帰還するパワードスーツ、そして……
異臭の漂うオフィスに、その老人はいた。
「おお、帰ってきたか。鉄鎧」
しわがれた声が俺を迎える。日本語じゃない。聞き慣れない言語なのに、なぜかその意味は理解できる。明らかに異常な状況なのに、俺はそれを受け入れてしまっている。
というか、そもそも、こいつ誰だっけ? だけど俺はこいつを前に跪いてしまう。
「しかし、壊れたか。ふん。やはり人間の道具は信用ならんな」老人は破損したパワードスーツを一瞥し、言う。「まあ、いい。代わりはいくらでもある」
代わりがないのは、こいつだけだ――老人は俺が首にかけていたペンダントを奪うように手に取った。俺はやはり反抗せずその動きを受け入れる。
「く、ふはは。はは、これだ。この輝きだ。ようやく我が手に戻ってきたか、我が瞳――」
老人はペンダントからチェーンごと台座を外し、剥き出しになった真っ黒な宝石を躊躇うことなく自分の眼窩に埋め込んだ。怪しい輝きが老人の右目から迸る。俺はそれを黙って見ている。
「おお、おお! 素晴らしい! これが長老級だ! 長老級の吸血鬼とは、斯様に心地いいものだったのだ!」
右目から発せられる光が老人を照らす度に、老人の声が、体が、みるみる若返っていく。風が吹けば倒れそうなほど弱々しかった面影は消え失せ、最後には若い男の凛とした立ち姿があった。
金髪、赤い眼、白い肌、異様に発達した犬歯。
遠い異国から来たと言っていたその男の正体は、とうに滅びたはずで、その実現代まで生き永らえていた伝説上の存在、吸血鬼だった。
「善いお姿です、アウラド様」
淡く輝く光の玉が俺の脇を通り過ぎ、アウラドと呼ばれた吸血鬼の鼻先まで接近した――その背には小さな羽がある。小さい頃に絵本で見た、妖精と同じ姿だ。
「実に長く、苦しい日々で御座いました」
妖精は執事服の腰を深々と折ると、アウラドの前で恭しく頭を垂れた。その目元に刻まれた皺が、彼の奉仕の歴史を匂わせる。
「二百年前、憎きエッタハリアがアウラド様から奪い、あまつさえ人間の好事家に売り払った右目。長き時を経て、ようやく、ようやく、御手に」
妖精は感極まったように声を震わせていた。アウラドもそれに満足したように、大きくうんうんと頷く。事情を知らない俺からすれば、茶番のようにも見える。
「ご苦労だった、エィジア。久方ぶりで忘れていたよ。そうだ、これが我だ。これが本来の、アウラド=オゥルシルグだ!」
吸血鬼アウラドはまるでミュージカル俳優のように大袈裟に両手を広げてみせ、高らかに自分の名を叫んだ。同時、俺の全身の血がざわめく。沸騰でもするように、正体不明の興奮がつま先から頭蓋までいっぺんに襲いかかってきた。
「ははははははははははははははははははははは!」
アウラドは笑う。薄暗いオフィスに似つかわしくなく爽やかに、あるいは仄暗い闇に似合うくらいおぞましく。
もしくは。
「(欲しかったおもちゃを手に入れた子供みたいだ……)」
不意に、ある光景がフラッシュバックした。小さな子供がプラモデルの箱を抱えて、俺に満面の笑みを向けている。『おとうさん、ありがとう』……そんな声がしたところで、その景色は靄みたいに消えてしまった。思い出そうとしてみたが、まるでだめだった。
「ここは我の寝室には相応しくないな」
笑うのをやめて、アウラドは周りを見渡した。貴族みたいな口ぶりだが、見た目もどことなく高貴で映える。不自然な口調でも自然に映るのは、彼が纏う雰囲気がそうさせるのだろう。
「結界を張る。魔力侵食に備えろ」
「は、」
アウラドがそう言った瞬間、オフィスの景色が一変した。殺風景だった空間が、豪華な屋敷の一室みたいに変貌した。俺は夢でも見てるのか? だけど俺は身じろぎ一つ取らず、ただ黙ってその現実を受け入れていた。
「どうだ、エィジア。これが我の全盛期の力だ」
「素晴らしきものでございます、アウラド様」
自慢げな顔をするアウラドは、ふと俺の方を見た。正確には、俺が着ている壊れたパワードスーツを。
「どれ、そいつも直してやろう」
アウラドが指を一つ弾けば、パワードスーツに空いた風穴が塞がっていく。というか、形を変える。城を守る騎士のような甲冑に、けれどその色は血塗られている。
と、同時、禍々(まがまが)しいものが俺の体を包んでいく。妙な飢餓感に襲われる。血。足りないと感じている。足りないなら、奪えばいいか? 暴力的な思考が脳を埋め尽くす。何だ、これは。
「さて――では、国盗りだ」
アウラドが嗤って言う。
俺はその言葉を、俺と同じ気配を後ろから大量に感じながら聞いていた……。




