暴走するパワードスーツ
警察突入より数分前――
「アウラド様。お耳に入れたいことが……」
妖精が俺の前を横切り、アウラドの鼻先まで接近した。
「何だ、申せ」
「は。警察が、動き出したようで」
「ほう、存外に早いな。まあそうでなくては困る。いずれ我が支配する国なのだ。部下は忠実で、そして優秀でないと」
アウラドは得意気にそう言う。自分の勝利を確信しているような振る舞いで、まあ実際そうなのだろうと俺は思う。
もはや朧気な記憶だが、たった一人で米軍から機密情報のパワードスーツをかっぱらってくるようなヤツだ。あの弱々しい老人の姿でさえそうだったのだ、今更日本の警察がどうこうしたって無駄だろう。
「それで、どうなさいましょう」
「適当にグールをいくつか出せ。連中を我の前に跪かせるのだ」
「では、そのように」
妖精はまた俺の前を通り過ぎる。その後ろ、俺を戦闘にアウラドに傅く屍体の山――アウラドがグールと呼ぶゾンビ共の、その内の何体かを妖精は選び外へと出した。
警察が何人でやってきたのかは知らないが、人数が多いだけ〝感染〟もすぐ広がる。まさか様子がおかしいからと言ってすぐ撃つような真似はしないだろうから、危機に気づくのは噛まれた後だ。
B級パニックホラー。それが警察連中が辿る末路だ。
そのはずだった。
「アウラド様!」
「? どうした、エィジア。斯様な声を上げて。いかんぞ、我の臣下たるもの常に落ち着き払い……」
「違うのですアウラド様! ヤツです! ヴァンパイア・ハンターです!」
「何ィッ!?」
ドクン、と、俺の中で心臓ではない何かが脈打った。まるでアウラドの動揺に連動するように、心臓が握り潰されるような感覚がした。というか本当に連動しているのだろう。でなくては、そんな物語の中でしか聞いたことのない単語にこうも血の気が引くわけがない。
「馬鹿な、もう嗅ぎつけたというのか……!?」
アウラドは顔を苦渋に歪め、しかしすぐにいつもの勝ち誇ったような笑みを取り戻した。同時に俺の焦燥も収まるのを感じる。
「いや、今更何を恐れるのだ……今の我は長老級の吸血鬼。エッタハリアにも負けぬ力を取り戻したのだ! 最早ヴァンパイア・ハンターの一匹や二匹、恐るるに足らず!」
高揚。自負。興奮。失せた焦りに代わり湧いて出てきた感情はそれだ。一片の曇りもない純粋な感情に、俺は逆に不安になる。
油断や慢心。ギャンブルで負けた時は大抵そういうものに踊らされたから……これは本当に俺の記憶なんだろうか。あまりにも曖昧で自信がない。
「お逃げ下さいアウラド様! あやつは恐らく交ざりの……っ」
そこで部屋の扉が砕けて散った。その音に怯んだ妖精の頭を、先端に錘のついた鎖が吹き飛ばした。
「…………」
そこにいたのは齢二十にも満たない白髪の少女だった。彼女はグールと腐臭で埋め尽くされた部屋を見渡し、俺を一瞥し、最後にアウラドに向かって告げた。
「アウラド=オゥルシルグ……貴方を滅します」
「やってみろ、小娘ェ!」
少女はそう宣誓すると、自身の白髪を引き抜いてそれを切り裂いた。どうやったかは全く分からないが、その結果俺の体が全く動かなくなった。俺だけではない。ここにいるグール全ての動きが停止した。
ただの死体になった……俺は?
