それぞれの道へと進むエピローグ
「はァ、があ……ッ!」
湿った路地裏を、上半身だけの男が這っていた。その顔は脂汗だらけで、整った容姿は恐怖と飢えに歪んでいた。美しかった金髪も、枯れた草木のようにしなびている。
「こん、な、こんなはずではぁ……っ!」
白髪のヴァンパイア・ハンター、リディアに敗北した吸血鬼アウラド=オゥルシルグは、ただ目的地もなく逃げていた。下半身を失い、力のほとんどを失い、部下を失った彼に残るのは何もない。簡単な魔術の一つも使えない。
止めを刺される寸前でパワードスーツに助けられたはいいが、内側から焼かれた傷も癒せないまま、日が差せば灰になる程度にまでアウラドは弱りきっていた。
「(我は、我はようやく長老級の力を取り戻し、オゥルシルグの名を轟かす機会を得たのだ。なのに、どうしてこうなった。何が悪かった。何が間違っていたというのだ?)」
王として君臨するはずだったのに、結果地を這う現状。アウラドの理想はもう叶えられない。その現実に直面して、アウラドは絶望していた。
だが。
「(人間……?)」
彼は少し先を歩く少年を見つけた。この暗がりのせいか、相手はこちらに気づいていない。アウラドはこれを好機と見た。
「(血だ! 血があればこの体を修復できる! 少し幼いが、この乾きを満たすのであれば何でもよい……ッ!)」
アウラドは彼を襲おうと腕だけで駆けた。もう一度返り咲く。アウラドの頭はその願望で埋め尽くされていた。
アウラドの歪な足音に少年も気づいたようだがもう遅い。その白い首筋に牙を突き立てようと口を開けて――誰かに頭を踏みつけられた。
「ぐッ!?」
「少し目を離した間に随分と様変わりしたの、田舎吸血鬼」
この声には聞き覚えがある。たった一日前に宣戦布告した吸血鬼の声、すなわちヴィヨンド=エッタハリアの声だ。どこからか現れた幼吸血鬼に踏まれ、アウラドは苛立ちまじりに呻く。
「エッタハリアァァああああああ…………! またしても我が覇道の邪魔をするか!」
「むしろ貴様が妾の邪魔をしとろうが。どこまでも自分本位で身勝手なヤツよの」
「それ、ヴィヨンドが言うんだ……」
路地裏を歩いていた少年――佐々木晴人もヴィヨンドの傍らに立つ。奇襲も失敗し、いよいよアウラドには打つ手がなくなった。それでもまだ諦めまいと、アウラドは懸命にヴィヨンドを睨む。
その眼差しに相対し、ヴィヨンドは嘲るように笑った。
「獣のような目つきよな。長老級の気高さを忘れたと見える」
「貴様ァ!」
アウラドが何に執着しているかなど、人の心に疎いヴィヨンドでも分かる。出自と生まれ持った力。それを否定するということは、彼の半生を否定するということだ。だからアウラドは目に見えて激高した。
「良い様だ田舎吸血鬼。貴様の悔しさが伝わるようだ。だがこの足はどかさぬ。田舎者らしく這いつくばっておれ」
「ヴィヨンド=エッタハリア!」
「かははははははは! 吠えても助けは来ぬぞ! このような路地裏、通る者など一人もおるものか!」
「ヴィヨンド、その台詞はすごく序盤でやられるチンピラっぽいよ」
「なにぃっ!?」
ヴィヨンドが佐々木の言葉にうろたえた一瞬をアウラドは見逃さなかった。余力を絞り出してヴィヨンドを振りほどき、佐々木の首筋を再び狙う。
しかしそれも、止められた。
「……さすがに二回目はね。ぼくも対策するよ」
「っ!?」
いつの間にか割られていた『筋力上昇』のポーションの瓶。普段のアウラドの膂力であれば簡単に振り払えたはずの少年の細腕を、今は微塵も動かすことができない。
そして身動きの取れなくなったアウラドは、背後から莫大な殺気を感じた。
「…………一度ならず二度も、貴様妾の伴侶を狙ったな?」
「あ……」
振り返ることさえ、恐ろしい。
