いがみ合うヴァンパイア
トリプル・バンク・ブッキング、その前夜。
「…………で、田舎吸血鬼が妾の住処に何の用だ」
「田舎吸血鬼とは、随分な言い方ですな。エッタハリア嬢」
ヴィヨンドがピンチを脱した翌日の打ち上げに、ピリピリとした空気が張り詰めていた。
「エッタハリア家はもう滅んだ。妾はただのヴィヨンドだ。二度とその名で呼ぶでない」
「それは失礼を。ですが、そちらの言い分を通すなら、まずこちらの言い分も通させてもらいたいものですがね、エッタハリア嬢?」
「……名を名乗れ、田舎吸血鬼」
「オゥルシルグ家長男、アウラド=オゥルシルグです、ヴィヨンド嬢」
「知らん。あと何だ嬢とは。様をつけろ様を」
どっちも一歩も譲らない、一触即発の雰囲気だ。せっかく祝杯ムードで賑やかにやってたのに、アウラドとやらがヴィヨンドに話しかけてからこの調子だ。吸血鬼界にも色々派閥争いとかあるのだろうが、せめて明日にしてくれないかなあ? と思うぼくだった。あ、ぼくは佐々木晴人、ヴィヨンドの彼氏やってます。よろしく。
それはともかく、花崎さんのアパートの666号室の狭い部屋には、ぼくとヴィヨンド、人狼のバンピーと魔術王のおじさん、その甥の騎士団長さんと白い髪の女の子、そしてアウラド率いる「テロリスト」がぎゅうぎゅうに収まっている。
なので必然、その喧嘩一歩手前のやり取りはみんなに聞こえるし、みんなに見られている。魔術王のおじさんが「なんじゃ雰囲気ぶち壊しおって、疑似太陽で灰にするぞ吸血鬼」とでも言いたげな顔でアウラドに目をやっていても、当の本人は気にせず会話を続けている。
「くく、分かりました、ヴィヨンド様」
「そのような醜い皺だらけの顔で笑うな。酒がまずくなる」
ヴィヨンドは相変わらず知らない人に向かっては辛辣だ。人見知りもここまでくればいっそ清々しい。あとヴィヨンドがお酒を飲んで飲まれなかった試しがないからそれは没収するね。そんな顔しても駄目だよ。可愛いけど。
しかしその人見知りもアウラドには効いたようで、彼の老いた目つきが剣呑となる。まるで野心溢れる若者のような目だ。くしゃくしゃの全身の、そこだけが全く年相応じゃなかった。
「……ふ、無礼を隠す気もないのだな、ヴィヨンドよ」
「おい。何を勝手に無礼講しとるのだ。敬語に戻せ田舎吸血鬼。妾、エッタハリアぞ?」
さっきそれで呼ぶなって言ってなかったっけ? 生まれて百年ずっと暴れ回ってきたヴィヨンドの論理は、基本的にめちゃくちゃだ。会話スキルが磨かれていないから当然だけど。でもそのデタラメさがヴィヨンドらしくてぼくは好きだ。
「………………」
「で、何用だ。手短に済ませよアウラド。妾はトイレに行きたいのだ」
もじもじしてるヴィヨンドも可愛いなあ。でもアウラドはそんな小動物的ムーブには絆されず、あくまで反抗的に応えた。
「……よかろう、では語ってやる。我がここに赴いた理由を。その崇高なる志を」
「はよ」
「我々の傘下に加われ、ヴィヨンド=エッタハリア」
「断る。ではな」
ばたん。トイレの扉が閉じた。と思ったらすぐに出てきた。
「……一応、一応だが細かい理由を問うてやる。答えてみろ」
「ヴィヨンド、貴様不満を抱いたことはないか?」
すすす、とトイレから距離を取るヴィヨンドに、アウラドはそう切り込んだ。
「何にだ」
「この世の在り方にだ。疑問は抱かんのか? 我々吸血鬼より遥かに力の劣る人間どもに、この世は支配されている。今ではあらゆる怪物、伝説どもが息を潜め、人間から隠れるように生きている。何故だ?」
アウラドはそこで息を大きく吸った。
「反逆の時を待っているからだ。不遜で脆弱な人間どもに復讐する機会を、奴らはずっと伺っているのだ。であれば、我がその背中を押してやろう。手を貸してやろう。そして共にこの世に君臨し、人間どもに支配者が誰なのか今一度――」
「よい。もう黙れ」ヴィヨンドがアウラドの話を遮った。「つまらん話を聞かせおって」
ヴィヨンドは腕を組んでふんぞり返る。座っているアウラドを見下ろして、「聞け」と講釈を始めた。
「よいか田舎吸血鬼。確かに我々は人間を超越した力を持っておる。吸血鬼だけではない。そこな人狼も、魔法使いもそうだ。それがなぜ人間を支配する道を選ばず、共生する道を選んだのだと思う?」
ヴィヨンドの顔は本当につまらなさそうだ。一足す一を初めから説明しなおすみたいに、「こんな簡単なことも分からんのか」と、うんざりした顔をしている。
「奴らにとってはそっちの方が楽しいからだよ。妾も貴様のような考えを持っていなかったわけではないが、今となっては――はん、鼻で笑い飛ばせる程度のものよな」
と言ってヴィヨンドは缶ビールをぐいっと呷った。あっ、いつの間に。
