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鯨の空  作者: 藤原(の)コウト
幼吸血鬼ヴィヨンドの受難
10/56

魔女、来る


「みなさん朝早いっすねー……うぅ、眠い……」

「しっかりしろ、セシル。扉を開いてくれる役がいないと、俺たちは中に入れないんだぞ」

「ういーっす……」


 寝ぼけ(まなこ)なセシルさんが例のガントレットを装着し、それを床に押し付けると黒い扉がぼくらの目の前に現れた。昨日のようにひとりでに開くのを待って、ぼくらは透明な棺桶を目指して足を踏み入れる。


「手順を説明するぞ」リドさんは部屋に入りながら言う。

「ヴィヨンドの『時間凍結』を解除してすぐ、『魔力渡し』のポーションで彼女の体を〝固定〟させる。魔力が尽き掛けて消えそうだから、存在を定着させる必要がある」


 その次に、とリドさんは小さな剣を取り出す。豪奢(ごうしゃ)な鞘に収められた、鉛筆くらいの大きさの短剣だ。


「俺が二年前、エジプトの鯨で見つけた大魔女の懐刀を使う。専用の(さや)に収めて一月ほど寝かせておけば、『魔力断ち』の性質を帯びる魔具だな。これでヴァンパイア・ハンターの呪いを断つ」


 だが、平時のヴィヨンドならともかく、弱った今の彼女にこの魔具をそのまま使うのは少し危険だ。だから、リドさんはもう一つ細工を施す。


「呪いの大元、首の切断部以外の時をもう一度止める。これで『魔力断ち』の影響も最小限に留められるはずだ」

 それでは始めよう――ぼくらは、眠るヴィヨンドの前に立った。

「…………」


 ぼくはじっと彼女の顔を見つめた。止まった時の中で眠る彼女は、いつもよりも幼く見えた。


「これは賭けだ」


 リドさんは重々しく言った。それだけ真剣に向き合ってくれている証拠だ。


「『時間凍結』の処置が上手くいってなかった場合、解除と共に彼女は霧散する。そういうそもそもの話からして不確定な状態だ。『魔力渡し』が間に合わなかったら? もし『魔力断ち』が通用しなかったら? その影響が彼女の心臓まで届いてしまったら? ……失敗する可能性はいくらだってある。俺たちが彼女を殺すかも知れない。それでも進むか?」

「……もちろんです」


 そう答えるしか、ぼくにはない。これが最後の希望。必死にもがいてたぐり寄せた可能性は、ずしりと肩に重圧を掛けている。

 だけど今までの何もできなかった頃よりかは、大きな一歩だ。その一歩で、ぼくはヴィヨンドまでたどり着かなきゃならない。


「やりましょう。やってください」

「分かった。君ならそう言ってくれると信じていた」


 そう言って、リドさんはぼくに短剣を手渡した。彼が術を張り直す都合上、その剣は誰かに託さなきゃいけない。そしてそれは、ぼくであるべきだ。


「なんだ、俺は手ぶらで見てろってか。ま、俺には魔術の心得なんぞねえからな。手出しする方がしくじるってもんか」

「ありがとう、バンピー。気持ちだけでも嬉しいよ」

「……けっ、なら今すぐ鯨から降りて学校行け。そっちのが安全で幸せな道だ」

「残念だけど、それはできない」

「知ってるよ、救世主。てめえはそんな野郎だ。肝の据わった人間だ」


 ふ。へへ。ぼくらはスカした笑いを交わす。端から見れば気持ち悪いやり取りだろうけど、これがぼくらの友情だった。


「決心はついたか」

「そんなもの、とっくに」

「いい返事だ。始めるぞ!」


 詠唱。まるで歌のような、大魔女が記した綺麗な旋律。言葉一つ一つに祈りと祝福が込められた、何年経とうと色褪()せない言霊(ことだま)の響き。それがヴィヨンドを閉じ込める棺桶を溶かしていく。