あの白髪の少女と対峙していた時もここまでではなかった。体の奥底まで「格が違う」と思い知らされた。長老級のサラブレッド。エッタハリアの末裔。幼吸血鬼ヴィヨンド。
その怒りを受けて、アウラドは子供のように身をすくめた。
「――万死に値する」
「や」
命乞いすら許されなかった。
ヴィヨンドの口がゆっくりと開き――
「手ぇ止めんな町宮!」
「は、はいっ!」
パワードスーツ事件から数日経った今日。僕は、刑務所で作業に勤しんでいた。
刑務所での生活は、脅されるまま犯罪に手を染めて、罪悪感で悩む以前の生活よりも忙しくて、何より健康的に思えた。三食ちゃんとご飯も食べられるし、寒くなれば布団も支給される。生活水準だけを見るならよくなってるくらいだ。
起床時間、労働時間、休憩時間、全部かっちり決まっているここでは、僕は普通の人みたいになれる。高校時代から足を踏み外してからずっと間違っていた僕の道は、やっと正常に動き始めた。そんな気がする。
もちろん楽じゃない。訓練も作業もキツいし、その割に給料は馬鹿みたいに安い。同じ囚人の人たちと反りも合わなければ、刑務官からも怒鳴られる日々だ。
それでも僕は、チャンスを得たんだ。更生できるチャンスを。数ヶ月の服役を、僕は全うしてみせると心に誓った。
「作業終わり! 各自自分の房に戻れ!」
「……や、やっと昼飯だ……」
刑務官が作業時間の終わりを告げ、僕たちは肉体労働から開放された。汗を手の甲で拭いつつ、食事を取ろうと僕は歩く。その背中を呼び止める声があった。
「町宮ァ」
僕はその声にドキリとする。振り返れば、できれば二度と見たくなかった顔があった。
「い、井上さん……」
「お前、舐めた真似してくれたやんけ」
そう低く唸る井上さんの目は、恐ろしいくらいに鋭かった。僕を脅す時の非じゃない。これは本気で怒っている顔だ。
「お前にやられた鼻な、風呂入るたんびに痛いんや。前歯も欠けてもうたし、これ保険効かへんねやぞ? お前ホンマにどないしてくれんねん」
「っ……」
「聞いとんかお前ぇ! お前んせいでこんなトコにぶち込まれたんやぞ! どう落とし前つけてくれんねぇ!? あぁ!?」
何度も聞いた井上さんの怒声だ。刑務官のそれとは比べ物にはならない、僕の心を折るような声。
こんなに騒げば刑務官もすぐ注意するはずなのに、なぜか見て見ぬふりをしている。やはり井上さんがヤクザだったからだろうか。刑務所にまでヒエラルキーが存在することに、僕は世の理不尽を感じる。
「お前、聞いたぞ。数ヶ月で出れるんやってな。ええなぁ、オレの言うこと聞いとっただけやからすぐ出れんねやろなぁ」
ぽん、と。不気味なくらいに優しく井上さんは僕の肩に手を置いた。その手に段々と力がこもる。
「……お前、普通にここでおれると思うなよ。許さんからな。シャバぁ出たら覚悟しとけや」
井上さんは僕の耳元でそう囁くと、僕を突き飛ばして歩いていった。僕はしばらくそこで突っ立ったままぼうっとしていた。
いや、違う。
「井上さん!」
「あ?」
僕が大声で呼び止めると、億劫そうに井上さんは振り向いた。
その目に、もう僕は臆さない。
「心配してくださってありがとうございます」
「…………は? お前話ホンマに聞いとったんか?」
「はい。その上で一言、いいですか」
体ごと井上さんに振り返り、胸の前で拳を握る。目には反骨心を、拳には勇気を。あの時の感覚を僕はまだ鮮明に思い出せる。
心に火が灯るような感覚と、それを教えてくれた人の横顔を。僕は忘れない。
「今までお世話になりました。これからはもう、僕は一人でやってけます」
そして僕は深々と井上さんに頭を下げた。井上さんの顔は見えないが、たぶんものすごく気味悪がっているだろう。そりゃそうだ。僕だって頭がおかしくなったと思う。
