表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鯨の空  作者: 藤原(の)コウト
幼吸血鬼ヴィヨンドの受難
3/56

頼れる隣人、ミサキさん


 ヴィヨンドの部屋の扉を閉めて、ゆっくりと背面の手すりに寄りかかった。そのままぼくは陰鬱(いんうつ)にため息を()く。


「……はぁ……」

 不気味に(きし)む手すりに体重を預け、夕暮れの空を仰ぐ。ヴィヨンドのことを思う。


 彼女には死んでほしくない。死んでほしい人間なんていない。亜人ですら。少なくともぼくには、そんなに憎いと思える相手はいない。

 でも、ヴィヨンドは違う――彼女は憎んでいる。彼女を呪った両親を、彼女を封じて首を()ねたヴァンパイア・ハンターを。


 二ヶ月前。彼はこの街でヴィヨンドと交戦し、歪めた空間に彼女の体を封印した。その上、首を刎ねて傷口に呪いを掛けた。

 その結果、ヴィヨンドはああなった。気高く美しい友人が、あそこまで衰弱してしまった。

 

 さらに悪いことに、その術者、ヴァンパイア・ハンター本人はとっくに死んでいる。ヴィヨンドが殺してしまっている。

 だから誰も彼女の封印を解く方法を知らない。歪んだ空間に横たわる白骨死体以外に、この状況を打破できるものはない。


 この二ヶ月、ぼくはありとあらゆる手を尽くした。知り合いのハーピィに手伝ってもらって、機械仕掛けの鯨にまで飛んでいったこともある。

 ヴィヨンドより長い時を生きる大岩に相談した。半分イルカで半分人間の博士に助けを請うた。異世界の扉を開いて魔術王の老人に頼んだ。彼らの誰もが無理だと言った。


 そうこうする間に二ヶ月――もうヴィヨンドは限界だ。ぼくから見ても弱りきっている。


 ぼくは自分が情けなくなる。これだけいい人たちに恵まれていて、友人一人救えないぼくが。

 ぼくは人狼族に伝わる秘伝の犬笛の製法を知っている。田村のお母さんに教わった。異世界の扉の開き方を知っている。こっちの世界に観光にきた魔術王に教わった。古代の魔女の暗号を知っている。空飛ぶ鯨に記してあった。


 それでさえ、彼女を救う手立てにならない。じゃあぼくは、あと何をすればいいんだ?

 ぼくが二ヶ月を共にした無力感に苛まれていると、誰かが階段を上がってくる音がした。


「おお、少年。なんだ、またヴィヨンドに会ってたのか?」


 ミサキさん。花崎さんの古アパートの住人で、ヴィヨンドの数少ない人間の友人。彼女は向かいにいるぼくに気づくと、軽く手を挙げた。ぼくはそれに会釈(えしゃく)で返す。


「……ええ、そうですよ。ミサキさんは今お帰りで?」

「おおとも。スーパーで今夜の食材を買ってきたところだ。君がいいならだが、どうだ、上がってくかい?」


 彼女はいとも簡単にぼくを誘ってきた。それ自体はとても魅力的な提案なのだが(ミサキさんの料理は絶品なのだ)、あいにくとぼくには行かなければならない場所があった。


「いえ、遠慮しときますよ。これから用事がありますので」

「そうか、用事か。それは仕方ないな」

「ええ、すみません」


 それでは、とぼくは彼女の脇をすり抜けようとして――不意に、ポケットの電話が振動する。


「謝る必要はない。だけどね、私の勘が正しければ、その用事はキャンセルになるはずだよ」

 果たして、彼女の予言した通り――受け取ったメールの文面には、『今日は行けなくなった』という謝罪の(むね)が記されていた。


「……あなたには、全く、敵いませんね」

「私は世界の中心に立っているからな」


 ぼくが言うと、彼女は「にっ」と強気な笑みを浮かべた。


「だからまあ、失望するな。いずれ君も世界(わたし)に届くさ。それまで励め、少年」





 用事もなくなったぼくは、ミサキさんの部屋にお邪魔した。もちろんここには歪んだ空間など存在せず、十字架も、生首も存在しない。ただ綺麗に整頓(せいとん)された部屋があるだけだ。


 その部屋の中心の、古びたこたつにミサキさんは鍋をセットした。今日は水炊き鍋をするらしい。

 ミサキさんがいそいそと動き回る姿を見て、ぼくはたまらず声をかけた。


「手伝いますよ。ご馳走になりっぱなしでは申し訳ないです」

「うん? そうか、じゃあクーラーをつけてくれ。目一杯寒くしたいんだ」

「はい、わかりま……え?」


 あまりの要求にぼくは困惑した。クーラー? 夏でもないのに?


