拳を握るルーザー
遠くから発砲音がした。
「何やあ!? カチコミかぁ!?」
敏感に反応したのは、それを普段から聞き慣れている井上さんだった。半ば反射的に懐に手を伸ばし、拳銃を握る。
僕としてはその銃声が何かなんて興味はない。ただそのおかげで井上さんもその部下の人も綾ちゃんから手を離してくれたのだから、それだけで十分意味はあった。
「近くに『川口組』の本部があったはずや。おい、様子見てこい!」
井上さんは僕に車を止めさせ、部下の人にそう指示を出した。彼が車を降りると、車内は異様な緊張感で満たされる。
「………………………………………………………………………………………………、」
井上さんは不機嫌そうに膝を揺らしており、その振動が運転席まで伝わってくる。口をガムテープで塞がれた綾ちゃんの荒い鼻息が聞こえる。僕はその全てを努めて無視するように押し黙っていた。
「おい、何や!」
突然井上さんが声を荒げたと思えば、綾ちゃんが縛られた状態で窓に頭突きをしていた。鈍い音と、運転席まで伝わってくる衝撃が僕の意識を打ち据える。綾ちゃんはまだ諦めていない。僕はもう諦めてしまったのに。
「逃げられると思ってんちゃうぞゴラ!」
三度目の頭突きの寸前で井上さんが綾ちゃんの髪を掴み、座席に押し倒す。綾ちゃんのくぐもった悲鳴がガムテープ越しに僕の耳朶を打つ。
「大人しくせえや! おい町宮ァ、お前もこいつ抑えるの手伝わんかい!!」
「えっ……」
「早う!」
僕はその怒声に条件反射で腰を浮かせてしまう。その途中で綾ちゃんと目が合ってしまった。
僕に助けを乞うような目。僕がどうにかしてくれると、託した目。
「(まだ……こんなことになってもまだ、君は僕を信じてんのかよ……っ!)」
僕が逡巡していると、後部座席のドアが開いた。さっきの彼が戻ってきたのだ。その顔は少し青ざめていた。
「兄貴! まずい! サツが何か知らねえが大量にいやがる!」
「何やと!? 何でや!」
「『川口組』の本部を取り囲んでやした! たぶんヤサ漁りとは思うんですが、それにしては全員妙に装備してて……っ」
その台詞を遮るように、破裂音が連続する。周囲の人がざわめき始める。火薬の匂いがここまで届く。
銃撃戦だ。のどかな住宅街だったはずの場所が、戦場へと変わった瞬間だった。
「兄貴まずい! サツがこっちに来てる!」
「どうせ避難しろとかそういうのやろ! バレたわけちゃう、落ち着けこのアホ! おい、車出せ町宮ァ!」
「は、はい!」
離れかけた座席に腰を下ろし、僕はアクセルを踏む。でもどこに向かえばいいのだろう。万一検問に引っかかったら終わりだぞ……。
「あ、あの、どの道から行けばいいんでしょ」
――目の前を通り過ぎる高速飛翔体。
それは僕の運転する白い車のボンネットを掠め、右側にあった自動販売機に激突して爆発を起こした。自販機に爆発物があるとは思えないから、あの飛んできたやつ自体が爆弾だったと思うべきだ。
でも僕はそんな冷静ではいられなかった。何せ、爆風の煽りを受けた車はスピンし、エアバッグを乱雑に放り出して対向車線の路駐車にぶつかって止まったから。
「なっ、んじゃァ!? 町宮ァ、お前何やらかしたんやぁ!」
「げほっ……ぼ、僕は何も……!」
ブーブー空虚なブザーが路駐車から鳴る。それとは対象的に、いくらアクセルを踏んでもエンジンを掛けても白い車は動く気配がない。
「こん車捨てて別のん探せや! そっちのが早いやろ!」
井上さんがそう言って車から降りた瞬間。
「どけダボがァあああああああああ!」
「なぐゥっ!?」
突如現れたボロボロの犬の着ぐるみが、飛び膝蹴りを井上さんの顎に食らわせた。
「なっ……!」
僕はその横顔を覚えている。それに憧れを抱いた昨日をまだ覚えている。
華麗なる女銀行強盗。間違いなく、彼女がそこにいた。
「待っ」
彼女は僕の制止を待たず、というかそもそも聞いておらず、井上さんをノックアウトした勢いそのままで走り去ろうとした。振り返ったその顔には焦りがあり、僕もつい彼女の目線を追い後ろを見て……え?
パワードスーツ?