「お、おう。ほぉか」
井上さんはそれだけ言うと足早に去っていった。足音が小さくなっていくのを確認して、ぼくもようやく顔を上げる。離れていく井上さんの背中がひどく小さく見えた。
違うな。僕がようやく、胸を張って立てるようになったんだ。
「…………腹、減ったな」
刑務官に怒られない内に退散する。何があっても僕は負けない。どんな窮地にいても諦めないあの人のように、僕も最後まで抗ってみせる。
その英気を養うためにも、まずはお腹いっぱい食べるとしよう。
「どうしたの綾ちゃん。ご飯進んでないけど」
「うん……ちょっとね……」
花崎綾は自宅で父親と朝食を取りながら、思い悩んでいた。
思い出すのはつい先日のこと。あの公園でばったり会った町宮は、開口一番綾にこう言った。
『僕ね、自首することにしたよ』
彼の話を聞けば聞くほど、信じられないような出来事ばかりだった。運び屋の話から始まって、ヤクザに脅されたこと、お金が足りなくて何度も盗みや万引きをやったこと、銀行強盗に失敗したこと。どれも綾が抱く町宮のイメージとはかけ離れていた。
初めにあの公園で見かけた町宮は、今にも死にそうな顔をしていた。そういう顔の人を見るとうずうずしてたまらない性分の綾は、気づけば話しかけていた。
最初は同情とか、憐れみだった。それが次第に、彼と話すこと自体が楽しくなっていた。彼が語る失敗談や経験談が面白くて、つい聞き入っていた自分がいた。
町宮昌明は、彼自身が思うより小さな人間じゃない。きちんとした道筋を立ててあげれば、きちんと成功を収めるような才能溢れる人間だ。伊達に何百人とお友達やってない。綾の人を見る目はそれなりに育っている。
誰も知らないような無名のバンドを、一人で密かに聞いて楽しんでいる……町宮と話している時の綾は、そんな感覚だったのかもしれない。
だから彼に騙された時は、正直絶望した。助けを訴えた目が逸らされて、もう駄目だと真剣に思った。
だけど心のどこかで『きっと彼が助けてくれる』と信じていた。実際、そうなった。
ほらね、あたしの目は間違いじゃなかったんだ。でもそれも、間違いだと気づく。
町宮は綾を助けてすぐ、あの赤髪の銀行強盗の人まで助けようとした。最終的には警察の人までやってきて、見事にパワードスーツさえ撃破した。町宮の潜在能力は、綾の見立てを遥かに超えていた。
『会いたい人がいる』。あの日町宮はそう言っていた。その「会いたい人」があの銀行強盗だというのは綾にも分かった。
ああ、町宮さんに火を点けたのはあの人なんだ――そう悟って、何だか少し寂しくなった。
これまで自分一人に向いていた目が、別の人にも向けられるようになった。無名バンドが有名になってしまった。それは本来嬉しいことのはずなのに。
もう独り占めできなくなった。その感情が何を意味するのか分からないほど、綾は子供じゃない。
「体調悪いなら学校休む? お父さんが電話しとこうか?」
「いや、大丈夫。学校行くよ。テスト近いもん」
残りのご飯をかきこんで、綾は通学バッグを手にした。パワードスーツが街で大暴れしたとは言え、学校はいつも通りだ。こんな時くらい休めばいいとは思うけど。
玄関を出れば、すぐに友人と目が合う。下らないことで笑い合って、内輪ネタで盛り上がる通学路。だけど何かが物足りない。
「(ううん。あたしが後ろを向いてちゃ駄目だ)」
町宮はちゃんと前を向いた。ならば自分もそうしよう。目が合うことはもうなくても、せめて同じ方向は向いていよう。
「(次はいつ会えるかなっ! 町宮さん!)」
女子高生らしく、その胸をドキドキと弾ませていよう。軽やかな足取りはスキップで、晴れやかに綾を学校へと運んでいく。
白髪のヴァンパイア・ハンター、リディアは飛行機の座席で離陸を待っていた。
