幼吸血鬼、ヴィヨンド
まず彼女――ぼくの友達、幼吸血鬼ヴィヨンドを紹介するにあたって、注意点がいくつかある。
一つ、彼女はとてもプライドが高い。
だから下手に古アパートに住んでいることをいじってはいけない。きっと夢見が悪くなる。
二つ、彼女はとても甘いものを好む。
それ自体は微笑ましいパーソナリティなのだが、それを彼女の前でちらつかせてはいけない。
ましてや、それを使ってからかってはいけない。近日中に何かしらの不幸に遭うだろう。
三つ、彼女はとても人を嫌う。
それは人間への憧れの裏返しではあるけど――決してそれに気づいてはならない。
彼女は恥ずかしがり屋で、それを知ったあなたを絶対に殺してしまうだろう。
四つ、これが最も重要――彼女は今、死にかけている。
殺風景な風景がどこまでも続く暗闇。
大家の花崎さんが運営する古アパート、その二階。一番端っこの『666号室』の扉を開けて、始めに見るのがそれだった。
「……また懲りずに来たのか、貴様。もう面白いものは残っておらんぞ、帰れ」
その空間の歪みの奥で、幼吸血鬼ヴィヨンドは『封印』されていた。
身動きも取れないまま二ヶ月、見た目だけなら十五にも満たない少女が、真っ黒な十字架に磔にされていた。
「……そう言って、案外嬉しそうじゃないか、ヴィヨンド」
「は、誰がだ。誰が嬉しいものか、妾の寝室に土足で入り込む不届き者など」
そう不敵に笑う彼女の顔は、とても苦しげだった。一言吐き出すのにも痛みを要するような、そんな痛々しい吐息で笑っていた。
「寝室にしては、やけに散らかっているけどね」
気丈に振る舞う彼女に合わせて、ぼくもできる限り何気なく言う。
遠近感を全く感じられないくらい空虚な暗闇は、その実空間そのものが歪んでできた牢獄だ。その冷たい牢獄で、ヴィヨンドの体はぼくを見下ろしていた。
「何だ、人間ごときが妾にケチをつけるのか。それは相当な不敬だぞ、血袋風情が……」
「その血袋風情がいなければ生きてもいられないんだろう、吸血鬼。そんな邪険にしないでよ、ぼくは……ぼくはただきみと話がしたくて来たんだ」
「……は。これまであれこれ試せ試せと忙しかった小僧が、ようやっと暇になったか。嬉しいものだな。上機嫌ついでに話くらいは聞いてやるよ、人間……」
そう言ってヴィヨンドは、苦しそうに笑った。童顔に汗が伝う。ぼくの心がちくりと痛む。
幼吸血鬼。百年の時を生きる彼女が、それでもなおそう呼ばれる理由。それは彼女が受けた呪いにある。
『成長不可』。長老級(千年以上生き、桁違いの力を持った吸血鬼の総称)の両親に掛けられたその呪いは、彼女に一切の変化を許さない。永遠に彼女を停滞させ、飼い殺すためだけの呪詛だ。狂気的な過保護を受けたヴィヨンドの体は、彼女が両親を殺してなお小さく愛らしいままだった。
それでも彼女がここまで成長できたのも、彼女の努力の賜物なのだろう。実の両親から呪われて、それでも諦めなかった執念の結果。その彼女以上の執念を以って、ある災厄は彼女を襲った。
ある日、この街に一人のヴァンパイア・ハンターがやってきた。彼は親兄弟を吸血鬼の手によって失くし、ただ孤独と復讐に生きる人間だった。彼がヴィヨンドを襲った。
勝負は一瞬だった。ぼくが駆けつけた頃にはもう、ヴァンパイア・ハンターは死に、ヴィヨンドは巨大な空間の歪みに捕らわれていた。
目的のためなら周りを巻き込むことさえ厭わないヴァンパイア・ハンターから、ヴィヨンドは見事この街を守ってみせた。自分を犠牲にして。
「……なんだ人間。触るな」
「……ごめん」
ぼくは無機質な床に座った。ヴィヨンドと視線を合わせるために――ヴィヨンドの生首に触れるために。
ヴァンパイア・ハンターがあの日刎ねて、戻らないままの彼女の顔。汚れた床に垂れた美しい金髪。それにぼくはそっと触れた。
「…………ごめん、ごめんね、ヴィヨンド」
「何がだ、人間」
「きみをこんなに、させたこと」
「それは飽きるほど聞いたな。つまらん。同じ話すなら、もっと面白いことを言え」
なあ、妾の仇敵よ――ヴィヨンドは意地悪く笑う。
敵。そう、ぼくと彼女はかつていがみ合う敵同士だった。
ヴァンパイア・ハンターがこの街を襲ったように、幼吸血鬼ヴィヨンドもまた、この街の元襲撃者だ。『成長不可』の呪詛に苛まれ陥った魔力不足を解消するために、彼女は各地の村や街を襲っていた。その時のターゲットがこの街だった。
ぼくらは死闘を繰り広げた。ありとあらゆる策略と、ありとあらゆる人脈を駆使して、この街は何とか壊滅を免れた。ぼくは彼女に勝利した。
そして今も彼女がこの街に住み着いているということは、この街を悪辣なるヴァンパイア・ハンターから守りきったということは、つまりそういうことだ。親にすら呪われた彼女の精神は、けれど誰よりも真っ直ぐで強かった。
だから。なのに。
「何も言えんのなら、帰れ。この結果に納得いっておらんのは貴様だけだぞ。誰も彼もが諦めたことに、いつまでも執着していてどうする」
離せ。離して、大人しく帰れ。ヴィヨンドは優しく諭すように言う。
そうだ。もはや誰もヴィヨンドのことを助けようとはしていない。この二ヶ月、誰もが抗おうとして挫けた。誰もが運命だと言い放った。ぼくだけがこの街から取り残されるように足掻いている。皆ぼくの先を行ってしまった。
……いや、違う。最初からぼくだけだった。本気でヴィヨンドを救おうとしていたのは、元から僕一人しかなかったのだ。
それは、他の誰もが冷酷だったのではなく、強いから。悲しみを受け入れて先を見据えていられる人たちばかりだったから。ヴィヨンドが自室に張った『人払い』の結界も、その強さを受け入れた結果だ。
そうやって人から諦められて、自分でも諦めた彼女を、ぼくだけが救おうとしている。
ぼくは彼女の生首から手を引き、声が震えないようにできるだけ格好つけて言った。
「……また来るよ」
「……そうか。まあ、また暇なら付き合ってやろう……」
そう言って彼女はすっと目を閉じた。傷口に刻まれた呪いの紋様が淡く光る。
首を刎ねられ、傷口に呪いを掛けられ、十字架に架けられ、暗い牢獄に閉じ込められた小さな体。たった一人で街を守った吸血鬼を、ぼくは一人残して部屋を出た。