「血の支配を断つか、だがそれがどうした?」
「…………」
少女は最初の一言以外、口を噤んだままでいる。それに相反するようにアウラドはよく喋る。
「まさか我がグール共に頼らければ何もできないとでも思っているのか? 笑止! ではこの長老級の力、存分に見せるとしよう!」
意味の分からない紋様が空中に浮かぶ。何もない場所から氷の塊が射出される。それが少女を追う。
追ってくる氷を鎖が打ち砕く。まるで意志があるかのように少女を守る。不規則で読めない軌道を描いてアウラドに肉薄する。
その勝負は互角に見えた。少女もアウラドも目立った傷はない。だがお互いに少しずつ消耗はしているはずだ。根比べをするなら、吸血鬼であるアウラドの方が有利に思える。
「どうしたヴァンパイア・ハンター! 我らの天敵よ! 貴様の力はこの程度か? ならば少し本気を出すとしよう!」
「っ」
部屋を埋め尽くすほど長い呪文。それが生み出すのは、雨のように際限なく降り注ぐ氷柱だった。少女は鎖を回転させてそれを防ぐが、アウラドがその背に回り込む。
「!」
「はは! 遅い!」
アウラドが長い腕を振り抜く。少女の心臓を捉えるはずだったそれは、逆に少女の鎖に捕らえられてバラバラに切断された。
「銀製の鎖か。並の吸血鬼であれば再生もままならぬだろうが……我は長老級だ」
人間であれば痛みで気絶するくらいの重傷を、まるで意に介していない。どころか、千切れた腕が消えて新たな腕が霧から形成された。
アウラドは無傷。対して、少女は。
「…………」
「ふむ。まだ立てるとは意外だな」
俺でも分かる。アレは立ってるだけで限界だ。アウラドの攻撃を回避するために、少女は氷柱をいくつかもろに食らってしまった。肩に開いた大穴がその代償の大きさを物語っている。
「まだやるか? 力の差は十分に示せたと思うが」
「…………」
「いい目だ。ならば、死ね!」
アウラドの姿が一瞬消え、少女の頭上に現れた。巨大な氷の塊ごと突っ込み、それを少女はギリギリでかわす。
アウラドの攻勢は終わらない。
「ははははははははははははははははは! 脆い! 脆いぞヴァンパイア・ハンター!」
少女を殺そうと思えばアウラドはできたはずだ。でもそうしないのは、この一方的な状況を楽しんでいるからだろう。敵にわざととどめを刺さず、生き永らえさせる理由はそれしかない。
「はぁ……っ!」
痛みに喘ぐ少女の顔を見て、アウラドは満足気に嗤う。歪んだ欲求を満たしたような表情に、少女は露骨に眉をひそめた。
「ああ、思い出した。貴様ヴィヨンドの根城にいたあの娘だな? 確か……そう、リディアとか言ったはずだ」
「っ、その名を、貴方が呼ぶな!」
初めて、少女が動揺を見せた。アウラドの口角が残酷に開かれていく。少女の死角から氷の槍が飛び出した。少女は鎖でそれを受け止めたものの、アウラドの接近を許してしまった。
「その白い柔肌、実に唆るなァ……」
「っ!」
鋭い牙が少女の首筋に突き刺さる。少女が苦痛に顔を歪める。アウラドはそれすら愉しむように喉を鳴らして……その血を吐き出した。
「がァあ!? 熱い! 何だ、これは何だァ!」
「…………」
攻守一転、床をのたうち回るアウラドをリディアと呼ばれた少女は見下ろす。息を整えつつはだけた服を元に戻すその間隙、彼女の体に刻まれた呪文のようなものが見えた。
「その術式、貴様交ざりの連れ子か! 教会の秘匿兵器が、なぜここにいる!」
質問に答えず鎖を構え直す少女を前に、アウラドはたまらず顔色を変える。その姿に先程までの余裕はない。惨めに命乞いをする、醜い男がそこにいるだけだ。
「待て、やめろ、我は、我はまだ、まだ何もしていない!」
血の支配とやらが切れたせいか、アウラドが今感じているはずの恐怖も俺には生じていない。ただ俺は眺めているだけだ。これまでそうだったように。
「神よ、この罪を赦せとは言いません。裁定は我らが役目を果たした天上で――」
「よせぇえええええええええええええええええッッ!」
少女の振るう鎖が、少女の歌う祝詞と共にアウラドを貫いた。血の雨と金切り声の断末魔が部屋中に迸る。俺はそれを、やはり何も感じず見ているだけだった。
指一本動かせないというのに、俺の心はむしろ穏やかだった。それでも胸中に浮かぶのは、一つの疑問。
「(アウラド……あいつ、死ぬ前に俺を見たか……?)」
なぜ、と考える前に答えは分かった。指一本動かせない現状は変わらない。しかしそれはあくまで〝自分の意志で〟という話で、俺の指はひとりでに少女に向かって引き金を引いた。
「な――」
少女は咄嗟に鎖で弾丸を弾き、その勢いで彼女の鮮血が床に飛び散った。俺はその様を――美味そうだと、感じた。
『ah――ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!』
ああ、これ、俺の声か。俺はついに、言葉まで忘れた怪物になっちまったらしい。
依然動かせない体を前に、ちっぽけな俺は何も出来ないでいた。