「(いつ見ても不思議です。こんな鉄の塊が飛ぶだなんて)」
ヴァンパイア・ハンターたちの集会所、通称教会の科学技術はお世辞にも進んでいるとは言えない。スマホさえ扱えない者がほとんどだ。
それもそのはず、ハンターたちの多くは子供の頃に吸血鬼によって親兄弟を失くし、十分な教育も受けられないまま戦いの道に身を投じた者ばかり。
リディアを救った彼も、そういう人間だった。
「(サンジェ……貴方は、本当にここで……)」
飛行機が離陸態勢に入った。地面から離れる浮遊感も束の間、街の風景がどんどん小さくなっていく。
リディアは思い出す。ここにやってきた目的を。ヴィヨンドの部屋で何を見たのかを。
『そういえば、お前は何しに来たんだ』
アウラドが去った後、人狼の少年がリディアにそう尋ねた。
『魔術王のジジイは飲む理由が欲しいだけだし、騎士団長はその介護。さっきの連中は宣戦布告で……お前は何だ。何を求めてここまで来たんだ?』
『わたしは……』
リディアは少し言葉に詰まる。というのも、自分でもなぜここに来たのかよく分かってないのだ。
最初は、少女に黙って去ったサンジェを探しにやってきた。色々な場所を旅して彼の消息をたどり、ついにここまでやってきた。けれどサンジェは既に死んでいて、だから……だから、どうすればいいんだろう。
リディアが返答できないでいると、バンピーが続けた。
『その銀製の十字架、お前ヴァンパイア・ハンターだろ。今更ヴィヨンドでも殺しに来たか?』
『い、いえ、それは違います』
『じゃあ何だ。まさか観光ってわけじゃねえだろ』
少女はバンピーの問いに再び俯いてしまう。何のためにここまで来て、ここで何をしようとしているのだろう。それを知りたいのは、他でもない自分自身だというのに。
『……会ってみる?』
『え』
ヴィヨンドの彼氏、だったか。佐々木と名乗っていた少年が、そうリディアに提案した。
だけど、会う? サンジェは死んだはずだ。そう聞いた。まさか、実は生きていたなんて、そんな都合のいい展開があるのだろうか?
『ああ、会うってのは、ごめん。誤解させたね。単に彼の遺品が残っているってだけだよ』
それを君に託そうと思うんだ。佐々木はそう言って、柔和に微笑んだ。こうして見るとただの少年なのに、この街を二度も救ってみせたというのだから驚きだ。
『ヴィヨンドに保管を任せてると、いつか壊しちゃいそうでね。誰かに任せられるならそうしたかったところなんだ』
『おい、貴様妾を何だと思っておるのだ。動かぬものの管理など完璧にこなしてみせる!』
『ヴィヨンド、管理ってのは押入れの奥にずっと突っ込んでおくことじゃないんだよ。たまには取り出して綺麗に掃除してあげないと』
『え……? そ、そこまでせんといかんのか……? じゃあやめとく……』
『だよね。はい、リディアさんだったかな? これが彼の遺品だよ』
そうやって手渡されたのは、一本のナイフだった。見覚えがある。確かに彼のものだ。
サンジェが生前腰に差していた、リディアがプレゼントしたあのナイフだ。
『あ……』
それを見てようやく、リディアは実感した。サンジェは死んだ。彼はもう帰ってこない。
話を聞いていただけではいまいち要領を得なかった。だからずっと疑っていた。そのことに気がついた。
どこかで生きてるかも、なんて可能性は、今ここで潰えたのだ。
『…………ごめんね。ぼくが謝ることじゃ、ないかもしれないけど』
『いえ……』
涙は流さなかった。流れなかった。いっそ人目を気にせずわんわん泣いた方が楽だったかもしれないけど、サンジェはそれを望まないような気がした。
彼が終生何を望んでいたかなんてもう分からないのだけど、きっとそうだと思う。
『意外だの』
じっとナイフを見つめるリディアにヴィヨンドが言う。