「ああ、そこのこたつもだ。贅沢(ぜいたく)をしよう」

「贅沢……ですか?」

「そうだ。冬でもないのに部屋を寒くして、そのくせこたつで丸まっていよう。鍋の究極的で、退廃(たいはい)的な楽しみ方だね」


 つまり、電気代を無駄にしてまで鍋を楽しもう、と彼女は言っている。そのへんのこだわりが、彼女をミサキさんたらしめている要因でもある。


 ミサキさんはぼくにそれ以上の指示をくれなかったし、事実料理となれば手出しできることは何もないので、ぼくはクーラーを十九度に設定してこたつの電源を入れた。頭皮が突っ張るような寒さが部屋を覆い、足元にじんわり熱が灯る。なるほど。早くもぼくの全身は、鍋をかき込むという欲望に囚われてしまった。


「それだ。まさにその顔だ、少年。そいつが『鍋の顔』ってヤツなのさ」

「でも、いいんですか。わざわざぼくのためにこんな……」

「ふふ。構うものか。そもそも鍋というのは二人以上で囲うものだ。私みたいな寂しがりやには、一人でぐつぐつ煮える鍋を見つめるのは相当に苦痛なのさ。だから君がいてくれて、ありがたいくらいだよ」


 ミサキさんは微笑(ほほえ)んだ。けど、そう言う彼女はいざ一人になったとしても、最大限鍋を楽しめる人間なのだ。それでもぼくを誘ってくれたという事実に、少しだけ嬉しくなる。


「よいしょ」


 かちり、とミサキさんがコンロのスイッチを捻った。鍋に張られた水に火が盛る。

 クーラー、ガス、こたつ、外の喧騒(けんそう)。静かに部屋に染みていく音たち。ミサキさんはこれを堪能(たんのう)するように目を閉じた。まるで劇場でオーケストラでも聞いているような満ち足りた顔で、ぼくは息一つすることすら躊躇(ためら)われる。彼女の世界を壊すのが怖かった。

 その荘厳な空気を破ったのは、ミサキさん自身だった。


「今日は、鯨のやつずいぶん低くを飛んでいるな。エンジン音が聞こえる」

「え、ほんとですか」

「ああ。何か楽しいことでもあったのかも知れないな」


 機械仕掛けの鯨が楽しいだなんて思うはずもないのに、どうしてだろう。彼女が言うと嘘も真実に成り替わる気がしてならなくて、ぼくは少し鳥肌が立った。季節外れのクーラーのせいに違いなかったけど、ミサキさんの底知れなさに圧倒された。


「そういえば、学校はどうなんだ。竜二(りゅうじ)のやつはまだ番長をやってるのか?」

「はい。あいつ以外に番長の務まる人間はいません。それくらい、竜二は立派にやってますよ」

「そうか、立派か。姉として鼻が高いな」

「ええ。それに、この前一緒に遊びに行った時オートバイで()ねられてましたが、まるでぴんぴんしてました。目の前で見たので覚えています」

「なに、撥ねられた? それはそれは、そのオートバイの運転手は大丈夫だったのか?」

「はい。撥ねた衝撃で吹っ飛んだのを、竜二がうまくキャッチしました」

「それはよかった。一般人に怪我をさせるなど(もっ)ての外だからな」

「だけど、どうも運転手は竜二に怪我をさせたかったらしいですよ?」

「じゃあボコボコにしてよし。喧嘩を売るのはダメだが買うのはいい」

「してました」

「さすが私の弟だ」


 ミサキさんは高らかに笑った。聞いていて気持ちのいい笑い声だった。


(あかね)ちゃんはどうだ。竜二とうまくやっているのか?」

「茜……ああ、白坂(しらさか)さんですか。はい、今日も一緒に下校してましたよ」

「うむ。あの竜二に付き合える度量の女は珍しいからな。大事にしろと言ってやれ」

「それはもちろん。言われなくても、竜二はちゃんと白坂さんの彼氏をやってますよ」

「恋人を大事にするのは当然のことだ。それをやつは心得ている」


 ミサキさんはうんうんと頷く。これは確認のようで、ミサキさんの弟とその彼女の自慢だ。

彼女の家に行くと、ぼくは毎回これを聞かされる。けれど別に苦ではない。学校で一番のお熱いカップルで、学校で一番強くて優しい番長で、ぼくの友人のである竜二の話は、ぼくにとっても誇らしい。


 不思議なのは、これだけ自慢に思っているのに、彼女は一向に竜二とコンタクトを取ろうとしないのだ。直接会うのも、電話も、テキスト上ですらミサキさんは竜二と話そうとしない。ただこうしてぼくから聞くだけだ。その理由をぼくは知っているが、他言無用と釘を刺されているからには話せない。

 ミサキさんは鍋の火加減を少し見て、少し頷いてからぼくを見た。


「うん。じゃあ、君の話だ。君の抱えている問題の話だ。ヴィヨンドはどうだ?」

「ヴィヨンドは――」


 そこでぼくは口をつぐむ。話すべきことはない。

 二ヶ月前、ヴィヨンドがあんなになってしまってから、ぼくは知りうる限りの頼れる人たちに片端から声をかけた。その中の一人がミサキさんだ。

 だからぼくは、彼女に語る言葉を持たない――現状は、二ヶ月前から何も動いていないからだ。


「なるほど、良くないな」


 ぼくが黙っていると、ミサキさんは察してくれた。あるいは、それほどまでにぼくはわかりやすい表情をしていたか。


「死ぬな、あいつは」


 ミサキさんは、こんなときでも調子を変えなかった。ただの事実を湿っぽく話すのは、彼女の美学に反する行為だ。


「このままだと、あいつは死ぬ。あの可愛らしい隣人と話す機会が永遠に失われてしまう」

 

