四時ということになる。

 こんな田舎から二時間掛けてわざわざ都会まで行って、深夜になるまで働いて戻ってくる。俺の弁当を用意して寝て、昼過ぎに起きて夕食を作って仕事に行く。シングルマザーってみんなこんな感じなんだろうか? オムライスをかきこみながらそんなことを思った。


「……ごちそうさま」


 俺に父親はいない。

 いや、いた。いたんだろう。俺がガキの頃に死んだから顔も覚えてないが。だからアルバムでまだ赤ん坊の俺を抱いてる男を見せられたって、どうも思わない。ああ、その昔母さんと仲のいい男がいたんだなあ、そのくらいだ。


 父さんが死んで母さんは忙しくなった。二人分の生活費に俺の学費。払わなきゃいけない金はたくさんある。パートを増やした。夜勤にした。それでもおっつかないから俺もバイトを始めた。

 母さんは息子に生活費を手伝ってもらうことに忌避感を抱いていたようだが、このままじゃぶっ倒れるのは確実だったから、説得して仕事を減らしてもらった。

 だから未練があるとすれば、それは母さんのことだ。俺がいなくなれば多少は生活がマシになるだろうけど、働き手がいなくなるということでもある。どの道俺のバイト代なんて、微々たるものだが。


 くそ、宇宙人め。俺はつい悪態を吐く。不幸がある度にこの言葉を呟くせいで、最近すっかり癖になってしまった。観察だか何だか知らないが、俺以外の誰かにこの役を押し付けて欲しかった。おかげでこんなに忙しい。


 ……ま、本当は宇宙人なんて関係ないのかもな。

 ……ただ俺がそういう星の下に生まれたってだけで、不幸を他人のせいにしたいだけなのかもしれない。

 否定はしない。だけど、愚痴(ぐち)くらい言わせてくれよ。

 家を出る時間になったので駅に向かっていると、ふと上空から「視線」を感じた。ビビッと電波みたいのが降りてきた。

 俺は中指を空に向かって突き立てて言う。


「……見てんじゃねーよ」


 九月十三日月曜日午後六時二分。

 空一面をオレンジに染める夕焼けを背に、まだまだ半袖でも通用する気温で握った定期が汗ばんでいた。


 俺が地球を去るまで、あと七日。最後の一週間の始まりは、いつも通り陰鬱(いんうつ)だった。



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