 と、同時――


「うわっ、何するんすかっ、うぎゃああああ!?」

「!?」


 扉の向こうから、セシルさんの叫び声が聞こえた。

「どうした、セシル!!」

「馬鹿が、狙われてんぞ!!」


 詠唱を中断し外へ出ようとしたリドさんを、バンピーが押し倒した。倒れた二人の上で、白い光線が尾を引いた。バンピーが止めなければ今頃、リドさんの心臓に命中していた。


「扉が!」


 理由はわからないがセシルさんに何かあったらしく、扉を開くのが困難になったのかじわじわと空間が閉じていく。人間は三十分。昨日の忠告を思い出して鳥肌が立つ。


「リドさん、出ましょう! 閉じ込められればまずい!」

「揃いも揃って馬鹿正直に目の前から飛び出すやつがあるかよ! 狙い撃ちされるぞ!」

「うぐっ!」


 ぼくもリドさんのように襟首(えりくび)を掴まれて倒される。果たして彼の警告通り、光線がぼくの頭上を通り抜けた。扉が閉まる。


「ああ、扉が……!」

「さっき死んでたのと後で死ぬのどっちがいい? もしかしたら助かるかも知れねえ方を選んだだけだ。文句を言われる筋合いはねえぞ」

「感謝する、人狼の戦士よ……しかしこれは、中々厳しい状況だぞ」

「なんか、こっから出る時の方法とかねえのかよ。『鯨乗り』だろ。空間の中に閉じ込められるとか、日常茶飯事じゃねえのか?」

「全ての鯨が罠でいっぱいなわけではないぞ。まあ、なくはないのだが……」


 そう言ってリドさんは、ぼくの握っている『魔力断ち』の短剣を見た。なるほど、これなら『空間固定』も切り裂いて出られるだろう。


「分かっているさ、そいつを今使うわけにはいかない。何か、別の方法を考えよう……」


 リドさんが黙り込む。だけど、脱出方法なんて考えなくてよかった。

 ()()()()、固定された空間は強引にこじ開けられた。


「つうかさあ」


 めきめき、めきめきと。音を立てて歪みは広がる。その端を掴むのは、ほっそりとした()()()()


「このあたしから逃げようだなんて、虫のいい話だろうが」


 歪みは広がり、やがてそこから外が見えるくらいまで広がった。見えたのは倒れたセシルさんと、凶悪に笑う一人の――『魔女』。


()()()()を荒らす薄汚え賊どもは、ただの一人もこのあたしが許さねえ」


 ばぎり! と、ついには風穴が空く。全貌が露わになる。古めかしいつば広帽子に黒装束。古典的な魔女の装いは、しかし身につけた本人の笑顔によって、見事に印象が塗り替えられていた。

 すなわち――凶暴。


「シアハ=ヴェン……ッ!」

「ああそうだ、あたしだ『鯨乗り』。もう逃がさねえ。ここでてめえは殺す」


 リドさんが苦々しげにその名を呟く。魔女のヴェン。そのファミリーネームは、鯨の開発者、つまり世紀の大魔女の血族を意味する。

 大魔女の娘。にわかには信じがたいけど、彼女の魔力の凄まじさには、それだけで絶大な説得力があった。


「クソ、てことはニスカ=ヴェンの娘か。道理で鯨の術式に割り込めるわけだ……!」

「その名を気安く呼ぶな野良犬がァ!!」


 大魔女。その名前を口にしただけのバンピーに、シアハの怒りの矛先は向いた。空中に浮かぶ魔法陣から、一本の光線が飛び出す。


「っちィ!」間一髪、バンピーは飛び退(すさ)って避けた。銀色の髪がかすって蒸発する。

「まずいな、『空間固定』が完全に壊された」


 見れば、666号室なんてどこにもない。固定された空間が壊され、元の座標に戻ったのだ。残されたのはヴィヨンドの棺だけだ。

 それが意味するのは、


「おい、それってヤバいんじゃねえのか!? ヴィヨンドから吸い取った魔力がうんぬんって、昨日言ってただろ!」

「そいつについては問題ない。昨日の内に安全な魔力に変換しておいたからな……だが」

「なァにぐちゃぐちゃ喋ってんだーーーーッ!」


 シアハが怒鳴ると、一際大きい光線が姿を表した。あれだけ単純な術式でこれほどの出力を出せるのは、やはり大魔女の血筋だからこそか。

 ともかく、その場の誰もそれを避けることはできなかった。ただ苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なく時間を凍結されたヴィヨンドを盾にした。


「っ……」

「あ? 何だそれ。吸血鬼か? なんで凍ってんだ、なんで羽虫が母様の鯨で寝てんだよォおおおおおおおおおおお!!」


 シアハの攻撃は激化の一途を辿る。何を言っても、何をしても彼女の逆鱗(げきりん)に触れるばかりだ。これではヴィヨンドの処置どころではない。


「……すまない、巻き込んだ。俺だ。あいつは俺を追ってここまで来たんだ」

 その言葉に思い出す。一通のメール。厄介なことに巻き込まれた。その原因こそが、シアハ=ヴェン、彼女だったのだ。

「ホントに、面倒なの持ち込みやがったな」

「悪い、だがここまで追ってくるとは思っていなかったんだ」

「いい。それよりあいつをどうするかだ」


 バンピーの言う通りだった。今はリドさんを責めている場合じゃない。このままヴィヨンドの陰に隠れていても、事態は好転しない。

 ぼくらは前に進まなきゃいけなかった。


「何か、策はありますか」

「防ぐにゃこの一撃は重すぎる。避けるにしてもそう。何とか撃たせる前に接近してぇが……」

「連射速度も問題だ。しかも一度に何発も撃てるらしい。並の魔女ならとっくに潰れている量の弾幕だぞ、これは」

「これだから魔女っつうのは……普段陰気なくせしてキレるとおっかねえ」


 ぐるる、とバンピーが唸る。しかしこんな危険な状況にあって、なぜ彼はまだ狼の姿に変身しないのだろう?


