追い詰められるルーザー
「はぁ……」
さっきから溜め息ばかりだ。
何かがうまくいかないと、僕は決まってこの公園のベンチに座る。まあ、何かがうまくいった試しなんてないんだけどさ。
いつもなら自販機で缶コーヒーでも買ってちびちび飲んでるとこだけど、今日の僕はそれもできそうにない。完全に素寒貧だ。家賃も滞納してるし、電気もガスも止められてしまった。そろそろ肌寒くなる季節だと言うのに、路頭に迷う可能性すら出てきたわけだ。
「(その前に、あのヤクザに埋められるのが先かもなあ……)」
その可能性だって、十分ある……むしろそっちの方が高いかもしれない。
とにかく、八方塞がりだ。このままだと僕は重大犯罪に手を染めなければならなくなる。銀行強盗だって重大だけど、あれは結果的に未遂で済んだ。でも次はそうはいかない。あんな奇天烈な状況はもう二度と起こらないと思っていい。
「(そのおかげであの人に会えたんだけど……)」
赤髪の銀行強盗。名前も知らない彼女に、僕は一目惚れをした。
改めて、格好よかったなぁ……。スラッと伸びた長い手足と、スーツの上からでも分かるほど大きな胸は、彼女のスタイルの良さを端的に表していた。巨乳は女性的な魅力なんだけど、それを大きく上回る豪胆さ、つまりは男性的な魅力をも彼女は秘めていた。
両性のいいとこを総取りしているんだ。一目惚れも仕方がない。
「また会えたらいいなぁ……」
警察に連れて行かれてしまったし、ほとんどない可能性なんだろうけど……それでも僕はそう口に出さざるを得なかった。
そしてそれを、うっかり聞かれてしまった。
「誰に会えたらいいなぁ、なんです? 町宮さん」
「うわっ!? あ、綾ちゃん……?」
ベンチに座る僕の顔を覗き込んでくるのは、綾ちゃんだった。女子高生の彼女は親がこの近くでアパート経営をしているらしく、その都合でよく遊びに来るそうで、僕とも多少の面識があった。
出会いは今日みたいに僕が落ち込んでいた時だった。しょぼくれてコーヒー飲んでたらあっちから声を掛けてきてくれて、持ち前の明るさでどんどん距離を詰めてきた。何人か男子生徒を勘違いさせてそうだな、と初対面の時に思った。
その第一印象は今も覆ることはない。現に、彼女は躊躇いなく僕の隣に腰掛けてくる。
「はいはいみんなの人気者花崎綾ちゃんですよーっ。それでそれで、誰に会いたいんです?」
芸能人? モデルさん? それとも街で見かけた気になるあの子っ? 綾ちゃんはぐいぐい来る。会話の流れ的にも物理的にも。
「読モさんだったら何人かツテありますよっ」
「君の人脈は相変わらずすごいね……」
顔も体も寄せて話す綾ちゃんに、前の僕ならうろたえたり赤面したりしただろうけど、今日の僕は一味違う。もう心に決めた人がいるのだ。だから現役JKの接近なんて何も感じ……や、やっぱ恥ずかしい……。
「こ、後者の方かな。街で見かけたというか、銀行でちょっと……」
「銀行ですか? そう言えば、昨日強盗があったらしいですよねーっ。ニュースで見ましたっ」
綾ちゃんの何気ない言葉に少しドキッとする。
「犯人さん捕まったみたいですけどー、それでも自分の住んでる街でそんなの起こるって、やっぱ怖いですよねっ」
「そ、そうだね。怖いよね……」
落ち着け、僕。
鼓動が早まるのを感じる。綾ちゃんが言っているのは決して僕のことじゃない。大丈夫、バレてなんかない。僕が三人目の銀行強盗だってことを、目の前のこの子は知らない。
「それでそれでっ、どんな人なんです? 町宮さんが会ったって人は」
幸い、綾ちゃんはそれ以上広げることなく話を戻した……んだけど、
「うーん……」
僕は言葉に詰まった。もし綾ちゃんが見たニュースに彼女の顔が映っていたとしたら、僕があの場にいたことがバレるかもしれない。何せ僕がもう一度会いたい人っていうのは、捕まった銀行強盗その人なんだから。
「えっと……」
でも、綾ちゃんの好奇心旺盛でキラキラしてる瞳を見てると、はぐらかすのも何だか悪い気がする。くそ、こういう時の自分のちょろさが嫌になる。
「へっくち!」
拘泥していると、くしゃみをしてしまった。冬に差し掛かるこの季節だ。ぼうっとしている内に体が冷えていたのかもしれない。
それを見ていた綾ちゃんが、「あっ」と何かに気づいたように声を上げた。
「そういえばいつものコーヒー、今日は飲んでませんね。どうしたんですかっ?」
「い、いや、今日はちょっと金欠で……」
恥ずかしながら、事実である。何せ家賃も払えないくらいなのだ、缶コーヒーなんて飲めるはずもない。
僕が恥ずかしさから頭を掻いていると、突然綾ちゃんが立ち上がって言った。
「じゃ、買ってきてあげますねっ! それ飲んだら教えてくださいね!」
「……え?」
「いってきまーすっ!」
「待っ」
止める暇もなかった。というか、女子高生に奢られる僕って……と軽い自己嫌悪に陥るくらいだ。その背が近くの自販機に消えたのを見送って、立ち上がりかけた腰をもう一度下ろす。
その時だった。
「町宮ァ」
「っ!」
振り返れば、スーツを着た大男が立っていた。僕はその人を知っている。
昨日僕が銀行強盗に失敗して、呼び出された事務所。その椅子に座っていた、『山平組』のヤクザ。
「井上さん……」