「だが、私ではあの呪いは解けない。そもそも、私はあの部屋には入れない」

 

「わかるか、少年。君は許されているんだよ。あの愛らしくも高貴なる幼吸血鬼に許されている。かつて殺し合った仇敵を、あいつは慈愛でもってあの部屋に招き入れている。この私でさえ許可されていないのに、だ」


(さと)い君ならもう気づいているかも知れないが、あいつは君に恋しているぞ。でなければ今際(いまわ)の際を看取らせようとは思うまい」


「助けられないのであれば、いっそ見届けろ。その方法を、まさか君が知らないわけではあるまい?」


 ……道理だ。

 ミサキさんは正しい。もはや打つ手はない。ヴィヨンドは死ぬ。あのヴァンパイア・ハンターに会った時に、そうなることは決まっていた。


 だからこのままだらだら(みじ)めに生き永らえるのは、ヴィヨンドの望むところではないはずだ。あの誇り高き幼吸血鬼は、自らの醜態(しゅうたい)を晒したままで生きようとはしない。封印が解けないと悟った時点で死を選ぶような、彼女はそういう吸血鬼だ。


 その信念を曲げてまで生きようとしてくれているのは、きっとぼくのためなんだろう。


 あの夜、間に合わなかったぼくが言った、「必ず助ける」という言葉。「それまで待っていて」という、あまりに残酷な約束。それを、彼女は待ってくれている。(はりつけ)にされてまで、ぼくとの約束を守ろうとしてくれている。

 生まれた瞬間に両親に呪われ、同胞(なかま)すら信じられず孤独に生きていた彼女が、ぼくに猶予を与えてくれた。ぼくに決断する時間をくれた。それは正しく慈愛だ。痛切なまでの優しさだ。


 それを恋と呼ぶのは、決して不自然なことではない――だからこそぼくの心は、焦りと恐れにじりじり()がされていた。


「あいつは君を待っている。死ぬまでな。壮絶な覚悟だ。生半(なまなか)ではない。あいつの過去を知る者では、想像できないくらい強い覚悟だ」

「…………」

「あいつは君を許しているのだから、君もあいつを許してみてはどうだ。どの道助からんのであれば、いっそ楽にしてやれ。簡単なことだろう。君にとっても、あいつにとっても」


 もういい、と一言言えば、それで済む。もう楽になっていい、と。

 ぼくの都合で引き止めて悪かった、と。もう、もう――死んでいい、と。

 それを、ぼくの口で、言えと。

 簡単な、ものかよ。


「悩むのもわかる。私だってあいつに死んでほしくはない。なかなか話の合うやつだったからな」


 叶うなら、この命を分けてでさえも。ミサキさんは本気だ。


「だが、どうしようもできない。私より賢いあの大岩が、私より強いあの老人が、私より博愛主義の博士が、全員まとめて(さじ)を投げたんだ。さすがの私も諦めたよ」

「だから、ぼくに諦めろと?」

「そう言っている。正直、見ていて辛い。君があちこち走り回って、その度疲弊していく姿を見るのは。それを愚直に待つ、あの吸血鬼の姿を見るのは」


 まあ実際、私はあの部屋には招待されていないわけだがね――ミサキさんは言う。


「だけどわかるわけだ。見なくてもわかるわけだ。君のその落胆した顔を見る度に。ああ、まだあいつは待っているのかと――まだ君が覚悟を決めるのを待っているのだと」


 ヴィヨンドは、自らが助からないことを知っている。知ってぼくに時間をくれるということは、ぼくに絶望させようということだ。ぼくにきちんと、自分を諦めさせようとしてくれているのだ。

 助けられないなら、背負うことはない。不可能に挑むほど、馬鹿らしいことはない。人は空を飛べはしない。あの鯨のように泳ぐことはできない。それと同じ。


 できないのなら、諦めろ。諦めて、楽になれ。彼女はそう伝えたいのだろう。


 もしぼくが同じ状況に立って、同じことができるかと言われれば、無理だ。ぼくにはそこまで想える人がいない。ただの中学生に、そんな高尚(こうしょう)なことができるはずもない。

 だからこそ、諦められるわけがない。ぼくはその想いに答えたい。

 その心さえ失ってしまえば、きっとぼくはぼくを許せない。


「ヴィヨンドは、君のその姿を見たくないのだろうさ」


 見透かしたように、ミサキさんは言う。それともぼくが、わかりやすいだけか。


「……ミサキさん」

「うん」

「ぼくは、どうすればいいんでしょうか」

「難しい質問だ。それは、君自身で答えを出すことだ」


 そう言ってミサキさんは優しく笑う。諦めろという彼女の言葉でさえ、結局はただの助言だ。ぼくは決断しなければならない。


 時間は、そう多くない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