「魔女の魔力が濃すぎて、人狼(おれら)の呪いがうまく作動しねえ。おかげで調子が悪い」

「魔女の使い魔の反乱防止策だな。ここではどんな亜人も活動を阻害される。人間は平気のようだが……」

「弱っちくてわざわざ手間かける必要もねえんだろ。つうか、来るぞッ!」


 バンピーに掴まれて、後ろに逃げる。さっきまでぼくらがいたところに、光線が直撃した。


「あーあ。やっぱ母様の魔法はすげえや。これだけやっても全然壊れやしねえ。出来損ないのあたしとは違って、才能に溢れてる魔女(ヒト)だ……」


 その土煙の向こうから、シアハは悠々と歩み出てきた。己を阻む物は何もない。そんな風に、あまりにも隙だらけで。

 だからバンピーは飛び出した。


「ラァ!」


 バヂッ、と静電気のような、肉の弾ける音がした。本調子でないとは言え、人狼は戦闘種族の一角。素手で普通の人間を解体することも、彼らは可能だ。魔女の細身はやすやすと千切れ、驚きの表情のまま地面を転がった。

 だけど。


「なっ」


 シアハの顔面を吹き飛ばした彼の脚が、()()()()()()掴まれた。慌ててその腕を弾き飛ばして離脱しようとするバンピーを、光線が貫く。


「痛えだろ」


 声がした。

 なくなったはずのシアハの口から、声がした。


「知ってるか犬っころ、頭ってなくなると痛えんだぜ。なあ?」


 超速再生。そうとしか呼べないくらい、シアハの顔面はたちまち元通りになっていた。


(しつけ)のなってねえ駄犬には、きちんと分からせてやんなきゃいけねえよな?」

「ガあッ……!」


 貫く。貫く。いくつも穴が開いていく。急所を外して体を(えぐ)るその行為は、バンピーをいたぶるためだけの行いだ。

 友達をそうやって扱われて、ぼくはつい目の前が見えなくなった。


「やめろよっ!」

「よせ少年、前に出るな!」

「うるせえぞガキ、失せろ!」


 シアハはぼくの言葉にすかさず反応した。光線。走り出したぼくでは避けられない。


「失せるのはっ、」だが、ぼくは死ななかった。助けられたから。「そっちの方っすよ!」

「セシルさん!」


 ぼくを救ってくれたのは彼女だった。だけどその代わりに、あの巨大なガントレットは壊れてしまった。露わになったのは、彼女の白い肌と、手首から先が欠損した右腕。それはシアハの攻撃によるものではなく、昔にできた傷のようだった。


「ったく、何なんすか毎度毎度! 師匠ばっか狙ってこの駄魔女!」

「てめえ、誰に口聞いてると思ってんだァ!!」

「あんたっすよ短気女! 僕の装備二度も壊しやがって!」


 シアハは大きな舌打ちをすると、瀕死のバンピーを放り投げて術式を用意し始めた。対するセシルさんは、ない右手を掲げて魔法陣を展開する。


「『照射』ァ!」

「『転送』&『換装』!」


 光線が瞬き、再び現れたガントレットがそれを弾いて砕ける。またセシルさんがガントレットを呼び出し、シアハが壊す。ぼくはその間にバンピーに駆け寄った。


「バンピー!」

「げほ……ああクソ、狼の姿なら……」

「待ってて、今止血を……!」

「やめろ」


 服を脱いで包帯がわりにしようとしたぼくを、何を思ったのか、バンピー本人が止めた。


「え?」

「無駄だ、この感覚は魔法じゃない……〝呪い〟だ。俺たちも呪われた一族だから、よくわかる……」

「それって……」

「ヴィヨンドと同じような類のやつだな、こりゃ……俺たちだって相当に頑丈なはずなのに、全く傷が癒える気配がない。ま、そもそも俺が弱ってるってこともあるだろうが……」

「そ、んな……」


 ぼくは頭の中が真っ白になった。この無力感には、いつまで経っても慣れやしない。ただぼくの全身から力を奪っていく。

 目の前で苦しむバンピーを見て、ヴィヨンドの姿が重なった。奇しくも似たような呪いをかけられた二人は、ぼくのちっぽけな心臓を(きし)ませるには十分すぎた。


 ん?

 ()()()()()()()


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