まあでも、一理あるんだろう。魔術王のおじさんもうんうんと頷いているし。
人間は吸血鬼や、他の神秘たちにはない文化、技術を持っている。逆に、吸血鬼たちも人間にはない文化や技術がある。その差異に触れること、いわば『異文化交流』の楽しみを、ヴィヨンドは知っている。
飢餓と疑心と孤独から暴れ回っていた頃とは違い、ヴィヨンドは他人の温もりを覚えた。その心地よさを与えてくれたのが他ならぬ人間だったから、その人間に害をなすことを今のヴィヨンドが許容するはずもない。
それにヴィヨンドは人間の恐ろしさも知っている。ヴィヨンドの首を撥ねて傷口に呪いを掛けたあのヴァンパイア・ハンターの恐怖は、まだ深く染み付いているはずだ。
だからヴィヨンドは何のメリットもなしに人間を攻撃するのは避けたがるだろう。そもそも上から何か言われるのが嫌いな彼女だ、アウラドの命令口調にはいそうですかなんて頷くわけがない。
「楽しい、だと……?」
だけどアウラドには響かなかったらしく、そのしわくちゃな顔を歪めていた。
「楽しいはずがあるか、こんなものが! 奴らは夜の支配者たる我々の恐怖も忘れ、のうのうと生きている! それが屈辱ではないのか!? 貴様らエッタハリアは我から左目を奪った挙げ句、我の生き様さえも侮辱するというのか!!」
「貴様の左目を奪ったのは妾ではなく別のエッタハリアだろう。妾に言うな」
ド正論をヴィヨンドがぶつけた。アウラドもこれには何も返せない。
「…………は、そうか、分かったぞ」
と、これまで険しい表情だったアウラドが、急に笑みを浮かべた。あまり気持ちよくない感情の込められた笑みだ。
「幻惑されたな、未熟者が! 長老級の血を二人分も引いておいて、低俗な魔術に惑わされるとは! まだまだ青いなヴィヨンド=エッタハリアぁ!」
「…………は」
これにはヴィヨンドも怒るより呆れたらしい。どうやらアウラドは魔術でヴィヨンドの心が操作されたと思い込んでいるらしく、そこを弱みとして付け込むつもりのようだ。
でも当然事実は違う。ヴィヨンドは誰かに変えられたのではなく、ちゃんと自分で変わったのだ。周囲の手助けがあったとはいえ、自分で変わろうと思わなければ人間なんて、あるいは吸血鬼でさえも変わりはしない。
それをまだ分かっていない目の前の老いた吸血鬼に、ヴィヨンドは本気で呆れたのだ。
「であれば、魔術耐性すら持たん未熟者など、我の軍門に下る資格さえないわ! 下らん、エッタハリアの末裔は失敗作だったな!」
「何とでも言え田舎吸血鬼。どうせ全部貴様の思い込みだ」
ヴィヨンドはもうアウラドを相手にする気が失せたようだ。もはやアウラドの顔すら見ていない。全身で「はよ帰れ」というオーラを解き放っている。
「これ以上話す時間が惜しい。エッタハリアの末裔よ、貴様には新たな王国の席はないと思え」
「んなもんいらんわ。妾はこのボロアパートで十分だ」
「後悔するなよ、その言葉!」
と言い残して、アウラドとその側近は霧になって消えた。結局何だったんだろう。
「叔父上」
「いい、いい。追うな追うな。あの程度の小物、放っておけば自然に消滅するわい」
騎士団長さんと魔術王がそんな会話をのんびりと交わす。気づけば、みんなが何事もなかったように宴を再開していた。
「えっと……」
「気に病むことじゃねえぞ、救世主」バンピーが言う。「俺から見てもありゃ小物だ。魔力も見た目もヒョロヒョロの雑魚だよ、ありゃ」
魔術王の言う通りだ、とバンピーはオレンジジュースをストローで啜った。まあ、みんながそう言うならそうなのかなあ……?
「おい、晴人よ」
首を傾げていると、ヴィヨンドがぼくの服の裾をくいっとつまんだ。「どうしたの? ヴィヨンド」
「わ、妾漏れそうなんだが、なんとかしてくれんか」
「? トイレ行けばいいんじゃない?」
「ち、違うのだ。ヤツがおるのだ。あれは恐ろしいぞ、きっと弱った妾を食いにやってきたのだ……」
ああ、ピンときた。長老級二人の血を引いたヴィヨンドをしてここまで恐れさせるのは、彼女を追い詰めたヴァンパイア・ハンターかもしくは……、
「ゴキブリがトイレにいたんだね。それでさっきもすぐ出てきたり、トイレから距離を取ってたりしたわけだ」
「み、見ておったのか!? うう、これでは年長者としての示しがつかんではないか……!」
元からついてない気もするけどなあ。それはそれで可愛いからいいんだけど。
そんな風にぼくはヴィヨンドにデレデレで、つい見逃してしまった。
「吸血鬼…………」
さっきから一言も発さないぼくより年上くらいの少女、リディアの顔が少し曇っていたことを。
その手が握っていたのが、銀製の十字架だったことを。