それを視界に捉えた途端、僕の周辺だけ音が消えたみたいに何も聞こえなくなった。綾ちゃんのことも、井上さんのことも彼女のこともその時ばかりは頭から消え失せた。そのくらいの存在感をそいつは放っていた。
パワードスーツは路駐車を踏み潰して跳躍し、その膝が僕の鼻先まで触れ、現実感のないまま僕を飛び越える。もう路駐車も、僕も二の句が継げないでいた。重い足音が遠ざかっていく。
気づけば膝から崩れ落ちていた。〝死〟が目の前にあったことをようやく自覚して、震えが止まらなくなった。
「(昨日、あの人はこんなのと真正面から戦ってたのか……?)」
無理だ。無理だろ。そんなの人間じゃねえよ。たった一瞬の邂逅なのに、あの恐怖は僕の心の奥底に染み付いてしまった。それと対峙して、挙げ句勝ってしまったあの人って一体なんなんだ。
「おい町宮! 何ボーッとしてんだ! 兄貴起こすの手伝えよ!」
「っあ、は、はい!」
呆けていた僕に部下の人が怒鳴り声を上げる。二人がかりで揺すってようやく意識を取り戻した井上さんは、開口一番「畜生が」と毒づいた。
「ったぁ……何やねんあの女……あぁ!? オレのチャカがない!」
あの女ぁ! と井上さんは彼女が消えていった方向に吠える。と、その彼女が何やら猛ダッシュでこちらに向かっているのが見えた。
「う、うわあ! 戻ってきやがった!」
「あのゴッツいの、ニュースに出とったヤツか!?」
パワードスーツは逃げる彼女の背に右腕を突きつけた。正確には、その右腕についているものを。
「しゃがめぇ!」
井上さんが全力で叫び、僕も部下の人も、ついでに彼女もそれに従う。彼女の頭の上を通過したミサイルは反対側のビルに直撃し、ビルが斜めに傾いた。
「クソ親父が! いい加減にしろよテメエ!」
彼女は反動で動きが鈍ったパワードスーツに接近し、あまつさえ直接貼り付いてしまい、焼き焦げた着ぐるみから出た手でヘルメットを強引に開こうとしていた。
「開かねえ!」
当たり前だろうと僕は思う。
「めんどくせえ撃つぞオラァ!」
おそらく井上さんから奪った銃を首の関節部分に向けて何発も発砲する彼女。だがパワードスーツはそれをものともせず、ひしゃげた左手を彼女に叩き込んだ。それを間一髪でかわす。
「なんだこいつ前こんなんじゃなかっただろ! ずりぃぞテメエ!」
『ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh……』
「何言ってんのか分かんねえよ日本語喋れ日本語ぉ!」
「…………っ」
すごい。
すごすぎる。
何がすごいのかよく分からないけど、とにかくすごい。僕が近くに立たれただけで戦意喪失したあのパワードスーツを、全く怖がっていない。
それを勇敢と言うのか恐れ知らずと言うのかは分からない。ただ、それは確実に僕の中にはないものだ。
生身の人間とパワードスーツとの交戦。その光景は僕の中に未知の感情を生み出した。幼い頃にテレビの前で齧りつくように見たヒーロー達。同じクラスのあの子をつい目で追った学生時代。憧憬でも恋慕でもない。僕の内に湧くこれは、何だ。
「町宮ァ! 早よ来んか! お前が運転せえや!」
井上さんが僕の名前を呼んでいる。どうやら代わりの車を見つけたらしく、そこに綾ちゃんを担ぎ込んでいた。綾ちゃんの目には少し陰りが見えた。
ドクン。鼓動が唸る。
僕はゆっくりと歩き出す。その横目でパワードスーツと戦う彼女を見た。その目にはおよそ諦めなんてものは含まれてなくて、「負けてたまるか」という反骨心で漲っていた。
ドクン。血潮が逸る。
そうだ。僕に欠けていたのはそれだ。絶対的窮地でも挫けない反骨心。今僕の目には何が映っている?
ドクン。僕は拳を握りしめた。
背にした二台の車にミサイルが直撃し、大爆発を起こした。ああ、今の、まるでヒーローの登場シーンみたいだな。
……みたいじゃない。なるんだ。なれるんだ。こんな僕でも、ヒーローに。
そうだよ。この僕の胸にあるのは、『勇気』だ。
「――あ、」
もういいだろ。もう飽きただろ。何もできないでいる自分には。
「ああああ」
そろそろ殻を破る時だろ。これまでの自分におさらばする時だろ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
僕の瞳は確かな反骨心を湛え、僕の拳は確かな勇気で満ち溢れていた。
その重い拳は、アホみたいな顔で僕を見ていた二人の鼻先に突き刺さった。