井上さんは黙って顎である方向を指す。そこには白い車があった。乗れということだろう。
「…………」
僕は横目で綾ちゃんを見た。自販機の前で何やら悩んでいる様子だった。
心の中だけで彼女に謝ると、僕は井上さんの車に乗り込んだ。後部座席にはもう一人ヤクザと、ロープやらの道具が乱雑に積んであった。
「えっと、今日は何の用ですか……? か、金ならまだなくて……」
「んなこた知っとる」
運転席の井上さんは、車を発進させる気配がない。どこかに僕を連れて行くわけではなく、車内で話をするのが目的なんだろうか。何にせよ、僕の震えは止まりそうになかった。
「あの子とよぉ、仲良いんか町宮」
「え……」
井上さんは唐突に僕に尋ねる。僕が戸惑っていると、「早よ答えんかい!」と怒声が飛んだ。
「あ、綾ちゃんのことですか……?」
「そや言うとるやろが」
「わ、悪くはないと思いますけど……なんでですか?」
「ほォか」
井上さんは満足げに笑う。僕はますます困惑する。
何だ。この人は何を聞き出そうとしているんだ。井上さんの真意が読めない。
「なら、お前がついて来い言うたら来るんやろなぁ」
「い、いや、それは、わかりませんけど……」
語尾を濁せば、井上さんは気分を害したように舌打ちした。「オレが連れてこい言うたら連れてこんか」その目が恐ろしくて、反射で僕は謝ってしまう。
まぁええ、と井上さんは一拍置いた。そして何の気なしに口にした。
「町宮ァ、お前あの娘さらってこいや」
「………………え………………」
今、なん、て? 口の中が干上がる感覚がする。血の気が引くってこういうことだろうか。
「あの娘、あー、花崎やったか? 親がアパート持っとるらしいやないか。ほんだら多少は金ぇ毟り取れるやろ」
「…………」
なんでそんなこと知ってるんですか、とでも言おうとしたのかもしれない。だけど僕の口から実際に出たのは、乾いた声にもならないただの音だった。顔面が引きつった作り笑いのまま固まっている。脂汗が止まらない。
怖い。次の言葉を聞きたくない。聞きたくないのに、井上さんは決定的な言葉を告げる。
「お前あの子と仲ええんやろ? じゃあさっさとここ連れてこいや」
井上さんはそれだけ言うと、僕に「降りろ」と命令した。呆然とする僕はとりあえず指示に従って、公園の砂利を踏んだ。
踏んでから僕はあの言葉の意味を知った。つまり井上さんは、僕に綾ちゃんを騙して車に乗せろって言ったんだ。車内のロープは綾ちゃんを拘束するためのものだった。
井上さんが綾ちゃんの家庭事情を知っていたということは、準備をしていたということだ。僕と綾ちゃんが話しているところを、見られていたということだ。
「あ……」
巻き込んだ。
綾ちゃんは全然関係ないのに、僕と話をしたばっかりに、巻き込んでしまった。
「…………ぁ」
今更のように後悔の念が押し寄せてきた。これは、僕が招いた事態だ。
僕はゾンビみたいにふらふら歩く。ベンチでは僕を見失った綾ちゃんが缶コーヒーとジュースを両手に持って、きょろきょろしながら座っていた。
「あっ! 町宮さん!」
綾ちゃんは突然消えた僕に疑いを持つことなく駆け寄ってくる。彼女が僕の胸に押し当てた缶コーヒーの熱が冷えた体に染みる。
「もーどこいってたんですかーっ! ほら、これ買ってきてあげたんで早く教えてくださいよっ!」
「…………」
僕はもはや、愛想笑いさえする余裕がなかった。缶コーヒーを受け取った手が震えている。後ろの車から視線を感じる。早くしろ、と急かされている。
退路はない。
僕にはもう、選択肢はないんだ。
「? どうかしました? 町宮さん」
黙りこくった僕に不審になったのか、綾ちゃんが聞いてくる。心配するような優しい目。こんな僕に信頼を寄せてくれる綾ちゃんに、僕はただ乾ききった笑顔を貼り付けて嘘をついた。
「綾ちゃん、ちょっと見せたいものがあるんだ」
僕は綾ちゃんの返事を待たず、彼女の細い腕を掴んで無理矢理連れて行こうとする。綾ちゃんが痛いと言っても構わず、僕は白い車まで歩く。
「ちょ、町宮さっ、急にどうしたんですか!?」
「ついてきてくれれば分かるから……!」
車までの数歩が遠い。この歩幅はすなわち彼女を騙す秒数だ。それが早く過ぎて欲しいと、僕は強引に歩を進める。
ああ、こんな時でも僕は自分のことしか考えちゃいない。綾ちゃんを騙してまで、僕は自分の安全を優先している。この罪悪感を抱えてなお、僕の足は進もうとする。
ふと、〝彼女〟ならどうするだろうと思った。赤髪の銀行強盗。僕にはないものを持っている彼女。
「(はは……今考えることじゃあ、ないよな……)」
現実逃避だ。でも、見たくない現実から逃げるなんて、僕がずっとやってきたことだった。
後部座席の扉を開ける。井上さんともう一人が綾ちゃんを引きずり込んでロープで縛る。僕に運転しろと井上さんが怒鳴る。
「………………!」
後部座席の扉を閉める一瞬、綾ちゃんが僕を助けを求めるような目で見た。やめてくれ。
せめて睨んでくれれば僕の気も楽だったのに、この期に及んで僕に、僕なんかに期待するなんて。
君は馬鹿だよ。僕になんか、初めから話しかけなきゃよかったんだ。そうやって僕はまた、自分に言い訳してみせた。
「ごめん……」
扉が閉まる。ああ、今更謝っても遅えよ、僕。