『あの悪辣なヴァンパイア・ハンターをここまで慕う人間がおるとは。貴様、洗脳されておるのではないか?』
『こら、そういうこと言わないの』
『い、いやだって、なんか意外だったんだもん……』
まだ百歳とは言え長老級二人の血を引くヴィヨンドに、ここまで対等に接する佐々木少年の心の広さにリディアは感心する。感心ついでに、ヴィヨンドの質問に答えることにした。
『……意外かもしれませんけど、あの人、わたしには優しかったんですよ――』
「…………」
少しすればもう街は見えなくなった。リディアは流れていく景色をただ目で追いながら、手元のナイフを弄んだ。金属探知も魔術を使えば誤魔化せる。そこまでしても、今だけは手元に置いておきたかった。
「……おかえりなさい、サンジェ」
リディアはナイフの柄をそっと撫でる。彼と共に旅をしていた思い出が蘇るようで、リディアは空の上でその淡い風景に浸っていた。
「…………」
私は天井を眺めていた。何にも面白いもんは見当たらない。ていうか何かが面白くて眺めてるんじゃねえ。何も面白くねえから眺めてるんだ。
つまり私は暇してた。体重を壁に預けて、通路に座り込んで頭を上げていた。
「(親父……)」
別に悲しいわけじゃねえ。あいつが蒸発した時も、私は腹が立つばっかで悲しいなんか毛ほども思っちゃいなかった。今も同じだ。
ただ、あの日パワードスーツから取り出した親父の体は、人間じゃなかった。痩せこけて皮は骨に貼りつき、目玉もとっくに腐って穴しか開いちゃいなかった。それでも確かに、あれは私の親父だった。
それが分かっちまったのが何故か悔しかった。とっくに縁なんか切って、忘れたつもりでいたのにな。覚えときたいことは早々に忘れて、忘れたいことは覚えてる。うまくいかねえもんだよな。
Kなんかは私と親父とで話をさせたかったらしいが、その時点であいつはくたばってた。いや、たぶんもっと前から。あるいは十年前から。
私はもう母さんとも、親父とも会話できない。できるとしたらそれは私があっちに行った時だ。それ自体は別にどうだっていい。寂しいなんて女々しいこと言うタマでもないしな、私。
ただ、この喪失感は何なんだろうな。私が何を失ったっつうんだろう。初めから持っちゃいねえのに、何を失った気になってやがんだろう。
「はぁぁぁぁあああああああああ…………」
私は盛大に溜め息を吐いた。クソ、やめだやめ。辛気くせえこと考えるのは趣味じゃねえ。それよか未来に生きようぜ。過去なんざ振り返っても嫌なこと思い出すだけだ。
「ん〜〜〜〜っ、よし!」
私は立ち上がって伸びをした。ま、意気込んでもやることねえけど。カラ元気だ、無理矢理エンジン掛けようとしたって何にもならねえ……。
…………やっぱ、寂しいのかね。私は。
「赤荻美希」
「うおァ! 急に話しかけんなクソチビ!」
私は突然現れたチビに驚いた。その隣にはスーツを着たKもいる。こうも顔がいい連中に囲まれてると、なんかわけもなく優越感を覚えるな。チビの憎たらしさは変わらんが。
「会議中に暴れて追い出されたカスが文句を言うな。それより行くぞ」
「ああん!? どこにだよ!」
私が反射的に吠えると、チビは呆れを隠そうともせず肩をすくめた。
「俺様の説明を聞いていなかったのか? 新部署設立の事務手続きを、この日の内に全て終わらせるぞと言っただろうが。その書類を申請しに行くんだ」
「何で私が」
「貴様もその部隊に入るからだろうが。それとも技術部に移籍志望か? ちょうど大型のモルモットが足りないと嘆いていたぞ」
「やめろ! あそこの連中はマジで終わってる! 連中の長話に居眠りして起きたら手にドリルが生えてたんだぞ!」
「ならそのままその使えない脳味噌も改造してもらえ。今よりマシにはなるだろう」
「ふざけんな馬鹿野郎!」
「まあまあ二人とも、ここで言い争ってても進みませんよ」
「「馬鹿は黙ってろ!!」」
「ほらこういう時だけ馬が合うー!!」
Kは泣きそうな顔をしたが、私は知ってるぞ。構ってもらえて嬉しいんだろテメエ。
そんな風に騒いでいる私たちを横目に、たくさんの警官が通り過ぎていく。私は自分が着ている黒いスーツに目を落とす。ギャンブルで負け続けてたあん時は、こんな日が来るとは夢にも思ってなかったな。
「ふん。だがまあそこのカスの言う通りだ。つべこべ言わずとにかく来い。全員集まらないと書類は渡せんと面倒極まりないことを言われたのだ、余計なことは一切口にせずマネキンみたいにお行儀よく立っていろ。分かったな?」
「そいつは無理な相談だな。私を止められるのは誰もいねえのさ」
「さすが姐さんです! 一生ついていきます!」
「来ないならそれでもいいぞ。ただ刑務所に戻るだけだからな」
「汚えぞちくしょう! 職権乱用だ!」
「警察に意見するな犯罪者。行くぞ」
私は仕方なく歩き出す。別に私の罪が許されたわけじゃない。それを帳消しにする代わりに新部署で無償奉仕しろ、というチビからのありがたい命令があっただけだ。死ねバーカって言ったら銃で脅されたが。
「それで? 今日は後どこ行きゃいいんだ?」
「今日用事があるのは全部で十二箇所だな」
「十二ぃ!? アホかめんどくせえ! 何でそんなに回んなきゃいけねーんだ!」
「社会不適合者は知らないだろうが、公的手続きとはこういうものだ。クソ分厚い書類揃えて色んな所から許可を得て、たらい回しにされた挙げ句放置までがセットプレイだがな」
ファック! 私は思わずそう叫んだ。真面目に働くってこんな無駄なプロセスくっついてくんのかよ! 就活途中でダレて競馬場通っててよかったぜ!
あーあ、これから忙しくなんだろうな。何せ無給で働くからな。その方がむしろ私にとっちゃ好都合かもだけど。忙しければ親父のことなんて考えないだろうし。
「……そういやよ、新部署ってどんな名前なんだ? あんまりダセえんじゃいまいちやる気出ねえんだけど」
「それも昨日説明しただろうが赤荻美希ぃ…………『超常的存在対策課』だ。今回の件を受けて、米軍から圧力が掛かったらしい。警察は、というか日本政府は正式に〝吸血鬼〟の存在を認めることになった、その煽りを受けたんだよ」
どうせこれも忘れてるのだろう? チビは挑発するように言う。ああその通りだよ。そして名前やっぱダセえな。
「まあこの名称は仮のものだ。好きに決めていいと上の連中は言っていた。丸投げだな」
「へえ! 中々話の分かるヤツらじゃねえの。何にしてやろうかな……とびきりイカした名前にしてやりてえなあ……」
「はい! 『美希親衛隊』でいかがでしょう!」
「死ね」
「姐さんの罵倒いただきましたっ!」
くだらねーやり取りを交わしていると、最初の目的地が見えてきた。まだ私の新生活は始まってすらいねえ。その準備段階で嫌気が差しているくらいだ。
チビが扉を開ける。その奥でしかめっ面したヒョロガリのジジイが待ち構えているのを見て、私はこれからの展開をなんとなく察した。全く嫌になっちまうね。
「ちなみに時間が惜しいので、ここでは三部署から一度に許可を貰うぞ」
「厄介ジジイ×3!? そんなダブル……あ? ダブルの次って何だっけ……」
しまった。つい思ってたこと口に出してしまったから、ジジイの顔が一斉に険しくなっちまった。こりゃ嫌味と小言の嵐だな。あ、そうだ思い出した。ダブルの次は、そう、確か――。
「そんな――そんなトリプルブッキングなんてありかよ!?」
ははっ、これだこれ。なんか言えてスッキリしたな。
さて、ここからどうやって逃げるか、考えねえと!




